第95節・月夜のすれ違い


 砂漠には死が広がっていた。

等間隔に並べられた杭。

その杭に串刺しにされた人々。

ベージュの砂をドス黒い赤で染め、死臭は遠くまで放たれている。

老若男女みな等しく苦悶の表情を浮かべて息絶えており、彼らが生きたまま串刺しにされたのだと分かる。


「……」


 吐きそうだ。

彼らが一体何をしたというのか?

なぜあのような悲惨な姿にならなければならなかったのか?

腹の底から怒りが込み上げて来る。


「同胞たちよ!」


 ザイードが皆の前に出ると拳を振り上げた。


「彼らの姿を見よ! 彼らの苦痛と絶望から目を逸らすな!! この光景を目に焼き付け、憎むのだ!!

 憎悪を! 怒りを力に変え我らはディヴァーンに勝つ!!」


 ザイードの言葉に兵士たちは怒号のような鬨の声を上げる。

ディヴァーンに勝つ。

味わってきた苦痛を数倍にして返す。

決戦を前にした狂気に私は少し恐怖を感じていた。


「戦の狂気に呑まれないようにしな」


 そう言ったのは隣にいるヴァネッサだ。


「戦で感じる高揚と狂気は違う。狂気に呑まれりゃ畜生に堕ちちまう。アタシらはずっとディヴァーンにいいようにされて来たからね。次の戦はタガが外れちまうかもしれない」


「……つまり?」


「次の戦はどっちが勝っても凄惨な殲滅戦があるだろうってことさ」


 これは戦だ。

敵を打ち破り、徹底的に叩きのめす。

そのことを否定はしない。

だが戦意を失い無抵抗の者を背後から討つのはやはりいい気分ではないだろう。


「どんな戦場でも自分を見失わない。それが長生きの秘訣さね。アンタも死にたくなかったら覚えておきな」


 ヴァネッサの言葉に私は無言で頷く。

そしてザイードが拠点に戻る号令を出し、反乱軍は決戦に備えて拠点に戻るのであった。


※※※


 夜。

反乱軍の拠点では祭りが行われていた。

まもなく始まる決戦に向けて兵士たちを奮い立たせる祭り。

人々は火を囲み、集まって酒を飲んだり踊ったりしている。

皆、さきほど見た光景は忘れていない。

祭りで騒ぎつつもその瞳には決戦への闘志、そして憎悪が籠っている。


 私とミリは皆から少し離れた場で休憩しており、私はずっと考えてることを彼女に相談してみることにした。


「私、ロイのこと好きなんだと思う」


「………ごふ!?」


 酒を飲んでいたミリはむせてしまい、私は慌てて「だ、大丈夫!?」と彼女の背中を擦る。


「だ、大丈夫よ……。そ、それで? 好きってのはどういう好きかしら? ほら、友達としてとかあるじゃない?」


「異性としてだと思う」


 そう答えるとミリはしばらく夜空を見上げ「あー……」と唸った後、大きなため息を吐いた。


「知ってた」


「知ってたの!?」


「そりゃあはたから見ても分かるもの。てかアンタの気持ちを理解していないのはロイとアンタ自身だけよ?」


 衝撃的な事実だ……。

みんなの方が私よりも私のことを理解していたとは……。


「それで? ロイには告白したの?」


 慌てて首を横に振る。

つい先日自分の気持ちに気が付いたのだ。

”好きだ! よし、告白しよう!!”とはならないだろう、普通。


「まあそれもそっか……。このことは他の連中には?」


「まだ言っていない。ヘンリーおじ様は相談しにくいし、ユキノに相談するのは色々と危険すぎる……」


 クレスに相談してもきっと彼女のことだ、『押し倒せ!!』とか言うに違いない。

そうなるとこの手の話を相談できるのはミリしかいなかった。


「しっかし本当、ようやく気が付いてくれたわねえ。これで私も少し気持ちが楽になるわ」


「ミリの?」


「そう、私の。理由は言わないけど」


 首を傾げているとミリがにやつきながら「で? どうするのよ?」と訊ねてきた。


「告白するの? しちゃうの? てかしなさいよ」


「いや、でも……いきなりというか、自分自身の気持ちも整理できてないし。それにロイが私をどう思っているかも……」

 

ミリに特大のため息を吐かれた。

そして彼女に頬を指で突かれ半目で睨まれる。


「この、朴念仁! アイツの態度を見りゃ分かるでしょに」


「……そうなの?」


「そうなの!」


 頬が一気に熱くなる。

そうなのだろうか?

