第92節・知識の番人


 軍議は砦中心にある聖堂と呼ばれる大きな遺跡の中で行われた。


 砂漠の地図が置かれた大きな円卓を囲み、ザドアに住む十の氏族とディヴァーンに滅ぼされた国家から逃れて来た将軍などが参加していた。


 ザイードは円卓の上座に座り、その隣に私とヘンリーが座る。


 明らかに場違いな私たちに他の人々が視線を送ってきて居心地が悪かったが、ヘンリーが自己紹介をすると「おぉ、ガドアの……」とどよめきが起きる。


 そして続いて私に注目が集まったため深呼吸をして名乗った。


「シェードラン辺境伯家の養子、リーシェ・シェードランです。今は訳あって旅をしています」


「この娘はレプリテシアの器である。槍の腕もあのヴァネッサと戦い、生き残った程だ」


 レプリテシアの器と言う言葉にどよめきは更に大きくなった。

最後にクレスが「聞いて驚け! 儂は雷竜王であるぞ!」と胸を張るとどよめきが小さくなった。

それに対してクレスは不服そうな顔をするが「まあまあ」と宥めておく。


「ザイード殿。彼女らが戦に勝つための切り札だと言うのかね?」


 訛ったアルヴィリア語を話したのはザイードと向かい合うように座っている長い顎髭を生やした黒髪の男だった。

ミカヅチ人に似ているが鎧や話し方からミカヅチ人でないことが分かる。


「ロウ将軍、個人の力で戦がどうにかなるとは思っていない。だが雷竜王の力は頼りにしてもいいだろう」


「儂はまだ手を貸すとは言っておらんぞ? まあ、手を貸さないとも言わんが」


 クレスの言葉にロウと呼ばれた将軍は眉を顰める。


「失礼だが雷竜王よ。貴女はディヴァーンを甘く見ている。彼奴らは決して数だけの烏合の衆にあらず。我が祖国を滅ぼした大国ぞ」


 そう言うとロウは背筋を伸ばし、私の方に向く。


「失礼、名乗りが遅れた。我が名はイェン・ロウ。かつてジン国の大将軍であり、今は負け犬だ」


 ロウはディヴァーンが如何に強大か、ディヴァーンに負けた後の凄惨さを語った。

ディヴァーン兵に慈悲は無い。

一度町を占領されれば男は皆殺しにされ、女は幼児から老婆まで慰み者になる。

そしてそんなディヴァーンに国を滅ぼされるということは地獄の門が開かれるのと同意義であると。


 ロウの言葉に軍議に参加していた何人かが俯き、悔しそうに拳を握りしめる。

恐らく彼らもディヴァーンに国を滅ぼされたのだろう……。


「……悪かった。お主らのディヴァーンに対する憎しみ、よく理解した。儂もディヴァーンの所業は許せん。全力で奴らを粉砕すると約束しよう」


 クレスが謝罪するとロウも頭を下げる。

そして両者が頷き合うとザイードが「さて」と円卓に身を乗り出した。


「東よりシャカーン率いるディヴァーン軍が迫ってきている。その数は十万以上。更に敵の中には不死隊もいるらしい」


 不死隊という言葉に軍議に参加していた人々はどよめいた。

小首を傾げている私にフゲンが「不死隊ってのはディヴァーンの精鋭部隊のことさ」と教えてくれる。


「その名の通りまるで不死者の如く死を恐れず戦う軍団。戦場に黒衣の死神たちが現れあらゆる命を刈り取ると言われている連中だ」


 不死隊は皇族直属の部隊であり、近衛としての役割も担っているという。

ベールン会戦の際にもガッハヴァーン大帝の護衛として数百人ほど後方に控えていたそうだ。


「不死隊までも動員するということはシャカーンは我々を本気で討ち滅ぼすつもりだろう。だがそれは好機である」


「ここでシャカーンを討てればディヴァーンを大きく揺さぶれる……と?」


 ヘンリーの言葉にザイードは頷いた。


「第二後継者とそれが率いる大軍。そして不死隊を撃滅できればディヴァーンに大きな痛手を負わせることが出来る。そして何よりも各地で抵抗している者や、ディヴァーンの圧政に耐えて忍んでいる者達の希望となろう」


