第58節・王家の落日


 メルザドール城は静まりかえっていた。

数日前までは兵や従者が歩いていた廊下は無人となり、まるで墓場のような雰囲気に包まれている。

そんな王城の自室でエリウッド王はベッドに寝転んでいた。


 退却中の記憶は定かでない。

常に味方の怒声と悲鳴が聞こえ、無我夢中で逃げていた。

途中で馬が潰れたため泥に塗れながら徒歩で逃げ続け、どうにか王都まで逃げ帰れたのだ。


「……」


 怒ることも後悔することもできない空っぽな感情。

人は真に追い詰められると悟りを開けるのかと感心してしまう。


「……おや? 鎧も脱がずに。行儀が悪いですぞ?」


 そう言いながら部屋に入って来たのはトーマスであった。

彼は紅茶のポットを乗せたトレーを持ちながら苦笑し、近くの丸机にトレーを置く。


「陛下の好きな紅茶をお持ちしました。戻られてから食事も水も口にしていないと聞きますぞ?」


「……トーマス、放っておいてくれ」


「そうはいきませんよ。陛下のお世話をするのもこれが最後になりますし」


 その言葉に上体を起こすとトーマスは寂しそうに微笑む。


「お暇を頂こうかと思いまして」


「その方がいい」


 トーマスはカップに紅茶を注ぎ始めると「本当は」と呟く。


「共に戦う。そう考えておりましたがこの老体が戦場に立っても邪魔になるだけ。私は別の場所で私の役割を果たそうかと」


 紅茶を受け取り、口にするとやっとまだ生きている実感を得られた。


「陛下はこれからどうなさるおつもりで?」


「賢い王ならば降伏を選ぶのだろうな。だが私は━━」


 もう勝ち目は無い。

戦ったところで無駄死にするだけだ。

だがそれでも爪痕を残してやりたいと思った。

小さなプライド。

くだらない嫌がらせ。

あの英雄殿が数年ごとくらいに思い出すような終わり方をしてやろう。


「最期まで王でいよう。とはいえ民を巻き込むつもりはない。王都の門は開き、王城で迎え撃とう」


 生き残った僅かな将兵にも強要しない。

自分と同じようにルナミアに嫌がらせしたい奴だけ残ろうじゃないか。


「良い目をなされていますな。お父君の若い頃のようだ」


「父の?」


「ええ。ゲオルグ様も若い頃はまるで鷲のように鋭い目をしておりました。今の陛下はまるで当時のゲオルグ様のようです」


「それは……嬉しいものだな」


 ずっと憧れ、追い続けた背中。

結局追いつけなかったが父に似ていると言われると嬉しい。


「その表情を見れば分かります。陛下は先王を深く敬愛なされていた。貴方は父殺しなどではない」


「トーマス、それは━━」


 トーマスは「いいのです」と首を横に振る。


「これは私が勝手に思ったこと。この想像は墓まで持って行きましょう」


 聖堂の鐘が鳴り響く。

恐らく同盟軍が王都の包囲を始めたのだ。

終わりが近いことに深くため息を吐くとベッドから立ち上がる。


「そろそろだ。トーマス、達者でな。最後まで俺の味方をしてくれたこと、感謝する」


「私こそ。陛下にお仕え出来て光栄でした」


 深く頭を下げるトーマスを部屋に残して王座の間に向かう。

さあ、アルヴィリア王国最後の王としての責務を果たそう。


「ルナミア・シェードラン。未来が欲しくば奪いに来い」


※※※


 王都を包囲する新生同盟軍は主に三つの集団に分かれていた。

一つは西門前に布陣したダニエル子爵率いる部隊。

彼の下にはアヴィリス平原で味方になったフェリックス・ファルジアンの軍もおり、ファルジアン隊は最前列に布陣していた。


 もう一つは東門前に布陣したエリザベート・メフィルの部隊であり、ルナミアは先の戦いでの活躍を買って彼女に軍団指揮を任せている。


 そして最後の一つが南門、つまり王都の正門前に布陣したのはシェードラン大公軍とクリス王子軍だ。

シェードラン大公の陣では攻城戦に備えて多数の大砲や魔導砲が設置され、門を打ち破るための破城槌も準備が行われている。


 そんな本陣でエルは白亜の壁と称された王都を覆う壁を眺める。


「長居したものですわね」


 自分は偉大なる女王陛下の命によってルナミア・シェードランに近づいた。

本当はある程度外界について情報を収集したら帰るつもりだったのだが彼女の許で内戦を最後まで戦い抜いてしまった。


 正直言って結構楽しかったのだ。

エルフ以外の友人ができ、幾つもの死線を共に潜り抜けた戦友が出来た。

妹には悪いがシェードラン軍はもう二つ目の故郷と言ってもいいくらい愛着を持っており、もう数十年いてもいいかなと思ってさえいる。


「でもそうもいきませんわね」


 自分は女王に仕える竜狩りの末裔。

この内戦が終結すれば森に帰還するように指示が出るだろう。


「どうしたんですかあ?」


 背後から声を掛けられたので振り返ると大砲の砲弾を抱えたクロエが立っていた。


「内戦が終わったらどうしようか考えていましたわ。というかそれ重くありませんの?」


「あ? これですか? 全然! あと三個くらい持てますよお!!」


 砲弾を軽く振り回すクロエを見て相変わらずこの子の怪力に驚かされる。


「それで、エルさんは終わったらどうするんですかあ?」


「わたくしは森に帰りますわ。いい加減帰らないと妹が怖いですし。クロエさんは?」


「ウチも故郷に一度戻ろうかなぁーって。クルギス伯爵様も味方になりましたしー」


