第11話 森の異変

 朝弘は、今井咲に肩を抱かれ、校舎へと連れられて行く仮面の少女の背中を見ていた。その足取りは、ゆっくりである。少女は、いまだに泣き止まず小さな嗚咽を漏らしている。

 しかし、この森の中、彼女はどこから来たというのだろう? 


「名前は何ていうの?」

 少女が僅かに落ち着いたのを見計らって、今井咲が尋ねた。しかし、少女に返答はない。言葉が通じないのだ無理もない。


 朝弘は二人に近づくと口を開く。


「今井、スマホ持ってるか?」


「電波つながらないし、持ってないって」


「俺持ってるぞ」

 高樹が平然と答えた。彼は三人の後ろをついて歩いている。その手には、白色のスマートフォンが握られている。


「えっ高樹くん、何で持ってるの?」


「電波は繋がってないけど、電卓や、ライトや、メモ帳は使えるからな。充電器は持ってたし、校舎は電気がつながってるから」


「それ借りていいか?」


 高樹は、おう、と言って、スマートフォンを差し出す。

 朝弘は高樹から、スマートフォンを受け取ると、仮面の少女の前に立ち、それを差し出すようにして見せた。


「これ何かわかる?」


「わかるわけないよ」

 少女の隣にいる今井咲は言った。


「フーフゥル?(それは何ですか)」

 仮面の少女はそう言って首を傾けた。その声は、まだわずかに震えている。


「フーフゥル」

 朝弘は彼女の言葉を繰り返した。次に朝弘は自分を指さし、朝弘、と名乗って、今度は彼女の方に指をさし尋ねた。


「フーフゥル?(それは何ですか)」


 すると、彼女はうつむくと、消え入りそうなか細い声でつぶやいた。


「パーナマ」


「パーナマ? うん、たぶん彼女の名前はパーナマだ」

 朝弘は、頷くと、今井咲を見た。



 その後、彼女をどうするかを話し合い、今井咲の提案で、朝弘のクラスで面倒を見ることが決まった。なんでも、今井咲と高樹のクラスは、男子と女子が揉めているらしく、それどころではないらしい。


 朝弘は、彼女を隠すことを提案したが、しかし、今井咲が、「私たちが探索に言っている間、一人で空き部屋にいるなんてかわいそうだって」と言ったので彼女の意見を尊重することにした。

 朝弘は、彼女を囲いたかったが、少女のことを考えれば、おそらく今井咲の意見が正しいのだろう。朝弘は、そんな気がした。


 今井咲が、少女を朝弘のクラスに連れて行った。はじめ、2年2組の女子生徒たちは、戸惑っていたが、矢田舞が、歓迎したのに続いて、周りの女子生徒も笑顔でパーナマを迎え入れた。遠くで男子はポカーンとした間抜けな表情でその様子を見ていた。

 木下が、女子が増えたぞ、なんてことを呟いているのが聞こえた。


 今井咲は、少しの間、朝弘のクラスの女子と喋り、自分のクラスに戻っていった。


 すぐにパーナマは、女子のスペースの端に膝を抱えてうずくまった。その周りに女子が集まって次々に質問をしている。もちろんパーナマは何も答えない。矢継ぎ早に知らない言葉で話しかけられて、いい気はしないだろう。


 それに見かねて朝弘は口を開いた。


「たぶん、言葉が通じないと思う」

 その声は、自然と小さくなった。普段から喋り掛けることをしてこなかったから、慣れていないのだ。

 女子たちは、朝弘に声をかけられ、顔を見合わせると、得心したようにうなずいた。


「あっうん。そうだよね」


 机をはさんだこちら側では、男子たちが興味深そうに彼女を眺めている。

「なんだ、あの仮面コスプレか?」

「馬鹿! コスプレして森の中歩くかよ!」

 そんなことを話している。


「でも生徒会に言っといたほうがいいんじゃないか?」


 魚沼が言ったのに、朝弘は反論する。


「いや、もう少し落ち着くまでようすを見てみないか」

 生徒会に言われては困る。彼らが知れば、彼女を連れて行く可能性がある。そうすれば、また会話する機会が訪れる保証はない。朝弘は、彼女に聞きたいことが山ほどある。


「でもよ、見つかったら何言われるか。食うもんだって誰があげんだよ」

 木下がつぶやいた。


「大丈夫、落ち着くまでの間だから。見つかったら、報告しようと思ってたって言えばいいんだし。食べ物は俺の分をあげるよ」


「そうか?」

 木下は不服そうな表情を浮かべている。


「まあいいんじゃないか、代々木がそこまで言うんだし」

 そういったのは魚沼であった。彼がそういえば、それ以上文句を言う者は現れなかった。



 夕時になり、配給が配られた。

 今日は肉じゃがのような料理である。朝弘が、クラス分の食料が入った鍋を、調理室から運ぶと、すぐにお玉を使いプラスチックの器によそっていく。

 毎日、【調理班】が料理を行ってくれるため、味に飽きは来ない。ただ量が少なかった。この器に盛られた肉じゃが、が一日の食事である。高校生には、あまりにも少ない量だ。当然探索部隊以外の一般生徒たちは痩せていくものも多かった。


