第10話 魔獣サイエンテ


「東の森に魔気があると、行商人から報告があった。もしかすれば森に迷宮が起ったやもしれん。お前たちに斥候を頼みたい」

 ウエルテ国の王。ウエルテ・パルパツムは、まだ年若い家来達に言い放った。彼は、齢四十の屈強な男である。その武の腕は大国中で畏怖され、戦のたびに先陣を切って戦った。玉座を得たのも世襲などではなく、彼自身の手によって得たものである。よって彼は、皆から『真王(シンオウ)』と呼称されていた。


 真王ウエルテは豪奢な装飾のなされた玉座に腰かける。その、御前に三人の家来たち。一人は腰に剣を携えた、精悍な青年クルテチ。狐の面をかぶり、和服に似た花柄の民族服に身を包む女性パーナマ。両手に自らの手の五倍はあろうかぎ爪をつけたフマル。どれも、年齢は十六から十八である。


「御意」

 クルテチは三人を代表して王へ首を垂れた。



 クルテチたちは、その日のうちに支度を整え、翌日の日出とともにウエルテを発った。空は快晴で、どこまでも青が澄んだ。夏の眩い陽光は、クルテチたちの肌を容赦なく焼き付ける。


 魔気があると言われた東の森「ヘイゼン」は、ウエルテから馬で二日とかかる。


 初日、つつがなく馬を進め、その日の夕食時であった。すでに日没して、あたりは暗がり。焚火の炎のみが夕食を囲う三人を照らした。すでにあたりは樹々で覆われ、近くには人が踏みならした道があった。乗ってきた馬は近くの木に括りつけてある。


