第86節・想いの先へ


「円陣を組み、負傷者は中央へ! 騎兵は周囲の偵察を行え!!」


 エドガーは兵士たちに指示を出し終えると「ふぅ」と息を吐いた。


 少し前に空が明るくなり、あの大穴が消えた。

赤かった空は元に戻り、異形たちも一斉に姿を消した。


「俺たちは勝ったのかな?」


「さてどうだろうな……。少なくとも今すぐ世界が終わるような気配は無いが……」


 頭の中で鳴り響いていた不快な音は完全に消え去っている。

あの時、誰かに優しく包まれたような気がした。

あの温もり、微かに聞こえた声。

あれはもしかしたら……。


「お前も戦ってくれたのか?」


「え?」


 ロイに「なんでもない」と首を横に振り、山頂を見上げる。

クレスたちが間もなく山頂の偵察に向かう予定だ。


「あとは二人が帰ってくるだけだな」


「ああ。騎士として主君たちの帰還を待とう」


 新たな時代。

その夜明けは間近だ。

だから信じて待とう。


 ヴィクトリア率いるクルギス軍と共に仲間たちがやってくる。

彼らにロイと共に手を振ると希望を胸に歩き出すのであった。


※※※


 断ち切られたデミウルゴスの右腕が床を転がる。

彼は苦痛に顔を歪めながら大きく飛び退き、私たちを睨みつけた。


「ごめん、仕留めきれなかった」


「大丈夫。これから仕留めればいいだけ」


 私たちは武器を交換すると構える。

この場にいる全員が満身創痍であった。

恐らく次で全てが決まる。


「よもやこれ程までに追い詰められるとは……。認めよう。どのような逆境にも立ち向かい、覆す強さ。それこそが貴様らの可能性なのだろう」


 「だが!」とデミウルゴスの断ち切られた右肩から無数の半透明な触手が生えてくる。

それは彼の生命力そのものだ。

デミウルゴスは己の魂を刃状に変化させ、武器とした。


「貴様らの可能性がどれ程優れていようとも我が願いは否定させない! たとえどれだけ矮小で惨めであろうとも俺はあの輝きを取り戻すまで止まらないっ!!」


 私たちはゆっくりと前進しあう。

そして━━━━━━駆け出した。


 残る力を全て振り絞り、放たれた無数の触手に向かって真っ直ぐに突っ込んでいく。


 目で追うことすら難しい速さの触手が私たちの身体を切り裂いていく。

だが止まらない。

私たちは決して止まらない。


「ならば!!」


 デミウルゴスは触手を一つに纏め、巨大な刃に変形させた。

それを全力で横に振り、私たちを薙ぎ払おうとした。


「お姉ちゃんに……任せなさいっ!!」


 ルナがデミウルゴスの攻撃を剣で受け止め、そのまま刀身を滑らせるように受け流した。

それにより敵の触手は大きく逸れ、本体が無防備になる。


 そこに飛び込んだ。

姿勢を低くし、巨大な触手を下を潜り抜けてデミウルゴスに迫る。


 それに対して敵は私から少しでも距離を取るために跳び退こうとするが━━。


「━━逃がすかっ!!」


 ルナが剣を投擲し、デミウルゴスの左肩に命中する。

それにより敵の体勢が大きく崩れ、私は敵を間合いに収める。


「これで━━終わりっ!!」


 全ての力を振り絞り、槍を突き放つ。

オリカリクムの刃は真っ直ぐに敵の左胸に迫り━━。


「……俺の…………負けか」


 渾身の一撃は心臓を貫いた。


※※※


 全ての音が消えた。

左胸を貫く槍。

疲れ果てた表情でそれを握りしめる女。

あらゆるものが遅く見える。


 痛みはない。

いや、もう痛みという感覚も失われた。

あるのは虚無感。

何一つ成せなかったことへの虚しさ。


 皮肉なことに死を受け入れた瞬間、自らの本当の望みが理解できた。


 あの娘の言う通りだ。

自分が欲しかったのは根源の輝きではない。

過ぎ去り、もう二度と手に入らない"彼女"との時間だ。


 "彼女"と共に過ごした時間は何よりも尊く、愛しいものであった。

故に私は耐えられ無かったのだ。

あの二人だけの楽園が崩れていくことが。

嫉妬などというくだらぬ感情を自覚することが。


 皮肉なものだ。

ヒトを軽蔑し、劣等と見做していた自分こそが誰よりもヒトらしい感情に振り回されていたとは。


 だがもうどうでもいい。

間も無く我が命は尽きる。

