第28話 死との天秤
死ぬ前の人間って一体どんなことを、思うんだろう。小町由香は、音響室から体育館を見下ろし、考えた。右手には、大好物の、スティック状のクッキーにチョコレートが塗られたお菓子を持っている。それをおもむろに口に運んだ。
走馬灯という言葉を聞いたことがある。何でも、今までの記憶が次々と蘇るらしい。なんとも悠長なことだ。きっと私だったら、のんきに思い出に浸っていることはできない。恐怖に、頭がおかしくなって、何とか生き延びようと、必死に抵抗するだろう。
もちろん、私が生き延びるために、他人がどうなってもかまわない。当然だ。みんな、そう思ってる。
命は絶対なんだ。人のために自分の命を投げ出せる人間なんているはずがないのだ。死んでしまっては、おしまいなのだから。
眼下に広がる体育館には、死を待つばかりの人間が沢山いる。こうしていると、自分が特別である事を、実感する。異世界にくるまでは、ただのクラスのいじめられっ子だった。でも今は、とてもいい気分である。
午後3時に、梶岡と見張りを変わると、小町由香は、校舎の別館にある実習室へと向かった。実習室は、死刑執行前の、生徒が隔離されている場所である。執行は、飯田が帰って来てから、順次行われる。
小町由香は、運動場の脇を抜ける。すぐに、別館の入り口が見える。
入り口には、見張りの生徒がいたが、小町由香を見るなり、黙って道を開けた。Aグループの生徒は、校内を自由に行動できるのだ。
建物に入ってすぐ、階段を上がり実習室の、廊下に出た。
実習室は、4つ並んでおり、その教室の前には、一人ずつ見張りがいた。
一番手前にいた、見張りの男子生徒は、教室から椅子をもって来て廊下で座っていたが、小町由香を見るなりすぐさま立ち上がった。お疲れ様です、と挨拶をする。それに気づき、他の教室の前にいた生徒たちも、立ち上がり同じように挨拶をする。
小町由香は、うなずき口を開いた。
「少し前に、ここに連れてこられた、生徒ってどこにいますか?」
「あっと、ちょっと待ってくださいね」
男子生徒は、走って奥の教室の前に立っている生徒に駆け寄った。すこしして、小町由香のもとに戻って来る。
「えっと、2年の木下望ですね?」
「あっ、たぶんそうだと思います」
正直、名前はわからない。が、彼以降体育館から、こっちに運ばれた生徒はいないはずだから、そうなのだろう。
「3番実習室です。連れてきましょうか?」
男子生徒がそう言ったので、小町由香は、お願いしますと、返事を返した。
しばらくして、まさしく、先ほど、長髪の男子生徒を殴って体育館から連れ出された生徒が現れた。見張りの生徒に両肩を拘束されて、歩かされている。目元は泣きはらし、いまだに半べそ状態である。ほらまっすぐ歩け、と見張りの生徒に、叱責されている。
「連れてきましたが、どうしましょうか?」
「どこか空き部屋とかありますか?」
「あっ、大丈夫です。執行室でしたら、全部あいてますよ」
執行室、嫌な場所だ。実際に死刑が行われる教室の事をそう呼んでいる。おそらく、この見張りの生徒は、今から、私が、この生徒を処刑するものだと思っているのだろう。
でも、と小町由香は、恐怖で鼻の頭を赤くした木下を見る。脅すにはちょうどいいかもしれない。
小町由香は、頷くと、階段を上がった。その後ろを見張りの生徒に両腕を掴まれた木下が、ついて歩く。
「待って。いやいや、死にたくないって」
木下は大声でわめいている。抵抗しようと、体をねじり、階段を上ることを拒む。だが、見張りの生徒に引っ張られて、無理やりに階段を登らされている。
やがて、執行室の前まで来ると、小町由香は、もういいですよ、と言って見張りの生徒を下がらせた。
執行室の扉を開けると、鉄臭い、血の匂いが鼻を突いた。気持ち悪い。入りたくなかったが、仕方がない。嫌々と部屋のなかに入った。
「入ってください」
小町由香は、振り返ると、廊下に立ったまま動かない木下に、声をかけた。彼は、渋々と言った様子で教室へと入った。
彼女は、部屋の明りをつけた。室内が明りで照らされると同時、その光景を見た木下は、低い叫びをあげて、床に尻もちをついた。
部屋の壁や床、黒板や天井は血で真っ赤に染まっている。部屋の角に寄せられた長机の、白いはずのテーブルが真っ赤なクロスが引かれたように、赤い。窓には、どす黒く粘り気を帯びた血が、垂れる途中で固まっている。悲惨な部屋であるが、遺体そのものはなかった。
ここは、飯田によって死刑が執行される場所だ。昨日は、探索から帰ってすぐに、彼自ら一般生徒の命を奪っていた。
木下は、逃げようと、教室の扉に手をかける。だが、小町由香は、すかさず彼の足と手を鎖で拘束した。彼女の能力によるものだ。彼女は、空間から、同時に8本の鎖を出現させることが出来る。
「まって、まって、まって。何でもするからさぁ」
彼は表情をしかめて、必死に抵抗する。だが、鎖はびくともせずに彼の体を大の字に引っ張った。鎖は、空中から現れている。
小町由香は、笑ってしまった。彼の反応は、全うである。どれだけ、格好をつけようと、死の目前では、みんなこうなるんだ。代々木朝弘。あの人だって例外じゃない。