 朝弘は、ようやく配膳を終えると、自分の分の器を手にして床に座った。自分の配給をパーナマに上げるとは言ったが、矢田舞たちが反対して、みんなの食事を少しずつ減らして分け与えることに決まったのだ。正直、自分は昼の探索で、みんなより余分に食料を食べているが、そんなことを口にするわけにもいかず、黙って厚意を受けることにした。

 といっても、その量はあまりに少なく、二口ほどで平らげてしまった。あたりの男子生徒も、空の器を眺めてため息をついている。


 ふと、女子生徒たちがパーナマの周りに集まっているのがわかった。すこしして、矢田舞が男子の方へ近寄ってきた。


「どうしよう。パーナマさん、食事取らないの」


「口に合わないんじゃね?」

「お腹がすいたら、食べるだろ」

 男子生徒たちは口々に、そんな事をいった。


 矢田舞は、そうかな、と首をかしげている。


 たしかに、彼女の立場で考えてみれば、知らない場所で、言葉が通じない他人に囲まれて、食欲がわかないのも仕方がないことではあるだろう。



 翌日、朝弘たちは、いつもの狩場へとやって来た。

 相変わらずの、夜空には、大月が浮かんでいる。


 高樹は、到着するとすぐに突風を起こした。しかし、木々からゴブリンが落ちてくる気配がない。


「やっぱりいないな」

 高樹はその場に座り込んだ。一昨日から、全くゴブリンを見なかった。


「朝弘が怖くなって、逃げちゃったんじゃないの?」

 今井咲はいつもの倒木に腰をかけている。


「だったら、もっと早いうちに逃げてるだろ。こんな数か月にもわたって一方的に狩られてないって」

 朝弘は、反論した。


「だったら、なんでいないのよ?」

 今井咲は、いつもの倒木に腰をかけている。朝弘は、うーん、と言って一瞬考え込むと口を開いた。


「おそらくだけど、俺らが狩ってたのは、全く同じ個体だったと思う」


「えっ意味わかんない? わかりやすく説明してよ」


「えっと、だから。人間で言ったら。おんなじ人間が、何度も再生してたってこと」


「何でそう思うんだよ?」

 高樹は膝に手を置いて立ち上がる。


「あー、実際に気になって個体数を数えてみた。体のあざや、行動パターン、歯の並び。そしたら22種類しかいなかった」


「うわっすご。朝弘、そんなとこまで気にして戦ってたの?」

 今井咲は目を見開いた。朝弘はこくりとうなづく。


「だからやつらは逃げたんじゃなくて、再生しなくなったんだ」


「ほんとにゲーム見たいだな」

 高樹は感心したように言った。


「だな。俺たちは、たぶん1つ目のステージをクリアしたんだ。それで強制的に次のステージに進まなくちゃならなくなった。――明日からは、森の奥へ進行することになる」

 いつかは奥へと進むことも考えていたが、それは装備を整えてからと思っていた。


「なんか怖いな、でも大丈夫だよね。朝弘も高樹君も強いし」

 今井咲は、上目遣いで朝弘を覗き込む。


「約束はできない。怖いなら明日は、今井は来なくてもいい。悪いけど高樹には来てもらうけど」

 朝弘が高樹を見ると彼は、おう、と首を縦に振った。


「でたよ。朝弘の嫌なとこ。嘘でも大丈夫って言ってくれたらいいのに……。行くって私も」

 今井咲は不服そうに唇をすぼめた。


「わかった。なら、とりあえず装備をそろえよう。アレイド出てきてくれ」

 朝弘は死の商人を呼び出した。地面の下から人間の体が浮き出てくる。フードを目深にかぶり、口元には卑しい笑みが漏れている。続いて、馬車が森のどこからともなく駆けつけた。


「ご用件は?」


「武具を見せてくれ?」

 朝弘の手持ちは890魂貨

こんか

(1魂貨ゴブリン1体分)である。もちろんこれは【断裂刀】を購入するために貯めていたものだ。しかし、こうなったからには一度、装備を整えることにした。


 武具には様々な能力が付与されていた。


 ――――主な武具を一部記載


5魂貨

【煙玉】 あたりに、煙を出す。


100魂貨

【隠遁のローブ】 気配を消す。音、熱、匂いなど。(完全には消えない) 


300魂貨

【オッサ・グラムの契約書】 この契約書に書かれた内容は、魔王グラムにより遵守される。(契約内容は使用者が決めることが出来る。契約が締結されるには相手の合意が必要)


500魂貨

【致死無効のペンダント】 致死ダメージを一度無効化する。(発動後破壊される)


