第85節・シェードランの刃
最後の瞬間、私たちは混じり合った。
聞こえてくるのは男の悲痛な声。
『何故だ? 何故なのだ!』と必死に訊ねる。
『俺だけでは駄目だったのか?』
『何故その慈愛を他者に向ける』
『やめろ。俺以外をそんな目で見るな』
『やめろ。俺をそんな目で見るな』
それは矛盾した激情。
自分自身ですら理解できない思考。
だから彼は考えるのをやめた。
自らの感情を不要と切り捨て、矛盾に対して嘘で誤魔化す。
やがて嘘は彼の中で真実となり、妄執へと変化したのだった。
※※※
目を開けると私たちは大広場に立っていた。
根源は消え去り、空の色は紅から蒼へと戻っている。
"私たち"の願いに応えた女神は最後の力を振り絞って原初より始まった呪縛を断ち切ったのだ。
ならば託された私たちは立ち向かわなければならない。
人の手によって未来を勝ち取るために。
「ルナ」
「ええ、分かっているわ」
私たちは呆然と空を見上げているデミウルゴスを睨む。
彼の望みは潰えた。
いや、最初から彼の本当の望みは果たせなかったのだ。
「あと一歩。あと一歩だったというのに。我が大望はまるで砂のようにこの手から零れ落ちた」
「……違う。貴方もとっくに気づいていたはず。貴方が本当に欲しかったのはアルテミシアとの時間。彼女の━━━━愛だった」
「愛、だと?」
デミウルゴスは眉をピクリと動かし、私たちの方を見る。
「アンタが本当に欲しかったものはとても些細で、でも大切なものだった。でもアンタはそれを認められない。認められるはずが無かったのよ」
彼は"ヒト"を見下していた。
優れた自分が劣等な生物と同じ感情・思考を持っていると認めたくなかったのだ。
だから彼は己の感情を歪め、根源への執着へと置き換えてしまった。
「あと一歩、踏み出す勇気があれば貴方は望みを果たせた。アルテミシアはずっと貴方を待っていたのだから」
アルテミシアはデミウルゴスが戻ってくるのを待っていた。
今度こそ彼と分かり合おう、また共に歩もうと。
しかしその望みは最悪な形で壊されてしまった。
もし……もし少しでも彼が己の感情と向き合おうとしていれば悲劇は起こらなかったかもしれないのだ。
私たちの言葉にデミウルゴスは感情が抜け落ちたかのような表情になり、両手で顔を覆った。
そして突然狂ったように笑い、強烈な敵意をこちらに向けてきた。
「計画を邪魔された上にこれ程の侮辱をされるとは! いやはや、愉快痛快っ!! あまりの怒りに笑いが止まらんぞ!」
デミウルゴスは笑い終えると項垂れ、ゆっくりと顔を上げ始める。
彼の瞳には憎悪と狂気が満ちており、私とルナはその威圧感にゆっくりと身構える。
「……小娘どもが、愚弄するのもいい加減にしろよ? 愛だと? そんな矮小なものと我望みを一緒にするな。我が望みは生まれた時よりあの最も尊く、美しい輝きを守ること。そのためならば何度でも繰り返そう! 今が駄目なら百年、千年、一万年後も繰り返す!! 全てを還すまで俺は決して止まらんッ!!」
この男は止まらない。
自身の本心と向き合うということはこれまでの彼の存在そのものが否定されることになる。
だから彼は進み続ける。
その道が狂いきっていると分かっていても。
私たちの道は決して交わらない。
私たちが明日を求め続けるかぎり、彼が世界の敵であるかぎり共に歩めない。
ならば━━。
「デミウルゴス、この世界に住む一人の人間として私たちは貴方を討つ。貴方とは違う未来を歩むために!」
「アンタの我が儘で世界は終わらせないわ! 悪いけどアンタの妄執は全力でぶっ潰す!!」
私とルナは武器を構え、倒すべき存在を睨む。
対する敵も排骸の剣を正面に構えた。
「いいだろう!! シェードランの小娘ども! 今度こそ貴様らを始末し、我が宿願を果たす!!」
そして始まった。
私たちの最後の戦いが。
※※※
デミウルゴスが魔力弾を放つと私とリーシェは散開した。
魔力弾とすれ違うように移動し、敵に斬りかかる。
連続で斬撃を叩き込み、漆黒の刃と白の刃がぶつかり合う。
敵が反撃のために一歩前進してくると大きく飛び退き、リーシェと交代した。
(勝機はある……!!)
