第90節・砂漠の前哨戦


 突然現れたヴァネッサに驚いていると彼女の背後からミリが現れた。

彼女は私たちを見ると「二人とも!!」と笑顔で此方に駆け寄ってくる。


「二人とも無事!? 何にもされていない!? て、何て格好してんのよ! アンタはぁ!!」


「いや、まあ、色々あって……」


「色々って……。まったく、あとでちゃんと話して貰うからね!」


 ミリがそう言い、私とクレスの前に立つと弓を構えてフゲンを睨む。

それに対してフゲンは「元気の良いお嬢ちゃんだ」と苦笑しつつも視線はヴァネッサから外さない。


「"砂漠の戦鬼"。噂にゃあ聞いていたがこうして実際に見るとブルっちまうねぇ」


「そんだけ鋭い闘気を放っといてよく言うよ」


 ヴァネッサが口元に笑みを浮かべた瞬間に火花が散った。

ヴァネッサとフゲン。

両者の姿が同時に見えなくなり無数の光がぶつかりあう。

そして砂埃が舞うと両者は互いの立ち位置を変えて向かいあう。


「やるねぇ、アンタ。アタシの動きについて来れる奴は滅多にいないよ」


「そりゃどうも」


 二人が再び構えあうと私は息を呑んだ。

凄い。

ヴァネッサが強いのは身をもって知っていたがフゲンもやはり凄まじい。

あの戦鬼を相手に一歩も退かないでいる。

次こそは二人の動きを目で追おうと前のめりになっていると豚鉄球が動き出す。


「こ、ここは……?」


 豚鉄球━━クマールはハッと起き上がると己が縛られていることに気がつき必死に醜い体を左右に振る。


「な、なんだコレは!? キサマら!? これは一体!?」


「なんじゃ、目が覚めてしまったか」


 クレスが溜息を吐くとクマールは立ち上がり顔を真っ赤にしながら怒鳴り散らす。


「このクソガキがぁ!! よくもやってくれたな!! 愛玩動物として愛でてやろうかと思ったが許さんっ!! キサマら二人! 生きたまま豚の餌にしてやるっ!!」


「愛玩動物?」


「主様、そろそろこの豚殺していいか?」


 別に構わないので頷くとクマールは後ずさる。

そしてフゲンを見つけると「お前! 助けろ!!」と叫んだ。


「助けろって……。状況を見て欲しいもんだ。戦鬼に背を向けられるわけ無いだろう」


「グッ!! 使えん家族だ!! 貴様も! 貴様の死んだ妻も、俺の足を引っ張りおって!!」


 直後、鳥肌が立った。

砂漠が真冬になったかのような冷たさ。

フゲンの顔からは笑みが失われ、獣のような凄まじい殺意がクマールに放たれる。

フゲンの豹変っぷりにヴァネッサは感心したように口笛を吹くと彼の前から退き、フゲンとクマールを向かい合わせた。


「……俺の妻が? もう一度言ってみろ」


「ヒッ!? ま、待て! あれは事故だったのだ! 殺す気は無かった!!」


「そうかい。殺す気は無いのに殺したんだな」


 フゲンが腰を落とし、刀の柄に手を添える。

クマールは周りの兵士に助けを求めるが兵士たちはフゲンが発する途轍もない殺気に気圧され動けない。

今の彼は全身が刀になったようだ。

少しでも触れれば首を斬り落とされてしまうだろう。

クマールが己を誰も助けないことに絶望し、必死に逃れようとするとある人物を発見して手を差し伸ばした。


「ス、スィーヤム!! お、俺を助けろ!!」


※※※


 クマールが手を差し伸ばした先には物陰に隠れた私たちを捕らえたスィーヤムと幼い少女が居た。

スィーヤムは自分に注目が集まると舌打ちし、少女を連れて前に出る。

するとフゲンは少女を驚いたように見た後、スィーヤムに鋭い視線を送る。


