第59節・王の末路
王城の廊下をイルミナが歩いていた。
彼女は全身に包帯を巻き、時折苦しそうに立ち止まる。
屈辱だ。
屈辱だった。
ルナミア・シェードランに敗北したこともさる事ながらあの方の手を煩わせてしまったことが屈辱だ。
シェードラン許すまじ。
間も無く奴はこの城に攻め込んでくる。
ならば待ち構え、差し違えてでも息の根を止めてやろう。
眩暈がし、壁に手を着いていると前からレグリアがやって来た。
彼女は此方に気がつくと「どこに行く気ですか?」と訊ねてくる。
「当然、戦場にですわ」
「貴女の王家に対する忠誠心は見事です。ですがその傷では戦えない。反乱軍の攻撃が始まる前に脱出しなさい」
「いいえ。いいえですわ。わたくしが忠誠を誓っているのは貴女様のみ。貴女様が戦うのならばわたくしも戦います。どうか最期まで貴女様のお側にいさせてください」
至高の存在であるレグリアが敗れる筈がない。
だがこの戦況だ。
どうしても僅かな不安を感じてしまう。
ならば自分は最後まで彼女と共に戦い、先に死のう。
そうすれば至高の存在が穢されるところを見なくて済むのだから。
「どうか」と必死に懇願するとレグリアは何かを言いかけた。
だがすぐに口を閉じると少しの間躊躇するような素振りを見せ、それから決意したように頷く。
「イルミナ。私に忠誠を誓う。その言葉に偽りはありませんか?」
「貴女様に誓って偽りはありませんわ」
「どんなことがあっても。どんなことを知っても私に尽くしますか?」
「誓います」
迷うことなどない。
例え彼女が悪魔の類でもついて行く。
「……分かりました。では騎士団の中で貴女が信用できる者たちを集めてください。大切な話があります」
大切な話とはなんだろうか?
気になりはするが今は彼女の言葉に従うべきだろう。
聖女に向かって力強く頷き返すと踵を返して歩き始めた。
此方の背中を聖女が憐れむように見ていることに気が付かず。
※※※
王都の制圧はスムーズに終わった。
敵が城まで完全に撤退し、戦闘が発生しなかったことと同盟軍を厳しく律したためゴーストタウンのようになった王都を兵士たちは王城に向けて進軍して行く。
私が率いる近衛隊も王都の中央広場まで前進し、後続の味方を待っている。
「高い塔ね」
広場の中心に聳え立つ純白の塔。
この塔は女神の塔と呼ばれ、その名の通り女神アルテミシアを祀っているらしい。
メルザドールはもともとヴェルガ帝国の首都であり、帝国滅亡後にこの塔は建てられた。
女神の塔は大戦終結の合図、新たな秩序の始まり、平和と繁栄の象徴だ。
それと同時に女神教を禁じ、大戦を引き起こしたゼダ人に対する弾圧の象徴にもなっている。
「…………」
何故だろうか?
私はこの塔が気になってしょうがない。
ずっと深いところから何かに呼ばれているような気がする。
(アルヴィリアと何か関係が……? まさかね……)
首を横に振ると広場に後続の部隊が入ってくるのが見えた。
彼らが到着したのならそろそろ進軍しよう。
そろそろエリウッド王に送った降伏の使者が戻ってくるだろうし━━。
「閣下!! 我が軍と敵軍が戦闘を開始しました!!」
「まだ指示は出してないわよ!! どこの部隊!!」
「分かりませんが恐らく先走った兵が攻撃をしてしまったようです!」
舌打ちする。
エリウッド王からの返答がある前に攻撃しては此方の大義が薄れる。
だが始まってしまったものは止められない。
こうなったら一気に攻め込むしかないだろう。