今の私たちは女神の力を失っている。
だが相手も体内の魔力回路が崩壊しており、反則級の空間操作等が使えなくなったはずだ。
ならば後は純粋な力と技が勝敗を分ける。
敵の力は未だに私たちを上回っている。
ならば私たちは連携する。
阿吽の呼吸で動きを合わせ、敵に猛攻撃を加えていく。
「根源の力が無ければ勝てるとでも? 思いあがるなよ!!」
リーシェが踏み込んだタイミングでデミウルゴスを中心に幾つもの火柱が立った。
リーシェは急いで離脱しようとするが敵はその隙を突いて圧縮した風の塊を放つ。
槍の柄で風の塊を受けたリーシェは大きく吹き飛ばされてしまったため、彼女を援護するために火柱の間を駆け抜けて敵に斬りかかる。
勢いを刃に乗せた横薙ぎの斬撃。
それを敵に受け流されるとそのまま回し蹴りを脇腹に叩き込もうとする。
だが攻撃を読んでいた敵に足首を掴まれ、身体に電流を流される。
「あ、ぐっ……!?」
内側からの凄まじい衝撃と激痛に意識が飛びかけ、そのまま足首を掴まれたままスイングされる。
そして勢いよく投げ飛ばされると地面に叩きつけられ、勢いよく地面を転がった。
「ほおら!! これもくれてやろう!!」
デミウルゴスが私に向かって幾つもの岩の杭を放ってきたため、急いで起き上がると魔術障壁を展開する。
だがいくつかの杭が障壁を貫通し、脇腹や肩を掠める。
敵は更に巨大な杭を生み出し、高速でこちらに射出してきた。
あれは防げないと判断し、即座に横に転がって回避する。
すると私を跳び越えてリーシェが敵に突撃を行い、槍を全力で投擲した。
「ちぃ!!」
デミウルゴスはリーシェの槍を剣で弾くが、それにより一瞬だけ隙が生じる。
そこをリーシェは突いた。
彼の懐に飛び込み、渾身のアッパーカットを放つ。
それを敵は上体を捻って避け、そのまま二人は超至近距離戦を行う。
リーシェの拳が数発敵の胴体や顔に命中するがほぼそれと同時に腹に蹴りをくらい、くの字に折れ曲がって吹き飛んだ。
私は急いで彼女を受け止め、二人で支え合って立つ。
リーシェは血の混じった唾を吐き、口元を拭うと「やっとぶん殴れた」と笑みを浮かべる。
「じゃあ次は私の番ね。こてんぱんにしてやるわ!」
「ぬかせっ!!」
デミウルゴスが火球を放つと私たちはそれを掻い潜って敵に迫る。
槍を拾うリーシェを援護しながら敵の左側面に回り込み、挟撃を計る。
そしてリーシェが仕掛けるのと同時にこちらも動いた。
敵はリーシェの刺突を剣で弾き、私の斬撃を必要最小限の動きで躱す。
反撃で放たれた拳を首を傾けて避けるとこめかみを掠める。
鋭い痛みと共に熱い血が流れるのを感じながら更に斬撃を叩き込んだ。
私たちの連携により敵に傷が増えていく。
だが私たちもデミウルゴスの反撃で傷を負っていき、お互いに息を切らせながら攻防を繰り広げた。
「……やはり、全てを捨てねばならないか!!」
そう言うとデミウルゴスは自分を中心に雷を放射し、私たちは急いで敵から離れる。
すると彼は膨大な量の魔力を手の中に収束させ、私たちに向けた。
(まだあれだけの魔力が残っていたの……!?)
「塵一つ残さず消え去れ━━怨敵どもっ!!」
直後、デミウルゴスから凄まじい魔力の閃光が放たれ、私たちを呑み込むのであった。
※※※
デミウルゴスにとってこの一撃は切り札であった。
第三の女神により魔力回路が崩壊している彼にとって莫大な魔力を放出するのは自殺行為。
だがそれをしなければリーシェとルナミアを屠れないと判断したのだ。
全身の血管が沸騰するかのような感覚。
激痛に顔を歪め、内臓がズタボロになり血を吐き出す。
この状態では回復に百年以上は必要だろう。
だが構わない。
忌々しい女神の末裔どもさえ始末できれば計画をやり直すことができる。
魔力を放ち終え、肩で息をしながらあの姉妹が消し飛んだかを確認する。
今の二人にあれを防ぐことはできないはず。
しかし奴らは常にこちらの予想を上回ってきたのだ。
「……これでも死なぬかッ!!」
視線の先。
両膝をついて砕けかけの障壁を必死に維持しているルナミアが倒れないようにオリカリクムの槍を杖にしていた。
(奴め! 力を増幅させて……!!)
オリカリクムには持ち手の魔力を増幅する力がある。
ルナミアはそれを利用して己の全魔力を障壁に使ったのだ。
姉の背後から妹が現れる。
彼女の手にはアルヴィリアの剣が握られており、一直線にこちらに向かってくる。
「デミウルゴス、覚悟!!」
「いいや! まだだ!!」
限界を超えて体を動かす。
勝つのは自分だ。
宿願を果たすのは自分だ。
全部やり直して、今度こそ━━。
「俺は欲しいものを手に入れる!!」
漆黒の刃と白の刃が激突する。
お互いに全力の斬撃。
強烈な衝撃に剣が手から離れそうになるが堪え、再び剣を振る。
二撃目も火花を散らして弾かれ合う。
体勢を崩したのはリーシェの方だ。
彼女は歯を食いしばりながら必死に剣を振る。
そして三撃目。
下から切り上げるリーシェの攻撃と振り下ろすこちらの斬撃が激突する。
勝てる。
そう判断した。
二撃目で体勢を崩したため、三撃目はこちらが圧倒している。
己の勝利を確信し、口元に笑みが浮かんだ瞬間━━━━声が聞こえた。
『お父様。もう、やめましょう』
「なっ!?」
折れた。
白い刃が漆黒の刃に叩き折られ、宙を舞う。
何故だ?
何故こちらの剣が折れる!?
女神の器と融合した核でできた排骸の剣はオリカリクムに匹敵する強度を誇っている。
だというのに砕けた。
ありえない光景に呆然とし、無防備にも目で飛んでいく刃を追ってしまった。
「まさか……あの時か……!?」
光の剣を持つ女神と斬り合ったあの瞬間。
あれで排骸の剣にヒビが入っていたのだ。
偶然か狙ってか。
リーシェは脆くなったところにアルヴィリアの剣を叩き込んだのだ。
「お……のれっ!!」
自身の命運が決まったことに怒り狂い怒声をあげる。
そして真っすぐに振り下ろされる漆黒の刃を睨み━━━━右肩に斬撃が叩き込まれるのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます