第31話 脱走
「先輩立ってないで、座ってくださいよ」
小町由香は、音響室の椅子に座り、自らの隣にある椅子を、回転させ朝弘の方へと向けた。朝弘は扉の前で立っている。
彼女は、ひどく童顔である。おそらく小学生と言っても通用するのではないだろうか。きっとおぼこげな頬のふくらみが、そう思わせるのだろう。
音響室は、こじんまりとした小さな部屋である。体育館側に、大きな窓が取り付けられており、そこから館内を一望できる。
「いいよ。そんなことより、何が目的なんだよ。俺をこんなところまで呼び出して?」
そういうと、彼女の表情がこわばった。椅子に座った状態で対面し、上目遣いに睨みつけて来る。
「先輩、先日私の事、寂しくて可哀そうだって言いましたよね」
問われて、朝弘は、うなずいた。
「ああ、言ったよ」
なんとなく覚えている。
小町由香は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「人の事言えるんですか? クラスメイトと喧嘩して、自分だって、すごく寂しそうで、可哀そうですよ」
彼女は、打って変わって得意気な表情を浮かべると、続けざまに口を開いた。
「――それに聞きましたよ、あの水井って人、あなたのこと嫌いらしいです。嫌われてるんですね先輩」
「そんなことわかってる。異世界に来る前から、俺は、ずっと一人だったから。クラスで誰もしゃべるやつがいなくて、早く学校が終わればいいって、そんなことばっかり考えてた。だから、あんたの気持ちがわかったんだよ」
言うと、彼女は、一層目尻をとがらせた。
「わかった気にならないでくださいよ! 大体、寂しいって、そんなの当たり前です。人間なんて、みんな孤独なんです。人と関わろうとすればするほど、傷つくだけです。だから私は一人でいいんです。それを勝手に可哀そうだなんて言わないでください。無理に、人と関わろうとしてる、あなたの方がよっぽど可哀そうですよ」
小町由香は声を荒らげる。
「それはごめん。でも自分でもわからないんだよ。俺だって、あんた、とおんなじ考えだったんだ。だけど、一度、みんなに頼られて仲良くしてもらえたら、前みたいに戻るのが怖くなったんだ」
朝弘は、自分の太ももの横で握られた拳に視線を落とすと、次いで、真っすぐに小町由香の目を見た。彼女は一瞬たじろぐように、視線を逸らした。
「なんですかそれ、すごく馬鹿みたいじゃないですか」
「うん、馬鹿だよ」
朝弘は呟くように吐き捨てた。
「もういいだろ。頼むから、連れてった女の子返してくれ」
「だめですよ。そんな簡単に返すわけないじゃないですか」
「だったら、どうしたらいいんだよ?」
「死んでくださいよ」
小町由香は、口先を尖らせ、小さくつぶやいた。
朝弘は、えっ、と言って聞き返す。しっかりと聞こえていたが、その意図が分からなかったため、聞き間違いだと思った。
「ですから、本当に返してほしいんでしたら。先輩、死んでくださいよ」
小町由香は、朝弘に視線を移すと、指をさした。
朝弘は、大きく息を吐く。
「何でそうなるんだよ」
「誰だって、自分の命が一番大切なんです。口だけの嘘つきなんて、私は大嫌いです」
彼女は、ふたたび朝弘からそっぽを向くようにして、窓の外に視線を移した。
しばらく、朝弘が言いよどんでいると、彼女は椅子を回し、机に向かった。窓に面した、白い長机の上に置いてある、チョコレート菓子を口に運ぶ。
「もちろん、嫌ならいいですよ。見捨てればいいじゃないですか。あっ、お菓子食べます?」
そういうと、小町由香は、開封されたお菓子の入った袋を、こちらに差し出した。スティック状のチョコレート菓子だ。
「いいって。で、どこにいるんだよ? あと木下も、まだ生きてるんだろ?」
「だからー。先輩、私の話聞いてますか?」
小町由香は、すねたように、頬を膨らませると続ける。
「まっ、先輩が死んでも、死ななくてもどうでもいいですけど。――女の子の方は、まだ何もしてません。木下って人も、多分まだ生きてますよ」
朝弘は、安堵した。
「よかった。生きてるんだな。で、どこにいるんだ?」
「場所ですか?」
小町由香は、けだるげに回転式の椅子を小さく左右に回した。
「校舎の別館ですよ。でも、無理ですよ。すぐに死にます。先輩にできることなんて、何もないですよ」
小町由香は、袋からチョコをとり出し、もくもくと口に運んでいる。先ほどまで、怒っていた様子であったのが嘘のように、頬を緩ませ、幸せそうに食べている。
