第16話 炎槍
「やっぱり難しいってばー」
今井咲は、異世界語の本から顔をあげると、大きなため息を吐いた。
「見馴れない文字だから、難しく感じてるだけだろ。慣れればそうでもない」
朝弘は図書室の巨大な机の前に置かれた木の椅子に腰かけている。隣には今井咲がおり、対面には高樹がいる。パーナマは、図書館の棚を回り、本を興味深げにながめていた。
「朝弘、頭いいもん。私は無理だよ」
「でも、よく見れば文字の種類はそれほど多くないみたいだな」
高樹は涼しい顔で言い放った。それを聞いて今井咲はさらに頬を膨らませた。
「高樹君まで……。私が馬鹿なんじゃないからね。二人がインテリなんだから」
「頑張れば。一か月もすればそれなりには理解できるようになるって」
「そんな気しないんだけど……。てか、それはそうと魚沼君たちは?」
今井咲は、あたりを見回した。朝弘たちが狩りを終えた後に、異世界語の勉強をするというと、魚沼や、木下も、一緒にやると言っていた。
探索を終えて、すぐ図書館に集まったため、現在、時刻は午後3時である。
「まだクラスのみんなに食料配ってるんだろ」
高樹は、机に頬杖をついている。
「いつものやつね。てか、いいの? 朝弘食料とか配るの反対してたじゃん」
「本当は、目立つからやめてほしいけど」
「言えばいいのに」
「一応目立たないように頼むとは言ってある。けど魚沼や木下が、自分で手に入れた魂貨で食料を買ってるし、それに、クラスメイト達も嬉しそうにしてるからな」
クラスメイト達の様子を見ていると、そんなこと、どうしても言えなかった。
今井咲は、ふーん、と鼻を鳴らし彼を眺めた。
「朝弘様こちらの本は、どういった本でございますか?」
そう言ってパーナマが持ってきたのは、世界遺産の写真集である。表紙には、サグラダ・ファミリアが映っている。
「ああそれは、俺たちの世界の建築物や景勝の乗っている本だよ」
「さようですか。朝弘様達が暮らされていた世界は、とても、美しいところなのですね」
パーナマは、机に本をひらげると、おもむろにページをめくっていく。そして、そのたびに、目を輝かせた。
午後6時前になると、朝弘たちは飯田部隊の歓待に向かった。板尾部隊の帰還は相変わらず午後8時を過ぎる。神田麗美が帰還したものの、彼女たちは、音楽室に引きこもってしまって、探索に出ることは無い。相変わらず、その分の負担は、板尾たちにのしかかっている。
朝弘が、靴箱を出るとすでに校門前には、一般生徒が集まり整列していた。
午後6時、最終下校のチャイムが鳴り終わった。それからすこしすると、全身武装で、物々しい雰囲気を漂わせた飯田班の生徒たちが校門から現れた。服には返り血を浴び、彼らが歩くたびに鉄の音が響きわたる。
一般生徒たちは、一斉に、お疲れ様です、と声をあげ、あたりは騒がしくなった。
やがて、校舎の出入り口の前に飯田がたどり着くと、食料を受け取るべく、朝弘たち【配膳班】の生徒は前に出た。お疲れ様です、と声をかける。
それに対して飯田たちは、一瞥もせずに靴箱へと入っていく。いつものことである。そして、後ろに控える【探索補助班】の生徒が食料の入った袋を朝弘たちに手渡した。
そこで朝弘は、初めて異変に気が付いた。おかしい。普段5人いる探索補助班の生徒が、今日は4人しかいないのだ。
「4人ですか?」
朝弘は、いつもより、大きく膨らんだ麻袋を手に取り【探索補助班】の男子生徒に尋ねた。
「伊藤は死にました」
男子生徒は、怯えるふうに、言い放った。伊藤とは、居なくなった生徒の事だろう。
「何かあったんですか?」
朝弘の隣にいた【配膳班】の男子生徒が尋ねた。だが【探索補助班】の生徒は、いえ、と答えるだけで詳細を語ろうとはしなかった。
職員室前には、連絡用の黒板があり、そこに死亡者や失踪者の名簿が張り出されている。
その日の夕食後、そこに【探索補助班】の伊藤たかしの名前が死亡者として記入されていた。死因は、探索中に化物に襲われたとあった。
