第14話 大厄
「ケイナ。いつも通りお願いね」
神田麗美は、優美に巻かれた長髪を後ろに払いつつ、自らの妹に言った。
彼女は、部隊のメンバーと、普段から狩りを行っている窪地に来ていた。 一帯は、森であるが、この場所だけ一段と低く、ちょっとした穴のようになっている。その穴の周りで神田麗美たちは待機している。
「はいお姉さま」
妹の神田ケイナは、両手を胸の前に出し、手のひらをひらげる。すると、目の前にドーム型の薄い膜が出来上がった。それは一気に膨らみ、あたり一帯、直径400mほどの大円になる。次に、その膜は徐々に大きさを狭めていった。
その円の縁が、見えるほどの距離に迫ると、円の内側ではオークたちがごった返していた。彼らは、その膜によって森から引きずり出されたのだ。さらに円は狭まり、オークたちは窪地の穴の中へと落ちていく。その数は50頭は超えるだろう。
オークは、体制を崩し、地面に尻をつけた。その状態で上でたたずむ神田麗美たちを睨み返す。
「この子たち、私を睨み返してきてるわ」
神田麗美は、浅く腕を組んで、彼らを見下ろしている。その滑稽さに、自然と笑みがこぼれる。
「汚らわしいですわ、お姉さま」
神田ケイナはわざとらしく、両腕をさするようにした。
「だめよケイナ、この子たちにも魂があるの。その魂は形を変えて私たちの一部になるのよ。それを汚らわしいなんて言ってはだめ」
「ですけど、汚らわしいものは汚らわしいですわ。こんな醜悪な見た目」
神田ケイナは、穴の下の化け物を指さし、ひどく蔑んだ眼で穴の下を覗き込む。
「それにしても、お姉さま。こいつらは、どういった体の構造をしているのでしょうか?」
「そうね、それは私も気になっていたわ。なんせ体を真っ二つに切り裂いても死なないもの。すごい生命力だわ」
以前、上半身と下半身を切り離したとき、この生き物は三十分ほども意識を保っていたことがあった。
「生け捕りにして調べましょう」
「それはいいですわ」
神田ケイナは、くすくすと品よく笑った。
「木山、一体生け捕りにして」
神田麗美がいうと、後ろに控えていた木山幸助は口を開いた。
「わかった。動けなくしておこうか?」
彼女は、そうね、と手のひらを頬につけるようにして考え込むと、言い放つ。
「手足はいらないわね」
木山の腕は、刀状に変形した。彼はその腕で膜を自分一人通れる大きさに切りとり、穴の中に入っていった。
木山が穴に入った途端に、彼、目掛け五匹のオークが襲いかかった。目を血走らせ、こん棒を振り上げる。だが、木山は触れた先からオークたちを両断していった。その過程は一切の無駄がない。オークは切られることも気づかぬうちにその場にくずれ落ちていく。それを見た周りのオークたちは木山から距離をとった。
木山は、手ごろなオークを一体選別すると、近づいた。オークは、わずかに後じさると、覚悟を決めたようにこん棒を振り上げると、木山に襲い掛かった。だが、そのこん棒が彼に届くまでに、それを握る腕は地に落ちた。続いて、オークはバランスを崩し、地面に顔をつける。足が体から切断されたのだ。
木山は、手の形状を元に戻すと、胴体と頭だけになったオークを担ぎ、穴の外に放り投げた。オークは、神田麗美の足元に転がると、その場で体をくねらせ這いずり回った。ずっと小さく低いうめき声をあげている。
「あら、苦しんでいるのかしら?」
神田麗美は、その醜悪な化物を見下ろしている。
「きっとそうですわ。この化物は、苦痛を感じるのですわ」
彼女の隣にいた神田ケイナは、恍惚な笑みを浮かべる。
「可哀そうに……。でも仕方がないのよ。私たちが生きるためには、どうしても必要なことなの」
神田麗美は、悲し気に言うと、肩にかかった自らの髪の毛を払った。
「さあ、みんな後はかたずけてしまって」
穴を覆っていた膜が消えた。穴の上で待機していた8人の部隊員たちは次々に穴の中へと入っていく。
【水分吸収能力】や、【精密投擲能力】と、探索部隊には、戦闘向きの能力を持つ者が集まっている。オークは皮膚を干からびさせ、はたまた矢に体中の急所を射抜かれるなどして、その命を散らしていった。
力の差は歴然である。すぐに穴の底は、オークたちの死体で埋まった。死体は魂へと形を変え、部隊員たちのもとへと飛んでいく。
神田麗美は、穴の底のオークが片付いたのを見届けると、満足げに自分の髪を払った。腕時計を確認すると、時刻は午後5時である。今から校舎へ戻れば、ちょうど午後6時くらいになるはずだ。
