第60節・終わりの始まり


 数年に渡るアルヴィリア内戦はエリウッド王の死と共に終結した。

王軍の将兵たちはある者は主の後を追い、ある者は新生同盟軍に投降する。

もはや王軍に戦う力は残されておらず、王の死から数日後に正式に降伏を宣言した。


 一方勝利した新生同盟軍は王軍の残党に対処しつつ王都の治安維持に努めた。

王都に損害を与えなかった彼らを多くの民は受け入れ、少しずつだが町には活気が戻り始める。


 国の内外で注目されたのは新たな指導者とその政策であった。

ルナミア・シェードランはエリウッド王の死を悼むために暫くの間は彼の後継者を決めず、政は合議制で行うと宣言した。

しかし多くのものは彼女が新たな指導者になるのだと予想していた。

英雄アルヴィリアの末裔。

黒曜の英雄。


 かつて英雄たちがヴェルガ帝国を滅ぼし、新たな世を築いたのと同様に彼女もまた人々に道を示すのだろう。

そう誰もが期待するのであった。


 だがこの時大半の人間は気が付かなかった。

戦いの終わりは新たな戦いの始まりだということに。


※※※


 静まり返った王座の間に一人の青年が入ってきた。


 クリス・アルヴィリア。

いや、数日前にクリス・ダスニアと名を改めた人物だ。


 彼は感情の抜けた落ちたような表情で王座の前まで来ると己の顔を両手で覆った。

そして暫くそうしていると突然小刻みに震えだす。


「ひ……ひひ……。ひあ、はははははははは!! やったぁー--!! ついにやったぞぉ!! 僕はやったんだ!! 全部! 全部壊してやった!! 糞みたいな王家も!! それに集るごみ屑どもぉ!!」