だが、朝弘は疑問に思う。飯田たちは、なぜ彼を守れなかったのだろうか。彼らの実力であれば、一般生徒を守ることなど造作もないはずである。おそらく突然強力な化物に襲われたという訳でもない。彼らには傷一つなかったのだから。ならば、一般生徒が死んでしまったのは、彼らの怠慢であるといえるのではないだろうか。朝弘は、漠然とした違和感を感じていた。
そして翌日である。午前8時ごろに、【連絡班】の女子生徒が2年2組に訪れた。
彼女は、死んだ生徒の代わりに、魚沼が【探索補助班】に抜擢された主旨を話した。配属理由は、魚沼はまだ【衛生管理班】と呼ばれる、ひとまず配属先がない生徒が集まっている班にいたためである。
大方の生徒が、【衛生管理班】から何らかの班に、配属を変えており、今、このクラスで配属がないのは、魚沼と女子生徒の2人だけだった。そのため配属理由に、おかしな点はなかったが、どうにも朝弘には嫌な予感がしていた。
魚沼は、まじかー、と項垂れるようにしている。
【連絡班】の生徒が教室を出て行くと、クラスメイト達が魚沼の周りに集まった。鈴木恵子をはじめとした数人の女子生徒たちは、教室を半分に分けている机に前かがみになった。
「おい、よりにもよって、飯田んとこの補助かよ。大丈夫か?」
木下が声をかける。
「だるいけど。やるしかないだろ」
魚沼は、壁に座り込んでもたれている。朝弘は、遠巻きに彼を見ていた。すると、魚沼は、こちらに視線を移し、口を開いた。
「朝弘。俺、ちょっと、探索いけなくなったぽい。後は頼んだわ」
「ああ、わかった」
朝弘は、小さくうなずいた。いつの間にか、彼は、自分のことを朝弘と呼ぶようになっている。まあ悪い気はしていない。
午前9時になり、探索部隊が出立の準備を始める時間に、魚沼は教室を出た。
「じゃあ行ってくるわ」
そういった彼は、心配をかけぬためか、平然とした態度であった。
午前10時、魚沼の配属された飯田部隊は、校門を後にした。朝弘は、それを見送り教室に戻る。すこしして高樹たちと一階の廊下で落ち合った。一階は職員室があるのみで、とても静かである。いつも、ここに集まり探索へ向かっている。そこで、朝弘と木下は、魚沼についての顛末を話した。
「どう思う?」
朝弘は、高樹と今井咲を見た。
「何とも言えないけど、嫌な感じはするよな」
高樹は、自らの口元をさする。
「だろ。なんか、魚沼を森に連れてくために、【補助班】の枠を開けたような気がすんだよ」
もしかしたら、自分たちが森に入っているのが、飯田たちに勘づかれたのかもしれない。
「それって飯田先輩たちが、生徒を殺したってこと?」
今井咲は、声を荒らげた。彼女は廊下に声が響いたのに、あわてて声のトーンを落とした。
「そこまでは言ってないけど。見捨てたとか? まあ同じことか」
「てか飯田班の、補助だなんて、魚沼君可哀そう」
今井咲は、呟くように言った。
「だろ、どうにかしてやってくれよ。あいつ、代々木達と、森に入るの、すごい楽しみにしてたんだって。みんなの役に立てるとか言ってて。めっちゃいいやつなんだよ」
木下は、今にも泣きそうである。朝弘は、ふと脳裏に今朝の、魚沼の姿がよぎった。
すこしして朝弘は、わかった、と頷いた。
「俺と高樹で様子見て来る。みんなは校舎に残っててくれ」
**********
魚沼は、飯田部隊の圧倒的な力を前に、ただ感心することしかできなかった。
彼らの狩りの対象はオークではなかった。彼らは、さらに森の奥へと入り、牛のような体をした牛鬼と呼ばれる怪物を狩っていた。
牛鬼と飯田部隊が呼ぶ怪物は、オークの二倍ほどの体躯を持ち、名前の通り顔は牛である。動きは素早く手に持った斧で襲って来る。その俊敏さと、怪力はオークとはくらべものにはならないだろう。魚沼には、見ているだけで、牛鬼の強さがわかった。
だが、そんな牛鬼も飯田部隊の前では赤子同然であった。牛鬼たちは彼らに触れることもなく、血しぶきをあげ絶命する。その光景は、もはや虐殺である。