体に土ぼこりが付着し気色が悪い、早く校舎に戻って水を浴びたい。そんなことを思っていたときだった。
「弱いものをいたぶるのは、きっと気持ちのいいことなんでしょうね」
突然後方から声をかけられ、振り返った。そこには白髪をツインテールに結んだ女の子。神田麗美は一瞬、下級生だと思ったが、しかし、彼女が来ているのは制服ではなかった。あまり見ぬ形の服である。例えるならフリルのついた漆黒のドレスであろう。それにどことなく存在自体が希薄で例えようのない違和感があった。
「あら、あなたはどなた?」
神田麗美は、女の子に尋ねる。
「ラスピリカ」
女の子は、端的に自分の名前を名乗った。彼女は神田麗美より一回り小さい。一見中学性のようにもみえるが、大人びた雰囲気がそうは思わせなかった。
彼女が話している間、指の赤い指輪が輝いている。神田麗美はそれが気になり、その指輪に視線を向けて口を開いた。
「その指輪とても綺麗ね?」
言われ、ラスピリカは自分の顔の前に手の甲をひらげ、指輪を見やった。
「そう。特に気に入っていないわ。仕方なくよ」
「仕方なく?」
「これは、あなたたちの言語を理解するのに必要なものなの」
「あら、ということはやっぱり商人さんが取り扱っていた【言語理解の指輪】なのね。でも、あんな高価なものどうやって買ったの?」
あれはたしか20000もの魂が必要である。そんなものを少女が持っていることが不思議でならない。
「そんなに難しくないわ」
「どういうことかしら?」
神田麗美は、首を傾げた。
ラスピリカは、囁くように呟いた。その言葉を聞いた神田麗美は驚愕とし、しばらく呆然とし立たたずんだ。
「なるほど。そういうことだったのね」
神田麗美は、得心した。ここ最近、一般生徒たちが相次いで失踪する理由が、わかったような気がした。
「だから、あなたたちはここで死んでもらうわ。大丈夫怖くないわ。還るだけだもの」
彼女がそう言い終わると同時、空気が震撼した。あまりに、不気味な雰囲気に、神田麗美は息を呑んだ。先ほどまで、何とも思っていなかった空気が、異様に冷たく感じる。
森がざわついている。何やら、遠くから生き物が近づく気配がする。穴の外の異常を察した部隊員たちが、底からよじ登り、神田麗美の隣に並んだ。
「何ですか? あの子」
部隊員の一人が、ラスピリカを見つけると神田麗美に尋ねる。彼女は、神田麗美と対峙する形で、こちらをじっと見つめている。
「わからないわ。でもただ事じゃないみたい。気を抜かないで」
すこしして、それらは四方に姿を現した。怪物だった。その怪物の見た目は、醜悪の限りを尽くした。おのおのに確かな形は無く、全てに言えるのは一見臓物を想起させるおびただしい見た目に、口と鼻と目、生命活動に必要な機関が無作為についていることである。
「たぶん生半可な敵じゃないわ。本気で戦ってちょうだい」
神田麗美は、怪物を睨みつけている。部隊員たちも同様である。これまでにない緊張感が部隊に漂っている。
ほんの一瞬、こうちゃくが続いたのち、先に仕掛けたのは神田麗美たちだった。
男性部隊員が地面に手を埋めた。すると、次の瞬間、怪物の足元の地面がひび割れた。怪物は地面と地面の隙間に体をとられ、バランスを崩した。胴体の大きさに比べ、小さな両足で、立ち上がるのに苦戦しているようである。
その隙を見て木山が怪物に駆け寄り、体によじ登った。彼は頭頂部に立つと、怪物の大きな目玉を切り抜いたのだ。目玉が地面に転がり、怪物は舌をだして地面に倒れ込む。
ようやくこれで一頭、だが息をつく暇もない。すぐ後ろには、異形の怪物がひしめき合っている。
「気をつけろ、まだ森の奥にうじゃうじゃいる。一頭倒したくらいで気を許すな」
木山は、怪物の頭上で部隊員に指示を出す。
しかし、次の瞬間だった。怪物は口元の形だけを変形させ、凄まじい速度で木山を襲ったのだ。木山はとっさに身をかわしたが右腕が遅れた。彼の腕は怪物の口にのみこまれた。木山は右腕から血を噴出させて、部隊員たちの前に転がった。
「腕が、俺の腕がない」
木山は、地面に膝をつき自分の右肩を左手で押さえるようにしている。その声は、あまりに悲痛で、普段の冷淡な木山のイメージとは、かけ離れた。彼の腕を食らった怪物はというと、落ちた目玉を器用に拾い上げ、元々目玉のあった場所にねじ込むようにしてくっつけている。
