第30話 英雄願望

 朝弘は、体育館の壁にもたれかかったまま、天井を見上げた。体育館の天井は、むき出しの鉄骨が網目状に交錯しており、その部分に一球だけバレーボールが挟まっている。

 朝弘は、ひとまず、現状を整理することにした。


 現在、木下とパーナマは捕まっている。また魚沼達は、今日中に脱走を企てているようである。

 まず、パーナマは、いくら非道な飯田といえども、何の考えもなしに、貴重な情報源である異世界人を殺すようなことはしないはずである。そのため、殺される可能性は低いはずだ。

 だが、もちろん、その情報を聞き出すにあたっての方法までも、穏やかなものであるとは思えない。


 次は、木下だ。もしかしたらすでに殺されているかもしれない。だが、体育館での生活が始まってすぐの混乱で、連れていかれた人間が、少なくとも20人以上はいたはずだ。順番で殺されるのであれば、それほど早くはない。そう考えれば十分に生きてる可能性はある。


 そして、魚沼達の脱走計画。今日中に脱走することは決まっているようで、今の状況で朝弘が止めても誰も聞く耳など持たないだろう。

 となれば、上手く逃げてもらうほかない。だが、一人二人ならともかく、クラス全員となると、ひどく困難である。

 また、上手く森に逃げれたとしても、飯田たちに追いかけられれば、すぐに殺される。もちろん飯田たちが、探索に出かける明日まで待つのが望ましいが、いつ死ぬかわからない極限の精神状態と、飢餓から、明日を待っていられないほどに切迫した状態である。それに、木下は男子生徒たちから人気があり、彼のことを助けようという、意見が多かった。