「旦那、フユの目……どういうことだい?」


「私ではない。やったのはそこの豚だ」


 スィーヤムがそう言うとクマールは「ぶ、豚だと!?」と怒りに顔を歪める。


「貴様の妻を殺したのもそこの豚だ。俺は関係ない」


「な、何を言っているのだ!? 貴様!! 状況が分かっているのか!! 早く俺を助けろ!!」


 クマールが一歩前に出るとスィーヤムが少女を連れて一歩下がる。


「状況が分かっているからこうしているのだ!! この砦は落ちる!! 俺は少しでも生き残れる可能性がある方に賭けさせてもらおう!!」


 スィーヤムの言葉にクマールは絶句し、ヴァネッサは「へえ?」と愉快そうに笑みを浮かべる。

そしてヴァネッサはメイスを肩で担ぐと「そこのディヴァーン人」とスィーヤムを指さした。


「そりゃあアタシらに投降するってことかい?」


「……あぁ、しよう」


「アンタたちがしたことを考えれば処刑される可能性が高いと思うが?」


「それでもだ! 戦っても死ぬ! 逃げても死ぬ!! ならば大人しく投降して意地汚く生き残れる可能性を掴んでやる!!」


「嫌いじゃないねぇ。そういう意地汚いの。いいだろうよ。”アタシ”はあんたの投降を認めよう。だけどそっちは━━」


 ヴァネッサが流し目でフゲンを見ると彼は目に包帯を巻いた己の娘をじっと見つめている。


「フユ。そこの男には何もされていないんだな?」


「はい。この方には何も。この方はただ生き延びたいだけです」


 フゲンの娘━━フユがそう言うとフゲンは「ふぅ」と息を吐き、それからスィーヤムを睨んだ。


「旦那には恩がある。だが同時に妻を殺した連中の一味だという憎しみもある。だから俺はアンタが処刑されそうになっても止めない。それでいいな?」


「……構わん」


 スィーヤムはそう言うと武器をその場に捨て、両手を上げながらフユと共にフゲンの方に歩いて行った。

そして周囲のディヴァーン兵に何かを指示し、ディヴァーン兵たちが大きく動揺する。

ある者は武器を捨て、ある者は話し合っている。

恐らくスィーヤムが他のディヴァーン兵にも投降するように指示を出したのだろう。


「なんじゃ? 戦はおしまいか? もっと大暴れしてやろうかと思っておったのに」


「まあ投降してくれるならそれはそれで」


 ディヴァーン軍がゼダ人の女性たちにしたことは許せないが無駄な血を流したいとも思わない。

彼らが投降してくれるならばそれでいい。

あとは反乱軍が彼らを裁くだろう。


 ディヴァーンの兵士たちが少しずつ投降を始めていくとヴァネッサは砦に突入してきた他の反乱軍に彼らを拘束するように指示を出す。

フゲンも娘を抱きしめて「苦労を掛けた」と謝り、それをスィーヤムは両手を縄で縛られながら見つめている。


「ふ、ふざけるなぁ!!」


 クマールが吼えた。

彼は鎖で縛られた状態でフゲンを、スィーヤムを、投降していく兵士たちを睨み叫ぶ。


「貴様らぁ!! こんなことが許されると思っているのかぁッ!! 反逆罪だ!!

 貴様ら全員反逆の罪で死刑だ!! 反乱軍のゴミ共も殺してやるッ!! ディヴァーンに、この俺に逆らったことを後悔させてやるッ!!」


 騒ぐクマールにヴァネッサが近づこうとするとフゲンが「少し待ってくれ」と彼女を止める。

そしてゆっくりとクマールの前に立つと彼を睨みつけた。


「き、貴様!! 俺を助けるのならば貴様と、貴様の娘は許してやってもいいぞ!? そ、そうだ!! 三等民……いや、二等民にしてやる!! 城をやろう!! 死んだ女よりももっといい女をくれてやる!! ど、どう━━ふげぇっ!?」


