第13話 優しい思い

 朝弘は教室を出ると、一度校舎を出て、別館にある図書室へと向かう。

 道中、どこまでも静かであった。こちらに来て間もなくは、廊下中に生徒たちの喧騒が聞こえていたが、今は静寂である。空腹に、疲労。日に日に、生徒たちに元気がなくなっていくのがわかる。


 別館の靴箱に入ると、消灯しており暗闇であった。靴を脱ぎ、廊下に出ると、連なる窓から月明かりが差し込み、窓枠の形に床が照らしだされていた。非常口の看板の緑色と、消火器のランプの赤色が発光している。


 朝弘は、階段を上り、二階にある図書室へと入った。中に入ると、明りをつける。

 創造高校の図書室は、高校の設備としては比較的大きい部類である。図書館にあるような大きな本棚が横に十列、縦に三列、合計で三十ほどある。それとは別に学生が勉強できるスペースが設けられており。十人は座れる木の机が四つほど置かれていた。

 朝弘は、本棚を回り目当ての本を探す。10分程探し、ようやくそれを見つけ、本棚から抜き出した。その本は、国際発音記号(言語の発音の仕方を記す記号)について書かれている本である。彼は、それを手に持ち机の前に腰を下ろした。


 次に、彼は異空間から、先日商人から購入した異世界語の本を持ち出した。ページをめくると、中には墨で書かれた絵と、その下に記号の羅列がある。おそらくこれが、この世界の文字である。そして、その文字が上の墨で書かれた絵を意味する言葉だろう。


 商人から買った本は二冊あった。もう一冊の本は物語である。

 こっちの本は朝弘が異世界語を学ぶために、商人によって得別に用意されたものであった。朝弘が異世界語を学ぶのに、この本は重要であった。なぜなら、この本は異世界語の上部に、ローマ字と国際音声記号によって朝弘にもわかる形で発音の仕方が表記されているからである。


 だが、これを使っても朝弘が一つの単語を理解し話せるようになるまでには、大変な作業が必要であった。

 まず、一冊目の本から単語を調べたあと、その文字と同じ記号をもう一冊の本から探さねばならない。そして、国際発音記号を用いてその発音を探る。気の遠くなるような作業であった。だが朝弘に時間は無い。


 朝弘は、墨で絵の描かれた本を開くと、手に救われた水の絵が描かれたページで手を止めた。そこに書かれた文字を、机の中央に積まれていた、わら半紙に書き写した。その作業を繰り返し、文章を作り上げていく。


 朝弘は、この世界の言葉で彼女と対話しようとしていたのだ。


 だが、朝弘は、途中で作業の手を止め苦悩した。彼女に何と言葉をかければいいのかわからなかった。朝弘は彼女のことを知らない。なぜ、死にたがっているのかもわからない。

 朝弘は、頭をかかえた。時計を見ると、時刻は3時30分。探索部隊が帰ってくるのは6時である。やつらが帰ってくれば、彼らの出迎えと食事の支度で作業どころではない。


 その時、部屋の扉が開いた。図書室に入って来たのは、矢田舞である。胸元まで伸びる髪を胸元で揺らしている。その手には、塩の入った容器が握られている。


「代々木君が、別棟に入ってくの見えたから、ついてきちゃった」

 矢田舞は、朝弘の隣の席に座ると、目の前にある書物に目を落とし口を開く。


「異世界の言葉? パーナマさんの?」


「うん。言葉をかけてみようって思って。でも何て言っていいのかわからない」


「そんなこと、代々木君の思ったことを口にすればいいんだよ」


「俺が思ったこと?」

 朝弘は、矢田舞の顔を見た。彼女は少し前かがみになって、真ん丸な瞳で朝弘を見つめている。


「内容なんて重要じゃないよ。代々木君がやろうとしていることは、優しいことだから。私がパーナマさんならそれだけで、とっても嬉しいよ。難しく考えないで」

 矢田舞は、笑顔になると、また口を開いた。


「やっぱり、代々木君は優しいね」


「そんなことないって」

 朝弘は、照れくさくなって彼女から目を逸らした。


「小学生の時、よく三人で遊んだの覚えてる? 清弘君と代々木君と私で」


 朝弘は、うん、とうなずいた。


「あの頃の、代々木君、弟思いでとっても優しかったよ」

 昔はよく、清弘と遊んでいた。でもいつからか清弘から疎まれるようになった。

 いつからだったろうか……。なんとなくわかっている。きっと母が病気で亡くなってからだ。


「お母さんが亡くなってから代々木君。ううん、朝弘君。人が変わったみたいになって……。清弘君もきっと寂しいんだよ。だから、あんなふうにして反発してるんだと思う。――大丈夫。朝弘君の思ってることは優しいことだから、言葉にすればパーナマさんにも、清弘君も伝わるよ」矢田舞は立ち上がった。「私パーナマさんのところに塩もって行ってくるね」 



 朝弘は、教室の扉を開けた。時刻は午後5時である。

 彼を見るとパーナマの周りを囲んでいた女子たちが、立ち上がり場所開ける。男子生徒たちは机に乗り出すように、朝弘の様子を見ている。誰も、口を開かず教室は静寂である。

 朝弘は、真っすぐに彼女のもとに近づいた。


「朝弘君これ」

 矢田舞が、塩水の入ったコップを朝弘に差し出した。彼はそれを手に持つと、パーナマの目の前に立った。彼女の眼の高さにかがむ。クラスメイト達が、息を呑むように、自分を見守っているのがわかる。


「パーナマ」

 朝弘が名前を呼んでも、彼女は反応しなかった。震える体で壁にもたれかかり、荒い呼吸を繰り返す。


「パーナマ。ドゥワ、モートス(パーナマ。聞いて、ほしい)」

 朝弘が異世界語を話すと、彼女は驚いたように顔をあげこちらを見つめた。朝弘はさらに続ける。


「エグゥルト。サムレス(水を飲んでほしい)」

 彼女を諭すように優しく言葉をかけ、手に持ったコップを差しだす。


 彼女は首を振り、口を開いた。


「ナムレス(だめだわ)」

 その声はよわよわしい。


「オウト、フランチムァーメ。フルマレゼニアル(俺は君に死んでほしくないんだ)」


 その言葉を聞いた彼女は、動きを止めじっとこちらを見入った。朝弘は、目をそらさなかった。彼女の目をじっと見つめて、口を開いた。


「パーナマ、コミナク(生きて)」


 すると突然彼女は、声を絞るようにして泣き始めた。繊細な声が、教室に響き渡った。どうしたんだ、とクラスメイト達の動揺する声が、聞こえる。


 そして、驚くべきことが起った。彼女はあれほど固くなに外すのを嫌がったキツネの面を自ら、外したのだ。

 彼女の顔は、とても愛らしかった。目元は、赤く腫れている。だが、彼女の空色の瞳は吸い込まれそうなほど澄んでいる。頬は、シミひとつなく真っ白で、輪郭は丸く艶やかである。

 クラスメイトの誰かが小さく、えっ、めっちゃ可愛いじゃん、とつぶやいた。


「クルテチ、フルメ。スレスデホムア?(私は可愛いですか? クルテチ様)」


 そういうと、朝弘の手を取り、その手に額をつけた。しばらくそうした後、朝弘の手に握られたコップをとる。それに口をつけ、飲み干した。


 クラスメイト達の、安堵の声が教室に響き渡った。


「おい代々木。何の呪文だよ今の?」

「すげー代々木。異世界語喋れんのかよ?」


 クラスメイト達は、朝弘の肩を抱いてそんなことを口々に呟いた。

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