 すぐ目の前では、魚沼が水井雪に詰め寄っている。


「おまえ、何で言ったんだよ?」


「仕方ないじゃん、言わなきゃ殺されるんだから。言わない方が馬鹿でしょ」

 水井雪は、まつげを涙に濡らし、叫んだ。頬を紅潮させ、鼻の頭も赤い。


「何よ? 魚沼は、あの子の代わりに私が死ねばよかったって思ってるってこと?」


「そうじゃねえけど」

 魚沼は、水井雪の勢いに圧倒され、二の句が継げないようである。


「第一、どのみち、逃げ出すんでしょ。その時あの子もつれてったらいいじゃない」


「簡単に言うなよ。向こうは化け物ぞろいなんだよ。見つかれば殺される。てかお前、俺らが逃げだっすてことも言ったんじゃねえだろうな?」


「それは言ってない。聞かれたのは、あの子の事だけ」


「もう、やめようよ。私たちが喧嘩しても、何にもならないんだから」

 そう叫んだのは、矢田舞だ。彼女は普段の温和な雰囲気から、打って変わって真剣な表情である。

「計画のこと、しっかりと決めておいた方がいいよ。その場で決めてたんじゃ、皆動けないよ」


 クラスメイト達は、体育館の隅に、輪になって固まった。作戦内容を小声で話し合う。朝弘は、その輪の外にいたが、近くにいたため、その話が僅かに聞こえてきた。


「俺ら、男子で見張りの生徒張っ倒すから、その隙に全員で逃げてくれ。んで、みんなが森に入ったのを確認した後、俺が、木下とパーナマを探す」

 魚沼が言う。それに、生徒たちは頷いた。


「大丈夫なのかよ、魚沼一人で?」

 男子生徒が尋ねる。


「ああ、体育館の生徒が逃げ出した混乱に乗じれば、多分何とかなるだろう」


「わかった。んで、いつやるんだ?」


「そら早い方がいいだろ。そうだな、あと1時間後にしよう」

 魚沼は、体育館の壇上の上に取り付けられた時計に目をやった。今の時間が、9時5分。決行は10時5分ということになる。


 計画は、とんとん拍子に、決まっていく。しかし、そんな計画じゃ、きっと逃げられないだろう。朝弘は思う。

 そもそも、クラスの男子生徒の能力が非力であるのだ。


 何とか戦える男子生徒の能力を抜粋しても。魚沼を除けば、【手の数を増やせる】生徒と、【軟体能力】くらいのものである。


 それ以外は、髪の毛を延ばしたり、大きな声が出せるなど、戦闘向きではない。

 ならば女子生徒の方が戦える。【皮膚を硬い鱗で覆う】能力や、【壁を歩く能力】など、実用的だ。


 ならば男子生徒と、女子生徒で力を合わせて、戦うべきだろう。そのほかにも、懸念点をあげればきりがない。


 話し合いが終わると、今井咲が、朝弘のもとへとやって来る。朝弘は、座っており、今井咲は立ったまま朝弘を見下ろす。朝弘の隣には高樹がいる。


「朝弘は来てくれないの?」


「行くも何も、そもそも逃げるのが無茶だ。殺される」

 朝弘は、小さく首を振り、彼女から目を逸らす。


「だったら、殺されないように、協力してよ」


「協力って言ったって、俺の話なんて、誰も聞いてくれないだろ」

 朝弘は、今井咲を睨みつける、無意識に語勢が強くなった。


「そんなん、わかんないじゃん。少なくとも私は聞くよ。魚沼君だってそうだって。ねえ、朝弘すねてるんでしょ。あんなの気にしなくていいって、高樹君も言ってやってよ」

 今井咲は、朝弘の隣に座る高樹を見た。


「俺は、朝弘が決めることに、口出さないよ。朝弘がやるんだったら俺もやるだけだ」

 彼は平然と言う。


「すねてねえよ」

 朝弘は、そっぽを向いた。正直あそこまで言われて、気にするなと言うのは無理な話だ。


「ねえ、朝弘。木下君と、パーナマちゃん助けようよ。今何もしなかったら、朝弘、ぜったいに後悔するって。私にはわかるんだから」


 朝弘は、眉間にしわを寄せ息を吐くと、考えた。


 彼女の言うように、きっと、後悔するんだと思う。実際に木下が連れていかれたときに、朝弘は、居てもたってもいられなくなっていた。あきらめようとしたけど、頭は無意識のうちに彼を救える方法を、思案していたのだ。そして今、パーナマさえも連れていかれた。


 おそらく、自分がどうしたいのかは、すでに決まってる。しばらくして、朝弘は口火を切った。


「わかったよ」

 朝弘は、立ち上がると、魚沼の名前を呼んだ。彼は男子生徒たちと、話しており名前を呼ばれると、こちらを振り返った。その周りにいた男子生徒も、こちらを見る。


「俺も協力するよ」


「おう、そうか」

 魚沼は破願した。


「それで、作戦内容を変えたいんだけど、聞いてくれないか?」


 朝弘が、言ってすぐ、水井雪が反論した。


「ちょっと、なんであんたが口出すのよ。私たちの間で、もう決まったことなんだから。ややこしいことしないでよ」

「うん、手伝うのはいいけど、勝手なことしないでほしい」

「そうだよ。反対してたくせに、急に手のひら消したみたいに」

「どうせ、置いてかれたくないんだろ。別についてきてもいいけど口出すんは違うだろ」

 クラスメイト達は口々に、朝弘に不満を漏らす。


 騒然とする中、突然、矢田舞は、すっと立ち上がった。みんなの視線が、彼女に向けられる。

「みんな、私たち魚沼君についてくって言ってたよね。決めるのは魚沼君だと思う」

 彼女が言ったのに、みんなの視線は魚沼に移された。


 魚沼は、少しの間、逡巡するように視線を落とし、やがて朝弘を見た。

「俺はさ、お前と違って馬鹿だから不安だったんだ。お前が反対してるのに、無理やり強行して。今考えた作戦だって、何の考えもなしに勢いで決めたもんだし。だからさ、お前が協力してくれるのは、当然賛成だ。俺は、朝弘の指示にしたがうよ」