 どれだけ長い間耐えて来ただろうか。

いつか、いつの日か全てを壊す。

壊せるんだと信じて生きてきた。

そしてついにその日が来た。

数百年続いたアルヴィリア王国は滅び、王家などというくだらないシステムも終わる。

ああ、なんと心地よいことか。

嬉しすぎて体が破裂しそうだ。


「馬鹿ですよ!! 兄上も! それに従った連中も!! 王権なんてくだらないもののために命を落とす愚か者ども!! ざまあみろ!! 僕はあいつらに勝ったんだぁ!!」


 王座を何度も足蹴りにする。

こんなものの為にどれだけのモノが犠牲になったか。

王権とは崇高なものではない。

どこまでも穢れたおぞましいものなのだ。


『━━気が済んだかね?』


 背後から声を掛けられ振り返るとそこには蛇面の男が立っていた。

乱れた髪と荒れた息を整えると「ええ、とても」と笑みを浮かべる。


「貴方には感謝しますよ。僕の復讐が果たされたもの貴方がいたおかげだ」


 今日という日を迎えるために彼と共に暗躍し続けた。

父も兄も真実を知れば驚いただろう。

裏切者は二人もいたということに。


『さて、お前の目的は果たされた。ならば次は私の番だ』


「分かっていますよ。そういう契約ですからね。ならさっさと始めてしまいましょう。あの哀れな小娘を躾けるのでしょう? 貴方が望む”英雄”となるように」


 これは初めから決まっていたことだ。

あの娘は英雄となり、そして新たな世の贄となる。

新生だ。

そう、我々はこれより新生を開始するのだ。


『では彼女を呼ぶとしよう。これより我らの宿願を━━真に調和のとれた世を築く』


 男の背後からいくつもの影が現れた。

”鴉”、”大淫婦”━━そして”殉教者”。

”隠者”の言葉と共に”蛇”の使徒とその賛同者たちが王座の間に集まる。

そして彼らは宣言する。


『楽園を』


 それは終わりの始まりを告げる言葉であった。


※※※


「そう。行くのね」


 王城にある私の執務室にアーダルベルトが訪れてきた。

彼は内戦初期から共に戦ってくれたが戦が終われば傭兵は仕事を失う。

だからメルザドールから出ていくことにしたそうだ。


「自由都市の方がどうにもキナ臭いみたいでね。仕事を探すついでに状況を見てくるわ」


 自由都市方面の噂は私も耳にしている。

自由都市はドン・マルコが支配するファスローが他の都市国家を侵略していたが突然侵略を止めた。

ここ最近までファスロー軍と反ファスロー軍は睨み合いを続けていたがファスロー軍が再び侵略を再開した。

それと同時期に自由都市方面では正体不明の怪物が目撃されるようになったという。


「怪物というのが気になるわ。くれぐれも気をつけて」


「ええ、分かったわ。ああそうだ。ついでに途中でガーンウィッツとコーンゴルドにも寄ってみようかと思うわ。誰かに手紙とかあればついでに渡すけれども?」


 どうしようか。

確かに王領に進軍してからガーンウィッツには戻っていない。

それにコーンゴルドの様子も気になる。


「少し待っていて」


 羊皮紙と羽ペンを取り出すと手紙を書き始める。

手紙は二つ。

一つはガーンウィッツを任せている城代に近況を報告することと書いた手紙。

もう一つはコーンゴルドに残っているシェフィに対する個人的な内容の手紙だ。

手紙を書き終えると封蝋をし、アーダルベルトに渡す。


「こっちはガーンウィッツに。こっちのはシェフィに」


「承ったわ」


 アーダルベルトは私から手紙を受け取るとじっと此方を見つめて来た。

そんな彼に対して「どうしたの?」と首を傾げると彼は首を横に振る。


「本当は残ろうか。そう思っていたの。でも戦も終わってアタシのように戦うしか能のない人間は不要だろうから……。後のことはあの宰相殿に任せることにしたわ」


「うーん。アイツのことを考えるとやっぱり貴方に残ってもらおうかしらと言いそうになるけれども」


 微笑む。

彼は私を心配してくれているのだろう。

だが大丈夫だ。

もう誰かの血を流すような戦いは終わった。

これから別の戦いが始まるが内戦よりは気が楽だ。

それに私には頼りになる騎士がいる。

ちょっと不安だが有能な宰相がいる。

そして共に苦難を乗り越えた同志であるクリス王子がいる。

大丈夫。

きっと全て上手くいく。


「私のことなら大丈夫よ。でもそうね。もし向こうでも仕事がなかったら私を頼りなさい。貴方たち傭兵団を養ってあげるから」


「あらやだ頼もしい。偉い人には気に入らておくものね」


 私たちはお互いに笑うと「それじゃあ」と頷きあう。

別れは寂しいが今生の別れになるわけではない。

「またいつか」と言おうとすると執務室の扉がノックされた。


「どうぞ」


「失礼します!」


 部屋に入ってきたのは若い騎士だ。

彼は確かクリス王子の部下だったはず。


「クリス王子━━いえ、クリス様がお呼びです。王座の間までお越しください」


「クリス王子が? なんの用かしら?」


 私は小さく首を傾げるとアーダルベルトが「じゃあ、アタシはこれで」と一礼して退室する。

しまった。

彼に別れの挨拶が出来なかった。


 小さくため息を吐くと席から立ち上がり若い騎士に「すぐに向かうわ」と伝えた。

すると彼は頷き、部屋から去っていく。


 王座の間まで来てくれとは何事だろうか?

もしかしたら他の人に聞かれたくない大事なことかもしれない。

ならば早くいかなければ。

そう思い、私は執務室から出るのであった。


※※※


 王座の間に入ると私は「暗いな」と思った。

カーテンが閉められているため昼だというのに薄暗い。

燭台に灯された火が揺らめき、どこか不気味な雰囲気を出している。


 クリス王子はすぐに見つかった。

王座に座り、足を組んだ金髪の青年。

いつもとどこか違う彼の雰囲気に思わず私は声を掛けるのを躊躇ってしまった。


「ああ、よく来てくださいました。さあ、こちらへ」


「え、ええ」


 少し警戒しながらクリス王子の前まで行く。

私の視線に気が付いた彼は「ああこれですか」と微笑んだ。


「兄や父がどんな気分でこの椅子に座っていたのか知りたくなりましてね。ですが駄目だ。何も感じない。椅子は所詮椅子でしかない。そうは思いませんか?」


「そう……ですね。でも人はその椅子を求める。ただの椅子であっても王座という権威であるならば手に入れようとする。欲がある限り人は争いを繰り返す」


「そうです! そうですよ! いやあ、流石はルナミアさん! 良く分かっている!!」


 クリス王子の異様なテンションに少し引く。

彼はいつものような儚げな感じではなく、まるで童のように笑っている。

やはり兄が目の前で死んだことが影響しているのだろうか?