「なぜ私が食べささないとだめなのですか。食事の時くらい外したらどうなのです?」

 パーナマは木のさじで、かゆをすくい、フマルの口元に運ぶ。その際、着物のたもとを手で押さえ汚れないようにした。

 フマルは、差し出されたさじにかぶりつく。彼は、常に巨大なかぎ爪を両手につけているため、彼女がこうしなければ食事をとることもできない。

 フマルは、かゆを飲み込むと口を開いた。


「これ、はずすとつけるのに時間がかかる……。パーナマも妖狐の面をいつもつけてる」

 彼は口ごもりながら喋った。


「それとこれとは、話が違います。私は面をつけていても自分で食事がとれます」  


「二人ともだよ。食事のときくらい。お面も武器も降ろして、ゆっくり食べたらどうだい?」

 そういったのは、クルテチである。彼は木の根に腰を据えて、かゆの入ったお椀を片手に持ち笑っている。

 パーナマは少しうつむくと、目元だけを出すように、お面をずらした。その口元は隠れている。


「お父様が、大人になるまでは顔を出してはダメだって」


「もったいない。パーナマは、可愛いんだからお面なんていらないよ」

 いってクルテチは、微笑んだ。それにパーナマは、頬を赤らめ目を見開くようにした。


「からかわないでください。ほんとうにクルテチ様は意地がわるうございます」

 彼女はうつむいた。



 翌日、午後3時ごろには、東の森「ヘイゼン」へと続く橋に到着した。ウエルテ国の首都バマスとヘイゼンとの境界には巨大な川があり、それを超えればヘイゼンの森になる。


 三人は馬に乗ったまま橋を渡る。橋は10mほど、商人の荷馬車が通れるように重厚に造られていた。


 ヘイゼンへと入り、しばらく進んだのち、クルテチは馬を止めた。彼は馬から降りると、近くに生える低木に近づいた。


「たしかに変だ、葉が凋落している」


 彼の言うように、その葉は不自然な枯れかたをしていた。それは自然に枯れたふうではなく、病的な枯れ方である。


 日没まじかで、空は夕色に焼けている。パーナマは同じく馬をおり、クルテチの隣まで来た。


「クルテチ様どういたしましょう? もし迷宮が起っていたなら王へ一刻も早くお伝えしなくては、多くの民が迷宮へと迷い込んでしまいます」

 パーナマは、クルテチを見上げるようにした。フマルは少し離れた馬上からあたりを伺う。


「ああ。だが、せめて迷宮の規模だけでも把握しておきたい。明日、この周囲を周って規模を図ろう」

 クルテチが、乗馬しようと馬に手を置いた時だった、突然に女性の声がした。


「あなたち何でこんなところにいるの?」 

 抑揚のない平坦な声でそう問われ、三人は声の方をうかがった。そこに立っていたのは年若い女の子だった。おそらく、年は自分たちと変わらない。

 青色の帯びた白髪をツインテールに結んで、赤い瞳をこちらに向けた女の子。その線は繊細で、存在は非常に希薄である。そのさまはまるで幻であるかのようだ。


「君こそ何でこんなところに……。ここは危険だ」

 クルテチは、女の子を説得するように、にじり寄った。


「それはあなた達だわ。すぐに引き返すべき」

 その声音は澄んでいて、よく通った。それでいて悲しみの色が濃く帯びている。


「何を言っている。君は一体なんだ」

 そう問いかけたクルテチは、すでに女の子がいないことに気がついた。彼は自らの額を拭う。汗が滝のように滴った。

「今のは、一体……。俺は幻に浮かされていたのか」


「いえ、確かにそこにおりました。とてもまがまがしく、悲しい気を感じとりました」

 パーナマは、先ほどまで女の子がいた木の幹を凝視した。


「気味が悪いな、もしかすれば魔獣が化けて出たのかもしれない。どのみち、もうあたりは暗い。今日はここで野営にしよう」

 クルテチは、また自分の馬に近づくと、括りつけてある荷を下ろした。


「はい」

 そういったパーナマの声は、不安げに揺れていた。それを察してかクルテチは微笑んだ。


「心配しなくてもいい、これ以上は進まないよ。明日は外から迷宮の規模をはかるだけにする」


 三人は野営の準備を始めた。馬を木に括りつけ、薪を集める。あたりはすっかり暗闇である。そのため木の根に足を取られて、僅かに歩くのも一苦労である。

 ようやく、十分な薪を集め終わり、それを一箇所に集める。クルテチは、鞄から液体の入った瓶をとり出し、薪に振りまいた。すると、ぱちぱちと音をたて、火が起こった。これは【火炎ポーション】という魔法薬である。


 食事を終えると、見張りを一人たて、交代で眠りにつくことになった。最初の見張りはクルテチである。彼は、焚火に薪を足しながらあたりを警戒する。


 パーナマは、木の幹に体を傾け、寝息を立てる。フマルは、仰向けになってぐーぐーといびきをかいている。

 それから二時間ほどして今度は、クルテチとフマルが見張りを変わった。


 そして、それは夜半過ぎの事であった。


「起きて、起きて」

 フマルは、大声を出しながら、寝ているクルテチの体を荒々しく揺すった。パーナマもその声に目を覚ます。

 普段から口数の少ないフマルがこれほど慌てるのは例にない。二人は、事の重大さを感じ取り、飛び起きた。


「どうした?」

 いってクルテチは、あたりを見渡し、違和感を感じた。周囲は藍色に明るく、森の隅々が視認でき、木のふもとに咲く花の形まではっきりとわかった。夜であるのに、それほどあたりは明るかったのだ。


