第17話 力の差

 斎藤と飯田は対峙した。あたりは月の光で紺色に染まっている。巨大な大樹の根の上に二人は立っていた。


「なんで板尾班のお前がここにいる?」

 飯田は言った。


「昨日、お前の班の、人間が死んでんだろ。それで、お前が人殺してんじゃねえかって見張ってんだよ。んでなんだ今度は魚沼を殺そうってか? いい加減にしやがれくそ野郎」

 斎藤は仰向けで倒れ込む魚沼を一瞥した。彼は、気を失っているようでぐったりと動かない。


「言葉の使い方を習わなかったか?」


「人殺しのてめえを敬えってか」


「そうか、わかった」

 飯田の筋肉は隆起し、服がはちきれんばかりに膨張した。斎藤は、飯田の動きを注視する。だが、気づけばすでに彼は斎藤の間合いに入っていた。斎藤の顔面に目掛けて拳が放たれる。


 斎藤は、間一髪で状態を逸らし、拳は空を切った。風圧が髪を揺らす。斎藤は息を呑んだ。こんなもの、当たれば即死である。


 斎藤は、すぐさま反撃に移る。自らのかたわらに、炎の槍を作り上げた。

「『炎槍

えんそう

』だ」


 それは短い放物線を描き飯田のわき腹目掛け突撃する。飯田は、拳を繰り出した動作で、炎槍に反応できていない。間違いなく直撃かと思われた。だが、斎藤は自らの目を疑った。次の瞬間、彼は全くの予備動作なしで5mほどの距離を移動したのだ。拳を振りぬいた前傾姿勢のまま動いたため、一見、瞬間移動のようにも見える。


 だが斎藤には、驚く暇もなかった。一体どの瞬間に拳が飛んでくるかわからない。またあの一撃が放たれれば、避けれる保証はないのだ。


 飯田と斎藤は、また距離を置いて対峙している。ふと、飯田は、こちらを見て不敵に笑んだ。その瞬間、斎藤は息を呑んだ。急激に体が冷え、体が震え始める。


「『炎柱』」

 斎藤は自らの目の前に炎の渦を起こした。炎によって起こった上昇気流が土埃を巻き上げあたりの視界を遮った。


 勝てない。斎藤は、この男に勝つのは不可能だと思った。圧倒的な力の差だ。それは、工夫次第でどうにかなるレベルではない。冗談抜きで、こいつと100回戦えば、100回死ぬだろう。


 斎藤は、距離をとる。逃げなければ死ぬ。だが、魚沼は気を失っている。彼を連れて飯田から逃げることはほぼ不可能である。


 そうこうしている間にも、飯田の部隊の仲間がぞろぞろと集まってきた。


「うわ斎藤じゃん」

 部隊の男子生徒が言った。その生徒は斎藤と同じ学年である。

「お前ひとりかよ。どうしたんだよ、お前の面倒係の綺堂先輩はよ?」

 男子生徒は、にやにやとあたりを見回している。


「こういう状況でしか調子に乗れない雑魚が黙ってろよ」

 斎藤は男子生徒を睨みつけた。対して男子生徒は満面の笑みを浮かべる。


「お前の方こそ状況を考えろよ。こんな状況で粋がってんじゃねえよ」


 部隊員たちは斎藤を取り囲むように四方に立った。ここは大木の根で複雑な地形である。斎藤は比較的低い場所におり、部隊員たちは根の上から斎藤を見下ろしている。むろん目の前には飯田がいた。


「さて、お前の魂はどれほどの価値がある?」

 飯田は呟いた。


「何、訳の分からん事言ってんだよ」


 その時、低木の草木が躍動した。人の息遣いが聞こえる。斎藤や、飯田の部隊員たち、その場にいる全員がその場所を注視した。


「いやいや。何とか間に合いましたね」

 その方向から現れたのは、板尾会長である。


「会長なんでいんだよ」

 斎藤は、驚いた。もちろん、彼には、自分が飯田部隊の見張りを行うことは伝えてある。だが、駆け付けねばならぬほどの緊急事態であることを、知るすべはなかったはずである。一般生徒の食料を賄うため、彼らは僅かな時間も欲しいはずである。


「二人に教えてもらってね」

 板尾の隣には、朝弘と高樹が並んでいた。彼らの、制服は泥だらけである。そんな彼らを見て斎藤は、状況を飲み込んだ。おそらく、自分と同じように、あの二人も飯田たちをつけていたのだ。自分は、飛び込んだが、彼らは助けを呼びに行ったのだろう。


 そして次々と板尾部隊の部隊員が駆け付けた。岩をサーフボードにしてくる生徒。鳥のように滑空して空から近づいてくる生徒。その移動方法は多種多様である。すこし遅れて、綺堂茜が板尾の隣に現れた。


 板尾は、倒れ込む魚沼を見て口を開いた。

「飯田君、何でこんなことをするんです。我々はこの異世界で生き抜いていく仲間でしょう?」


「生き抜いていく? ふざけるな。それは皆が対等であった場合のみそういえる。今も安全な校舎で怯えているだけの一般生徒たちに、何故俺たちの食料を分け与えねばならん! 生きていくのは生きていける奴だけで充分なんだよ」


「最低な考えね。あなたが今まで自分一人で生きて来たなんて思わないで」

 そう言ったのは綺堂茜である。彼女は板尾の前に出た。


「ああ、もちろん必要な人間もいる。だがな、よく聞け。俺が言っていることは必要でない人間が存在しているということだ。この世界において戦えぬ人間がどれほど価値のない人間か、わかるはずだ」


