第8話 頬の痛み

 

 ラスピリカは久しぶりの大月を見た。息を呑むほどに巨大な月だ。そのあまりに強い輝きで、少しの間、彼女はめくらになった。しばらくして、視界が戻ると彼女は自分がずいぶん長いこと寝ていたのだと思った。もはや自分がどれほど寝ていたのだろうか、わからなくなってしまっている。


 彼女は天高くそびえる塔の最上階にいる。天蓋は無く、月光が室内に降り注ぐ。

 ツインテールに結ばれた彼女の銀髪は、月明かりで艶やかに照る。彼女の瞳は、深い赤色。小柄な体は精巧な人形のような繊細さがあった。

 ラスピリカは棺桶を抱きかかえるようにしている。その木製の桶は古く、ほこりをかぶり木の板が朽ちてしまっていた。


 ラスピリカは、感嘆したように、ため息を吐くと、呟いた。


「パパ。ママ。ミイ。寂しいよ」

 棺桶は、室内に三つ置かれていた。



 **********


 全校生徒が異世界に飛ばされてから、はや一か月が過ぎた。


 朝弘は、鉄の剣を振るいゴブリンたちの首をはねている。その動きは、軽やかで一切の躊躇は無い。一か月の間毎日と、ゴブリンを狩り、動きに無駄が省かれていった。運動不足も解消され、息も長く続くようになった。

 鉄剣は商人から魂2つ分で購入したものである。初めの頃は、一日に狩れる数は5匹ほどであったが、今では、一日に20匹ほどのゴブリンを狩ることが出来る。


 朝弘は、木の枝から叩き落した5匹のゴブリンを倒すと、近くの木の根に腰を落とす。すぐにゴブリンの死体が、宙に浮き白くぼやけた魂になると、朝弘の手元に集まった。それは朝弘のてのひらに収まると、5枚の硬貨へと変わった。青銅色の硬貨の周りには、瘴気のようなものが漂っている。これは魂貨と呼ぶらしい。商人がそう呼んでいた。


「今で500だな」

 朝弘は、5枚の魂貨を麻でできた袋にしまった。


「やっと半分だな」

 高樹は、朝弘の隣にたたずむ。今井咲は、朝弘の背中に手を置き、疲労除去の能力を使っている。


 朝弘は、【断裂刀】という武器を買おうとしていた。それが1000魂貨する。効果は、あらゆるものを切断することが出来るというものだ。

 なぜ、それを購入しようと、したのかというと、朝弘の能力は、厳密に言ってしまえば戦闘向きではないためである。特殊な動きで敵の攻撃をかわしても、最終的に、敵を倒すのは、能力とは関係ない部分になってくるからだ。いくら、敵を翻弄しても、こちらの攻撃が効かないのなら決着はつかない。


 午後4時ごろに狩りを終えた。この日は24匹のゴブリンを狩ることができた。


 いつものように、三人分の食料を魂貨で交換すると、高樹と今井咲に配った。食事のレパートリーは、さまざまである。この日は、シチューである。商人に頼めば、おおよそ、こちらの世界には存在しないようなものも買うことが出来た。