 ディヴァーンはアルヴィリア侵攻の失敗でもともと勢いを失っている。

そこで更にシャカーンを討てれば各地で更に大きな反乱が起きディヴァーンを崩壊させられるかもしれない。


「故にこの一戦、我らだけでなくディヴァーンと戦う全ての者にとっての運命の岐路になると思え」


 ザイードの言葉に皆緊張した表情で頷いた。

するとローブをに見纏ったゼダ人の老人が挙手をする。


「サルマン老、何か?」


「この一戦が重要な事、良く理解した。儂らの一族はディヴァーンとの決戦に喜んで参加しよう。だがどうする? どうやってディヴァーンに勝つ? 敵は大軍。対して我らは三分の一にも満たない兵力だ。よもや正面からぶつかるなどとは言うまいな?」


 サルマン老の言葉にザイードは頷く。

そして身を乗り出すと黒い石を円卓に置いてある地図の上に乗せる。


「敵は真っ直ぐに”黒の都”に向かっている。あそこは巨大な遺跡だ。守りには最適であろう。間違いなくシャカーンはここに本陣を置く」


 砂漠東部に黒い石を動かすと今度はそれと向かい合うように西に白い石を置いた。


「ならば我らはハシュマの井戸西部に布陣する。そして”黒の都”に布陣した敵をハシュマの井戸に誘い出す」


 ハシュマの井戸というのは黒の都西部にある砂漠のことだ。

もともとは巨大な湖があったらしいが今は枯れ果て平らな砂漠が広がっているという。


「勝機か? 平地でディヴァーンの大軍とぶつかるのは自殺行為だぞ?」


 ロウや他数人が眉を顰めるがゼダ人の首長たちは「成程」と頷いた。


「ディヴァーンは平地での戦いを得意とする。我らがハシュマの井戸に布陣すれば”黒の都”から一気に飛び出してくるだろう。そしてそれこそが狙いだ。敵の大半を砂漠に引きずり出し、手薄となった敵本陣を奇襲してシャカーンを討つ」


「古来より大軍を制するには頭を討てとはありますな。だがどうやって敵本陣に奇襲を? 見渡しの良い砂漠では奇襲を仕掛けるのは困難だ」


 ヘンリーの問いにザイードは口元に笑みを浮かべ「砂漠を行かなければいい」と地図のハシュマの井戸を指さした。


「このザドアの地には多数の遺跡がある。それは砂の上だけではなく下にもあるのだ。このハシュマの井戸の地下には”黒の都”へと続く地下道が多数存在している。これはこの地に住むゼダ人しか知らない秘密の地下道だ。我らはそれを使い、地下より”黒の都”に侵入する」