「あなたは戦うことしか人の価値を判断できないの?」


「黙れ! それの何が悪い」

 飯田の、顔はみるみるうちに朱色に染まっていく。


 緊迫した二人の言い合いに、板尾が割って入った。

「とりあえず。今は、あなたたちと、ことを構えようとは思っていません。その倒れている子と、【探索補助班】の生徒たちを引き渡してもらえれば、私たちは去ります」

 板尾は、魚沼を指さした。


 飯田は、たたずみ板尾を睨みつける。その目は、怒りのためか瞳孔が開き、頬はぴくぴくと痙攣していいる。


「どうしたんですか。早く生徒たちを連れて来てください。ことを荒立てたくはありません。ここで私たちが揉めれば、お互いにタダでは済まないでしょう」

 板尾は手をひらげ、諭すように言った。


 部隊員たちは、にらみ合っている。あたりの空気は凍り付いたかのように切迫していた。


 しばらくして飯田は、ふん、と息を吐いた。

「春日部、一般生徒たちを連れて来い」


 春日部梓は頷くと、森の奥へと消えていく。

 張り詰めていた緊張の糸は緩むと、綺堂茜は、倒れ込む魚沼に駆け寄った。


「ひどい状態ね。体中で内出血を起こしてる。吉岡さん。応急処置をしてもらえる?」

 綺堂茜が言うと、板尾部隊の女性が一人、彼女の隣に屈んだ。魚沼の服をめくると患部をなでていく。すると、どす黒く変色し盛り上がった皮膚が、見る見るうちに元の色を取り戻していく。


 そうしているうちに、春日部梓が【探索補助班】の生徒を連れて現れた。彼らは、ひどく怯えているようで、顔色が悪い。板尾が手招きをすると、4人は飯田の方を気にしながら板尾のもとに駆け寄った。


「この子、やばそうだし。先に連れて帰るね」

 言ったのは、板尾班の女子生徒である。彼女は、才川愛。鉱物を操る能力を所有している。学年は3年生で、褐色の肌が特徴的である。

 彼女は、板状の岩の上に乗って魚沼に近づいた。岩は宙を浮いており、彼女は乗り物のように扱っている。それは一見サーフボードのようでもある。才川愛は、彼を岩に乗っけると、校舎の帰路へとついた。


「では私たちはこれで」

 続いて板尾も、踵を返すと、来た道を引き返していく。斎藤たちも、それに続いた。



 校舎への道中、

「斎藤君は、大丈夫? どこも、怪我してない?」

 綺堂茜に問われ、斎藤は、大丈夫っす、と返答した。


「ならよかった」

 彼女は、軽く微笑むと、今度は板尾に視線を向けた。

「会長。飯田をあのままにしておいては危険すぎます」


 板尾は、しかし、とハンカチで額の汗をぬぐう。

「この先、異世界で生き抜くには彼の力は必要なんです。それに彼がまだ人殺しだと決まったわけではありません」


「あいつ、ぜってぇ殺してるよ。まじで俺が出ていかなかったら、魚沼は殺されてた」

 斎藤は、確信していた。間違いなく、あいつはヤバい奴だ。


「そうね、わたしもそう思う。会長、また被害者が出てからでは遅すぎます」


「わかりました。私が彼の動向を監視します。もしそれでも一般生徒に危害を加えるようであれば、校舎から出て行ってもらいます」

 板尾は、ポケットからハンカチを出すと額の汗をぬぐう。だが、その瞳は、普段の温厚な彼とはかけ離れ、鋭い攻撃性を孕んで見えた。



 **********



 魚沼は、校舎に帰ると、医療班の治療を受けた。怪我はひどく、肝臓は破裂寸前まで肥大し、体中のいたるところを骨折していた。だが、医療系の能力者によって、折れた骨は治癒され、数日安静にしていればまた動けるとのことだった。

 無論、いくら治療が早くとも、死んでいれば蘇生は不可能であった。あれほどの攻撃を受け、生きていたのは、彼の運がよかったといえる。


 3日後、魚沼の容体が、よくなったと聞いて、自分たちの探索終わりに、朝弘と高樹の二人でようすを見に行った。時刻は、午後4時である。

 保健室の扉を開けると、魚沼はベッドに座り二人を迎えた。保健室には誰も居らず、消毒液の香りが漂っていた。


「大丈夫か?」

 朝弘が声をかける。


「全然だめだった」

 魚沼は首を横に振る。


「まだ具合わるいのか?」


「違うって、副会長たちだよ。あいつらバケモンだった。今まで斎藤と一緒に、他校の生徒や、年上のやつらと喧嘩してもなんも思わなかったけど……。ダメだった。怖くて仕方がなかった。頭に銃口突き付けられてるみたいによ。死ぬんだって、めちゃくちゃリアル感じて……。怖くて」

 言っているうちに、魚沼の目頭や鼻の頭が赤くなっていく。高樹が口を開いた。


「ああ、俺たちも見てた。牛の顔した化物を倒してるとき、すごい力の差を感じたよ。次元が違う強さだった。朝弘、あれ見て、もしもの時は会長呼びに行こうって。俺たちじゃどうにもならないって言って」彼は、朝弘をみる。


「ああ。悔しいけど、俺らが出てってもやれることはなかった」

 朝弘は頷いた。


「聞いたよ助け呼びに行ってくれたんだよな。お前に助けられんの二回目だな」

 魚沼は微笑した。


「そうだっけ」


「ホッチキスだよ」


「ああ」


 魚沼は自分の膝の上に投げられた掌を強く握った。

「俺はもっと強くなりたい。斎藤に護ってもらうんじゃなくて。また昔みたいに一緒に並んで戦いたいんだ」


 朝弘は、魚沼を見つめた。

「わかった、強くなろう。おそらく近いうち、また副会長たちと揉めることになる。そん時までに、対等に渡り合えるくらいにないと、俺らに未来はない」

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