第61章・闇の産声
「セルファース……オースエン……」
全く予想していない人物の登場に私は呆然としてしまった。
王の懐刀。
王家を支えてきた忠臣。
それが”蛇”の使徒だったというのだ。
「お久しぶりですね。ルナミア・シェードラン。最後にお会いしたのはベールン会戦の時でしたか。このような再開となったのは残念です」
「……そう、最初から仕組まれていたというわけね。ゲオルグ王の死も、この内戦も!」
私はクリス王子を睨みつける。
全ては”蛇”の陰謀。
つまりそれはクリス王子が己の父と兄を自らの意志で殺したということになる。
「おお怖い怖い。そう睨まないでくださいよ。父はともかく兄まで殺すつもりはなかったんですから」
「この! よくもぬけぬけと!!」
怒りのあまり飛び掛かろうとするが体が全く動かない。
私の胸に当てられた杖。
この杖には見覚えがある。
確か”大祭司”と呼ばれていた男が持っていた杖だ。
「何故体が動かないのか。そう思っていますね。それは単純な話。この杖は女神アルテミシアの杖。ならば不完全な貴女の力を制御することも容易い」
女神の力で女神の力を制す。
成程、単純だ。
腹立たしい程に。
「……それで? 私をどうする気かしら? いたぶって殺すつもり?」
「いえいえ、そんなことはしませんよ。さっきも言ったじゃないですか。貴女の力で新しい世を築くのだと」
「まさか私が従うとでも? 仮に私を魔術か何かで操っても他の人が止めるわ」
エドガーやヴォルフラムならば私に異変があればすぐに気が付くだろう。
おかしくなった私に従う人間などいない。
クリスとセルファースを睨みつけるとクリスが「まあ確かに」と肩を竦めた。
「貴女だけを変えても破綻する。でももし全てを変えられたら?」
「そんなことできるはずが━━」
「出来るんですよ! それが!」
クリスはそう言うと立ち上がり天井に向かって大きく腕を広げた。
「不自然だと思ったことはありませんか? この国が建国される際、真のアルヴィリアは仲間たちによって討たれ、ダスニアがアルヴィリアを名乗った。だがそれを共に戦ってきた将兵が認める筈がない。仮に認めたとしてもまるで最初からダスニアがアルヴィリアだったかのように全ての民が口裏を合わせて後世に伝える筈がない」
確かにそれは不自然だと思った。
国を混乱させないためにダスニアによる簒奪が隠されたとしてもそれが後世に全く残らない筈がない。
アルヴィリア王国はつい最近までそんなことがあったことを全く知らなかったのだ。
「はい! そこでヒントです。今、セルファースが持っている六合の杖にはある力があります。それはなんでしょうか!」
「……まさか」
「そう、そのまさかですよ! その杖には人の記憶や精神を操る力がある。貴女の大切な妹さんだってそれで記憶を失っているんですから。まあ、最近取り戻してしまったようですが」
リーシェの記憶が奪われていた?
その話は気になるが今はそれよりも杖の方だ。
六合の杖は女神の杖。
ならば当時の英雄たちが”蛇”から渡されていた可能性はあるだろう。
もし女神の力で国民全てが記憶操作されていればアルヴィリアの死が忘れられていても不思議じゃない。
「まあこの杖だけじゃ一人ずつしか操作は出来ません。だから増幅器を使ったんですよ。女神の力を封じる塔であり力の増幅器。ほら、この王都にもあるじゃないですか」
女神の塔。
すぐにその名前が浮かんだ。
王都中央にある純白の塔に私は惹きつけられた。
あれは私の中にある力と女神の力が共鳴したから……?
だとしたらマズい。
私がこのまま操られ、女神の力を使ったら大変なことになる。
「そんなこと!! させるわけがない!!」
必死に体を動かそうとする。
だが駄目だ。
完全に私の体は掌握され、自分の舌を噛み切って死ぬこともできない。
「……なんだかこの人、根性とかで動きそうですね。セルファース、さっさとやってください」
「私はそのつもりだったのですがね」
セルファースはため息を吐くと杖を通して私の中に何かを流し込んでくる。
「だ……め……これ……は……」
寒気がする。
何かが奪われ、書き換えられていく。
駄目だ。
本当に駄目だ。
私の大事なものが無くなる。
絶対に。
絶対に奪われてはいけないモノが。
「……リ……シェ……」
そう声を吐き出すのと同時に私の意識は暗い闇の中に消えるのであった。
※※※
暗い。
暗い。
暗い。
寒い。
寒い。
寒い。
何も聞こえない真っ暗な世界。
静寂に支配された闇。
その中で私は項垂れていた。
両膝を着き、腕や足には鎖が巻き付いている。
ここはどこだろうか?
私はなぜこんなところにいるのだろうか?
