第4話
彼が、彼女に言ってはいけないことを言ってしまったあの日。あの日以降も、「また」というその言葉に違わず彼は彼女の館に通っていた。
あの時流れた空気や交わした言葉がまるで夢だったように、彼と彼女の距離感は変わっていない。本当にそんな出来事などなかったかのように彼女は振舞うのだ。彼もまた、あの殺伐とした空気が流れてしまうのは彼の本意ではないと、なかったことにしていた。
今日、彼は彼女に誘われ、バスを乗り継いである場所に向かっている。彼の方が夏休みに入ったので、どこかに出かけないかと彼女が提案したのだ。昼も過ぎた頃に出発したため、目的地がそんなに遠くないことは分かったが、どこに向かうのかは知らされていない。一人暮らしする場所は、彼はある基準を満たしていればどこでもよかったから、周りの土地を調べたりはしなかった。その分、どこへ行くのか全く見当もつかなかったから、彼は彼女がどんな所に連れていくのかと、少しワクワクしていた。
ふと、彼は窓側に座っている彼女に目を向ける。いつもの綺麗な赤髪は真っ黒に染められ、その身には水色のワンピースを纏っている。バスの中は多少涼しいとはいえ、夏には少し厚めであろうカーディガンやタイツが彼の目についた。
彼女は彼の視線に気が付いたのか、「どうかしたんですか?」と話しかけてきたが、彼がそれに「いや、なんでもない。」と返すと、彼女は首を少しだけ傾げてから、また元の方を向いた。
目的地に着き、バスから降りて少し歩くと、眼前には輝く海と障害物の無い広い空、そしてその間の長い地平線。彼はそれにただただ目を奪われた。
「綺麗でしょう?ここはあまり人も来ませんし、私のお気に入りの場所なんです。もう1時間もしないうちに日も落ちますから、あそこにでも座って待っていましょう。」
彼女がそうして指差した先には防波堤がある。ずっと立っているのはつらいため、そこに座って時間まで待とう、ということなのだろう。彼がその言葉に従って腰を下ろすと、彼女はその隣にこぶし2つ分ほど空けて座った。2人のどちらも、じっと太陽が落ちてくるまで、口を開くことはなかった。
やがて太陽が地平線に飲み込まれ始めると、赤みがかったオレンジ色──赤橙とでもいうような色の光が海に反射して、彼らまでもがその色に染まる。彼はなんとなく彼女がこのまま光に溶けて行ってしまうように感じて、それを気のせいだということにしたくて、ふと思いついた問いを口に出した。
「ねぇ、ましろはさ。ましろはもし好きな人に告白するとしたら、いつする?」
彼は彼女のことが好きだった。それは恋愛という意味でもあるし、そうではなかった。だから、だからこそだろうか、彼はそれを言うべきか迷って、悩んでいた。
それを問うたのは興味本位ではあったが、何故だか絶対に答えを聞くべきであるように感じて、視線をあちこちに揺らし、口を開いたり閉じたりしている彼女をじっと待つ。寄せては返す波の音が南海聞こえたころだろうか、彼女はその質問に返した。
「そう、ですね...自分か相手のどちらかが、いなくなってしまうとき、でしょうか。 ...あの、純さんはどうですか?」
彼女は彼のことが好きだった。彼女には恋愛は関係ないものであったからそういう類のものかどうか判断がつかなかったけれど、彼を大切にしたいと思っていた。だから、だからこそ、本当は言うべきだろうことを話すことを迷っていて、悩んでいた。
「僕は、相手がいつもの日常を過ごしてるときかな。そうしたらたくさん僕のことを考えてくれるかなって。意地悪かもしれないけど、ね。」
彼はそう言って苦笑していたが、彼女からしてみたらそんなのは全く意地悪でない。彼女の言ったことの方がよっぽど───だろう。
だからそれ以上そのことを考えたくなくて、強引に話を変えた。なのに。
「そういえば、学校ではどんなお友達ができたんですか?」
「...え?あ、えーっとね、優しい人だよ。ちょっと抜けてるというか、考えなしなところがあるんだけど周りをよく見てて──」
彼女としては変な意図もなく、ただの世間話のようなつもりだったのに。彼はまるで虚を突かれたような、聞かれたくなかったことを聞かれたみたいな顔をするから。だから、彼女は。エリンジウムの花が咲く。
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