第94節・胸の内


 これは誰かの夢の続き。


 巫女として選ばれた"私"は父に連れられある場所に向かった。

砂に沈んだ宮。

忘れ去られた者たちの都。

父は興奮したようにこう言った。


『お前は他の子と比べて特別なのだ。お前なら絶対に成功する。我らに再び栄光の日々を齎す』


 遺跡にいる人たちに引き渡された瞬間、"私"はもう二度と家に帰れないのだと理解した。


 母は大丈夫だろうか?

あの人はとても弱い。

遥か彼方の事しか考えていない父に振り回されてばかりだ。


 兄は大丈夫だろうか?

彼はしっかり者だが自分一人で全てを解決しようとする。

"私"は"私"がこれからどうなるかよりも家族が気掛かりであった。

だが今更どうにもならない。

"私"は"私"に与えられた運命を受け入れるしかない。


 そして"私"が連れて行かれたのは長年の憎悪と狂気が蓄積された鋼の王座であった。


※※※


 スィヤームは硬いベッドから起き上がると全身が痛むのを感じた。

つい先日までは柔らかいベッドに寝て、美味い酒や肉を食べていた。

女にも困らず、せいぜいあの豚将軍が目障りなくらいであった。

それが一転。

今は牢に入れられ岩のように固いパンを齧っている。


(無様だ……)


 早く本国に戻れば良かった。

中央の政争を恐れ、地方に配属された方が気楽だと考えていたのだ。

フゲンの娘を連れて逃げる計画も失敗し、こうして沙汰を待つだけ。


 だがまだ生きている。

生きているならこれからも生き延びれる可能性はある。

幸い自分はゼダ人の捕虜に対して比較的寛大であった。

若い娘に暴力を振るったりはしていない。

もしかしたらその点で罪が軽くなるかもしれない。


(……無理だろうな)


 若い娘に暴力を振るっていないが彼女たちを性奴隷として扱ったし、他にも集落の焼き討ちの指揮を執ったこともある。

ならばディヴァーンの情報を売り込むか?

いや、自分はそこまで中央の軍の内情に詳しくない。


 自分でも驚くほど冷静に今後のことを考えていると誰かが牢に近づいてきた。

足音は複数。

鎧の擦れる音が聞こえる。

まず現れたのは二人の武装した兵士。

そしてその後ろから威圧感のある男が現れた。

彼が誰なのかは一目で分かった。

ベッドに腰かけ、背筋を伸ばすと男の顔をじっと見つめる。


「貴様がスィーヤムか。聞いたぞ? 我先に投降したそうだな」


 男が挑発するように言ってきたがそれに激高してはならない。

きっとそんなことをすれば一瞬で絞首台行きだ。


「どうして投降した?」


「死にたくないからだ」


「どうして死なないと思う? 貴様らディヴァーンのやってきたことを考えれば誰もが処刑を望むだろう」


「そうだろうな。だがあのまま戦っていては確実に死んだ。だから僅かでも生き残れる可能性がある捕虜の道を選んだ。……まあ、最初はさっさと砦から逃げ出すつもりだったんだがあの豚め、余計なことをしてくれる」


 そう言うと男は「ほう」とわずかに興味深げに此方を見てくる。

そして護衛達に下がれと命じると檻の前までやって来る。


「俺の名はザイードだ。俺は今、貴様をどうするか考えている。貴様は砦から逃げるつもりだったと言ったな? その後どうするつもりだったのだ? ディヴァーンが逃亡者に対してどのような仕打ちをするのかしっているであろう」


「ああ、知っているとも。ディヴァーンに戻るつもりなど無かった。どこか遠くへ、それこそアルヴィリアに逃れることも考えていたさ」


 ディヴァーンからの亡命だと言えばアルヴィリア王国に受け入れられるかもしれない。

受け入れられなくてもこの広い世界でひっそりと隠れ住むことは出来るはずだ。


「それほどまでに生き延びたいか? 死を恐れて仲間を見捨てたのか?」


「ああそうだとも。俺は死ぬのが嫌だ。それは誰もがそうだろう? 生き残るためにはなんだってする。それこそ生き残るために”死人”にもなってやる」


 ディヴァーンを裏切った時点で自分は生きた”死人”になった。

もう故郷には一生戻れない。

幸い家族は皆他界しているため自分の裏切りで犠牲になる者もいない。

ならば自由な”死人”として生きようじゃないか。


「成程、評判通りの小悪党だな。だが生きることに貪欲であることは悪くは無い」


 ザイードはそう言うと近くにあった椅子を檻の前に置き、それに座って腕を組む。


「スィーヤム。貴様はあの砦で一度死んだ。ならば生きるためにその命を使ってみないか?」


「俺にどうしろと?」


「次の戦、最前線で戦え。その戦いで生き延びたら我が軍の末席に加えよう」


 それは事実上の死刑宣告では無いだろうか?

