第55節・一瞬の躊躇い
氷の宮殿内で銀の閃光が駆け抜けていた。
床や壁、柱から次々と氷のスパイクが現れ聖女を貫こうとする。
だがあらゆる方向から放たれる攻撃にも聖女は完璧に反応し、一切足を止めずに宮殿の主に向かって突撃を行う。
対して氷竜王は逃げに徹していた。
自分が圧倒的に有利な場に敵を引き摺りこんだのだ。
宮殿の冷気は敵の体力を奪い続け、自動的に攻撃が行われ続ける。
そこに氷の矢を放ち続けて消耗戦に持ち込むのは正しい判断だ。
それが普通の相手であれば。
(でもそれだけじゃアイツは止められない。さてどうしたものかにゃ……)
柱の陰に隠れながらメリナローズは様子を伺う。
聖女に投げ飛ばされた際に一緒にこの宮殿に取り込まれてしまったのだ。
聖女も氷竜王も此方を完全に無視してくれているのは有り難いが……。
「いや! さむ!? 死ぬ! これは死んじゃう!?」
凍結宮殿は敵味方関係なく体温を奪っていく。
もともと寒さに強い氷竜王や全てが出鱈目なレグリアは平気だろうが自分はそうはいかない。
”味方”のせいで凍死するとかシャレにならない。
「とはいえアレに介入するのは無謀だしにゃあ……」
今のレグリアは本気を出しつつある。
流石に空間操作までは使わないだろうが王国の聖女ではなく女神の殉教者として氷竜王と戦っている。
彼女の攻撃は最早不可視の速度に到達しており近づくだけでも危険だ。
対する氷竜王も周囲を気にせずレグリアを面制圧しており時折流れ弾が近くに飛んでくる。
うん、やはりここに居よう。
ここに隠れて二人の戦いを見守るだけ。
レグリアが勝てば計画の邪魔になる氷竜王が消えるのだ。
それは良いことのはず。
そう、そのはずだ……。
「……本当に、どうしたらいいのよ」
※※※
フェリアセンシアは焦っていた。
切り札として発動させた凍結宮殿。
これは自分にとって必殺の戦術であり、攻守ともに最強の魔術だ。
この術を喰らって生き延びたものはいない。
誰もがこの宮殿で凍り、死んでいく。
(だというのに勢いが衰えない……!!)
動くことすら辛い筈だ。
手足が凍り、壊死しそうになっている筈だ。
普通ならばもう凍死しているか宮殿の放つ攻撃によって串刺しにされている。
だがこの敵は違った。
全身に霜が付着しているような状態でも動きは衰えず、むしろどんどん速くなっている。
内側から放たれる闘気はマグマのように燃え滾り永久凍土を溶かそうとしている。
次元が違う。
そう感じた。
これはおかしい。
アレは人の範疇を超えている。
本来地上に存在してはいけないもの。
人界に介入する契約違反者。
「━━そんな筈は!!」
聖女の床から幾つもの杭が出たのと同時に彼女の頭上に氷塊を生み出した。
上下からの同時攻撃。
それに対して敵が取ったのは単純な力押しであった。
杭から逃げるために跳躍を行い、そのまま戦斧を振るうと氷塊を叩き壊す。
更に彼女は戦斧の刃に光を宿らせるとそのまま光刃として放ってくる。
それを横への跳躍で避けると敵が空中で砕いた氷塊を蹴って突っ込んでくるのが見えた。
咄嗟に目の前に二本の巨大な氷の柱を生み出し彼女の攻撃を受け止めると今度は後ろに跳ぶ。
その直後に柱が叩き切られ、先ほどまで立っていた場所に戦斧が叩き込まれた。
やはり正面からの力比べでは勝負にならない。
竜化する手もあるが凍結宮殿と併用すると魔力がもたず、短期戦になってしまう。
「ならばこれはどうでしょうか!!」
現れたのは千を超える氷の針。
聖女を中心に半球状に展開し、氷のドームを築きあげる。
針はまるで豪雨のように聖女に襲い掛かり、それと同時に聖女も戦斧を回して防ぎ始める。
刃が針を砕き、氷が粒となって煌めく。
恐ろしいことに全方位からの連続射撃であってもこの聖女を傷つけることができず、針は全て彼女に到達する前に砕かれる。
だがそれで構わない。
針による弾幕はあくまで準備行動。
本命は……。
「……これは」
聖女の動きが初めて鈍った。
砕けた氷の粒が彼女に付着し、全身を凍らせ始めている。
最初からこれが狙いだ。
攻撃はほぼ確実に防がれてしまう。
たがそれが砕けた氷の粒ならば?
攻撃と認識されないものならば防がれない。
このままジワジワと体を凍らせていけば━━。
「━━!?」
前進してきた。
既に体の半分が凍結しているにも関わらず大股で一歩一歩前進してくる。
駄目だ。
このままでは駄目だ。
長年培った経験と本能が警鐘を鳴らす。
持久戦などといった生温い戦法では死ぬ。
この勝機を逃せば絶対に勝てない。
「くっ……!! 私好みではありませんが!!」
残存する魔力を全て使って武器を生み出す。
城塞すら打ち砕く巨大な突撃槍。
敵の動きが鈍っている今なら直撃させられる。
息を大きく吸い床を蹴った。
完全に防御を捨てた突撃。
それに対して敵は体が思うように動かずゆっくりと戦斧を構えている。
(殺れる……!!)
