第396話 陥落しない理由
――その日の晩、バルは城壁の上で見張りを行っていた。他の者達は既に休んでおり、起きているのは少数の兵士だけだった。一応は交代制で見張りを行っているが、イチノがホブゴブリンの軍勢の攻撃を受けてから一度も夜襲を受けた事がない。そのせいで兵士達の大半は安心して身体を休ませる事が出来た。
見張りを行いながらもバルは城壁の上からホブゴブリンの軍勢の様子を観察し、特に動きがない事を確認する。だが、観察した所で何の意味があるのかと最近は思い悩む。仮に敵が不穏な動きをしたところで現在のバル達は籠城戦以外に選択肢はなく、もう兵士を外に出して奇襲を仕掛ける余裕もない。
「バル、まだ起きていたのかい?」
「キニクかい、あんた今日は随分とやられたと聞いたけど大丈夫なのかい?」
後方から声を掛けられたバルは振り返ると、そこには酒瓶を掲げたキニクが存在した。彼は右腕に怪我を負って包帯を巻いており、本日の戦で負傷したという話は聞いていたがバルと同様に碌な治療を受けていない様子だった。
状況が状況だけに二人とも怪我が治るまでゆっくりと休む事も出来ず、キニクはバルの隣に座り込むと酒瓶を置く。バルはキニクの様子を伺い、彼も相当に疲労が蓄積されている事を悟る。
「……ああ、額に傷のあるホブゴブリンにやられてね。一応は薬草の粉末を塗りこんではいるけど、この調子だと治るのには時間が掛かるだろうね」
「額に傷?」
「非常に素早くて厄介な相手だったよ。他のホブゴブリンよりも戦闘に慣れていた」
「へえっ……あんたにそこまで言わせるとは大した奴だね。それより、その酒はどうしたんだい?まだ酒が残ってたのかい?」
「ギルドマスターからだよ。あの人からの差し入れさ、僕は酒を飲めないからこっちだけどね」
酒瓶をバルに渡すとキニクは水筒を取り出し、隣に座り込む。二人はしばらくの間は黙っていたが、酒瓶を見つめながらバルが呟く。
「あんた、おかしいと思わないかい?奴等、どうしてこの街を落とさないんだろうね」
「やっぱり、君も気づいていたか……」
「当然だろう?いくらあたし達が抵抗しているからって、あんだけ毎日攻め込まれているのに1か月以上も持ちこたえているのが異常なんだよ」
「ん?どういう意味だい?」
「最初の内、僕はあの軍勢を見た時は10日持たずにこの街が陥落すると思った。だけど、実際には今日まで街は無事だ。僕達も力を合わせて抵抗したからこそ引き起こした奇跡だと思いたい所だよ」
「奇跡ね……でも、あんたはそう思わないんだろう?」
「……気付いた事がある。最初の内と比べてホブゴブリンの攻め寄せる数がどんどんと少なくなっている。それなのにこちらの被害は日に日に増しているんだ」
当初は1500匹のゴブリンとホブゴブリン、それに加えて複数の魔獣がイチノの街を襲撃してきた。だが、最近ではホブゴブリンとボアなどの魔獣程度しか街を攻めてこなくなり、戦力が明らかに減少していた。
敵の数が減ったにも関わらずに街を守護する兵士や冒険者、民兵の被害は増しており、もうこの街で戦える人間のなかで怪我を負っていない者はいない。だが、それでも今日まで街を守り通す事は出来た。
しかし、ホブゴブリンの軍勢が全軍で攻め寄せてくれば街は1日どころか半日も持たずに陥落するのは明白だった。それにも関わらずホブゴブリンの軍勢が全軍で押し寄せる気配がない事にバルとキニクは疑問を抱く。
「あいつらが夜襲を仕掛けてこないのも気にかかるね。あたし達以外の冒険者はホブゴブリンは昼行性だから、夜の間は襲ってこないと本気で信じる奴等もいるけど……そんなに甘い相手なのかね」
「正直、奴等はもうただの魔物とは考えない方が良い。あれはもう魔物の領域を超えた「魔人」だ。人間のように学習し、失敗したときは反省して次に生かす……それでいながら人間を上回る力を持つだけに厄介な相手だよ」
「あんたは気付いているのかい?奴等がこの街を落とさない理由が……」
バルはキニクに意見を求めると、彼は腕を組んでホブゴブリンの軍勢が野営を行っている陣地に視線を向け、自分の考えた推論を話す。
「……訓練、じゃないかな?彼等は僕達を使って人間の戦い方を学んでいるように思う」
「訓練!?それはどういう意味だい?」
「言葉通りだよ。彼等は今まできっと人間と戦った事はなかったんだ。他の魔物を倒し、喰らう事で力を身に着け、仲間の数を増やしてきた。そして軍勢が出来上がる程の規模にまで育った……しかし、彼等の多くは人間との戦闘は経験した事がなかったように思う」
キニクの脳裏に最初の頃にホブゴブリンの軍勢がイチノへ襲撃を仕掛けてきた時の状況を思い返し、あの時の軍勢は勢いはあったがまるで獣と戦っている気分に陥った。ホブゴブリン達は我先にと襲いかかり、他の仲間と連携を碌に取らずに戦っているように見えた。
しかし、最近の戦闘ではホブゴブリン同士でいがみ合うことはなくなり、互いに協力しながら攻め寄せてくる機会が増えてきた。しかもホブゴブリンの変化はそれだけではなく、武器を手にしたホブゴブリン達も最初の頃と比べて明らかに変化が起きていた。
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