 フゲンがクマールの顔面を全力で殴り、クマールが鼻と歯を折られながら吹き飛ぶ。


「ちょいと黙ってくれないか。これ以上俺を怒らせないでくれ」


「ぎ、ぎざま……! ま、まで! はなぢあおう゛!!」


 フゲンがゆっくりとクマールに近づいてき、クマールは這いずり回って必死に彼から逃れる。

そして壁際に追い詰められるとフゲンが刀の柄に手を添えた。


「安心しな。いたぶって殺す趣味は無い。一瞬で終わらせてやるよ」


「ひ、ひぃ!? だ、だれ゛が━━ッ!!」


 一閃。

クマールの首が中を舞い、弱者から奪った命で肥えた巨体が大地に倒れる。

目を見開いた彼の首が地面を転がるとフゲンは刀の血を払って骸に一礼をした。

そして私たちの方を見ると「悪かったな」と言い、それから刀を放り投げる。


「これで仕舞いだ。俺も投降しよう。俺はどうなってもいい。だが無関係の娘だけは見逃してくれないか」


 フゲンがその場に座りヴァネッサに頭を深く下げるとヴァネッサは「あいよ」と頷いた。


「ガキを殺すつもりはないよ。この子はウチの拠点まで連れて行こう。アンタも一緒に来な。アンタをどうするかはウチの指導者様に決めてもらうとしよう」


「忝い」


「シェードランのお嬢ちゃんたちもアタシらのとこに一度来な」


 ミリが頷いたため私も頷く。

この広大な砂漠に放り出されるよりも反乱軍に着いていった方がいいだろう。


 クマールが死んだことによりディヴァーンの兵士たちは完全に戦意を喪失しており反乱軍に対して抵抗する者は僅かになっている。

それを見たヴァネッサはメイスを振り上げ、「勝鬨を上げろ!!」と高らかに叫んだ。

砂漠の砦に反乱軍の勝鬨が響き渡り、戦の終わりを知らせる。

こうしてディヴァーンの前線基地は呆気なく陥落したのであった。


※※※


 ザドアの大砂漠を一羽の鷹が飛んでいた。

鷹は何かを探すように旋回し肌色の砂漠に影を落とす。

そして翼を大きく広げるとけたたましく鳴き急降下を行った。

鷹が目指すのは砂丘に立つ一人の男だ。

浅黒い肌に刈り上げた髪。

顔や身体には白い塗料で戦化粧がされており、金の装飾を施した衣服を身に纏った大男。

鷹は彼の腕に止まるとまるで平伏するかのように頭を下げ、男は鷹の脚に括り付けてあった紙を解いて広げる。


「落ちたか」


 男がギョロりとした瞳で鷹を見ると鷹は怯えたように慌てて飛び立つ。

男は飛び立つ鷹を見上げ口元に笑みを浮かべる。

それは異様な、見る者を怯えさせる冷酷な笑みであった。


「殿下、吉報ですかな?」


 そう大男に声を掛けたのは痩せこけた老人だ。

頭よりも大きいターバンを巻き、腰まで伸ばした髭を持つ老人は大男の一歩後ろに立つ。


「吉報だとも。シェクの砦が落ちた」


「ほう……? ザドアの反乱軍は腰抜けばかりと聞いておりましたが……窮鼠猫を噛むという奴ですかな?」


「否。シェクの兵士どもは己を猟犬だと思っていたようだが相手が獅子だと気がついていなかったらしい」


「それはそれは……。ならば我らがこれから相手するのは恐ろしい獅子だということですな」


 老人がそう言うと大男は笑みを浮かべたまま目を細める。

その目はまるでこれから起きる大戦を待ちわびているかのような期待に満ちた目だ。


「そうでなくては困る。父、ガッハヴァーンの掲げる恐怖による統治。それを成すには弱者の希望となる獅子を討ち取ること。嘗て父はジン国という大国を滅ぼすことにより全ての敵を一斉に平らげた。ならば我は愚か者どもが崇拝する反乱軍を悉く殲滅し、この反乱を終わらせよう」


 反乱を収めた後は自分が西進する。

父が成せなかったアルヴィリア侵略を成し、己が国を得る。

そしてその先にこそ己の望みがあるのだと大男は言った。


「偉大なるシャカーン殿下。貴方様の行く道、この老体も共に歩みましょうぞ」


「うむ。ヤクブ老、お前の奇術、存分に揮うが良い」


 大男━━シャカーンが振り返ると地平線まで埋め尽くす大軍が控えていた。

彼らはまるで石造のように動かず、指導者であるシャカーンを見上げている。


「親愛なる我が兵士たちよ!! シェクの砦が落ちた!! 堕落したザドアの兵士たちは敵の虜囚となり、愚かな反乱軍共は一時の勝利に酔いしれている!! 故に理解させてやろう! 自分たちが何を相手にしているのかを!!」


 シャカーンが太陽を背に拳を振り上げる。


「殺戮だ!! 奪え! 壊せ! 犯せ!! 殺せ!! これよりこの地は我らの物!! この地に住まう愚かな民は全て我らが家畜!! 獣性を解き放ち、思う存分愉しめ!! これより我らは獅子狩りを行う!!」


『奪え! 壊せ! 犯せ!! 殺せ!!』


 石造のように動かなかった兵士たちが一斉に熱狂する。

これより始まる血肉の宴に高揚し、獣のように天に向かって吼える。

十万を超える獣の群れが男の血を、女の身体を欲して手を差し伸べる。

天より啓示を受けた。

我ら全てあらゆる悪行を赦されたのだ。

ならば悪事を成さねば。

心のままこの宴を愉しまねば。


 シャカーンは喊声に近い歓声を上げる兵士たちを満足そうに見下ろすと後ろに控えているヤクブに「仕込みは?」と訊ねた。


「上手くいったようで。既に種は撒かれました。あとは花が咲くのを待つのみ」


「結構。我は戦で手段を選ばん。獅子を狩るのならばまずは罠を張る。獲物が罠に掛からなければ力づくでねじ伏せる」


 シャカーンの言葉にヤクブは頭を下げ、シャカーンはゆっくりと手を前に出した。

それにより先ほどまで狂ったように吼えていた兵士たちは一斉に大人しくなり、シャカーンの事をじっと見つめる。


「では諸君、進むとしよう。あらゆるものを踏みつぶし、奪いながら宴の場に向かうとしよう」


「全軍!! 前進ッ!!」


 角笛と太鼓の男が鳴り響きディヴァーンの兵士たちが一斉に動き始める。


 シャカーン率いるディヴァーン軍約十万が砂漠を切り裂くように進軍を始め、大地を揺るがす。

ザドアの地にて反乱軍とディヴァーンによる大規模な決戦が幕を開けようとしているのであった。

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