無敵と謳われた聖女を倒せる。
クレスが居なくても自分はやれる。
高揚感に後押しされ更に加速した。
そして突撃槍を叩き込もうとした瞬間━━目が合った。
「━━ッ!!」
見開かれた瞳。
窮地に追いやられてもなお崩さない冷たい表情。
まるで心臓を鷲掴みにされたかのような恐怖を感じた。
(これは……駄目です……)
間違いない。
自分は死ぬ。
敵は相打ちに持ち込む気だ。
いや、もう持ち込まれている。
全てがスローモーションに見えた。
突撃槍の先端は聖女の胸に向かい、横からは戦斧の刃が迫っている。
一か八かで逃げるべきか?
それともこのままこの敵と相打ちになるか?
躊躇いは僅か一瞬。
だがその一瞬は勝負を決めるのに十分であった。
突撃槍が命中する前に戦斧が槍に叩き込まれる。
必殺の一撃は文字通り砕け散り、破片を全身で浴びてしまう。
「……あ」
右目に砕けた破片が突き刺さる。
全身に破片が命中し、錐もみになりながら吹き飛ばされる。
痛い。
全身が激しく痛む。
自分が致命的なミスをしたことに絶望し、震える。
「クレス……助け……」
直後、側頭部に戦斧の石突が叩き込まれて意識を失うのであった。
※※※
フェリアセンシアが気を失うと、レグリアは小さく息を吐いた。
油断をしていた訳ではない。
出せる範囲での全力でこの敵と戦った。
もし氷竜王が土壇場で躊躇ってくれなければ相打ちになっていただろう。
「…………」
倒れた氷竜王の方を見る。
彼女の体には幾つもの氷の破片が突き刺さり、痛々しい姿となっている。
術者が意識を失ったため凍結宮殿も消えつつある。
フェリアセンシアは瀕死だ。
もう立ち上がることは無いだろう。
だが━━。
「━━止めを」
今回の一戦で分かった。
氷竜王も雷竜王と同じく我らにとって大きな脅威になる存在。
故にここで確実に始末しなければならない。
戦斧を構えなおしゆっくりと彼女に近づく。
そして大きく戦斧を振り上げ、そのまま振り下ろそうとした瞬間━━鎖が両腕に巻き付いた。
「……どういうつもりですか? ”大淫婦”?」
※※※
どういうつもりかだって?
そんなの自分でも良く分かっていない。
氷竜王が殺されると思ったら動いていた。
これはどう見ても反逆行為だ。
こんなことをして”殉教者”が許すはずがない。
だが━━。
「も、もういいんじゃないかしら? 勝負はついたはず。これ以上の戦いはアンタにとっても無意味でしょう?」
”殉教者”は何も答えない。
ただ背筋が凍るような視線を此方に向けてくるだけ。
全身に冷や汗を掻きながら彼女の一挙手一投足を見逃さないようにする。
「王軍はここで負けてルナミア・シェードランが英雄となる。それがアタシたちの計画でしょう? だったらさっさと敗走しなさいよ! アンタこそどういう立場でそこに立っているのよ!!」
聖女レグリアが敗走すれば王軍は総崩れとなる。
そういう計画だった筈だ。
”殉教者”は暫く無言でいると「そうですね」と静かに頷いた。
「”大淫婦”、貴女の言う通りです。私が敗走すれば新生同盟軍は勝利する。だからこそ私は見極めたい」
「見極める? 何を?」
「ルナミア・シェードランが本当に”英雄”と呼ばれるのに相応しいのか。そして人間は今も昔も変わっていないのか」
それはどういう意味だと訊ねる前に強烈な殺気を感じた。
咄嗟に後ろに飛び退くと刃が喉の直ぐ近くを通過する。
この女、いま本気で私を━━。
「━━殺そうとしたわね!!」
怒りのあまり怒鳴ると”殉教者”は涼しい表情で頷いた。
マズイ。
非常にマズイ。
こいつ相手には逆立ちしたって勝てっこない。
すぐに逃げるべきだろう。
いや、そもそも逃げ切れるのか?
それにもしここで逃げたら氷竜王は……。
(……エドガー君はアタシのことをどう思う?)
舌打ちする。
どうかしている。
本当にどうかしている。
自分は馬鹿を演じている間に本当に馬鹿になってしまったらしい。
「ああもう!! 仕方ないにゃあ!!」
展開できる限りの鎖を生み出して身構える。
そして一斉に放った。
策も何もない単純な面制圧。
そんなものがこいつ相手に通じる筈もなく鎖は全て弾かれた。
(消えた!? 来る!!)
”殉教者”の姿が一瞬で消えたため直ぐに前に駆けだした。
すると背中を刃が掠め浅く斬られる。
振り向きながら袖から鎖を放つと彼女の首に巻き付ける。
だが敵はそれを片手で砕くと再び姿を消す。
己の勘に従い目の前に何重もの鎖の壁を構成すると戦斧がそこに叩きつけられた。
光刃を纏った戦斧は魔力の鎖を一撃で粉砕するがそれは想定内だ。
”殉教者”の動きが僅かにでも遅滞すると全力で駆け出し倒れている鎖を伸ばして氷竜王の身体に巻き付けた。
そしてそのまま手繰り寄せると抱きかかえて逃げ出す。
「私から逃れられるとでも?」
「思ってないけど逃げる!!」
横に現れた”殉教者”を無視して走り続ける。
連続で放たれた斬撃を必死に躱しながら逃げる、逃げる、逃げる。
(というかよく躱せているね! アタシ!!)
いや私が避けられているのではない。
”殉教者”が本気ではないのだ。
本来ならば最初の一撃で此方の首は落ちているはずだ。
殺しに来たと思えば手を抜いたりこの女の考えていることが全く分からない!!
「もー!! なんだか分からないけど逃げ切る!!」
戦場でそう叫びながら追ってくる怪物から必死に逃げ回るのであった。
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