全ては無に帰し、デミウルゴスという存在は消滅するだろう。


「…………!!」


 霞んでいく視界の中、誰かが立っているのが見えた。


 黒髪の乙女。

彼女はかつてと同じ美しさで微笑んでいる。

そうか。

貴女は待っていてくれたのだな。

また共にいられるように。

共に還れるように。


 彼女に手を伸ばし、光の中に向かう。

そして私は始まりの場所に還るのであった。


※※※


 デミウルゴスの肉体より光が抜け、命が還っていく。

彼の魂は生まれた場所に帰り、死した肉体はゆっくりと倒れていく。


 私は彼から離れると一度だけ黙祷をした。

彼に同情はしない。

だが安らかに眠れ。

次の生こそ穏やかに生きれることを祈る。


 そして黙祷を終えると気が抜けてよろけてしまった。


「おっと!」


 ルナに支えられ、二人で斃れたデミウルゴスを見る。

彼はどこか安堵したかのような表情で息絶えている。

彼は最期に妄執から解放されたのだろうか……?


「やっと、終わったわね」


「……うん」


 神々の時代より続いた戦いに終止符が打たれた。

数多の犠牲と想いの末、私たちは未来を掴めたのだ。


 私とルナは仰向けに倒れて大の字になる。

青く美しい空を見つめ、穏やかな風の音に耳を傾ける。

激戦で肉体的に限界を迎えていたためもう指一本動かせそうもない。


「……明日からどうしよう?」


「明日?」


「ええ、明日」


 私たちはまた沈黙する。


 明日。

そう、私たちには明日がある。

私たちの道はこの先もずっと続いていくのだ。


 明日が今日より良いなんて保証は無い。

だが立ち止まらなければ可能性は広がるのだ。

明日が悪くても明後日なら。

明後日が悪かったらその次が。

それでも駄目なら誰かに助けを求め、共に歩めば良い。

今も昔もヒトの歴史はそうやって紡がれてきたのだから。


「とりあえずお風呂入ってフカフカのベッドで寝たいかな」


「同感。色々後始末があるけど三日くらいは何も考えずに休みたいわ」


「ルナはその後どうするの?」


 「そうねぇ」とルナは呟くと少しだけ間を開けた。


「やり残したことがあるわ。託されて、まだ果たせていないこともある。私は私がしたことを無駄にしないためにも、私が奪った命を背負い続けるためにも自分の道を進み続ける」


 そう言うルナの目には迷いはない。

名誉も悪名も、功績も罪も全て受け入れ、ルナミア・シェードランとして生き抜くと言っている。


「貴女の方はどうするの?」


「私は……」


 私にはルナのような信念は無い。

ここまで来れたのは多くの想いに支えられたからだ。

女神たち。

私と同じ顔の姉妹たち。

旅で出会った多くの人々。

彼らとの出会いが私という人間を形作った。

ならば私は━━。


「旅に……出ようと思う」


「旅に?」


「うん。私はまだ全然世界を知らない。東にある異教の国々。海の先にある新大陸。そこに息づく命、文化。女神が愛したこの世界を私は見てまわりたい」


 きっと世界には驚きが満ちているのだろう。

たくさんの輝きがあるのだろう。

私は"彼女たち"の末裔としてそれを自分の目で見たい。

そしていつか還った時に『貴女たちの作った世界は素晴らしかったです』と伝えたい。


「そう……寂しくなるわね。でも私は妹に理解のあるお姉ちゃんだから! 貴女の旅、全力で応援させてもらうわよ!」


 私たちは笑いあう。

私たちの未来がどうなるかなんて誰にも分からない。

でも、たとえどんな道であろうとも立ち止まらない。

それがシェードラン姉妹の生き方だから。


 大広場をいくつもの影が通過した。

空には何体ものドラゴンが旋回しており、その内の一体がゆっくりと降下を開始した。


 その姿を見て私たちは起き上がり、頷き合う。


「それじゃあ、帰りましょうか」


「私の居場所へ。私たちの未来へ」


 私たちの旅はまだまだ続く。

未知なる未来へ、いつか訪れる終わりの日まで胸を張って歩き続けよう。

そして新たな世代の道標となり、彼らに希望を示す。

それがきっと人と世界の在り方だから。

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