「ねえ。やっぱり、私たちだけ食べてるのって悪いよ」

 今井咲は、なかなかシチューに口をつけない。木の根に座り。シチューの入った器を膝の上に置いて、木製のスプーンを手に持っている。その表情は悩ましげである。

 一般生徒には、探索部隊が食料を配給しているが、その量は決して十分とは言えない。


「俺らは、自分たちで自給自足して、食べてるんだ。誰にも文句言われる筋合いはない。食べたいんなら自分たちで森に出ればいい」

 朝弘は、にべもなくいいはなつと、シチューを口に運んだ。


「でも、戦えない子だっているしさ。探索部隊の人たちは、生徒たちに配給してるじゃん」


「そんなこと言っても、俺ら三人で配給しても、なんも変わらんだろ」 


「でもみんな、外の状況なにも知らないんだよ。食べものをこういう風にして入手してるってことも……。せめて教えてあげられない?」

 生徒会は、一般生徒に探索で得た情報のほとんどを隠している。


「無理だ。そんなことしたら生徒会に目を付けられる。第一、知りたいんなら自分たちで調べればいい。俺たちが調べたことを教えてやるつもりはない」

 言って朝弘は、シチューのスープを掻っ込むように、口に流し込んだ。


「うわ、ひどっ! ほんと、朝弘って冷たいよね。高樹君も言ってやってよ」

 今井咲は高樹を見た。高樹は、黙々とシチューを口に運んでいたが、彼女に声をかけられその手を止めた。


「まあ、まあ、朝弘にもきっと考えがあるんだよ。それに、探索部隊の装備が揃っていけば、一日で手に入る魂の量も増えるわけだし、食糧問題も解決するって」


「今井。それ食べないなら、俺が食うけど」

 朝弘が言ったのに、今井咲は目尻を鋭くとがらせた。


「鬼畜! 食べるわよ」

 今井咲は、スープを一口食べると、口を開く。


「どうせ、私なんて、あんたの疲れをとる、ただのマッサージ器ですよ」



 探索部隊は、午後6時の最終下校のチャイムと共に、校舎へ帰還する。

 この日も、その時間になり、全校生徒たちは、探索部隊の帰還を歓待するべく校門へと並んだ。校門と校舎の靴箱までの間に、レンガが敷き詰められたちょっとした道がある。その道のわきに、500人にも及ぶ生徒たちが、ひしめき合った。これは習慣化しており、普段、何もしない一般生徒たちが、命を懸けて戦う探索部隊の生徒たちに、せめてもと行っていた。


 チャイムの音が鳴り終わって、しばらく。最初の部隊が帰ってきた。狩りの効率のために、部隊は3つに分けられていた。

 最初に帰還したのは、飯田副会長が部隊長を務める部隊である。

 彼らが校門を抜けると、全校生徒たちは、お疲れ様です、と頭を下げる。500人もの生徒が一斉に言うので、しばらく騒がしくなった。


 飯田部隊は、11人いる。彼らは甲冑や、ローブを身にまとい、さっそうとレンガ造りの道を歩く。その見た目も、最初の頃とずいぶん様変わりした。【整備・技術班】に武具を作らせたり、おそらく商人に魂貨を払ってアイテムを購入している者もいる。その見た目はすっかり異世界になじんで見える。それを歓待する生徒がいまだ制服を着こんでいるため、探索部隊は一目で見分けることが出来た。そもそも探索部隊は、全員が有名人で、知らない生徒はいない。


「やっぱり、探索部隊の人ってみんなかっこいいよね」

「誰が一番?」

「私は、浅山先輩かな」


 朝弘の、周りの女子は、そんなことを口にしている。


 と、彼らが、校舎の入り口まで来たので、朝弘たちは前へ出た。目の前に副会長の飯田がいる。

 朝弘は、【配膳班】に割り振られていた。職務は彼らが手に入れた食料を運ぶというものである。【配膳班】は10人ほどいる。


「お疲れ様です」

 朝弘はそういって、軽く頭を下げる。


「今日の分だ」

 飯田が言うと、部隊の後ろから、十人ほどの制服を着た生徒が荷物袋をもって前へ出た。彼らは荷物持ちのために探索部隊に同行する【探索補助班】の生徒である。あれから、役職は、増えていき、今では20以上の役職がある。


 朝弘が、差し出された食料を受け取ったときだった。


「大事に食えよ」

 ふてぶてしくそういったのは、清弘である。彼は副会長の後ろに居丈高に立っている。

 朝弘は、彼を一瞥すると、何も言わずにきびすを返した。


「おい、無視かよ。お礼もいえねぇのか。おめえは!」

 清弘は怒声を響かせた。同時、朝弘の体は弾き飛ばされ、道からそれた木々の植えられた芝の上に尻もちをつく。

 朝弘は何事かと、あたりを見回す。すると、清弘がこちらに手を向けていた。攻撃的な鋭い目が、朝弘を睨んでいる。おそらく彼の能力で、飛ばされたのだ。あたりには、朝弘が手に持っていたジャガイモが散乱して、一般生徒たちは、朝弘から離れ人垣を作った。