【空間歪曲の石】 一定の距離を、瞬間的に移動する。(対応する石が2つ必要。地面に置くと、石と石の間を一瞬で移動することが出来る) 


1000魂貨

【断裂刀】 あらゆる事物を切断する。(一振りすると、再使用まで鞘に納めた状態で10分が必要)


【黄金のセミ】 使用すると、上空へ跳び。あたり1kmの生物を探知し、使用者に視覚させる。(上空からの景色、生物は赤く発光する)


1200魂貨

【鉄壁の指輪】 自らの受けるあらゆる攻撃の威力を半減する。


 ――――など、その他多数


 そのどれもが、まさしくゲームのような代物である。


 結局朝弘が購入したのは、【隠遁のローブ】を3着と、【煙玉】を5つである。安くすませたつもりであったが、これでも325魂貨を支払った。ローブが100魂貨、煙玉が5魂貨である。


 朝弘は魂貨の入った袋を異空間から取り出す。800以上もの硬貨が入っているため袋は、ずっしりと重い。それを袋ごと商人に渡した。商人が袋に手をかざすと、魂貨は魂へと変わり、商人の手のひらに吸い込まれていく。すこしして商人は、たしかに、と頭を下げ、ローブと煙玉が、朝弘の手に渡された。


 朝弘はローブを今井と高樹に一枚ずつ配りながら、あと、と口火を切った。

「この世界の国の言葉が話せたり理解できるような道具は無いか?」


 アレイドは、くっくっく、と不気味に笑った。

「あることはありますが……。大変高価なものとなっています」


「どれくらいだ?」


「2000と言ったところでしょうか」

 朝弘は驚いた。まさかそこまで高いとは思ってもみなかった。


「高っ。ぼったくる気だぁー」

 今井咲は、すでにローブを羽織っている。黒色の生地で、後ろのマントの部分は、ひざの裏までの長さがあった。その見た目は、まるで魔法使いである。


「いえいえ、知識は何ものにも代えがたい貴重なものであります。それはあなた方の能力と同等のものです。あなたがおっしゃっていることは、新たな能力を欲しているのと変わりない」

 確かに、彼の言うことは一理あるように思える。言語を理解するには、それなりの時間と苦労がいる。それを、買うのであればそれなりの代価が必要である。


「ならこの国の言葉を学べるような書物を何冊かもらえるか」

 ならば、自らで学ぶしかない。朝弘は、勉強には少し自信があった。


「はい、なら、特別に言語を学べる書物を2冊ほどご用意させていただきます」

 商人は、こちらを向いたま、後ろにある荷馬車の天幕のなかへ手を入れた。すると、中から黒い腕が伸びて来て彼に2冊の本を手渡した。商人は、こちらにそれを差し出す。どちらも辞書のようなぶ厚い本である。


「一冊は5魂貨。もう一冊は特別製でして15魂貨頂戴いたします」 

 朝弘は、20魂貨を支払った。



 朝弘が、教室へと戻ったのは、午後2時過ぎであった。教室の扉を開けると、木下が近づいて来た。


「代々木、あの子昨日からずっと水も飲んでないぜ」


 朝弘は、驚いてパーナマを見た。彼女は、壁にもたれてぐったりとしている。食事をとらなくても、緊急性はさほどないが、水は別である。口にしなければ一週間と持たない。それに、彼女が水を飲んだところを一度も見ていない。彼女は、森の中を走ってきたようであった。その時から、水を飲んでいないのであれば、すでに2日、3日たっていてもおかしくない。


「聞きたいことがたくさんある。死なせるわけにはいかない、無理にでも飲ませるんだ」

 朝弘は、廊下に設けられた水道からコップに水を注ぎ、パーナマに近づいた。せっかく、この世界の事情を知る者がいるのに、それを失う訳にはいかない。何としても彼女からこの世界の情報を聞き出したかった。


「飲むんだ」

 朝弘は、パーナマに水を差しだした。すると彼女は顔をあげ、面をつけた顔で朝弘を見ると、首を横に振った。それを見た朝弘は無理やりでも飲ませようと、彼女の腕を抑えつけた。仮面を外そうと手を延ばす。すると朝弘の手から逃れようと彼女は暴れた。


「代々木君だめだよ。嫌がってる」

 矢田舞に声をかけられ、朝弘は冷静になった。

 あたりを見回すと、クラスメイト達が、困惑した顔で自分を見ている。そしてパーナマの体は小刻みに震えていた。

 朝弘は、パーナマを抑えつける手を離し、そのばにたたずんだ。


「どうしたんだよ、そんなに必死になって」

 クラスメイトに問われた。


「わからない」

 朝弘は言った。だが、おそらく森に異変があって、自分は恐ろしかったのだ。朝弘は彼女の知る情報が、この世界で生きていくにあたって、重要なものであることを確信していた。

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