確かに今思い出してみればそれっぽい気もする。

だがこっちに来てからはロイに避けられている。

もしかして何か嫌われることをしてしまったのではないだろうか?


「何考えているか大体想像できるけど多分アンタが考えていることは違うわよ」


「そう、かな?」


「アイツは今くだらないことで悩んでいるのよ。だからアイツの悩みを解決するということも含めてここはアンタがガツンと……って、何よそのふくれっ面」


「なんかミリの方がロイをよく理解している気がする」


「そ、そんなこと無いわよ? これもみんな気が付いていることだから!」


 ミリは少し顔を赤くしながら首を横に振る。

そうなのか。

もしかしてロイの悩みについても気が付いていないのは私だけだったのか?

そうなると朴念仁という言葉に全く反論できない。


「とにかく! 告白するしないは置いておいてロイとちゃんと話しなさい。もうすぐディヴァーンとの決戦なんだから」


 フゲンにも言われたことだ。

後悔しないように思っていることは伝える。

ロイと話そう。

話して私たちの間に生じているすれ違いを解消しよう。


 そう思っていると遠くにロイが居ることに気が付いた。

ミリも気が付き「ほら、声かけなさいよ」と言うがその間に彼は私たちのテントに入ってしまう。

それから少し遅れてルシャが現れた。

彼女がロイを追うようにテントに入っていくのを見ると私たちは顔を見合わせる。


「よし、私もついていくわ。あの子にはガツンと言いたいのよ」


「あの、暴力は駄目だからね?」


 「あの子の聞き分けがよかったらね」とミリは悪戯っぽく笑う。

ルシャと話さなければいけないのは私だろう。

もしかしたら喧嘩になるかもしれない。

それでも私のこの気持ちは譲ってはいけないものだ。


 ミリに「いい顔するじゃない」と言われ頷くと歩き出す。

そして私たちはテントの前に来るとゆっくりと入口の布をめくるのであった。


「━━ロイ?」


※※※


 そんな祭りの場から離れた場所にロイは居た。

雑念を振り払うように必死に素振りをし、額からは汗が流れている。


 昼に見た光景が頭から離れない。

ディヴァーンによって無残に殺された人々。

決戦で敗れれば自分たちも彼らと同じように串刺しにされ、晒し者にされるのだろう。


「…………」


 もし、もし戦いに負けたら?

もしリーシェを守れなかったら?

自分に彼女を守り切れるだけの力はあるのか?

もしかして自分が居ないほうが彼女が生き延びれるのではないか?

一度悪い方向に物事を考え始めるとどんどん思考がそっちに引っ張られてしまう。


 剣を振るのを止め、息を整えると拳を強く握りしめる。


(俺は何をしているんだ……!)


 一人で悩み、一人で不安になっている。

なんという貧弱さだ。

自分の弱さがリーシェを傷つけていることにも気が付いている。

彼女と話すのがなんとなく気まずく、距離を取ってしまう。

そしてそんな態度をしてしまった時のリーシェの表情が忘れられない。


「このままじゃ駄目だ」


 このまま彼女を遠ざけてもなんの解決にもならない。

話そう。

ちゃんと話して、そして決めよう。

そう決断し、剣を鞘に戻すと自分たちのテントに戻る。

テントの中には誰もおらず、そのことに少しホッとした。

気持ちが落ち着くまで少しここで休もう。

そして━━。


「ロイ様?」


 背後から声を掛けられ振り返るとそこにはルシャが立っていた。

少し酔っているのか彼女の頬は僅かに赤くなっており、なんだか少し艶めかしく感じた。


「どうしてここに?」


「ロイ様が何やら思いつめた顔でテントに入っていくのが見えたので……」


「参ったな。そんなに顔に出ていたのか」


 一度テントに戻ってきて良かった。

思いつめた顔でリーシェに会いに行ったらますます気まずくなっていたかもしれない。


「……何か悩み事ですか?」


 そう言うとルシャが近寄ってきたため「まあ、少し……」と頬を掻く。

香の匂いだろうか?