「空、空」

 そういわれクルテチとパーナマは空を仰いだ。すると、そこには大月があった。その月は世界を飲みこむほどに膨んで、息が苦しくなるほどの圧迫感を放つ。


「どうして、月が……」

 パーナマは、それ以上の二の句が継げなかった。


 三人は、空を仰いだままその場に立ちすくむ。すこしして、クルテチが口火を切った。


「おそらく俺たちは迷宮に入っている」

 その声音は、ひどくぼう然としたものだった。


「そんなはずございません。私たちはあの場から一切動いておりません」

 パーナマは、前の目のめりになって、クルテチを見た。その横では、焚火がぱちぱちと音をたてている。


「たぶん迷宮が一晩で大きく膨らんだんだ」

 クルテチの声は、淡々としている。だが、手の震えが彼の動揺を物語っていた。


「そんな」


「見誤った! かつて巨大化する迷宮が存在したことは教わっていた」

 クルテチは、語勢を強めた。


「私、これほど大きな月を見たことありません」

 パーナマは自分の体を抱くようして、その場に身をかがめた。


 この場所の不吉を察したのか馬がいななく。その身をよじり逃げようとする馬を、フマルが手綱を引きなだめる。


「俺もこれほどの月は初めてだ。間違いない、これは大迷宮だ」


「私たちだけでは、大迷宮の攻略は不可能です」

 パーナマは、恐ろし気に首を振っている。


「わかってる。ひとまず、ここを離れよう。おそらくここは根源に近すぎる。邪気の薄まる方角へ離れよう」

 クルテチはその場に座り込むパーナマの手を引いた。フマルは、いまだに暴れ狂う馬の手綱を引いている。


「馬はだめだ。走るぞ」



 走り続けてから、間もなく、彼らの目前の木立がけたたましく動いた。三人は足を止め、木立を注視する。

 すこしして、三人は戦慄した。


「――サイエンテ」

 そういったクルテチの声は震えを帯びた。

 彼らの目前に現れたのは、魔物と呼ばれる怪物である。黒々とした巨体は、家屋にも匹敵するほどに大きい。その全身は屈強な筋肉に覆われており、それは複雑に隆起し、月光をあび黒々と照り輝く。目と口から炎のような明りが漏れて揺れていた。


 魔獣サイエンテは三人を見ていた。いきなり現れた珍妙な生物にあっけにとられているといった様子である。


 三人は恐怖のあまり声も出ず、ただおもむろに後じさった。


 それと呼応するようにサイエンテは三人のもとに近づく。四足歩行であったのが、ゆっくりとその前肢を持ちあげ、二足歩行に移り変わっていく。やがて背筋を伸ばしきり、完全な二足歩行へと移り変わった。木の枝に達するほどの巨体になり、もはやその見た目は怪人である。


「走れ!」 

 クルテチのかけ声とともに三人は、飛び出すように駆けだした。


 だが、サイエンテから逃げ延びることはかなわない。逃げる彼らの背中を風の速度で迫るのだ。いつのまにやらサイエンテは、彼らの目前に立ちはだかった。その巨体は少し動くだけで、空気の底を震撼させる。


「逃げられない。はやすぎる」

 クルテチは、全てを悟ったように走ることを辞め、サイエンテと対峙した。肩の力を抜くと、ゆっくりと腰に携えた長剣を抜き胸元に構えた。


「パーナマ。フマル。先に行ってくれ、後から追いつく」

 クルテチは、二人に振り替えることもせずに囁いた。


「いけません、クルテチ様。サイエンテには何者もかないません! 逃げるのです。逃げることでしかこの命を守りぬくことかないません」

 パーナマは哀願した。その声は、森に響くことなくとけていった。


「もはや全員で生きて帰ることはできない。俺は、お前たちに死んでほしくないんだ」

 いうと、クルテチは微笑んだ。


 パーナマは、首を振り彼に手を延ばす。だが、彼女は息を呑んだ。クルテチの目が、炎のように燃えあがったのだ。それから体が赤黒く変色していく。魔物の呪いである。こうなれば万に一つも助からない。