 地下道は結構な広さだが何万という兵を動かせるほどではない。

故に少数精鋭で地下道を進み、”黒の都”に到着したら一気にシャカーンの首を狙う。

それがザイードの策だという。


「この奇襲部隊はヴァネッサに指揮をさせる。そしてお前たち”旅人”やそこの侍もこの部隊に参加してもらおう」


 恐らく奇襲部隊は決死隊となる。

いや、敵の主力を引き受ける部隊も苦しい戦いとなるだろう。

この戦いは全ての部隊が、将兵が命を賭して戦わねば勝機を掴めない絶望的な戦いなのだ。


「━━分かった。私たちは全力でシャカーンを討つ」


 私がそう言うとザイードは力強く頷いた。


「さて、これが俺の策だ。では他に何か策がある者は発言してくれ」


 その後、軍議に参加した者たちは地図を囲みディヴァーンを相手にどう戦うか話し合い、数時間行われた軍議は無事に終わるのであった。


※※※


 軍議を終えると私はザイードに「合わせたい存在がいる」と言われ、仲間たちと合流するとある場所に向かった。

そこは遺跡の北側にある真四角な建物であった。

建物の中に入ると私たちは小さく感嘆の声を出す。


 そこは図書館であった。

建物一杯に設置された巨大な本棚。

それを全て埋める莫大な量の蔵書。

ヘンリーとヴィクトリアはそれを見ると目を輝かせ、ザイードに「手にとっても良いですか?」と訊ねている。


「構わんが後にしてくれ。まずはここの主に会ってもらおう」


 「主?」とミリが首を傾げるとザイードは「アリマ婆!! ザイードだ!!」と誰かを呼ぶ。

すると本棚の影から腰を曲げた一人の老婆が現れた。

彼女はザイードに「大声を出すでないよ」としわがれた声で言うと私たちの前にやって来て近くの椅子に腰かけた。


「それで? どうしたんだいザイード坊? お前さんがここを訪れるなんて珍しいじゃないかい。ついに血なまぐさい俗世を捨てて知識の虜になる決心がついたのかい?」


「残念ながら違う。むしろ俺は近いうちに血みどろの戦いをするつもりだ」


 ザイードの言葉に老婆━━アリマ婆は「ああ、やだやだ。人は何時までたっても愚かな争いをする」とため息を吐いた。


「そうだ。我らは愚かだ。口では平和を求めながら狂ったように戦争を繰り返す。故に俺はこの戦の輪廻を壊し、安寧の世を築かねばならぬ」


「安寧、ねえ。女神すら成せなかった世を人如きが成せるとでも? 相変わらずザイード坊は思い上がりが酷いようだ」


「言ってろ。それよりも今日はアリマ婆に合わせた奴がいる」


 ザイードが私を指差すとアリマ婆はゆっくりと私の方に顔を向け、細めていた目を見開いた。

そして「なるほど」と何度も頷くと椅子に深く座り直す。


「アタシゃあアリマ。この蔵書庫で知識の番人みたいなことをしている」


「……知識の番人」


「ああ、そうだよ。ここにあるのはヴェルガ帝国が、いや、ゼダ人が何百年と溜め込んできた知識。表舞台から消え去った敗者の歴史」


 この場所には帝国建国前からの書物があると言う。

そこにはアルヴィリアで消されたレプリテシアについての本もある。


「さて、レプリテシアの器よ。お前さんは名を覚えているかね?」


「え? 名前は……リーシェ・シェードランだけど……」


「そうかい。リーシェかい。ならばそれでいい」


 アリマ婆の言葉に私は首を傾げ、ザイードの方を見ると彼は「この老婆は思わせぶりなことしか言わん」と肩を竦めた。


「あの……。私は私の中にいるもう一人の私に導かれてここに来ました。私は知りたい。自分の過去を。自分が何を成すべきなのかを」


「世の中には知らないほうが幸せなこともあるもんだよ?」


 それでも私は知りたい。

何も知らずに生きるには私は色々なことに足を踏み込み過ぎている。


「教えてください。レプリテシアについて。レプリカについて。そして私が誰なのかを」


 私はアリマ婆の方をじっと見つめると彼女は暫く沈黙した後、頷いた。


「分かった。お前さんにその覚悟があるというならば少し話をしようか。その前に雷竜王、お前さんはどこまで把握している?」


