第49節・凪の平原
エドガーは数名の騎兵と共にアヴィリス平原を駆けていた。
少数による偵察。
双子山付近に布陣していた王軍にエリウッド王の軍が合流したらしく、敵の士気は非常に高かった。
数では此方が圧倒しているが相手は不退転の決意を持った兵たち。
慢心すれば大敗を喫するかもしれない。
敵陣から離れ、味方の陣地の近くまで到着すると馬を止める。
そして一息吐くために「ふう」と兜を脱ぐとフランツが「なにやら浮かない顔だな?」と訊ねてくる。
「ああ、少し、な」
「敵のことか? 確かに敵は精兵ぞろいだが我らも勝るとも劣っていないぞ!」
「敵のこともあるがどちらかというと俺の懸念は味方……いや、身内かな」
そう言うとフランツは首を傾げ、「閣下のことか?」と言う。
「ルナミア様のこと……でもあるな」
あの一件以降ルナミアは自分、いや、昔からの知り合いと距離を取るようになった。
彼女と会話できる機会は軍議の時ぐらいでありそれ以外では顔を見る事すら難しくなった。
彼女がどんどん遠くに行ってしまう。
多くの人間の上に孤独に立つルナミアはどれだけの重責を感じているのだろうか……。
「……せめてリーシェ様がいればな」
「リーシェ様━━ルナミア様の妹君だな。お会いしたことは無いがルナミア様と仲がとても良いと聞いている。どのような方なのだ?」
「そうだな……。ルナミア様と同じく優しくて、それからちょっと抜けたところがある人だな。いつもルナミア様がリーシェ様の手を引っ張って、そしてリーシェ様もルナミア様を支えていた」
何もかもが懐かしい光景だ。
あの頃はヨアヒム様も居て、ウェルナー卿も居た。
時折コーンゴルドにヘンリーがやって来たり、ミリとロイがルナミア様とリーシェ様を引っ張って何処かに遊びに行ったり、それを後からユキノが叱ったりで平和な時代だった。
もう戻らないと分かっていてもあの過ぎ去った日々を求めてしまう。
「戦いが終われば全て元通りになるんだろうか」
「何をもって元通りとするかによるがルナミア様も我らも皆が心穏やかに暮らせる世を目指している。そうだろう?」
フランツの言葉に頷く。
戦無き世を作る。
そのために多くの血を流してきたのだ。
我々に躊躇いも後悔も許されない。
この手で討った敵の想いを継ぐためにも必ずこの内戦をより良い結果で勝利しなくては。
「……ふむ? そのしかめっ面、ルナミア様だけの事ではないと見た。他にも何か気がかりがあるのか?」
「それは……個人的なことだから気にしないでくれ」
もう一人自分を避けている人物がいる。
メリナローズだ。
ここ最近、彼女は明らかに此方を避けている。
理由は察しているのだが、ああもワザとらしく逃げられると少し腹が立ってくるというものだ。
そうだ。
そろそろ此方からガツンと行くことにしよう。
覚悟を決めた男の度胸を見せてやろうじゃないか。
「さて、いつまでもこうしてはいられない。帰還するぞ」
そう言うと馬で駆ける。
それに続いてフランツや他の騎士たちも動き出し新生同盟軍の陣地へ向かうのであった。
※※※
新生同盟軍の陣地は人で溢れかえっていた。
諸侯の兵士たちだけではなく勝ち馬に乗ろうと各地から集まった傭兵や一儲けしようと訪れた娼婦たち。
更に噂ではこの戦を見届けるために西方の司教区から女神教の司祭たちやミカヅチの国から特使が来ているという。
大戦が迫る中、陣は妙な熱気と重苦しさに包まれている。
シェードラン大公の本陣に到着すると馬から降り、待機していた従騎士たちに手綱を渡した。
そして本陣を見渡すとすぐに派手な水色の髪が目に入ってくる。
「はいはーい! メリナちゃん印の支給品だよー!! あ、アタシにおさわりは駄目だからにゃあ!」
どうやらメリナローズは食料の支給を手伝っているらしく、彼女の腕には籠一杯のパンが抱えられていた。
「よし」と小さく呟くとフランツに先に行ってくれと伝え、メリナローズに近づく。
そして「一つくれ」と言うと彼女は「はーい!」と振り返って止まった。
「エ、エドガーくん!? あ、ああ。帰ってきたんだ。じゃあ、パンあげるからアタシはこれで……」
「おい待て」
パンを渡してこようとしたメリナローズの腕を掴むと彼女はビクリとする。
「は、離してくれにゃいかなあ?」
「逃げなければ離す。どうして俺を避けるんだ? 流石にこうあからさまにやられると腹が立つ」
「いやいや、避けてないから」
「いいや、避けてる」
メリナローズは困惑しながら周りを見た。
周囲の兵士たちが何事かと集まってきたため兵士たちに「騒いで済まない」と謝っておく。
そして逃がさないぞという意志を込めてメリナローズを見つめると彼女は気まずそうに目を逸らした後、小悪魔な笑みを浮かべた。
「しかたないにゃあ。なら教えてあげる。大事な戦いの前にメリナちゃんの魅力でエドガー君が腑抜けにならないように優しいメリナちゃんは思ったのです」
「……ほう? 俺が腑抜けると?」
あくまではぐらかすメリナローズに少しイラっときて彼女の腰に腕を回した。
「ちょ!? ちょっと!? エドガー君!?」
逃げようとするメリナローズを抱き寄せじっと見つめる。
すると彼女は珍しく動揺した表情で目を泳がせた後、顔を赤らめながら強引に此方から離れた。
そして何かを言おうと口をパクパクと動かすが言葉が思い浮かばなかったらしく、パン籠をその場に置いて去っていく。