「嫌です。私はクルテチ様を失ってまで生きとうございません」

 パーナマは、伸ばした手を胸元に抱えこみ痛切に叫んだ。


 サイエンテは、パーナマを凝視した。その目の炎が僅かに大きくなったとき、彼女の前にフマルがたちはだかった。

 たちまちフマルの目に炎が灯ると、体が赤黒く染まった。彼の表情は苦痛にゆがむ。


「パーナマ。逃げてぇ」

 フマルは、くぐもった声で叫ぶ。


「嫌――」

 パーナマはその場に膝を落とした。


「フマル、パーナマの身代わりになったのか」

 クルテチは、フマルを見ると、次いでパーナマに視線を移した。

「パーナマ、お前は本当にみなから愛されている。そして、これからもたくさんの人に愛され、人を愛すことになる。ほら、立ち上がって、向こうに走るんだ」

 クルテチは、サイエンテのわき道を指さした。


「このような生き地獄……。私も死にとうございます。どうして私だけ逃げねばならぬのですか」


「お願いだ。生きてくれ」

 クルテチの炎に揺らいだ目が、真っすぐとパーナマを捕らえた。


 それを見たパーナマは、力なく立ち上がると、サイエンテの脇に向けて駆けだした。どこに向かうあてもない、ただ、邪気の薄まる方へ向けてがむしゃらに走った。


 サイエンテはそれに反応し頭を向けた。


「フマル。行くぞ」

 クルテチは、長剣を構える。フマルは頷いた。二人の体はすでに炎に包まれ、皮膚は無くなり、ただ人の形をした黒い物体と化した。ただそれでも、彼らは倒れない。


 クルテチの剣は燦然

さんぜん

と輝いた。その輝きは、大月にも匹敵する光量をもって、一時暗がりの森に夜明けを起こした。


「一矢報いよう」



 どれほど走っただろうか、パーナマは時間の感覚を忘れるほど走り続けた。朝が来ぬため、もしかすれば二日ほどはたっているかもしれない。


 彼女は意識朦朧と、ただ、クルテチの最期の言葉だけを何度も心で繰り返した。生きろ。ただその言葉が彼女を動かしていた。


 やがて、木立の間から、何やら生き物の気配がした。パーナマは近くの木の裏に息を潜める。しかし、生き物は自分に気づいているのかまっすぐに近づいてくる。

 そして息遣いが聞こえるほどの距離になった。敵は自分が背中をつけている、すぐ木の裏にいる。


 いくらたっても、襲ってくる気配がなかった。――ここで死ぬのならそれはそれで構わない。パーナマは決心すると、標的に襲い掛かった。腰から短剣を抜き、その生き物に突き立てたのだ。

 しかし、次の瞬間、どういうわけか、確かに標的を捉えたはずの短剣は空を切った。そして体制を崩した彼女の体は木の幹にたたきつけられ。腕を頭上で拘束される。


 自らを拘束した生き物を見て、パーナマは驚いた。それはまさしく人間の男性であったのだ。


「人か?」

 何やら男は喋ったようである。だが、何を言っているのかわからない。おそらく言語が違う。


 パーナマは、身の毛がよだつ思いであった。

 得体のしれない生き物に殺されるのには、抵抗がなかったが、しかし、それが人間の男になると、とても恐ろしい。彼は、自分に何をするのか、そんなこと想像したくもなかった。


 パーナマは拘束から抜け出るため必死に暴れた。男の腹を蹴り、「離せ」と叫んだ。しかし、相手は、言葉を返さず、こちらをじっと見つめるだけである。

 男の力は強く、振りほどくことはできない。やがて、パーナマは暴れることを辞めると、小さくつぶやいた。


「アウレ(殺して)、アウレ(殺して)」


 気づけばパーナマは懇願していた。体は寒くもないのに震えている。ひどく恐ろしかったのだ。この男は私をちゃんと殺してくれるだろうか? 


 しかし次の瞬間、彼女は絶句した。彼は自分を抱き寄せたのだ。


「大丈夫。俺は敵じゃない」


 パーナマはいっそう暴れた。しかし、長くは続かなかった。すぐに、彼のぬくもりが気で凝り固まった体を解きほぐしていったのだ。

 気づけばパーナマは泣いていた。男の背中に回された自分の手で仮面の下の涙を拭った。


「ちょっと。朝弘が、女の子泣かしてる」

 男の仲間だろうか、彼と同じ調子の言葉を喋っている。


「言語が違うみたいだ。おそらく現地人かもしれない。怪我してるから、手当してやってくれ」

 朝弘と呼ばれた青年は、そっとパーナマの体を離した。

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