「あの、王子……」


「━━さて、話を変えましょうか。今後の統治のことです。ルナミアさんは以前話していた通り法と合議による統治に変えていく。そう考えているのですよね?」


 急に話を変えられ私はただ頷くしかなかった。

するとクリス王子は小さくため息を吐き、腕を組む。


「僕は貴女の考えには反対します」


「そんな! 前に相談したときは賛成すると━━!」


「ああ、すみません。 正確には貴女の考えの一部に反対します。法による統治。それは素晴らしい。ですが合議制というのは駄目だ。貴女も本当は分かっているのでしょう? 人が人である限り欲や感情が政治に入る」


「ですからそれを抑えるために法を……」


「甘いですよ。甘すぎです。その法を制定するのは誰ですか? その法を執行するのは誰ですか? 人です。不完全な存在である人間が作る法もまた不完全。そうは思いませんか?」


 確かにその通りかもしれない。

だがだからこそ多くの人が知恵を出し合って法を細かくそして厳格化していくのだ。

私たちは個では不完全だろう。

だが集団となることによりお互いの欠点を補いあい、より良い道へと進めるはず。


「その考えには反対しましょう。出来損ないはどれだけ集まっても出来損ない。決して無欠の存在にはなれない。ルナミアさんの考えでは百年は平和な時代を築けるでしょう。ですがこの国がそうだったように新たな法は内側から蝕まれていき、やがて朽ちる」


「なら貴方の考えはどうなのですか? 確かに私の案は百年の平和しか築けないかもしれない。でも今出来る最善だと考えています」


 そう言うとクリス王子は「あるじゃないですか」と笑う。

その笑みはとても冷たく、恐ろしいものであった。


「病と同じですよ。悪い部分は取り除く。人にとって不要なもの。そう、欲を消してしまえばいいのですよ」


「なにを━━」


 何を言っているのだ。

そんなこと出来るはずがない。

よしんば出来たとしても欲を失った人はもう人ではないだろう。


「出来るんですよ。僕たち、いいえ、貴女なら。英雄アルヴィリアの末裔であり、女神アルテミシアの末裔ならば!」


「……うつ、わ?」


「おや? 知らなかったのですか? 女神アルテミシアには子がいた。どうして完璧な存在である彼女が不要な存在である子を作ったのかは知りませんがアルヴィリアというのは女神アルテミシアの子。その子孫なのですよ!」


 突然のことに混乱する。

私が……女神の子孫?

いや、でも確かにそれならば色々と説明がつく。

アルヴィリアの血筋が複数の精霊と契約できること。

魔力そのものを操る光の翼のこと。

それが全て女神の力だとしたら……?


「驚いた、という顔ですね。ええ僕も驚きましたとも。まさか貴女のような甘ちゃんが女神さまの器だなんて。ねえ、そう思いませんか?」


『必要以上のことは話すべきでは無いと思うが?』


 クリス王子の後ろから男が現れた。

黒いフードを身にまとい、蛇の面をつけた男。


「”蛇”の使徒……!?」


 慌てて後ろに飛び退こうとした瞬間、足元に魔法人が浮かび上がった。

それと共に全身の力が抜け、両膝を着いてしまう。


(これは……結界の一種……!? でもだったら……!!)


 光の翼で魔力を消そう。

そう判断すると男が一瞬で目の前に現れ、私の胸に杖の先端を突き当てた。


「あ……が……」


 力が抜ける。

何らかの力によって指一つ動かせなくなってしまう。


『不完全でもその力は厄介でね。全てが終わるまで封じさせてもらう』


「……あ、なたは……」


『我らが新たな主の前で顔を隠すのは失礼にあたるな』


 息を呑んだ。

仮面の裏側から現れた顔。

穏やかな笑み。

黒く長い髪。

死んだはずのセルファース・オースエンがそこに居た。

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