第62節・狂気の天使


 実家に帰ろう。

そうフェリアセンシアは決断した。

いや、もう実家は残っていないかもしれないがとにかく隠居しよう。

私には無理だったのだ。

クレスのようにはなれない。

誰かの後ろを歩くのがちょうどいい。

下手に頑張ると今回みたいな目にあう。


「……目」


 廊下のど真ん中で立ち止まり、眼帯に触れる。


 あの化け物との戦いで片目を失ってしまった。

こんな姿をみたらクレスはどう思うだろうか?

きっと明るく笑い飛ばすはず。

だって彼女は太陽のように明るい存在。

そう私には眩しすぎるくらい。


「いけませんねえ。卑屈になっている」


 内戦は終わったのだ。

ならば気持ちを切り替えて、前向きに退職するとしよう。

確かルナミアは王座の間にいるはずだ。

彼女に相談してまた百年くらい引き篭ろう。


 そう考えていると王座の間の前までついた。


「?」


 辺りを見回しても人っ子一人いない。

いくら王が不在だとしても王座の間を放置しているのは良くないのではないだろうか?

退職話のついでに指摘しておこう。

そう考えながら扉を開け、王座の間に入るのであった。


※※※


 セルファースはルナミアを見下ろしていた。

ルナミアからはまるで死んだのではないかと思えるほど精気が抜けており、王座の間に座ったまま項垂れている。


(随分と粘る……)


