最終節・双天の叙事詩


 静かな森の中をある人物が歩いていた。

肩まで伸びた髪。

そこから見える尖った耳。

背中には荷物の入った袋と弓が背負われており、年季の入った旅装がそよ風によって靡く。


「いい風ね」


 ここまでくる間に何度か妖精たちを見た。

警戒心が強い彼女たちが姿を現しているということはこの辺りが平和だということだろう。


 いや、この辺りだけではない。

もう乱世は過去のこと。

吟遊詩人が謡う物語の中の出来事だ。

それを少しだけ寂しく思うが戻りたいとは思わない。


「さて、あとちょっとね」


 そう呟くと歩き出す。


 道なりに進み、小川を越えると家が見えてきた。

家には立派な石の煙突があり、隣には小さな納屋が建てられている。


 エルフの女性は母屋の方に行くとドアを軽くノックした。


 すると家の中から『少々お待ちを』という声が聞こえ、少し待つとドアがゆっくりと開かれる。


「おお、これはこれは』


 家の中から現れたのは髭なしドワーフの老人だ。

真っ白な髪を後ろで束ね、丸い老眼鏡を掛けている。


 彼はエルフの女性に対して親しみのこもった微笑みを送り、軽くお辞儀をするのであった。


「お久しぶりですな。ミリさん」


※※※


 ミリ・ミ・ミジェは家に入るとその散らかり様にため息を吐いた。


 床一面に広がる紙。

机についたインク汚れ。

幸い食器類は洗っているがはっきり言って汚い。


「少しは掃除をしたら?」


「いやはや申し訳ない。筆が乗るとついつい家事を怠ってしまいましてね」


「作家の性分ってやつ?」


 ミリはとりあえず床に散らばっている紙を踏まないように椅子に座り、荷物をテーブルに乗せた。

するとドワーフの老人がエールの入ったジョッキ二つテーブルに置き、自身はミリと向かい合う席に着く。


「しかし、急にどうされたので? 事前に来ると手紙を送って貰えば食事でも用意できたのですが」


「今回の仕事がこっち方面だったから、帰りに寄ったのよ。私の方こそ急に訊ねてごめんね」


「いえいえ! 久しぶりにお会いできて嬉しいですよ。確か最後に会ったのは"彼女"の……」


 ドワーフは少し寂しそうな表情をし、ミリも頷く。


「……お互い年をとったわね。ところで先日貴方の詩集を手に入れたのよ」


「おお! どうでしたかな?」


「貴方、もう詩を書かない方がいいと思うわよ」


 エールを飲みながらはっきりと言うとドワーフの老人はガクリと肩を落とす。


「人気作家ヘンドリック唯一の欠点ね。貴方の書く小説は面白いのに詩になるとなんというか……」


「女神に助けを求めながら詩集を薪に焚べたくなる?」


 ドワーフの老人ーーヘンリーの言葉に小さく頷く。


 ガドア帝国再建後、ヘンリーは小説家となった。

彼の書く物語は愉快で読む者を魅了する。

デビュー作である『英雄王物語』を世に出して以来、彼は売れっ子だ。

そんな彼が最近出したのが『愛と酒』という詩集。

人気作家初の詩集とあり、多くの人が手に取ったがその内容の酷さに阿鼻叫喚となったらしい。


「一時期は私の名を騙った偽物が出したとまで言われてしまい我が才能の無さを改めて思い知らされましたよ……」


「貴方、昔から詩の才能が無かったものね……」


 苦笑しながらミリはヘンリーの仕事机の方を見る。

先ほど筆が乗っていると言っていたし、どうやら新作を執筆中のようだ。


「……まさかまた詩集じゃないわよね?」


「そんなまさか! もう懲りましたよ。今書いているのは……」


 ヘンリーは立ち上がり、仕事机から紙束を持って来た。

それを受け取り、汚さない様にページをめくって行くと「これって……」と呟く。


 そこに書かれていたのは二人の少女の人生だ。

辺境伯の娘である姉妹が時に苦悩し、時に挫折しながらも前に進み続ける物語。


「かつての事を語れるのももう私たちや竜王方だけになってしまいました。そしていずれ私たちもこの世を去り、あの二人のことも忘れ去られて行く。そう考えた時に寂しくなりましてね。だから残そうと思った」


 全てを残す必要はない。

ただ後世の人々に貴方たちの先駆者は確かに存在した。

貴方たちに未来を託したのだと伝えたい。

そんな思いでこの作品を書き始めたのだという。


 書きかけの物語を読み、かつての光景が思い浮かぶ。

ミリはヘンリーに紙束を返すと目尻を拭い、笑みを浮かべた。


「それ。書き終わったら教えて。必ず買うから」


「ええ。初版は必ずミリさんに送りましょう」


 そして二人は暫く語り合い、かつての光景に思いを馳せるのであった。


※※※


「それじゃあ、もう行くわ」


 二人で語り合っていたら日が暮れ始めてしまった。

ヘンリーは泊まっていけばいいと言ってくれたが次の仕事があるためミリは丁重に断った。


 今からなら日が完全に沈む前に近くの村に辿り着けるだろう。

そう判断し、ミリは荷物を背負いなおす。

そして見送りのために家の外に出たヘンリーに「お互い、長生きしましょうね」と言う。


「ええ、ミリさんもお気をつけて」


 そしてかつて世界を救った者たちは別れる。

一人は英雄たちの名を後世に残すために。

もう一人は英雄たちが築いた平和を守るために。


 英雄たちの意志は生き続ける。

たとえ再び世が乱れたとしても必ず立ち向かう者が現れる。


 それが人類史なのだから。


※※※


 開いた窓から風が流れ込む。

机に置かれた紙束がめくれていき、あるページで止まった。


 それは物語の始まり。

後世に語り継がれる名。


 月明かりに照らされた表紙にはこう書かれているのであった。



『双天の叙事詩』

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