それを見た部隊員たちは、動揺し恐怖に表情をゆがめた。中には、あまりの恐怖に、逃げ出す部隊員もいた。逃げ出した部隊員は、あっけなく、異形の怪物に飲み込まれる。
「医療班、木山の手当てを早くしなさい。みんな敵に集中して!」
神田麗美は、統率の乱れた部隊を一喝した。といっても状況は絶望的である。
あたりの森からは際限なく怪物があふれかえる。前が詰まって、出られない後ろの怪物が、乗り出してこちらの状況を伺っている。
部隊で一番腕がたつ、木山をもってしても、勝てなかった。そんな怪物に取り囲まれては勝機など見いだせなかった。
そうしている間にも部隊員が足を掴まれ、巨大な口に引きずり込まれる。
「足が足が、助けてください。食われる」
「姉様、どういたしましょう?」
神田ケイナは震えた声で、神田麗美を見た。
「――ケイナ」
神田麗美は、優しく彼女を抱き寄せる。活路は無かった。
**********
「ここは世界の一部に過ぎません。外に出ればたくさんの食物と、人間たちの営む国がございます」
パーナマは言うと、黒板にチョークで世界地図を書いた。その地図を見ると、この世界に大陸は一つのようである。楕円形の巨大な大陸が海に浮かんでいる。そして、彼女は大陸の右端に丸印をつけた。どうやらそこがこの場所らしい。
就寝直前の時間に、教室の教壇にパーナマが立ち、この世界について生徒たちに説明していた。黒板の周りをクラスメイト達が座って囲んでおり、彼女が話すたび彼らは朝弘の方へ視線を向けた。
「おい、今何て行ったんだ。パーナマちゃん?」
寝ているクラスもあるため、みんな僅かに小声である。
クラスメイト達は、異世界語がわからないため、彼女が言ったことは、朝弘が翻訳する。かくいう朝弘も完全に異世界語を覚えたわけではないが、ある程度はわかるようになっていた。
あれから二週間ほど必死に単語を覚えたのだ。英語であれば、3000の単語を覚えれば日常会話が可能と言われている。それに比べ、パーナマの扱う異世界語は簡単であり1500ほどの単語を覚えれば難なく日常会話が可能なレベルであった。
「今俺たちがいる場所は異世界の一部で、外の世界には人間たちの国があるらしい」
朝弘が言うと、クラスメイト達は、満面の笑みを浮かべた。クラスの女子どうしが、手を取り合って喜んでいる。それは、この場所が異世界のすべてだと思っていた生徒たちにとってこの上なく喜ばしい吉報であった。朝弘も同様である、説明しながら自然と笑みがこぼれる。
「ほんとか? でも、どうやってここから抜け出せるんだ」
魚沼が教壇に立つパーナマに尋ねる。パーナマはきょとんと首をかしげると、朝弘を見た。
朝弘は、彼が尋ねた内容をパーナマのわかる言葉で伝える。すると彼女はこくりとうなずくと、口を開いた。
「私たちが今いる場所は迷宮と呼ばれております。迷宮にはそれを作り上げた魔物がおります。その魔物を討伐すれば迷宮は消滅し、抜け出すことができます」パーナマは続ける。「ですが、私たちがおります迷宮は大きく、倒すべき魔物は強大でございます。おそらく魔王、あるいは準魔クラス。生半可な戦力では太刀打ちできませぬ」
パーナマの表情は、沈鬱であった。その表情を見て、喜んでいたクラスメイトたちはおとなしくなった。
「その魔王や準魔って言うのはそれほど強いのか?」
朝弘は尋ねる。
「はい、魔王や準魔が作り上げた迷宮は大迷宮と呼ばれ、この世の大厄でございます」
朝弘は、そうか、とつぶやくと、彼女の言った内容をクラスメイト達に伝える。するとクラスメイト達は、完全に消沈してしまった。
しばらく、静寂が流れ、魚沼が声をあげた。
「おっしゃ、俺も戦う。そら、探索部隊の奴らと比べて弱いけどな、少しは役に立てる。お前が毎日森に出てることは知ってる。なあ代々木、俺も森に連れてってくれ」
朝弘は、驚き魚沼を見た。少しの間返答に迷っているとさらに魚沼はまくし立てた。
「頼む。足手まといにはならないから。だめだと思ったら見捨ててくれてもいい。なあ木下も来るよな」
「えっ俺も?」
木下は驚いた表情で自分を指さし、おもむろに朝弘を見た。魚沼がそこまで言うなら、断る理由は無かった。それに、木下の能力は汎用性が高い。
「わかった。でも安全は保証できないから、危ないと思ったらすぐに逃げてくれ」
朝弘は言った。
「まじかよ」
木下は、真顔でつぶやいた。
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