「全軍に伝えなさい!! これよりメルザドール城を攻め落とす!!」
※※※
メルザドール城は大きな水堀に囲まれた城であった。
城に入るには三方に築かれた橋を渡る必要があり、特に正門に繋がる大橋は最も重要な場所となっていた。
大橋に攻め入った同盟軍の兵士たちはどよめいていた。
その理由はたった一人の人物だ。
橋の中央に仁王立ちする聖女。
その周囲に転がっている兵士たちの死体。
勢いよく正門まで突撃したが出陣してきた聖女に押し返されたのだ。
「く!! たった一人に何をしている!! 数で押せ!!」
前線で指揮を執っていた騎士が号令を出すと兵士たちが一斉に突撃を開始する。
それに対して聖女は静かに戦斧を構えると━━一閃。
突撃した兵士たちが宙を舞い、次々と橋に叩きつけられていく。
その光景に騎士は思わず後退る。
あれをまともに相手にしてはいけない。
すぐにそう理解した。
「鉄砲隊!! 前へ!!」
歩兵たちの後方から現れたのは銃を持った兵士たちだ。
彼らは三列に並ぶと前列が屈み、中列は中腰、そして後列は立って銃を構えるという陣形を組んだ。
「撃てぇ!!」
号令と共に鉄砲隊が一斉射撃を行う。
すると聖女は戦斧を振るい銃弾を次々と弾いた。
「馬鹿な!! つ、次だ! 撃て! 撃ち続けろ!!」
慌てて次の射撃が行われる。
銃撃を絶え間なく放つために反乱軍は後方で銃に弾と火薬を詰め、鉄砲隊に渡していく。
硝煙が橋を包む中、銃弾を弾く音が鳴り響き聖女は少しずつ前進してくるのであった。
※※※
「……頭おかしいわね」
目の前で繰り広げられている光景に思わずそう呟いてしまった。
聖女が鉄砲隊の連続射撃を弾きながら前進し続けている。
このままでは弾幕を突破されるだろう。
「エドガー、あれを止められるかしら?」
「出来ます! と言いたいところですがフランツと二人掛かりでも勝てるかどうか……」
隣にいたエドガーの言葉に頷く。
エドガーとフランツを信用していないわけではないがフェリアセンシアですら倒せなかった怪物なのだ。
彼らを無駄に危険に曝すつもりはない。
「とりあえず足止めに専念しましょう。他の橋を突破できれば此方の勝ちよ。エドガー、私の旗を彼女から見えやすいところに移動させて」
「危険ですよ?」
「そうでしょうね。でも私がここにいると知れば彼女は別の場所にはいかない」
逆転するには大将首を獲るしかない。
そのことは彼女も理解しているはずだ。
私を見つけたら死に物狂いで突っ込んでくるだろう。
そう考えていると聖女と目が合った。
「!!」
聖女が微笑んだ。
そしてそれと同時に驚くべきことが起きたのだ。
銃弾が彼女の左肩に命中し、無敵の存在がよろめく。
その光景には同盟軍の兵士たちも驚愕して一瞬弾幕が途切れた。
誰かが慌てて「い、今だ!! 撃て!!」と言い、再び銃撃が行われる。
すると銃弾が次々と聖女に命中し、彼女はよろめきながら大橋の端まで歩いて行った。
そして戦斧を落とし、手すりにもたれ掛かった。
再び聖女と目が合う。
彼女の瞳には感情は無く、虚ろな瞳で私を見てくる。
「…………」
彼女は何かを呟いた。
だがそれは私には聞こえず、銃声が鳴り響くとのけ反りながら堀へと落ちていく。
大橋は静寂に包まれた。
兵士たちは今起きたことが信じられず、互いに顔を見合わせる。
そして暫くすると「おぉ!」と歓声をあげた。
「やった! やったぞ!! あの聖女を倒した!!」
(……あの聖女が、こんな簡単に?)