 噂によるとアーダルベルトも内戦が終わったらシェードランから去るらしい。


「少し寂しいですわね」


「……そうですねえ。でも! 今生の分かれじゃないんですからー! 数年に一度くらい会いませんかあ?」


「いいですわね、それ。エルフにとって数年なんて一瞬ですから」


 そう言うとクロエがじっと此方を見つめてきた。

「どうしましたの?」と首を傾げると彼女は「うーん」と唸った後、恐る恐る訊ねてきた。


「エルさんって何歳なんですかあ?」


「ふふ。秘密ですわ。でもそうですわね。この戦いが終わって、全部平和になったら教えてあげてもいいですわよ?」


「よおし! 頑張るぞー!!」


 クロエは砲弾を脇に抱えてガッツポーズを取ると砲兵隊の方に去っていく。

そんなに私の年齢が気になるのだろうか?

恐らくだが知ったら彼女は腰を抜かすはず。


「そんな姿を見るためにも最後の一押し。頑張らないといけませんわね」


 そう呟くと自分も決戦に備えるため弓兵隊のテントへ向かうのであった。


※※※


「そう。まだ敵に動きはないのね」


 本陣で伝令からの報告を受けた私はクリス王子と向かい合う。

現在、王都をどう攻略するかの話し合いを彼と行なっている。

エリウッド王に残された兵は少ないが聖アルテミシア騎士団━━つまり聖女レグリアは健在だ。

更に王都の入り口には砦が築かれているため王都制圧は簡単ではないだろう。


「引き続き守備隊に投降を呼びかけなさい」


 伝令が去って行くとため息を吐く。

敵が徹底抗戦すれば王都の民を巻き込むことになる。

民に憎まれては内戦終結後の統治が難しくなるだろう。


「そういえば発見されたアレはどうしたんですか?」


 アレというのは王都近くの砦に放置されていた超大型魔道砲ドーラのことだ。

ベールン会戦で大破した後、王家が回収して修理を行なっていたそうだ。

修理完了寸前にアヴィリス平原の戦いが終結したため慌てて放棄したようだった。

ドーラが修理され、決戦に投入されていたら大惨事だっただろう。


「とりあえず私の兵に見張らせてます。火事場泥棒に盗まれるといけないので」


 もっともあんな大型兵器を盗むことなど不可能だろう。

精々分解して鉄に変えるくらいしか価値がない。

……いや、もう一つ使い道はあるか。


「敵があまりにも粘りそうなら『ドーラを使えるように修理した』と宣伝するのもいいかもしれませんね」


「流言によって心理的圧迫感を与える。僕好みの策ですね」


 クリス王子が悪戯っぽく笑ったため私も釣られて小さく笑う。

ドーラがもたらす破壊については記憶に新しい。

恐らく敵はパニック状態に陥るだろう。

しかし━━。


「これは敵だけじゃなく民も恐れさせます。最後の手段にすべきかと」


 「確かに」とクリス王子は頷くと王都の方を見つめた。


「どうかされました?」


「……いえ。やっとだなと思いまして。父が死に、王都を追われてやっと戻って来た。やっと全部終わらせられる」


 そう言うクリス王子の顔には疲れが見える。

王都から追い出されて以降、彼に心休まる日は無かっただろう。

自分の兄と殺し合う心労は計り知れない。


「あの、クリス王子。エリウッド王のことなんですが━━」


「お話の途中、失礼します」


 ヴォルフラムがやって来たため二人で彼の方を向く。

「敵に動きでも?」と訊ねると彼は「ある意味では」と頷くのであった。


※※※


「敵がいない……? それは確かなの?」


「忍び込んだ密偵からの情報です。どうやら敵はエリウッド王の指示で各門を放棄した模様。王城に集結しているようです」


「……兄らしいですね。恐らく民を巻き込まないようにしたのでしょう」


 王都の門を手放すなど自殺行為に等しい。

だがそれでもエリウッド王は民の安全を選んだのだ。


「如何いたしますかな?」


「王都に進軍するわ。ただし各将に略奪をはじめとした民に危害を加える行為を禁止させなさい。命令違反をした場合は即時処刑する」


 町を占領したときに最も気をつけなければいけないのが掠奪だ。

兵士たちは金や女に飢えている。

誰かが掠奪を始めたら全軍に伝播してしまう。

故に厳しく縛り付けなければいけないのだ。


「畏まりました。すぐに伝令を出しましょう」


 ヴォルフラムが去って行くと深呼吸をする。

内戦終結に向けて物事が加速的に進んで行く。

まるで何かに導かれているようで奇妙な怖さを感じる。


「クリス王子。王都を制圧したら改めてエリウッド王に降伏するように呼びかけます。ですがそれでも駄目だった場合は……」


「覚悟は出来ています」


 私たちは頷き合うと歩き出す。

さあ、この内戦を終わらせよう。

簒奪者の罪を背負い、新たな世を到来させるのだ。


※※※


 新生同盟軍による王都包囲はすぐに終わった。


 エリウッド王の指示により王軍はメルザドール城まで後退。

城にて最後の抵抗を行おうとしていた。


 一方同盟軍は王軍が後退したことにより無傷で王都に進軍、制圧を行った。


 ルナミア・シェードランの厳命により同盟軍による掠奪等は行われずメルザドールの人々は安堵する。

そしてメルザドール城を包囲した同盟軍はエリウッド王に無条件降伏の使者を送るのであった。

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