第26話 冷えた心
小町由香は、音響室の椅子に座ってチョコレートを食べていた。椅子は、足にローラーがついているタイプのものだ。音響室は、体育館の2階にあって、館内を一望できる。部屋の巨大な窓ガラスはマジックミラーのため、外からは見えない造りになっている。
彼女は、巨大なガラスから呆然と、体育館を眺める。生徒たちに、秩序などなくなってしまっている。体育館のあちこちで、生徒たちが、特定の生徒を、よってたかって暴行している。
まるでいじめだ。ふと、小町由香は、自分の中学時代を思い出す。
小町由香は、中学校で、何度かいじめにあったことがある。きっかけはひょんなことだ。グループのリーダー格の女子生徒の連絡にたった一度出なかっただけだ。でも、きっとそれだけじゃない。自意識過剰かもしれないが、自分は、男子生徒からけっこうモテていた。それが気に食わなかったのだろう。
翌日から、無視されるようになった。いつも一緒に学校に行っていた、友達は、待ち合わせの場所に来なくなった。
学校で、その子に会った時に、何で来なかったのかと尋ねようと近づくと、自分から逃げていくんだ。友達と、笑いながらこっちを向いて。
いじめは、だんだんとエスカレートしていく。水をかけられて、無理やりにピアスを開けられたり……。
その時、小町由香は思った。人間なんて信用できない。
それは間違いではなかった。小町由香は、体育館の、様子を見てさらに確信した。
時刻は午後4時になった。
「さっき、福山先輩たちが、生徒を一人連れてきましたよ」
小町由香は、見張りの交代で音響室に訪れた梶岡に言った。
「あっ。なんだそれ? てか、誰をつれてったんだよ」
梶岡は、声を荒らげてまくし立てる。
「何でそんな怒ってるんですか? えっと、確か代々木とか言いましたっけ」
小町由香は、天井を見上げて、先ほどのことを思い出す。
「おめえ、馬鹿じゃねぇのか!!」
梶岡は、彼女を怒鳴りつける。小町由香は、驚き、肩をすくめて目をつむるようにした。
「その代々木ってやつ。今朝、春日部先輩に、言われてたやつだろ。2年2組で、俺らに黙って森に入ってたやつだよ」
「えっでも、絶対殺されてますよ。福山先輩たち、なんか怖かったんですよ。今にも殺しちゃいそうな勢いで、びりびりしてて。だから、外でやってくださいってお願いしただけです」
小町由香の心臓は、早鐘を打った。顔が痙攣するように引きつるのがわかった。
「逃げられてたらどうすんだよ?」
「いやでも、だって。探索部隊の人が二人いるんですから、逃げれるはずありませんって」
彼女は、無理やりに笑顔を作り、顔の横で人指し指を立てた。
「福山たちがグルだったらどうすんだ?」
「そんなはずないですよ。飯田先輩を裏切っても殺されるだけです。そんな馬鹿いないですよ」
小町由香は、自分にも言い聞かせるようにして、呟いた。
「まあ、俺は知んねえよ。でも、そいつが死んでたとしても、飯田先輩は、納得してくれるかな。死体もねえのに、死にましたってそれで信じるのか?」
梶岡に言われ、小町由香は泣きそうになった。溢れてくる涙を必死にこらえる。
「えっ。だって、どうしたらいいんですか?」
聞いたものの。当然、彼女自身、わかっている。飯田が帰ってくる前に、死体を見つければいい。彼女は、立ち上がると音響室を出ようと扉のノブに手をかける。
「どこ行くんだよ?」
「死体探してきます」
「あっ。馬鹿か? 見つかるわけねえだろ? 福山達が帰ってくるのまっとけ」
「でも、そんなの待ってたら、先に飯田会長が帰ってくるかもしれないじゃないですか」
こんなことが、飯田に知れれば、殺される。死にたくない。小町由香は、必死だった。
体育館を飛び出すと、小町由香は、校舎に取り付けられた丸時計に目をやる。時刻は4時30分。普段、飯田たちが狩りから帰還する時間は、午後6時である。だが、今日は、森の奥まで進行すると言っていたため、正直、何時に帰って来るか読めなかった。
今まで森の奥へ進行するときは、状況に応じて帰還する時間は、違っていた。
小町由香は、校舎の校門をくぐる。どこから探そうかと逡巡していると、目の前から人が近づいてくるのがわかった。
と、小町由香は、戦慄した。間の悪いことに、現れたのは、飯田たちであったのだ。
飯田は、巨漢を揺らし、こちらに歩いてくる。まるで小柄な、自分を見下ろすようだった。
ふいに、先刻の、彼の姿が脳裏をよぎる。板尾会長たちを、殺した。最近、小町由香は彼の姿を見るだけで、体が震える。
その後ろを、部隊員たちが、ぞろぞろと歩いてくる。
「おお、小町どうした? 迷子か?」
浅山が、冗談交じりに声を駆けて来る。
「いや、違います。ちょっと、あっでも、そうかもしれません」
小町由香は、目を泳がせた。言葉がうまく出てこない。何とかごまかさなければ。