(……少しやり過ぎたか)
鼓動が激しく動いている。
自分でもどうかしていると思ったがこのまま避けられ続けるよりマシだと思ったのだ。
「……なんというか、随分と肉食系になりましたわね」
声の方に振り返るとクロエの目を手で覆ったエルが立っていた。
「あのぉ? 一体何が……?」
「クロエさんは気にしなくてもいいんですのよ。ちょっと獣がいただけですわ」
「おい、聞こえてるぞ」
「聞こえるように言っているんです」とエルが返して来たため気まずくなって頬を掻く。
周りの兵士たちも「団長がなぁ……」とか「くぅ!? 羨ましい!?」とかヒソヒソと離しているため「解散!!」と大声で集まっていた人々を散らす。
エルもクロエを連れて去ろうとするがその前にパン籠を回収し、そして此方にパンを一つ投げ渡して来た。
「何があったのかは知りませんが早いところどうにかしてください。お二人がぎくしゃくとしている所はあまり見たくありませんから」
「ああ、そうする」
「では」と去っていくエルを見送ると貰ったパンを齧った。
固くてパサパサとしたパンだが今はそれが気を引き締めてくれる。
「どちらの”戦”にも勝たないとな」
そう言うとパンを全て食べ、ルナミアのいるテントへ向かうのであった。
※※※
「━━以上が諸侯の動向で御座います」
軍議を行う大きなテントの中でヴォルフラムからの報告を聞き終えるとつい僅かに眉を顰めてしまった。
「決戦を前にしても纏まらない、か」
勢力を急増させた新生同盟軍は大きな問題を抱えていた。
軍には私に忠誠を誓う者、単に恐怖から従う者、勝ち馬に乗ろうと寄って来た者、未だに王家に弓引くことを躊躇っている者などがいる。
軍の規模が大きくなるほど不協和音は酷くなり、烏合の衆と化しつつある。
「実際に頼りになるのは半分と考えた方が良いでしょうな」
「ええそうね。怪しい連中は後方に配置しましょう。今回の戦いは白銀騎士団や古参の将、そしてメフィルを主軸としましょう」
「ほう? メフィルを?」
「彼らは戦後のため、是が非でも今回の戦で手柄を立てたいと考えている。中途半端に生き延びたいと考えている奴らよりは遥かに役立つわ」
メフィルはシェードランに降ったとはいえかなりの兵力を保有している。
終戦後のことも考えてこの戦いでメフィルを消耗させておく必要がある。
「中央には白銀騎士団とクルーべ侯爵を。左翼にはダニエル子爵とクルギス伯爵。そして中央後方に私とクリス王子が近衛と一緒に布陣するわ」
「……近衛隊。役に立ちますかな?」
「そうじゃなきゃ困るわ」
軍を再編成する時に新設されたのが近衛隊だ。
その名の通り大公である私を護衛する部隊であり、その大半は粛清以降に恭順したメフィル反乱軍だ。
ザイードの裏切りのせいで後がないと考えている彼らは文字通り必死だ。
実力こそ白銀騎士団に劣るが良い護衛となってくれるだろう。
「此方の布陣については後で諸侯を交えて決めましょう。次は敵の陣容だけれども……」
掲示板に貼り付けられた地図を見る。
敵は約八万。
東の双子山に二万、西の双子山に三万、そして中央の街道に三万という布陣だ。
予想通り中央には聖アルテミシア騎士団がおり、更にエリウッド王と忠臣と名高いエルメドール卿の軍が合流している。
東山にはマルゼン卿率いる軍が布陣しており、多数の大砲を設置して要塞化している。
そして西山にはエルメドール卿の盟友であるファルジアン卿が陣を構えている。
エドガーたちからの報告では敵の練度や士気は高いとのことだ。
正面からでは大損害……下手をしたら敗走もあり得るかもしれない。
だが今回の戦いは完勝しなくてはならない。
僅かでも敵に余力を残してしまえば戦いは更に長引いてしまう。
王家と、王家に味方する勢力をこの地で徹底的に叩き潰さなければいけないのだ。
「例の策の方は?」
「此方の合図さえあれば動けるとのことです」
今回の戦いのために以前から一つ策を仕込んでいる。
その策さえ上手く行けば私たちは圧勝できるだろう。
「敵に悟られないよう細心の注意を。さて、他に確認すべきことはあるかしら?」
軍議の前の打ち合わせは大体終わったと思う。
あとは諸侯が妙なことを言いだして場を荒らさなければいいが……。
「敵よりも味方に悩むことが多いわね」
「それが人の上に立つ者でしょう。覚悟の上で新生同盟軍を結成したのでは?」
「……相変わらず手厳しいこと。まったく貴方の小言には腹が立ってばかりだわ」
そう言うとヴォルフラムは「参謀とはそういうものです」と鼻で笑った。
━━一発殴ってやろうか?
しかし彼の歯に衣着せぬ諫言には助かっている。
この男は信用できないが信頼は出来る。
常に此方の意図を汲んで行動してくれるのは有難いのだ。
「まあ兎に角、悩みの種を一つこの戦場で無くしましょう」
話は終わりだとテントから去ろうとするといきなり騎士が飛び込んできた。
ヴォルフラムが「何事だ」と眉を顰めると騎士は慌てて跪き、「し、失礼いたします!」と頭を下げた。
ただならぬ様子にまさか敵襲ではと身構えると騎士は顔をあげ、もっと驚くことを言うのであった。
「ク、クリス王子が、お倒れになりました……!!」
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