「……儂は儂の見た事しか知らん。大戦末期ならば詳しいがその前についてはお主のような賢人の方が詳しいじゃろうな」


 クレスの言葉にアリマ婆は「そうかい」と言うと腕を組み、天井を見上げた。


「ヴェルガの、いや、ゼダ人の歴史を。そしてそれを知ったうえでザド=ゼダルガの地に向かいな。そこにリーシェ、お前さんの知りたい答えがある」


※※※


 遥か昔。

この世界には二人の女神が存在した。

双天の女神により様々な生命が生み出された。

太古のヒトは今よりもずっと高度な文明を築き上げ、争いの無い平和な時代が続いた。

だが何時しかヒトに悪しき心が芽生え、ヒト同士で争うようになった。

女神アルテミシアはヒトを滅ぼしやり直すことを選び、レプリテシアはヒトを存続させることを選んだ。


 二人の女神とその信奉者による争いは長きに渡り、そしてついに女神は相打ちとなって戦いは終結した。

あと残ったのはわずかなヒトの生き残りと荒れ果てた大地。

生き残ったヒトはレプリテシアの遺言に従い二人の女神を忘れることにしたのさ。


※※※


「え? 女神を忘れる、ですか?」


 ヴィクトリアが驚くとアリマ婆は頷く。


「レプリテシアは破滅的な争いを引き起こした原因は女神という存在にあると考えたらしくてねえ。ヒトに女神を忘れることを選ばせ、己の足で新らな世を築き上げろと言ったそうだよ」


※※※


 ヒトはレプリテシアの言う通りにした。

女神を忘れ、破滅を齎した知識を、文明を封じた。

ザドアの地と言うのはレプリテシアの住む都があったと言われる土地であり、ゼダ人の先祖は彼女の信奉者であった。

ゼダ人の先祖たちはこの地に残された文明を全て封じた。

だが長い年月が過ぎるとゼダ人たちは己が封じた古代の技術を発掘し始め、その力を得て急速に拡大した。

そしてエスニア大陸の大半を支配するヴェルガ帝国を建国したのだ。


 ヴェルガ帝国は古の約定に従い宗教を禁じた。

禁じたと言っても徹底したものではなく、各地で様々な神を信奉する者がいたそうだ。

そしてその中からある宗教が生まれた。

それが女神教だ。

忘れられた筈の女神アルテミシアを信奉する女神教に帝国も警戒はしたものの出現した当時は規模が小さかったためあまり危険視はしなかった。

しかし女神教は凄まじい速さで帝国に広まった。

女神アルテミシアこそ真の神であり、帝国は女神を殺した悪神の僕だと女神教の司教たちは信者に教えたのだ。

これにより貧しい者たちの間で女神教が広まったこともあり、信者たちは帝国の法よりも司教の言葉を信じた。

その結果、各地で反乱が起き始めたのだ。


 この事態を重く見た帝国はついに女神教を禁じたがこれを女神教は逆手に取り、弾圧者とそれに抵抗する者という形を作り上げたのだ。


 女神教との対立は武力による争いとなり、女神アルテミシアの名の下、反乱軍が誕生した。

そして戦が激化すると女神の信奉者から白い怪物に変異するものが現れはじめたのだ。


※※※


「……白い怪物。それって……」


「魔獣。転成石と呼ばれる魔晶石で変異した人間のなれ果てさ。女神の信奉者たちは変異を祝福と考え、女神の寵愛を得た者は"天使"になれると考えたそうだ」


 "天使"という言葉にクレスは苦虫を噛み潰したような表情になる。

そんなクレスを見ながらアリマ婆は「帝国の文献じゃあ天使とは名ばかりで人を滅ぼす魔人だったとあるね」と言った。


「"魔獣"や"天使"の出現により帝国は苦境に立たされた。そして更にある情報を得たのさ。反乱軍が女神アルテミシアを復活させようとしているとね。アルテミシアが復活すれば帝国など簡単に滅ぼされる。いや、それどころか復活した女神は人間全てを抹殺するかもしれない。そこで帝国はある対抗策を考え、実行したのさ」


 アリマ婆は私に「もう理解しているだろう?」と言う。


「女神に抗するには同じ女神の力を使うしか無い。ヴェルガ帝国は禁忌に手を出したのさ。人がヒトを作る禁断の技術。ホムンクルス。帝国はレプリテシアを模したホムンクルスを生み出したのさ」

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