大半の将兵は無敵の存在が倒れたことに喜んでいるが私やエドガーは唖然とする。
確かに単騎では限界があろう。
だがあの聖女ならばまだ戦えた筈だ。
まるで自分から倒れたような……。
「エドガー! 白銀騎士団にレグリアの捜索と大橋の防衛を命じなさい! 私は城に突入するわ!」
「分かりました!」
エドガーが去って行くともう一度大橋の方を見る。
何か不気味なことが起きている。
勝利は目前なのに妙に落ち着かない感覚に小さく身震いするのであった。
※※※
自室のテラスからエリウッド王は王都を眺めていた。
少し前に大橋の方から歓声が聞こえた。
そしてそれから少しすると城中が騒がしくなった。
(レグリアよ。先に逝ったか……)
王国の盾が死んだ。
それはつまり王家の終焉を意味する。
彼女は最期まで己の責務を果たした。
ならば今度は自分だ。
部屋の扉が勢いよく開かれ武装した兵士たちが入って来た。
そしてそれに続いて英雄と弟が入ってくる。
「兄上……」
久々に聞いた弟の声に思わず口元が緩む。
だがすぐに感情を隠し、彼らの方を振り返った。
「よく来たな。簒奪者ども」
※※※
私は兵士たちに武器を下ろすように指示を出すとクリス王子と共にエリウッド王の前に立つ。
「勝敗は決しました。陛下、投降してください」
「兄上! もうやめましょう! 兄上の安全は僕が……!!」
弟の言葉を遮るように兄は首を横に振る。
「お前たちは何のために戦って来た? これだけの血を流したのは新たな世を築くためだろう。ならば容赦はするな。犠牲になった者たちのためにも躊躇うな」
その言葉に私たちは無言になる。
クリス王子の瞳には悲しみと怒り、そして……。
(……憎しみ?)
予想外の感情が見えそちらに一瞬気を取られている間にエリウッド王がテラスの手摺りに乗った。
「陛下!」
慌てて止めようとすると彼は「止まれ」と制してくる。
「私はこの国の王。数百年続いた国を滅ぼした大罪人。故に責任を取らねばならない。そして見よ! これが敗北した為政者の末路だ!」
エリウッド王が跳んだ。
小さく、そして軽く。
手摺から足が離れ、彼は笑みを浮かべながら身投げした。
※※※
時間にして一瞬。
だが永遠の様に感じられた。
まるで全ての重責から解放されたように体が軽い。
後世の人間はきっと自分を愚王と蔑むだろう。
だがそんな未来のこと、どうでもいい。
私は確かに生きていた。
必死に抗い、生きていた。
だからこれは私の最期の責務。
最期の我が儘。
最期の嫌がらせ。
エリウッド・アルヴィリアという存在が生きていたことを残すために真のアルヴィリアに爪痕を残す。
どうだルナミア・シェードラン。
お前はきっと今日という日を一生忘れない。
これはお前に対する最後で最大の抵抗であり、そして戒めだ。
ふと弟が目に入った。
驚愕の表情を浮かべているルナミアに対し、我が弟が浮かべているのは狂喜の笑み。
(ああ、そうか……。お前はそこまで……)
死の瞬間に全てを悟った。
ルナミアよ。
気をつけろ。
本当の敵はすぐ近くにいるぞ。
私と同じ末路は辿るな。
だがもしアレに破滅させられたのならそうだな……。
「━━向こうで笑ってやる」
直後視界が真っ赤に染まった。
石畳の地面に赤い水たまりが広がっていく。
こうして分不相応にもアルヴィリア王国を治めようとしていた男は呆気なく死ぬのであった。
※※※
「…………」
私は動けないでいた。
エリウッド王は私の目の前で身投げした。
まるで自分の死に様を私に見せつけるように……。
鼓動が早い。
胸が痛い。
自分でも良く分からない感情に突き動かされて叫びそうになる。
だが駄目だ。
私は取り乱してはいけない。
私は彼の死を覚え続け、進まなければいけない。
クリス王子が無言で部屋から去っていくと兵士たちが「ど、どういたしますか?」と訊ねてくる。
どうするかだって?
そんなの決まっている。
「エリウッド王の死を広めなさい。この戦、私たちの勝ちよ」
「は、はい!」
兵士たちが逃げるように部屋から去っていくと一人残った私はテラスの方に歩いていく。
やめろ。
やめておけ。
そんなものを見るな。
これ以上背負うな。
これ以上、私を壊さないでくれ。
だが内側からの必死の願いに反して私の足は止まらない。
手摺から身を乗り出し、下を見る。
そこには王だった男の残骸が転がっていた。
ああ、そうか。
こうなるのか。
為政者でなくなった人間はこうなるのか。
ならきっと私もいつかこうなるのだろう。
きっと、私は楽に死ねない。
「ふ、ふふ……」
なぜか笑いが漏れた。
自分でも何故笑っているのか、何に笑っているのかはわからない。
ただどうしようもなく可笑しく感じたのだ。
心が落ち着くと私は冷静にもう一度王だったものを見下ろす。
そしてこう呟くのであった。
「いずれそちらに」
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