とくに飯田副会長の実力は突出している。まるで牛鬼の体が豆腐であるかのように、奴らの体を触れた先から崩壊させていく。
見たところ、飯田の能力は身体強化のようであるが、それはその域を超えていた。まるでアメコミヒーローをほうふつとさせるほどの圧倒的パワーである。目の前の光景をみていると、どちらが怪物か見当がつかなくなる。
ふと、魚沼は、自分の手が震えているのに気が付いた。彼らが心底恐ろしかったのだ。
やがてあたりの牛鬼を全て狩り終わると、部隊員たちは、苔むした芝に座り込み、その場でくつろぎ始めた。飯田は、血の付いた木の根に腰かけ、商人を呼び出す。
彼らは商人から、各々好きなものを頼み、その場で食べ始めた。チキンや、炭酸飲料、寿司など豪勢な食事が、ならぶ。まるで宴会のようである。
魚沼を含め【探索補助班】の生徒たちは、後方で整列し、ただただ黙ってその光景を眺めた。
暗い森に、探索部隊の下劣な笑い声が響き、しばらくして、魚沼は声をかけられる。
「おまえ、俺らの目盗んで森に入ってんだろ?」
口を開いたのは須藤である。楽し気に談笑していた部隊員たちの笑いが引き、全員の視線が魚沼に向けられた。
「いや別にそんなんじゃねえよ」
魚沼は、自分の声がうわずっていることに気づいた。
「せんぱーい。なんか異世界人かくまってるって話も聞きますよ?」
部隊の中でもひときわ小柄な女子生徒が口を開いた。
「誰がそんなデマ流してんだよ。異世界人なんだそれ」
魚沼は、冷笑したが、顔が引きつった。おもむろに須藤は立ち上がり、魚沼に近づいた。周りの【探索補助班】の生徒は、魚沼から距離を置く。
「おいおい、そんなはずねえだろ。確かに見たってやつがいるんだよ」
「なんのことだよ」
「しらばっくれてんじゃねえぞ!」
須藤は、魚沼の頬を殴った。頬に衝撃が走り、続いて耳鳴りがした。彼はそっと顔をあげ須藤を睨みつける。それを見た須藤は、舌打ちすると、木の根に手を付けた。すると、木の根は鋭く形を変え、魚沼のふくらはぎに突き刺さる。あまりの痛みに、うめき声が漏れ、目がちかちかとした。
「おい。殺すなよ」
清弘が、須藤を静止した。
「ああ。これくらいじゃ死なねえだろ。どうだ本当の事、言う気になったか?」
須藤は、脚を抑え、うずくまる魚沼の頭に言葉を浴びせる。彼は顔をあげ、須藤の顔を睨むといった。
「本当の事って何のことだよ?」
「くっそ。強情な奴だぜ」
須藤は、膝をつく魚沼を蹴りあげる。彼は、その場に伏せると頭を自分の手で守るようにした。だが須藤はその上から何度も背中を踏みつけた。すると、次第に頭を覆う手の力も抜けていく。
しばらくすると、黙ってみていた飯田が立ち上がり魚沼に近づいた。須藤は飯田に譲るように魚沼から離れる。
飯田は地に額をつける魚沼の襟をつかむと持ち上げた。魚沼は、意識もうろうとしており人形のように四肢をたらしている。体中に力が入らず、もはや、痛みすら感じていなかった。
「お前が俺らに黙って森に入ってようがどうでもいい。肝心なのはお前が板尾とつながってるかどうかだ。どうだ言ってみろ? あいつに何を頼まれた?」
「知らないっすよ。大体俺が板尾会長と仲良かったら何の問題があるんっすか?」
魚沼は、虫の鳴くような声音である。それを聞いた飯田は魚沼を殴り飛ばした。彼の体は後方に吹き飛び木の幹にたたきつけられる。
さらに飯田は、ぐったりした魚沼の髪を引っ張り森の奥へと引きずっていく。
「あらら、あいつ死ぬぞ」
男の部隊員がつぶやくのとほぼ同時である、一瞬森が瞬くように輝き、発火したのだ。木の隙間から、幾重もの炎の槍が走り、暗がりを照らしながら飯田、目掛け突進する。
飯田は魚沼を離すと、後ろへ跳びのき、両手を使い自らに向けられた炎の槍を払いのける。
魚沼と飯田の間に割って入ったのは、斎藤であった。彼はタダでも悪い目つきを尖らせ、飯田を睨みつける。
「俺のツレに手出すなや」
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