彼女から良い匂いがする。

なんだか全てを話したくなる。

そんな匂いが……。


(いや、なにを考えているんだ! こんなんだからこの子に勘違いをさせるんじゃないか!)


 この子にどう接するべきかも悩んでいることの一つだったりする。

自分に向かって好意を向けてくれることに悪い気はしないが少々積極的すぎる。

申し訳ないが彼女の行為を受けるつもりはなく、そのことを彼女を傷つけないようにどう伝えたらいいか悩んでいるのだ。


「私でしたらいくらでも相談に乗りますよ?」


 上目遣いに覗き込んでくるルシャに対して一歩下がると考える。

こんなこと彼女に話していいのだろうか?

彼女はこの件に何も関係がない。

巻き込むべきではないだろう。


「ふふ……。近くないからこそいえることもありますよ? そして言ったからこそ近くなれることも」


「…………」


 どうしたものかと考えているとルシャは「リーシェさんのことですか?」と静かに訊ねてくる。


「そう……だな」


 少し鍛錬をし過ぎたのだろうか?

思考が鈍る。


 ルシャにベッドに腰掛けるように促され腰掛ける。

そして気がつけば悩んでいることを全て話してしまった。

自分がこんなに口が軽いことに驚いているとルシャは「そうですか……」と呟いた。

そして目の前に立つと首をゆっくりと横に振る。


「そんなにご自身を卑下なさらないでください。ロイ様は私を助けてくださいました。もう駄目だ。助からないと思ったときに体を張ってディヴァーンを倒してくれた。ロイ様は間違いなく私にとって英雄です」


「だけど……」


「もし、もしロイ様がリーシェさんの騎士に相応しくないか悩んでいるのであれば……」


「……!?」


 ルシャが服を脱ぎ始めた。

テントに僅かに差す月明かりに少女の裸体が照らされる。

彼女はそっとこちらの肩に手を置き、抱きつくように近づくと耳元でささやく。


「ロイ様? 私の騎士になってください」


「な……にを……」


 頭がクラクラする。

まるで酒に酔ったかのように心地よく、もうすべて投げ出したくなる。

ルシャの体温を感じ、彼女の腰に手を伸ばそうとした瞬間━━。


「━━ロイ?」


 幼いころから知っている少女の声に意識がはっきりとしてく。

強張る体を声のほうに向けるとそこには目を点にしたリーシェが居たのであった。


※※※


 テントの中は気まずい雰囲気となっていた。


 呆然と立ち尽くするリーシェ。

裸で抱きついているルシャ。

何か言わなければ。

何を言えばいいんだ?

この状況、何を言っても言い訳になってしまう。


「リーシェ……」


 ようやくリーシェの名を呼ぶと彼女は目を泳がせ、それからぎこちない笑みを浮かべる。


「ご、ごめんね。私、なんか邪魔をしちゃったみたいで……」


「ち、ちが……!!」


「きゃっ……!!」


 ルシャを押しのけてしまい、彼女が床に転がる。

彼女の裸を見ないように慌てて顔を背けるとリーシェと目が会う。


 泣きそうだった。

リーシェが今にも泣きそうな、それでもこちらを気遣って我慢した笑みを浮かべている。


(俺は、何を!!)


 どうしてルシャに全て話した?

どうしてルシャを拒まなかった!!

自分は大馬鹿野郎だ!!

リーシェにあんな顔をさせて、俺は━━!!