「なんだこいつ? おいちび、ちゃんとやってんのかよ。逃げられてねえだろうな?」
須藤が、目を細める。こういう時に限って、図星をついてくる須藤が憎たらしい。小町由香は、頬を膨らませ須藤を睨み返した。しかし、今はそれどころではない。須藤から視線を逸らす。
「も、もちろんですよ。てか、みなさん、早いですね?」
「あっ、そうか? 十分、長かったけどな。俺はもっと早く帰りたかったよ」
浅山は、気の抜けた調子で返した。彼と話していると、いくらか緊張感が和らぐ。だが、隣では飯田が、物言わずこちらを睨んでいる。
「どうかしたのか?」
飯田は、口を開いた。周りの、部隊員たちは、彼の言葉に、黙ってこちらを伺った。一気に場の空気が凍り付いた。
その瞬間、小町由香は、また泣き出しそうになった。嘘ついたってすぐにばれる。ばれたら絶対に殺される。そもそも、自分は嘘が上手じゃないし。彼女は、腹をくくり、本当のことを、言おうと口を開こうとした。その時だった。
「いや。みなさん、今帰られたんですか」
時任である。彼は、さわやかな笑顔で、現れた。その隣には、福山と、おそらく、頬を腫らして血だらけの朝弘がいた。朝弘は、うつむいており、一見誰だかわからない。
「どういうことだ?」
飯田は、説明を求める。
「いえ、暇だったんで、少し質問をしていたんですよ。ほら、飯田会長が異世界人を探してるっておっしゃってましたので」
時任は、笑った。あまりのさわやかさに、狂気すらにじみ出ている。福山が、朝弘の背中を蹴り飛ばすと彼は、その場に盛大に倒れ込んだ。
小町由香は、安堵した。自分の肩の荷が、すっと下りていくのがわかった。
「ああそうか。で、何か話したのか?」
「いえ、そんなものは知らないの一手張りです。でも必ず吐かせますよ」
時任は、精悍な目つきで飯田を見上げた。飯田は、頷くと、校門をくぐって校舎へと歩いて行った。
小町由香は、朝弘を連れ体育館へと向かった。彼は、ふらふらと、体を揺らして歩いている。おそらくそうとう時任たちに、いたぶられている。きっと骨とか折れてるのだろう。見てるこっちが、痛くなってくる。
「ほんと、あなたのせいで散々ですよ。てか、なんか知ってるなら早く吐いてしまったほうが楽ですよ」
「何もしらねえよ」
彼は、振り向かずに、黙々と歩きながら呟いた。目の前に体育館の玄関口が見える。中から警備の生徒が出て来た。
「そうですか。でしたら、なんか適当なこと言ったらいいんじゃないですか。ちょっとの間、ひどい目に合わわなくて済みますよ」
「適当ってなんだよ?」
彼は、立ち止まると振り返った。顔は、赤くはれている。
「例えばクラスメイトの誰かが知ってるとか、言っちちゃえばいいんですよ。わたしならそうします」
小町由香は、顔の横にひと指し指を立てる。
「お前あほだろ? それに何の意味があるんだ。結局、ばれて殺される」
「あほとは何ですか? 大体、どうせ死ぬじゃないですか」
小町由香は、目を尖らせた。
「そんなことしたら、俺が名前を言ったやつは、無駄にひどい目に合う」
「いいじゃないですか。自分以外のことなんて。知ったことじゃありませんよ」
「可哀そうだな。寂しいだろ?」
彼は、憐憫そうに目を細めた。
小町由香は、自分の頭に血が上っていくのが分かった。とても腹がたつ。まるで、自分が、一人じゃないみたい。全部偽物なのに、それに気づかずに、本物のようにそれを見せびらかしてくる。
彼を、警備の生徒に引き渡す。
「まあどうせ、近いうちにあなたも死ぬんですし、勝手にしてくださいよ」
言うと、小町由香は、彼からそっぽをむき体育館を後にした。
――この男は、何もわかっていない。人間がどれだけ性悪か、思い知ればいい。
校舎へ向け歩いている途中で、小町由香は立ち止まり、踵を返すとまた体育館へと入っていった。音響室へと続く階段を上り、音響室の扉を開ける。
「おう、よかったな。あいつ帰って来て」
梶岡は、へらへらと、笑っている。いいものか。小町由香は、黙ったまま窓の前に立った。
小町由香は、音響室の窓の前に立ち、朝弘の姿を見つけた。
彼が体育館に入ると、おそらく彼のクラスメイト達が、数人駆け寄って来る。彼が体育館の端まで行くと、周りにたくさんの人が集まった。彼を囲う友人たちの表情は、心配げで、彼が人気なのが一目でわかる。
「おい。そんなとこ突っ立て何見てんだ?」
窓際の椅子に座る梶岡は、椅子にのけぞるように座り、こちらを睨みつける。
「ほっといてくださいよ」
むしゃくしゃする。無意識に語勢は荒くなった。
「あっ、何怒ってんだよ? お前のミスだろうが」
梶岡は立ち上がった。
「すいません。怒ってないです」
小町由香は、梶岡を一べつすると、部屋を後にした。
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