 一時、クラスメイト達の、不満の声であたりがうるさくなった。


 彼女である鈴木恵子が魚沼のそばによる。彼の、肩に手を置いて心配げに顔を覗き込む。


「いいの?」


「うん、あいつの指示で動いて、だめだったら。俺がやったってどのみちだめだ」

 朝弘は、さっそく自分の考えた作戦をクラスメイトに伝えた。すでに腹は決まっている。待つことはしない、全力でクラスメイトを逃がすことだけを考える。


 決まった内容は以下のとおりである。


――――朝弘の考案した作戦内容。主な変更点。


1、決行時間は、当初の午後22時5分から2時間以上遅らせた24時30分を目安とする。


 正確な時間は、朝弘が、小町由香に呼ばれた後30分後である。これは、飯田たち、探索部隊が完全に寝静まる時間を見はからった時間である。また、朝弘が上手くやれば、音響室で見張りを行っている、小町由香の目を欺くことが出来る。


2、見張りの生徒の制圧を行うクラスメイトは、魚沼を中心に、性別ではなく、能力によって決める。

 魚沼、松山さやか、野田ちずる。他、三名。


3、木下、パーナマの奪還は、朝弘、と高樹の2名で行う。


――――


 他に、森に入った後、逃げる方角や、体育館の見張りを倒した後の、他のクラスの生徒たちの煽り方など。つぶさまで徹底して決めた。


 クラスメイト達は、不安に顔をこわばらせてつつ、友達同士で、自分達の動きの確認を行っている。


「じゃあ。私、ちづるについていくから。置いてかないでね」

「わたしも」

 そんな声が聞こえてくる。


 朝弘は、手持ちの魂貨の、半分である350魂貨の入った麻袋をとり出し、魚沼に渡した。

「一応な。もしもの時は、これで食いつないでくれ」


「わかった。で、2人はどこで合流するんだ?」

 魚沼は、差し出された袋を、ポケットにしまった。


「オークを狩るときに休憩に使っていた広場で落ち合おう。そこに木下とパーナマを連れて行く。そこが無理そうなら、東へと進んでく。その方角に逃げてくれていたら、きっと落ち合える」


「わかった。気をつけろよ」


「ああ、それと何度も言うけど、戦ったことのない化け物が現れたら手を出さず逃げろよ」


「おう、わかってるって。普段から何度も言われてることだし」

 朝弘は、説明を終えると、立ち上がり、クラスメイトの輪から外れた体育館の壁にもたれた。そこには高樹が座っており、その隣に座る。


「わるいな。危険な役割頼んで。無理そうなら逃げろよ」


「いいよ。まあ、何とかなるだろ」

 高樹は、下を向き軽く微笑む。次いで顔をあげ朝弘を見た。


「それより良かったのかよ? 綺堂先輩たちとの約束」


「こうなったら仕方ないって。みんなが死んでしまったら、何をしても意味がないだろ」


「なんか変だな。お前がこんなにクラスメイト思いになるとはな。こっち来るまで、どうせ後2年もすれば卒業して合わなくなるんだし、仲良くする必要なんてないとか言ってたのに」


「うん、まあな」

 自分でも不思議だった。まさか、こんなことになるなんて、異世界に来る自分は思ってもみなかっただろう。

 朝弘は、今になって思う。おそらく自分はきっとこういう人間だったのだ。自己犠牲的で、承認欲求が高くて、英雄願望がある。


 みんなに認めてほしい。そのためなら何でもできる。


 ――――現に今、自分が死んでさえも、クラスメイトを逃がそうと思っているんだ。


 朝弘は、近くで、女子生徒と話す今井咲に声をかけた。

「今井、ありがとう」


「何、急にあらたまったみたいに」

 振り返った今井咲は、照れくさげに、唇を尖らせていた。彼女のおかげで、吹っ切れた。自分のやりたいことがわかったのだ。今の自分は、異世界に来る前と比べて、ありのままである気がしていた。


 時刻は、24時になった。予定通り、見張りの生徒から、声がかかった。朝弘は立ち上がると、体育館の出入り口に向け歩きだした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る