 六合の杖による精神操作。

それにこの娘は抗っているのだ。

流石は女神の末裔。

しかし同時に哀れでもある。

この力には決して抗えない。

抵抗すればするほど精神を摩耗させ、壊れていく。

もう二度とルナミア・シェードランの意識は浮上してこないだろう。

そしてきっとその方が彼女にとって幸せだ。


「もう少し掛かりそうですね」


 クリス王子は最初は動かなくなったルナミアを面白がっていたがやがて「飽きた」と行ってどこかに行ってしまった。

まったく、あの男の自分勝手さには昔から悩まされる。

まあいい。

あれはそういう存在だと最初から理解している。

今はそれよりも……。


「━━”鴉”。捕らえなさい」


「!!」


 闇の中で刃が輝き、その直後に柱の裏からフェリアセンシアが飛び出してくる。

彼女は此方を一度睨んだ後、柱の方に向かって氷の杭を放つ。

すると闇の中から”鴉”が現れ、『ヒ、ヒヒ』という不快な笑い声をあげた。


『”隠者”よ。貴様のせいで逃してしまったではないか。それとも最初からそのつもりか?』


「ええ、そのつもりです。何せ好機ですから」


 そう言いながらフェリアセンシアの方を向くと彼女は「オースエン大公……」と睨んでくる。


「まさか貴方が生きていたとは……。それも”蛇”だったなんて流石に気が付きませんでしたよ」


「気が付かれないように努力してましたから」


 それはもう色々と裏工作をしていた。

自分が”セルファース・オースエン”であること。

大公となり王の信頼を得たこと。

クリス王子と結託し、死を演じたこと。

そしてようやくここまで来たのだ。


「さて、氷竜王。どうしますか? 私と”鴉”を同時に相手にしてルナミアさんを助けますか?」


 不敵な笑みを浮かべて挑発するとフェリアセンシアは冷静に周囲の様子を伺った。


「そうしたいところは山々ですが……。私は臆病なので!!」


 直後、彼女を中心に氷のスパイクが発生する。

”鴉”は氷竜王の攻撃を飛び退いて避け、此方は六合の杖でスパイクを振り払う。

するとその間に氷竜王が扉に向かって全力で駆けだすのが見えた。


「確かに臆病のようだ。だからこそ読みやすい」


 氷竜王が気が付いた時には遅かった。

突然現れた”殉教者”に首を絞められ、そのまま持ち上げられる。


「ぐ……あ……!? あ……な……たは……!!」


『……』


 ”殉教者”はそのまま氷竜王を床に叩きつけ、更に蹴りを叩き込む。

不意打ちを喰らった小さな娘は此方の足元まで転がってきて血を吐きながら咳き込む。


 どうにか起き上がろうとする彼女の額に六合の杖を当てると「お眠りなさい」と魔力を流し込んだ。

それにより氷竜王は「あ」と小さく呟くとそのまま昏睡する。


『いやはや凄いものだのぉ。その杖は。あの氷竜王を一瞬で潰すとは』


「女神の杖ですよ。このくらい当然です」


 この杖はまだ完全に力を発揮していない。

本来の持ち主のもとに戻れば比類なき力となるだろう。


『それでどうするのですか?』


 ”殉教者”が訊ねてきたため足元に転がっている氷竜王を見る。


「彼女には我々の役に立って貰うとしましょう。そう遠くない内にあの男が動く。そしてレプリテシアの器も」


 そうだ。

いいことを思いついた。

あの厄介な雷竜王を倒す妙案だ。


「貴女の方はどうなのですか? 貴女の信奉者たちの様子は?」


『……もうじき結果が出る』


「そうですか。一人くらい使えるやつが出来ればいいのですが」


 不完全な存在でも戦力が多いにこしたことは無い。

そろそろ西にいるあの男とも連絡を取るとしよう。

これから一気に世界は動き始める。

アルヴィリア内戦を越える大きな争乱となるだろう。

そしてそれを制するのは我々だ。


「さあ、早く目覚めてください。新たな女神、その器よ」


 そう言うと未だ闇から戻らないルナミアを見るのであった。


※※※


 メルザドールから少し離れたところにある洞窟に十数名の兵士たちが集まっていた。

この付近で聖アルテミシア騎士団残党の姿が目撃されたとの報告を受け、調査をしに来たのだ。


「連中、ここに隠れているみたいですね」


 地面に散乱している剣や盾。

これは聖アルテミシア騎士団が使用しているものだ。

恐らく王都から脱出した後、この洞窟に隠れたのだろう。


「よし、お前たちはヴォルフラム様に報告しろ。そこの二人は洞窟の偵察だ」


「ええ!? 俺たちだけでですか!?」


「文句を言うな! 敵に遭遇したらすぐに戻ってこい! 奴らが逃げられないように洞窟を封鎖する」


 聖アルテミシア騎士団は精鋭だが柱である聖女を失い脅威度は低下している。

援軍が到着すればあっという間に片付く筈だ。


「ほら、早く動け! さっさと終わらせて俺たちも祝勝会に参加するぞ!」


 「了解」と兵士たちが動き出すのと同時に洞窟から物音がした。

兵士たちは慌てて武器を抜き、構えると洞窟の中から何かが出てくる。


「おい、これは━━」


※※※


 異臭が漂っていた。

血と臓物が混ざり合った臭い。

先ほどまで動いていた兵士たちは肉塊へと成り下がり、白い獣たちが爪や牙で肉をズタズタにしている。


 そんな光景を愉快げに眺めている存在がいた。

肌は不気味なほど白く、金に輝く瞳を持つ女。

その背中には二対の翼を持ち、その姿はまるで天使のようであった。


「嗚呼、気分が良いですわ」


 天使は唄うように呟く。

これまでで最高に気分が良い。

体は羽根のように軽く、頭は靄が晴れたかのようにスッキリしている。

あの方に着いて行ってよかった。

迷い無くイルミナという殻から抜け出すことを選んで良かった。

今ならば分かる。

あの方の見る世界が。

嗚呼、どうして世界はこんなにも綺麗なの?

どうして人はこんなにも汚いの?


「これは大罪ですわ」


 女神が造った美しき世界を穢す疫病。

それが人間だ。

自分がつい先日までそんなものであったことに戦慄する。


 浄化だ。

浄化が必要なのだ。

人から穢れを祓い、真に完成された世界を創る。

ただ━━。


「気に食わないですわね」


 世界の新生を行うのはあの方では無い。

ルナミア・シェードラン。

あんな奴に従わなくてはならないなんて腹が立つ。


「まあ、我慢ですわ」


 あの方と肩を並べて戦える名誉に比べればこの程度の屈辱は大したことが無い。

 ふと屍を貪る魔獣たちと目が合った。

それらは何かを言いたげに此方を見ており、その視線に肩を竦める。


「何を言いたいのかは分かりませんが恨み言なら聞きませんわよ。貴方たちには資格がなかった。ただそれだけです」


 この知性なき獣たちは全部同じ主に忠誠を誓った同志だった。

だが彼らにはあの方の寵愛を受ける資格は無く、ただの獣と成り果てた。

そのことに憐みなど感じない。

なぜならこれは当然の結果だから。

こいつらの忠誠は紛い物。

真の忠臣は自分だけだったのだ。


「貴方がたはそこで貪っていなさい。わたくしはそろそろ行きますわ」


 翼を大きく広げ、空を見上げる。

さああの方のもとへ馳せ参じよう。

そしてこの世界をより良いものにするのだ。



 狂った天使は飛ぶ。

それはまるでこの世界の終わりを知らせる死神のようであった。


※※※


 意識が覚醒する。

長い眠りから目覚める。


 私は誰だっただろうか?

私は何をしていたのだろうか?

ああ、そうだ。

私はルナミアだ。

そう名乗っていた筈だ。


「…………ん」


 目を擦り、背筋を伸ばす。

まだ少し頭が重い感じがするが完全に”私”を掌握した感覚がある。

心地よい。

これほどまでに心が解き放たれたような気分は生まれて初めてだ。

もっと最初から自分の気持ちに素直になればよかった。

もっと早くにこの決断を下せばよかった。


 目を一度閉じ、ゆっくりと開けると自分が王座に座っていることに気が付く。

そして目の前にはセルファースを先頭として跪く”家臣”たち。


「お目覚めですかな? 我らが新たなる主よ」


「ええ、おはよう。どのくらい眠っていたのかしら?」


「半日ほど」


 半日か。

随分とあの子は粘ったようだ。

あの様子ではもう二度と覚醒することは無いだろう。

だから私が全てを始めて終わらせる。


「さあ、我らに新たな道をお示しください」


 わざとらしい。

全部この男の掌の上だ。

これから私がやること、起きること。

全てを知って操ろうとしているくせに忠臣面をしている。

だが別に構わない。

この男の望みは私の望みなのだから。


 私はゆっくりと王座から立ち上がる。

”先代”が使用していた杖を受け取り、その石突で床を軽く叩くと王座の間に乾いた音が鳴り響く。


「知れたこと。力を継承し、私は大願を成就する。さあ、これより新生を始める。この国、この世に生きる全ての者に祝福を与え、真の人類による楽園を築く!」


 決意を示すように床を六合の杖の石突で叩いた。

私の号令と共に”蛇”どもは「は!」と頭を下げ、闇の中へと消えていく。

そして王座の間には跪いたままのセルファースと冷たい笑みを浮かべる私だけが残るのであった。



「リーシェ。もうすぐ貴女のための世界が出来るわよ」

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