第23話 生の剥奪

 さて、部隊員を逃がすべく板尾は、一人で飯田の猛攻をしのいでいた。その代償に、板尾はもう40回以上も絶命するほどの、傷を負っていた。だが死んではいない。それは彼の能力によるものである。


 彼は、ずっと正確に自らの能力を把握していなかった。

 異世界に来たばかりの頃、板尾の自らの能力の認識は、【治癒能力の向上】であった。それは、異世界に来る前に不注意で負った些細な切り傷が、瞬く間に治ったことからそう考えていた。

 だが、その認識はすぐに改められた。それは、こちらに来てから間もないころだ。探索部隊と森へと入ったとき、生命を脅かすほどの大傷を負ったのだ。背中から矢を射られ、それは心臓を貫いていた。その場にいた誰もが、板尾ですら、死を覚悟した。だが、板尾は死ななかった。すぐに、傷が塞がったのだ。

 その時、自らの能力が【不死になる能力】であるとわかった。


 そして今また、板尾は、自らの能力の認識を改めた。


 殺されゆく部隊員をみた板尾は、彼らを救いたいと心から願った。すると、森は照らされた。その光は陽光や、月光とも相容れぬものであった。例えるのであれば黄金の光。自然光ではない、奇異な光であった。だが、それは温かい。まるで、冬の石油ストーブの前にいるような。心までほぐれるような、心地である。


 そして、その光と共に、白い羽を広げた女性が降り立った。ふくよかで、美しい女性。僅かに微笑み、その表情に何とも言えぬ優しさを感じた。板尾は、驚いた。知る筈もないその女性の名を知っていたからだ。『マナ』彼女は、大天使レバテイアの末の娘である。


 つまるところ、彼の能力は【守護天使をその身に宿す】能力であったのだ。


 梶岡は、その光を前にして才川愛へと振りかぶった剣を下ろした。


「何をしている殺れ」

 飯田は、怒声を響かせた。梶岡はそれに驚いたように体を震わし、剣を振り上げると、才川愛に振り下ろした。だが、どういうことだろうか、首からわき腹にかけ、深い傷を負うが、才川愛は声一つ上げず呆然と自分の体を眺めている。次の瞬間、傷は塞がり、綺麗な褐色の肌が蘇った。残ったのは切り裂かれた服のみである。


「何だこの光は」

 飯田は、低くうなる。


「無駄です。もうやめてください」

 板尾は、飯田を睨みつけた。そう、マナの前では死は存在しないのだ。


「それで勝った気か? お前の能力はわからんが、俺は絶対に殺す。お前たちが死ぬまで何度もだ。――やれ。容赦はするな」


 飯田の指示が飛び。地面に這いずる、板尾班の生徒たちに、何度も鉄剣が振り降ろされた。だが、彼らは、死なない。傷は瞬く間に修復し死を遠ざけるのだ。しかし、死なずとも部隊員たちは、奴らの能力によって拘束され、身動きが取れないようである。このままではらちが明かない。


「俺は決してお前を逃がさん。板尾。死を受け入れろ」


 板尾は首を振ると、口を開いた。

「誰であろうと、人が生きることを奪ってはなりません」


 飯田は、怒りのためか、眉をひそめた。


「俺はお前のように、中身の無い虚空の正論を吐く奴が嫌いだ。お前のように薄っぺらな道徳でも俺たちが生きていた、社会では通用した。だが、実際、そんなものは偽物でしかない。今俺たちがいるのは戦場だ。考えてみろ、本当の善悪は勝者が決めるんだ。負けた者は、道理をはけない。ならばこの異世界で死んでしまってはそれは悪だろう? 俺は死なないように、最善を尽くしている。それは善だ。違うか?」


「その方法が間違っているというのです。あなたの方法は、人の命を軽視しているんです」


 次の瞬間、飯田は、板尾の太ももを蹴り飛ばした。あまりの速度に、板尾は自らが蹴られたことすら気が付かなかった。

 板尾は、下半身がなくなり、地に這いつくばった。そこから、居丈高に立つ飯田を見上げる。


「ならば、お前の方法が正しいのか。ならなぜ今俺の前で這いつくばっている? 現状を見たとき、誰もが俺の方が正しかったというはずだ。――もし、俺らがこの異世界を生き延び、もといた世界へ戻ったのなら、死んだ者の供養をすると約束しよう。だが、今のこの場所では、他人の命など何の価値もないものだ」


 失った下半身は、瞬く間に再生する。板尾は、のそのそと立ち上がるが、飯田はまたすぐに彼を殴りつけた。今度は上半身は消し飛ぶ。痛みは無い、一瞬、眩暈のような感覚に襲われたのち、すぐに何事もなかったように視界が戻った。目の前には、怒りに顔を歪めた飯田が立っている。


「俺は完全な不死など認めない」


 ふと飯田の視線は、守護天使に向けられた。マナは、屹立する大樹の頂上の位置に浮遊し、身の丈ほどの翼を広げ、手を胸元で結んでいる。


「偉そうに。――小町。あいつを捕らえろ!」

 飯田は、怒声を響かせる。


「えっと……。はい」

 小町由香は一瞬だけためらった素振りを見せると、思い切ったように手を延ばした。


「何を?」

 板尾は目を見開いた。


 無数の鎖は、真っすぐに天使に伸び、それは大蛇のごとくマナの脚へと絡みついた。空中に浮遊していた天使は徐々に地上へと引き寄せられる。その光景は、板尾の身内を震わせた。自らの行為ではないのにもかかわらず、背徳感のようなものがこみあげて来る。


「やめてください」

 板尾は、飯田に懇願した。だが、彼は聞く耳を持たない。


 マナは、板尾達の頭の高さまで引っ張られると、いっそう体をよじり鎖から逃れようと抵抗した。その力はすさまじく、空間から飛び出す鎖はミシミシと音をたて手繰られていく。マナは、また空に向けゆるやかに上昇した。


「なんて力ですか……」

 小町は、苦し気に片眼をつむる。


 だが、鎖はまたマナを引っ張った。飯田が鎖を手繰っているのだ。


「人の死を、おもんばかり。自らを地に落とす。まさしく、お前にふさわしい能力だな。板尾」


 マナは、飯田のもとに引き込まれていく。彼女は羽をはばたかせ空を目指すが、一向に飛び立つことはできない。


 とうとう彼女は飯田に捕らえられた。羽を握られ、悲痛な悲鳴を上げる。ここに居る誰もが、その光景を眺めることしかできない。まさしく今、悪魔が、天使を殺すのだ。


 飯田は、拳を振りかぶると天使を殴った。彼の拳を受け、殴られた天使の上体は飛散した。真っ赤な血が、あたりに飛び散る。


 誰もが、飯田部隊の生徒ですら、絶句である。赤く染まった自らの拳を見て、飯田は口を開いた。


「天使の血はこれほども赤いのか」次いで飯田は、板尾に視線を移す。「これで、ようやく死が返ってきたな」


 板尾は、恐怖を覚えた。もはや、彼が同じ人間だとは思えなかった。



 **********



 綺堂茜は、はやる気持ちを抑えられない。低木の枝に頬を擦りむいても、痛みは感じなかった。全力で仲間のもとに向かう。

 隣では斎藤も同じスピードでかけ走る。


 自分たちがいつも狩りを行っている場所まで、あと少しのところまで来た。と、草木が揺れた。人の気配がする。とっさに綺堂茜たちは、距離を置き暗がりに隠れた。

 血なまぐさい匂いがして、目を見張る。飯田だ。彼を先頭に、部隊員たちが校舎に向け歩いている。飯田の顔や、体が真っ黒なのがわかる。おそらく血だ。


 くっ、と斎藤の息遣いが聞こえる。綺堂茜は、嫌な予感がした。


 彼らが立ち去ると、すぐに、狩場に向け走った。


 すこしして、人の泣き声が聞こえてくる。女性の声だ。ようやくその場所にたどり着くと、綺堂茜は絶句し足を止めた。


 あたりには、血だらけの部隊員たちが転がっている。それは、人の姿を留めず、死んでいるのは明白だった。血を帯びた木々は、月明かりで黒く照り輝いている。むせかえるような血の匂いが漂っている。


 その中央に、女性が座り込み泣いている。どうやら医療班の女子生徒だ。医療鞄をたすき掛けにして、何かを大事そうに抱えていた。

 彼女は、こちらに気が付くと、顔を向けた。


「会長が。みんなが死んでしまいました」

 いうと、彼女は、手に持ったものをこちらに差し出すようにして見せる。


 それを見た瞬間、綺堂茜は、思わず口元を手で押さえた。あまりの衝撃に、息が出来なくなり、目頭が熱くなる。


 彼女の手に握られていたのは、板尾の生首だった。


「くそがぁ!!」

 斎藤は、額に手を持っていくと、叫びその場に膝を落とした。


「あぁぁ……」

 綺堂茜は、ふさいだ口元から嗚咽をこぼした。

 あれほど、優しかった板尾を思えば、涙が止まらなかったのだ。彼は何故こんな仕打ちを受けなければならないのか。不憫でならない。


 だが、今、彼女が飯田に抱いている感情は怒りではなかった。悲しみでもない。綺堂茜は、恐怖を感じていたのだ。

 彼に逆らえば、自分もこうなる。死にたくなかった。



 **********



 綺堂茜たちが、姿を消すと、森に人気がなくなった。

 その場所は、血肉だけが残っている。その中には、マナの亡骸がある。もはや原型は無くなっているが、乱暴を受けた羽があたりに散乱しており、見分けがつく。


 そこに、3羽の天使が舞い降りた。彼女たちは、マナの姉妹たちである。彼女はみんな沈鬱な顔を浮かべマナの亡骸に寄り添った。


 それからしばらくの間、寂然とした森に姉妹たちの泣き声がひっそりと続いた。



――【守護天使降臨】について


 能力者は、自らに守護天使の加護を得る。異世界に存在する、唯一の守護天使の名前はマナ。彼女は、愛深く死を嫌う。そのため、父レバテイアから、死を見ぬようにと特別な加護を与えられている。よって彼女の目の前では死が起こりえない。


 この能力者を殺すには、守護天使マナの目の届かぬところで、能力者を殺す必要がある。その方法は多岐にわたる。濃霧、完全な闇など


――以上

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