そうだ。
私は罠にはまって━━。
足音が聞こえた。
誰かが歩いている。
足音の度に床が水面のように波打つ。
ゆっくりと顔を上げるとそこには私がいた。
闇と同じ黒い髪。
金の瞳を輝かせ、白い肌を見せつける裸の私。
「ふふ、無様ね」
「貴女は誰?」
「分かるでしょう」
「私?」
「そう、私」
彼女はそう言うとその場で一回転してみせる。
というかなんで裸なんだ。
ここには私と私しかいないけど恥ずかしいのでやめてもらいたい。
「だって私は自由な私だもの。それに比べてなあに、その格好。無様ったらありゃしないわ」
私は鎧を着ていた。
自分を守る鎧。
心を守る鎧。
そしてそれに巻き付く自制の鎖。
「本当に、無様。自分でも望まない英雄を演じて、嫌々新たな世を築くだなんて言って。必死に猫を被って生きて、そしてその様」
「うるさい! 貴女に私の何が分かるっていうの!!」
「分かるわよ。私は私だもの」
「ねえ」と彼女は私の頬に触れてくる。
「本当は気が付いているんでしょう? 自分自身の本性に。どこまでも醜く、穢れた願望に」
違う。
それは違う。
そんなものを私は持っていない。
全部出鱈目だ。
「強情ね。ほら、思い出しなさい。はじめて人を殺した時、貴女は何を感じた? 戦いの恐怖? いいえ。人を殺したことの罪悪感? いいえ」
やめろ。
やめてくれ。
思い出すのはベルファの町でリーシェとミリが攫われた時のこと。
敵に対して魔法を使い、私は━━。
「━━興奮した」
「━━━━」
「貴女は興奮した。人を一方的に殺して、その姿を見てまるで獣みたいに興奮した。ああ、最低。最低ね、貴女! 普通なら罪悪感を感じるのに貴女は敵を殺すことに快感を感じている。ほら、他にも思い出すでしょう? コーンゴルドに攻めてきたあの馬鹿従兄の軍を焼き殺した時は? タールコン平原で大公軍を蹂躙したときのことは? オルミラの海戦でメフィル艦隊を壊滅させたときのことは? アヴィリス平原で王軍を追撃しているときのことは?」
うるさい。
うるさい。うるさい。うるさい!!
私はただ仕方なくやっただけだ。
本当は戦いたくなかった。
殺したくなかった。
周りが私を持ち上げるから、私に期待するから私は望まれた通りにしただけだ。
「本当に卑怯ね。貴女は。そうやって嫌なものから目を逸らして。ならこれも見ないことにしているのでしょう? 自覚しないようにしようとしているでしょう? 貴女が義理の妹を■■したいと思ってい事も」
「うるさい! 黙れ!!」
それ以上喋るな。
それ以上私の心に土足で踏み込んでくるな。
ずっと隠してきた感情が。
鍵をかけてきた狂気を表に出そうとするな。
私は私を睨むが彼女は愉快そうに目を細める。
「苦しそうね。そんなに苦しいなら全部私に任せちゃえばいいのよ。辛いことから逃げちゃえばいいのよ。いままでずっとそうしてきたんだから。今度も同じことをしてもいいはずよ」
逃げる?
逃げていいのか?
いや、違う。
これは甘い蜜。
私を破滅させる滅びの誘惑。
だから強く、もっと強く意志を持てば━━。
「逃げろ。逃げちゃえ。逃げちゃいなさい。あの時と同じように」
「あの……時……?」
耳を傾けるな。
その女の話を聞くな。
それは私にとっての禁忌。
私が消した記憶。
今、それを思い出したらきっと私は壊れる。
「━━━━自分の母親を粉々にした時のように」
「━━━━ぁ」
フラッシュバックした。
強烈な記憶の逆流。
封じていた忌々しい過去。
あの日、ガーンウィッツの町で誰かに背中を押された日。
何が起きたのか分からないまま私は馬車の前に飛び出した。
今でも耳にはっきりと残っている。
『危ないっ!!』
悲鳴のような母の声。
迫りくる馬車。
私を庇おうと飛び出す母。
幼い私は目の前に突然死が現れパニックに陥った。
いやだ。
死にたくない。
助けて。
私を助けて。
それは自然な願いだろう。
人は死を目前にすると助けを請う。
多くの人はそのまま死ぬが私は違った。
それがいけなかった。
私は自分でも理解しないまま英雄の━━女神の力を行使したのだ。
背中から生える光の翼。
吹き荒れる突風。
砕ける馬車。
そして━━。
「おかあ……さま……?」
私に手を差し伸ばす母の姿。
それが突然細切れになり、赤い血しぶきとなった。
私は顔に母だったものを被り、そして己のしたことを理解する。
「い……や……。いやああああああああああああああああ!!」
砕ける。
砕け散る。
あの日の光景と共に私を繋ぎ止めていた何かが完全に砕け散る。
そうです。
ルナミアはわるいこです。
おかあさまをころし。
おとうさまをびょうきにし。
おじさまをしなせたわるいこです。
だからわたしはばっせられなけばいけません。
これいじょうわたしのだいじなひとがきずつかないようにするために。
だからわたしは。
※※※
”私”は動かなくなった私を見下ろした。
どこまでも哀れな存在。
偽りだらけの人形。
でもそれはもう死んだ。
もう私は私でなくなった。
そこで眠っていなさい。
もう二度と傷つかなくていいようにこの暗い世界でただ一人。
その間に私が貴女の願いを受け継いであげる。
もう誰も傷つかない世界。
世界で一番好きな人の為に捧げる楽園。
弱い貴女では決して出せない答え。
決してたどり着けない場所に私は行く。
だから私よ。
「おやすみなさい」
その言葉と共に私は去る。
後に残ったのは抜け殻となった私だけであった。
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