朝弘は、部屋に置かれたデジタル時計を確認した。時刻は、まもなく24時30分である。魚沼と約束した計画の時間だ。
朝弘は、扉の前から、窓まで近づいた。椅子に座る小町由香の後ろに立つと、手を延ばし窓の端に括られた黒いカーテンのひもをほどく。
「何してるんですか?」
朝弘が、何も言わずカーテンを閉めたので、小町由香は、座った状態で頭をあげ、きょとんと朝弘の顔を見る。
「小町だっけ? 名前」
朝弘は、彼女の方に向き直った。
「えっ。あっ、はい。そうですけど」
彼女は何が何やらと言った様子である。
「小町も、逃げたほうがいい」
「それって、どういう意味ですか?」
すこしだけ彼女の表情がこわばった。
「そのままの意味だよ。ここにいたら飯田に何されるかわからないだろ?」
「そんなの……。あの人から逃げれるわけないじゃないですか! すぐに捕まって殺されます」
「大丈夫、飯田は追ってこれないよ」
「そんなわけ……」
彼女が言いかけたのと同時だった。音響室の扉が勢いよく開け放たれた。
「小町さん。体育館の連中が森に脱走してます」
正面出入口で見張りを行っていた男子生徒が、血相を変えて入ってきた。
小町由香は、すぐさま立ち上がると、カーテンを開ける。
体育館の裏口の小さな扉を前に、生徒たちが人だかりを作り、押し合っていた。次々と、生徒たちが森へと脱走していく。
小町由香は、すぐに踵を返し、音響室を出ようとする。だが、朝弘は、彼女の手首を掴みそれを静止した。すでに報告に来た見張りはいない。
「だめだ。行かせられない」
「どいてください!」
彼女は、目尻をとがらせて朝弘を睨む。腕をねじり、引きはがそうとする。しかし、朝弘も力を入れて、彼女を離さない。
と、次の瞬間、四方から現れた鉄の鎖が、朝弘の両腕を胴体に固定するように巻き付いた。朝弘の体は、強く圧迫され、呼吸が苦しくなる。
彼女は、朝弘の手を引きはがすと、また音響室の出入り口へ走る。
その時、朝弘は、能力を使用した。異空間へと移動し、鎖を透過し外へと抜け出た。
現実世界に戻ったときには、標的を失った鎖が、地面へとジャラジャラと音をたて落ちた。朝弘は背後から、再び彼女の手首をつかむ。
彼女は、振り返ると、床に落ちる鎖を見た。その目は、驚きで見開かれている。
「なんで……」
「俺の能力だ。あんたの、能力は俺には効かない」
彼女は、少しの間手を振りほどこうと暴れたが、しかし、無理だとわかったのか、おとなしくなった。
朝弘は、彼女の手首を握った状態で、音響室の窓を開けると下を伺う。すると、高樹がこちらを見上げていた。
すでに体育館の生徒の、ほとんどが森へ逃げており、残っているのは、衰弱して横たわる生徒と、一部のⅮグループの生徒のみだ。
「木下生きてる。パーナマも無事だ。校舎の別館にいる! 後は頼んだ」
朝弘が大声で叫ぶと、高樹は軽く手をあげ、勢いよく体育館を飛び出した。
「先輩は、疫病神だ」
震えた声だった。言ったのは小町由香だ。朝弘は、彼女の顔を見た。彼女は、今にも泣きそうな顔でこちらを睨みつけている。
「こんなこと、私、会長に殺されます。何で私が見張りの時に、限って。梶岡先輩の時にしてくれたらよかったじゃないですか!!」
「ごめん」
朝弘は、視線を落とした。
「どうせ、逃げれるわけないんですよ。今逃げた人たちも、すぐに殺されますよ。死にたいなら自分たちだけで死んでくださいよ。なんで由香を巻き込むんですか……」
彼女は、その場にへたり込んだ。
「あんたも逃げてくれ」
朝弘は、言うと彼女の手を離した。次いで、踵を返して音響室の扉を開けようとする。すると、再び鉄の鎖が朝弘の腕に巻き付いた。強く後方に引っ張られ、朝弘は、彼女の方を振り返る。
「いかないでくださいよ」
彼女は、泣きはらした目で、手をこちらにかざしていた。その様子は、まるで捨てられた子供のようだ。
「やらなきゃいけないことがあるんだ」
朝弘は、また能力を使い鎖をほどいた。鎖は、床に落ち、ジャラジャラと音をたてた。
――現状
死を待つばかりの衰弱者を含め、生きている全ての創造高校の学生は、総勢392人である。
そのうち、体育館に収容されている人数が、182人。その中で逃げ出した生徒は121人であった。
そのほとんどはEグループの生徒である。Dグループの生徒の中には、少なくとも食料がもらえる、現状に満足している者がおり、彼らは体育館にとどまることを選んだ。
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