ようは自分を奴隷兵として最前線に置くということだ。

奴隷兵が戦で生き残ることは滅多にない。

当然だ。

貧弱な装備で敵の矢面に立たされれば死ぬしかない。


「貴様には軍を率いさせる。部隊は貴様と同じように投降してきたディヴァーン兵だ。安心しろ貴様と投降兵にも我らと同等の武具を渡す。思う存分戦え」


「……正気か? 裏切るかもしれないぞ?」


「我々を裏切っても死ぬだけだ」


「…………」


 そうだ。

一度反乱軍に投降した者をシャカーンは絶対に許さない。

戦っても死。

裏切っても死。

ならば━━。


「━━いいだろう。お前が俺を殺したくなくなるくらい活躍してやる」


 シャカーンの軍と戦うことを考えると恐怖で体が震える。

だが反乱軍と共に戦えばその恐怖を打ち倒せるかもしれない。

選ぶのだ。

少しでも生き残る可能性がある道を。


「交渉成立だな」


「交渉だと? これは半ば脅迫だろう」


 そう言うとザイードは笑う。

そして「後で捕虜たちに会わせる。自分の兵は自分で集めろ」と言った。


「ああ、あと一つ。シェク砦を落とす前に後方の砦から捕虜が移送されていた。随分と不用心な部隊だったが何か知っているか?」


「捕虜の移送だと?」


 そんな話しは聞いていない。

捕虜が移送されてくるならば必ず事前に連絡がある筈だ。

あの豚が勝手に指示を出したのか?

いや、例えそうだとしても必ず自分の耳には入ってくるはずだ。

そうザイードに言うと彼は暫く思案し、それから「存在しない輸送部隊、か」と呟いた。


「まあいい。とにかく話しは終わりだ。戦は近い。それまでに死んで生き残る覚悟を決めておけ」


 そう言うとザイードは護衛を連れて去っていく。

その背中を見送ると大きなため息が出た。


「どうしてこうなった」


 何やら大変な方にどんどん進んでいる。

だが今更どうにもできない。

ザイードの言う通り次の戦いを生き残る覚悟を決めなければ……。

そう俯きながら呟き、拳を強く握りしめるのであった。


※※※


 ミリ・ミ・ミジェは不機嫌であった。

その理由はとある二人……いや、三人にある。


 まず一人目はルシャとかいう小娘だ。

いつの間にか着いた悪い虫。

ロイに命を助けられ、感謝しているというのは分かるがいくら何でもくっつきすぎだ。

というかわざとやっている。

ここ数日間、事あるごとにロイに密着し胸やら尻やらを彼に押し付けてアピールしているのだ。

いやらしい!!


 次はそれに対して明確な拒絶の意志を見せないロイだ。

自分に好意を向けているルシャを傷つけないようにしているのだろうが私は知っている。

ルシャに胸を押し付けられた時、一瞬だけ嬉しそうな顔をしたことを。

張り倒してやろうか!!


 そして最後はリーシェだ。

ロイがルシャと居るとリーシェは遠慮しているのか声を掛けない。

というかなんかロイとリーシェの間に溝のようなものが出来ている。

言いたいことがあるならお互いはっきりしろ!!


 さっきもルシャに絡まれているロイをリーシェが遠巻きに見て声を掛けずに去ってしまった。

そんな光景を何度も見せられては流石に苛立ってくる。


「と、言うわけで!! 緊急会議を開きたいと思います!!」


 テントにユキノとヘンリー、そしてクレスを集めてこの重大な問題に対して自分たちはどうすべきか会議を開くことにした。


「どうすべきかと言われましても……。これは本人同士にしか解決できない問題では?」


「それが出来ないから私たちがどうにかしようって言うのよ!」


 ユキノが呆れたように此方を見てくるが無視だ。

するとクレスが「くふふ」と喉を鳴らして笑い、牙を見せる。


「解決するのは簡単じゃ」


「本当!? 流石は雷竜王! 無駄に年を取っているだけはあるわね!!」


「この貧乳娘、しばき倒すぞ。で、解決策じゃが用はあのルシャとかいう娘が邪魔なのであろう? ならばまず人目のないところにおびき出し……」


「おびき出し?」


「始末する」


「はい! 駄目!!」


 自分もルシャに思うところはあるがそんな方法は駄目だ。

もっと、こう、穏便に……。


「ふーむ……。これは難しい問題ですな。ロイ坊ちゃんとリーシェ様の間に出来ている溝。それはあのルシャお嬢さんだけが原因ではありませんからな」


 ヘンリーはロイが自分がリーシェの騎士として相応しくないのではないか悩んでいるということを教えてくれた。

彼はこの前の戦いで敵に手も足も出なかったことを気にしており、このままではリーシェを守り切れないのではないかと不安になっているのだという。


「……何よそれ。リーシェに相応しいとか相応しくないとかアイツが決めることじゃないでしょう!」


「そうかもしれませんがね。だがまあロイ坊ちゃんの悩みも理解できますよ。男として惚れた女を守れないかもしれない。劣るかもしれないと考えるのは恐ろしいことです」


 その言葉に少し胸の奥がチクリと痛んだ。

ロイがリーシェの事をどう思っているのか。

それはたぶんリーシェ以外分かっていることだ。

私も理解していて、だからこうして……。


(いや、今そんなことを考えている場合じゃないわ)