「気に食わないんだよ。お前は」

 清弘は、叫ぶと朝弘に馬乗りになり、顔を殴りつける。

 周りの生徒たちは、見て見ぬふりであった。黙々と周りに散乱する芋を拾っている。飯田たちはというと、すでに校舎へと消えていた。

 朝弘は、顔を手で覆った。手の隙間から自分を殴る清弘の顔が伺える。だが月を背景に影になって表情がわからない。それはぼやけていき、だんだんと意識が遠のいていく。


「清弘君だめだよ喧嘩は」

 そういって駆け寄ってきたのは、矢田舞である。彼女は昔からの付き合いなため、弟の清弘とも面識はあった。学校でも清弘と親し気に話しているところをよく見かけた。


 清弘は矢田舞を見ると、ようやく朝弘から離れた。


 朝弘は、上体を起こし、座り込むと、口からこぼれた血を手で拭う。


「代々木君。大丈夫、血が出てる?」


「いいよ。大丈夫」

 朝弘は、彼女から逃れるように目を背けた。


「待ってて治癒能力者、連れて来るから」

 矢田舞は、一般生徒たちの人ごみの中へ消えていった。


「だせぇーな」

 清弘はそう言い残すと、校舎へと入っていく。


 朝弘は、芝の上に座り込み、あたりを見回した。自分の周りにいるのは、やじ馬たちである。誰も声をかけて来る者はいない。こそこそと、自分のことを話している声が聞こえる。


「なんだ。喧嘩か?」

「探索部隊を怒らせたらしいぜ。あいつ」


 朝弘は、ため息を吐き、空を眺める。大きな月がある。それにしても、清弘の奴は容赦がない。頬がずきずきと痛む。

 しばらくすると、人垣から声が聞こえた。


「ちょっ、だから一応、治癒能力の部類なんだろうけど……」

「こっち、こっち」

 人垣から顔を出したのは、矢田舞と今井咲だった。矢田舞が今井咲の腕を引っ張っている。


「えっ、朝弘じゃん。なにやってんの?」

 今井咲は、目を見開いた。それに矢田舞は首をかしげる。


「二人とも知り合いなの?」


「うん、まあちょっとね」

 今井咲は答えた。


「なら、今井さんにまかせても大丈夫だよね。代々木君の事お願い。私代わりに【配膳班】の仕事やって来るね」

 矢田舞は、ジャガイモの入った袋を持つと、校舎へと向かう。


「矢田さん。ありがとう」

 朝弘は、精一杯の声で言ったつもりだったが、発せられた声は自分でも驚くほどに小さかった。しかし、矢田舞には伝わったようである。


「どういたしまして」

 そういって笑うと、彼女は校舎へと消えていった。


「ありがとうだって……。どうしたんだよ? そんな傷作って」

 今井咲は、朝弘の隣に屈むと、からかうような口調で顔を覗き込んでくる。顔が近い。周りには、人だかりができてるのに、こいつは気にしないのだろうか。


「うるさい。お前傷なんて治せないだろうが」


「だからそう言ってんのに、あの子無理やり手引っぱてくから……」

 矢田舞らしい。彼女は昔から人の話を聞かない。


「喧嘩でしょ?」


「ちがうよ」

 朝弘は目を逸らす。


「さっき、下級生たちが話してたの聞いたのよ。探索部隊を怒らせたっての朝弘でしょ」


「一方的に俺が殴られてたんだ。喧嘩じゃない」


「何でやり返さなかったのよ?」


「やり返しても何にもならない。余計に怒りを買うだけだ。もし勝ったとしても、探索部隊に呼ばれるだけだし、そんなの面倒だろ」


「面倒って……。悔しくないの?」


「そんなのどうだっていいよ。俺はこの世界で一人でも生き抜いていくから」

 朝弘が言ったのに、今井咲は目尻を尖らせた。


「朝弘ってホント変人……。大体一人って何よ、私たちは何なの? どうせ、ただの道具としかおもってないんでしょ」


「かもな」

 朝弘は無意識に口をついた。自分でもわからない。でも、たぶん、今井咲は疲労回復能力を持っていなかったら、一緒に森に連れて行ってはいなかっただろう。


「最低。高樹君言ってたよ。朝弘はいいやつだって。だけど、あんたは、高樹君の事も、道具だと思ってるんだね。私には朝弘がいい奴には思えない。もう勝手にすれば、あんた一人でやってよ」

 彼女の口調は荒く、あたりに響き渡った。人垣は、面白そうにこちらを見ている。


「何で怒るんだよ」


「うっさい」

 言うと、今井咲は冷めた目のまま朝弘の口元を手で触ると、また人垣に消えていった。


 朝弘の頬の痛みは、きれいに消えていた。

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