「大丈夫ですよ。私は殺しませんよ。殺すのは、会長ですから、私じゃないんです」
木下は、言葉の意味を理解できていないといった表情を浮かべる。
「だから、今は死なないってことです」
おそらく、この男はとても馬鹿だ。
ようやく、理解したのか木下は、安堵したように息を吐いた。
「でも、明日くらいには、死にますけどね」
「なんでぇ」
また、表情をしかめる。ころころと態度が変わって面白い。
「でも、ひとつ私のお願いを聞いてくれたら、助けてあげてもいいですよ?」
「なんだよ?」
「代々木先輩の事、教えてくださいよ。なんか隠してることあるんじゃないですか?」
「えっでも、それは、言ぇねえって」
「あっ、やっぱりあるんですね?」
小町由香は、思わず手を体の前で合わせる。
「あっ、あるなんて一言もいってねえよ。勘違いするなって」
「いやいや、それ、ある人の反応じゃないですか?」
彼女は、顔の横に、人差し指を立てた。この人は、本当に馬鹿だ。わざわざ脅す必要なんてなかったかもしれない。この様子なら、簡単にいろいろと知りたいことを聞き出せそうだ。
「てか、異世界人って本当にいるんですか?」
単刀直入に聞いてみる。
「んっ?」
木下は、聞こえないそぶりをする。小町由香は、もう一度大きな声で、繰り返した。しかし、彼はえっ? と、言って首を傾けた。
本当に馬鹿だ。質問を聞き取れないふりをして、ごまかそうとしている。こんなのいるって言ってるようなものだ。
「もういいです。いるんですね」
「いや、もう勘弁してくれよ。もういいだろ」
小町由香は、鎖で拘束されている木下の周りを歩いた。
「いや、勘弁って、まだ、全然話聞いてませんよ。どこにいるんですか、その異世界人?」
「それは、絶対、言わねぇって」
木下は、首を振る。
「言わなかったら、死ぬだけです。それでもいいんですね?」
「それは、嫌だけど」
「だったら早く言ってくださいよ」
木下は、眉間にしわを寄せ、唸った。少しして口を開く。
「ちょっと待ってくれよ。考えさせてくれ」
「早くしないと、死にますよ」
「俺は、いつ殺されるんだよ?」
うーん、と言って小町由香は、天井を見上げた。
「会長次第ですけど、最悪今日の6時以降、か、まぁ、たぶん明日の午後ですかね」
生徒たちの命は、飯田次第である。彼が殺すといえば死ぬし、生かせと言えば生きることが出来る。
彼は絶対だ。この世界に来て、たくさんの化け物と見て来たし、戦った。けど、そのどれも小町由香は、恐怖を覚えなかった。
――なぜなら飯田先輩の方が、何倍も恐ろしいからだ。
「待てませんよ。今言って下さい」
「だったら、だめだ言えない」
驚くことに、木下はそう言って首を振ったのだ。
小町由香は、思わぬ反応に、驚いた。自分の命がかかっているのに、この男は、死を選ぶというのだ。本当に馬鹿だ。きっと、自分は死なないとでも思っているのだろう。
でも、彼がそういう態度をとるのであれば、もうどうでもいい。そのことについて聞く方法なら、たくさんあるのだから。
「あなたって、本当に馬鹿ですね。もういいです」
小町由香は、実習室の扉を開けて、外に出た。教室の前に立っている見張りの生徒に、木下を引き渡し、別館を後にした。
午後6時、見張りの交代のため、校舎を出て体育館へ訪れようとしていた小町由香は、ちょうど飯田たちが帰って来るのに遭遇し、足を止め彼らを出迎えた。お疲れ様です、と元気よく声をかけたが、会長はこくりとうなずき無言で校舎へと入っていった。相変わらず愛想がない。
その後、春日部梓に話を聞くと、なんでも、会長は疲れているようで、今日は処刑を執り行わないらしい。
会長たちの出迎えを終えると、梶岡と見張りを交代するため音響室を訪れた。室内に入ると、梶岡は、窓に面した机にくっぷして寝息を立てていた。
「先輩。変わりますよ」
小町由香が、声をかけると、梶岡は、あっ? と言って首をこちらに向けた。
「交代時間ですよ」
梶岡は、そうか、とつぶやくと体を起こし、手を頭上にあげ伸びをした。次いで、、だるそうに立ち上がると、そのまま無言で、部屋を後にする。
小町由香は、一人になった音響室で、さっそく、部屋の角にある机の下に置いておいたお菓子箱からお菓子を物色する。いくらか量が減っている。ごみ箱を確認すると、お菓子の空き箱が捨ててあった。おそらく、梶岡が食べたのだろう。彼女はため息を吐いた。私のですから、食べないで下さいと、いくら言っても聞かないのでもうあきらめている。
箱の中から、大好きなスティック状のチョコレートのお菓子をとり出し、机に置いた。
椅子に座り、窓から体育館の状況を確認する。相変わらず、騒然としている。しかし、朝に比べると、少し落ち着いたようだ。生徒たちには、さすがに疲労が伺える。眠る生徒がちらほらと目に入る。
次いで、小町由香は、お菓子の袋を開けながら視線を移した。彼女が見たのは、朝弘たちだ。
すると、彼らは何やら揉めているようだった。今にも、朝弘の胸倉をつかまんばかりに激高している女子生徒がいる。
小町由香は、机に頬杖をついて、お菓子を口にくわえる。何やら面白そうである。
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