超能力青年ヨシオ
決して、彼女のあとをつけていたわけじゃない。偶然だ。だから、彼女が五〇四号室の玄関を開けて中に入っていくのを見たのも偶然だ。
大学生になって初めての一人暮らし。憧れのトーキョー。田舎で二十年間を過ごしてきた僕は、何をするにもワクワクして、どこを見ても人がいて、毎日鼻血が出そうなくらい興奮して夜も眠れないから、当たり前のように、あっという間に、夜型人間へ移行していた。
一にサークル、二にバイト、三四が睡眠、五に勉強、の順番は不動になってしまい、始発でアパートに帰るのが当たり前、最終電車で帰ろうものなら友人が「体調悪いの?」と聞いてくる始末。
その日も勿論始発でアパートに帰っていたけれど、秋口の未明の空を見ているうちに、何故だか急に歩きたくなってしまった。結果的に僕は最寄駅の一駅前で降りて、一駅分の散歩を楽しみ始めた。
駅前といっても都心から離れているし、未明だし、歩いている人は少ない。歩いている人がいたとしても、僕とは反対方向、つまり駅へ向かって歩いている。
そんな中、僕と同じ方向へ歩いていく人が一人だけいた。街灯でチラチラ照らし出される後ろ姿は見覚えがあって、その人が持ってるバッグで確信した。同じサークルの桜ちゃん!
淡い恋心を抱いていた桜ちゃんを、こんな時間に、こんな場所で見かけることに運命を感じてしまった僕は、桜ちゃんに話しかけることに緊張してしまって、桜ちゃんの後ろをずっと歩く格好になってしまった。まずい、これじゃあストーカーだ、早く追いついて話しかけないと、と思っているうちに、桜ちゃんは正面ロビーがオートロックのアパートに入ってしまった。
まずいまずい、桜ちゃんの後ろを黙って歩き続けた上に、桜ちゃんの住んでるアパートまで知ってしまった。しかも、桜ちゃんの入ったアパートの廊下は道路に面しているから、このまま僕が歩き続けていると、桜ちゃんが住んでる部屋まで分かってしまうじゃないかあぁぁぁ……
というわけで、偶然の思惑通り、冒頭部へ。
どうして桜ちゃんの入った部屋が五〇四号室だと分かったのかといえば、僕の友人がこのアパートの二〇四号室に住んでいて、その真上の真上の真上の部屋の玄関の扉を桜ちゃんが開けたからだ。偶然に偶然が積み重なっていく様子は壮観で、思わず吐息が漏れてしまった。
こんな時間に桜ちゃんが帰宅していたこと。
僕が一駅早く降りたこと。
僕の散歩進路と桜ちゃんのアパートの方向が一致していたこと。
僕の友人が二〇四号室に住んでいること。
桜ちゃんが五〇四号室に入るタイミングで、僕がアパートの前にいること。
僕が超能力青年ヨシオであること。
そんなことを考えながら吐息を漏らしていると、その吐息が止まる光景を目の当たりにしてしまった。
五〇三号室の玄関から人がスッと出てきて、閉まりかけた五〇四号室の玄関ドアを開けたのだ。薄暗くてよく分からないけれど、男が刃物を持っているように見える。男はそのまま五〇四号室の中に消えていった。
静寂。
何も起こらないし、悲鳴も聞こえない。もしかしたら、五〇三号室から出てきた人は桜ちゃんの知り合いで、刃物は見間違いだったかもしれない。僕が想像していることは全部見当違いかもしれない。そう思っても、僕の心臓は破裂しそうなくらい脈打っている。
間違いだっていい。
嫌われたってかまわない。
死にたくなるような後悔をするよりは。
僕は、超能力青年ヨシオの超能力を使うことにした。
使える超能力は、ひとつだけ。
視界にある五〇四号室へのワープ。
息を深く吸い込んで、止める。
五〇四号室をじっと見つめる。
暗転。
目の前に男の横顔。笑っている。泣き顔の桜ちゃんに馬乗りで。
ありったけの
力を込めて
拳を
気がつくと、刃物を握りしめた男はうつ伏せに倒れていた。
桜ちゃんは僕の背中に隠れて泣きじゃくっている。
僕は慌てて男の手から刃物を取った。男は気絶している。
桜ちゃんのほうを振り返って声をかける。
「もう、大丈夫、早く、外、出て、警察、電話」
僕の声が情けなく震えている。手も、足も、震えている。それでも桜ちゃんの手を引いて、アパートの外に連れ出して、警察に電話した。
警察への電話が終わった頃には、桜ちゃんもだいぶ落ち着いて、鼻をすするくらいになっていた。
「ヨシオくん……ありがとう……」
目を潤ませた桜ちゃんの眩しい笑顔。
「でも、不法侵入だね」
冗談っぽく言った桜ちゃんの笑顔を赤らめさせ始めた秋の朝陽が、僕の心を温かくしてくれた。
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