「私、行くね」


「ま、待ってくれ!!」


 リーシェに手を伸ばすが彼女は走り去ってしまう。

虚空を掴んだ拳を握りしめ、俯くとルシャが「その……」と自分の服を回収して着ると「す、すみませんでした」と去っていく。


 一人取り残され、俯き続ける。

どうしてこうなった?

いや、全ては自分のせいだ。

自分の愚かさが彼女を傷つけてしまった。

こんなことで俺は彼女の騎士なんかに……。


「歯を喰いしばれッ!!」


「!?」


 突然顔を殴られ、尻もちをついて倒れてしまう。

何事かと見上げれば目に涙を浮かべ、顔を真っ赤にしたミリが仁王立ちしている。


「ミリ……」


「このッ……バカタレッ!!」


 ミリに胸倉を掴まれ無理やり立たされる。

今は何を言われても反論できない。

自分は殴られるだけのことをしたのだから。

そんな諦観に近いこちらの感情を察したのかミリはますます怒り、もう一度こちらの顔を殴った。


「走れ!!」


「……え?」


「追いかけろって言ってんのよ!! 言い訳すんな! 反省しているなら追いかけろ!! アンタ、あの子の騎士なんでしょう!! だったら自分の主をほっぽり出して何をしているのよ!! 自分が傷つけたと思っているならアンタがあの子をどうにかしなさい!! それが出来ないっていうなら━━」


 ミリは泣いている。

リーシェだけでなく、彼女まで泣かせたことに胸が締め付けられる。


「━━アンタは騎士どころか男としても最低よっ!!」


 最低だ。

本当に最低だ。

彼女の言うことは全て正しい。

だから。


「追いかけてくる」


 そう静かに言うとミリは胸倉を掴むのを止め、「ほら! 行け!!」と前から退く。

それと同時に駆けた。

顔を赤く腫らして情けない格好で走る。

走って、走って、走り続けてリーシェを探す。

途中で転びながらも必死に走り、他の人たちに何事かと注目されても気にしない。

気にしている場合じゃない。

そして拠点中を走り回り、リーシェを胸壁で見つけると力一杯叫んだ。


「リーシェ!!」


※※※


(しくじった……!!)


 ルシャはテントから出ると早足に人気のない場所に移動していた。

あと少しであった。

あと少しだったのに邪魔が入った。

あのリーシェとかいう女め、よくも策の邪魔を!!

もう時間が無いのだ。

どうしたらいい?

どうすれば私は助かる!?


 必死に次の手を考えながら建物の角を曲がると予想外の人物が待ち構えていた。


「よう? 随分と慌てているけど、何か悪だくみが失敗したのかい?」


「ヴァネッサ・ハーデル……!」


 壁にもたれかかりながら腕を組んでいる大女。

可能な限り接触したくない相手であった。

彼女は鼻をスンスンと鳴らすと口元に笑みを浮かべ、此方の進路を遮るように立つ。


「"惑わしの香"。随分と厄介なもんを着けてるじゃないかい。そんなにあの坊やを落としたかったのかい? それとも元々は別の獲物用だったとか?」


「な、なんのことですか?」


 激しくなる鼓動をどうにか抑え、顔に焦りが出ないようにしながらヴァネッサの横をすり抜けようとする。

すると戦鬼は横目で鋭い視線を此方に送り、「アンタの素性はバレてんだよ」と言った。


 カマをかけているのか?

いや、この女が待ち伏せていたということは此方の正体はバレている。

逃げるか?

いや、戦鬼を相手に逃げ切ることは不可能。

ならば……。


「!!」


 手に隠し持っていた針を振りかざしヴァネッサに襲いかかる。

だが此方が腕を振り下ろすよりも早く戦鬼は此方の手首を掴んで来た。

そして針をジロリと見ると「成程」と頷いた。


「針に紋様。なんかの呪具かい。悪いがコレは回収させてもらうよ」


「は、離せっ! 離せって言ってんだよ! このアバズレがッ……!?」


 腹に拳が叩き込まれ意識が遠退く。

そして最後に見えたのは私を見下ろすヴァネッサとザイードの姿であった。

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