 大事なのは二人の関係。

そしてその二人の関係を中心とした私たちの関係だ。

あの二人の関係に亀裂が走れば私たち全体にも影響を及ぼす。

そう考えているとユキノが「いまは」とゆっくりと口を開いた。


「今は見守る時期ではないでしょうか? 余計な口出しをすればますます話しがこじれるかもしれません。それに最初にも言いましたがこれはあの二人が解決すべき問題。自分たちの気持ちに気がつき、整理することができてこそ次に進める。そう私は思います」


 ユキノの言葉にクレスは「はぁー、面倒臭いのう」と愚痴を言うが反対はしない。

ヘンリーも「そうですな」と頷き、此方を見てきた。


「ミリお嬢さんの気持ちも分かりますがね」


「私の気持ちはどうだっていいのよ……」


 暫く沈黙しているとユキノが「さて」とテントの出口に向かう。


「私は散歩に出たヴィクトリア様とフユ様を探してきます。リーシェ様とロイ様の関係については私も注意しておきますね」


 ユキノが退出すると他の仲間たちも去っていく。

そして一人テントに残るとため息を吐き、こう言うのであった。


「本当に、私の気持ちはどうだっていいのよ……」


※※※


 私は木の槍を構えフゲンと向かいあっていた。

彼の手には木刀があり、その先端がゆらゆらと動いている。

フゲンが剣先を下げたのに釣られて踏み込むと彼は手首を捻り、下から上へ斬り上げてくる。

フゲンの木刀が槍の穂先に叩き込まれ大きく体勢を崩してしまう。

そしてしまったと思った頃には喉元に木刀が突き立てられている


「……集中できてないねぇ」


「すみません……」


 フゲンは木刀を下ろすと腰に手を当て首を傾げた。


「刃に迷いが見える。なにか悩み事かい?」


 悩み事は……ある。

だがこれは私個人の問題。

人を巻き込んでいいのだろうか?


「あまり親しく無い方が相談しやすいことがあるだろう。ほら、おっさんに言ってみな?」


 フゲンに促され私は少し悩んだ後に話した。

ここ最近のロイとのこと。

彼からなんだか距離を置かれていること。

彼がなにか悩んでいること。

彼とルシャが一緒にいると胸の奥が痛むこと。

それを話し終えるとフゲンがやや困ったような顔をしていた。


「おっさんの専門外の方から来たねぇ……。だが相談しろと言った以上一緒に悩もうじゃないか」


 そう言うとフゲンはその場に座り胡座を組む。

私も地面に座ると彼は顎に指を添える?


「まず聞くがお嬢ちゃんはあの赤毛の坊主が好きなのかい?」


「え? す、好きだよ?」


 子供の頃から一緒に育ってきた大切な幼馴染だ。

嫌いなわけがない。


「あー……。そんでもってアレかい? 赤毛の坊主とあのお嬢ちゃんが一緒にいるのが嫌だと」


「嫌ってわけじゃ……ない。でもロイに話しかけ辛いし、時々嫌な気持ちになる」


 自分でも自分の感情がよく分からない。

だから困っているのだ。

そう思っているとフゲンは腕を組み「うーむ」と唸った後に「お嬢ちゃんの気持ちについては触れないでおこう!」と力強く頷いた。


「お嬢ちゃんを悩ませている気持ちは自分自身で気付くべきことだ」


「じゃあ相談はおしまい?」


「いや、一つアドバイスがある」


 「アドバイス?」と首を傾げるとフゲンは寂しそうに、悲しそうに空を見上げた。


「ずっと続くと思っていたことがある日突然できなくなる。いつか言えばいいと思っていたことが一生言えなくなる。人の生は刹那だ。だから後悔しないように己の気持ちは伝えろ」


 フゲンが誰を想って話しているのかはすぐに分かった。

私は拳を強く握りしめると目を閉じる。

このままロイとの距離が離れていっていいのか?

嫌だ。

ルシャにロイがとられてもいいのか?

嫌だ。

私は、私の気持ちは……。


「あ……」


 理解してしまった。

自分の気持ちに。

そう、これは、この気持ちは……。


「顔を赤くしちゃって青春だねぇ。おっさんにもあったなぁ、そういう時期」


 フゲンに茶化されますます頬が熱くなってしまう。

自分の気持ちには気がついた。

だがそれを口に出せるかどうかは別であって……。

兎に角。


「あとでロイと話してみる」


「そうしな」


 胸の奥が少し軽くなった気がする。

今なら集中して鍛錬も出来そうだ。

槍を手に取り立ち上がるとフゲンも立つ。

そして鍛錬を再開しようとした瞬間、遠くからミリが慌てた様子で駆けて来るのであった。


「ディヴァーンに動きがあったわ!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る