第87節・暴欲の豚


 シェクの砦にある兵舎にフゲンの部屋はあった。

部屋といっても物置だった場所に簡素なベッドや机が並べられただけであり、窓もないその部屋は常に埃っぽかった。


 そんな部屋の前でスィヤームは酒の入ったジョッキを片手に行ったり来たりとしていた。

そしてついに覚悟を決めたように立ち止まると部屋のドアを開け中に入る。


 部屋の中ではフゲンが武具の手入れをしており「お?」とスィヤームの方に顔を向ける。


「どうしたんだい? 旦那?」


「……少し話がある」


「へぇ? 旦那から話なんて珍しいねぇ。俺の処刑日でも決まったのかい?」


 フゲンが茶化しながらそう言ったためスィヤームは眉を顰める。

するとフゲンは「おっと悪い」と言い、武具をベッドの上に置いた。


「で? 話って?」


「近日中にシャカーン殿下がいらっしゃる。恐らく反乱軍との決戦となるだろう。殿下は使えないと判断した者は容赦なく斬り捨てる。貴様もこれまでのような嘗めた態度は止め、死ぬ気で戦え」


 フゲンは「シャカーンが、ね」と言うと「で? それだけかい?」と訊ねて来た。

彼の目には此方の真意を探ろうとする意志を感じた。

それから目を逸らすと「もしも、だ」と口を開く。


「この戦が終わった後、三等民にしてやると言ったら我らディヴァーンに忠誠を誓うか?」


 四等民から三等民になるには地獄のような兵役を終えるか五十年間ディヴァーンに対して服従するしかない。

四等民は家畜以下の扱いを受けているため三等民になるというのはとても喜ばしいことであろう。


「悪いがそりゃ無理だ」


「自分の言っていることの意味が分かっているのか?」


「分かっているさ。だが俺が忠誠を、心から仕えているのはただ一人。リョウマ様だけだ」


「リョウマ・キオウは既に死んでいる! 死んだ者に忠誠を誓うよりも生きている者に誓え! そうすれば三等民になれるのだぞ!?」


 やや興奮気味に言うとフゲンは苦笑し頭を掻く。


「俺は旦那ほど器用に生きれなくてね。旦那にゃあ恩義があるがこればっかりは無理だ」


「お、恩義だと!? お、俺にか!?」


「おう、恩義があるさ。俺も、俺の家族もいつ死んでもおかしくない。もっと酷い目に会っていたかもしれない。それなのにハツやサヤが無事なのは旦那が将軍に色々と言ってくれているおかげなんだろう?」


 確かにフゲンの家族に手を出すなとずっとクマールには言っていた。

だがそれはこの男を手放さないため、この男の刃が此方に向かないようにするためだ。

予想外の感謝に気まずくなり「貴様が逆らわないようにするためだ」とぶっきらぼうに言い放った。


「それでもいいさ。感謝しているのは事実だからな」


「……ぐ!! 貴様なぞ助命するのでは無かった!! とにかく、次の戦は俺も貴様も生き残れるかは分からん!! せいぜい死なないように戦うことだな!!」


 そう言い、踵を返そうとするとフゲンが「あいよ」と笑い、それから此方の手に持っていたジョッキを見つめた。


「ところでその酒、飲まないのかい?」


「これは……。マズいので捨てる!!」


 本当は毒が入っている酒をフゲンに飲ませるつもりであった。

だが最早そんな気分ではないし、そもそも次の戦でこの男が生き残れる可能性は低い。

ディヴァーンは四等民を奴隷兵として最前列に布陣させるのだ。

そんな此方の考えを知ってか知らぬかフゲンは「ふーん」と腕を組むと「次は別の人間に頼みな」といきなり言ってきた。


「は?」


「毒を盛るつもりだったなら別の人間に頼んだほうが良い」


「っく!? き、貴様、分かって……!!」


「旦那、顔に出過ぎだぜ? どうせ将軍に俺を殺せと言われたんだろう? アンタは嫌がるだろうが改めて感謝するよ」


 フゲンの笑みに腹が立ち、「ええい! 飲め!! 飲んで死んでしまえ!!」とジョッキを突き出した。


「おいおい、死ぬって分かってて飲む奴がいるかい。妻子がまだ生きている以上、俺は死ねない。もしどうしても飲ませるっていうなら……力尽くでいくかい?」


 フゲンの鋭い眼光にたじろぐ。

だから嫌いなのだ。

この男は。


 舌打ちし部屋から出ると「最後に一つ」とフゲンが後ろから声を掛けてきた。


「俺の家族は無事なんだろうな?」


「……ああ」


 そう言うと部屋のドアを閉め、兵舎の窓からジョッキを投げ捨てる。


(糞!! 殺せなかった!! どうする!! どうするスィーヤム!!)


 将軍の命令は絶対だ。

だがあの男を殺せる気がしない。

やはり次の戦場で死なせるか?

いや、まだ娘が残っている。

奴の娘を人質に自刃を迫れば?

駄目だ。

娘の安全が保証されない限りあの男は死なない。


 頭の中で必死に次の策を考え、そして足早に兵舎を去るのであった。


※※※


 再び檻の中に入れられると取り敢えず座ることにした。

変に暴れて兵士たちの機嫌を損ねても厄介だ。

今はクレスが上手くやることを信じて待つとしよう。


「おや? 無事だったのかい? 将軍に呼び出されたと聞いて今日は戻ってこないと思っていたんだが」


 隣の檻にいる灰色の髪の女性が私を見て驚き、私は彼女の方に近寄る。


「うん。気に入られなかったみたい」


「アンタほどの別嬪をあの将軍が……って連れは?」


「クレスなら……将軍が……」


 そう言うと女性は察したように「あぁ」と頷いた。


「可哀そうに。あの子、今頃酷い目にあってるよ。アンタも見ただろう? あの豚の醜悪さを。アイツは年端のいかない子供が好みなのさ。アンタの連れはここいらじゃ珍しい肌の色に髪だ。さぞ将軍は喜んだだろうねえ」


 女性が本心から可哀そうにと言い、私はとりあえず頷いた。

どちらかと言うと私が心配なのはクレスではなく将軍の方だ。

今頃鬱憤を溜めたクレスにボールにされていなければいいが……。


「それにしてもアンタ、ザドア出身じゃないだろう」


「分かるの?」


 私の言葉に女性は「一目瞭然さ」と笑う。


「髪が痛んでいないし肌も綺麗だ。アルヴィリアの方から来たのかい? あれかい? どっか大きな娼館で働いていたのかい? ふむ……アレだ。貴族専門の嬢をやっていた口だろう?」


「いや全然。そんなところで働いたことは無いよ」


 傭兵時代娼館の用心棒をやったことはあるがアレは娼館で働いたということにはならないだろう。


「じゃあどっかいいところの奴隷だったとか? 貴族の坊ちゃんか何かの御手付きになって逃げてきたとか?」


 この人、どうしても私が誰かとそういう事をしていたことにしたいのだろうか……?

半目で「違うよ」と首を横に振ると女性は訝しむように首を傾げた。


「アルヴィリアの貴族をやってるって言ったらどうする?」


「アンタ、馬鹿にしてんのかい? ゼダ人が貴族になれるわけないだろう。いや、確かシェードランの方にゼダ人の養子がいるって噂は聞いたことがあるけど貴族様がこんな場所にいるはずがないね」


 実はそのシェードランです。

だがこれ以上言っても信用してくれなさそうだったため自由都市で傭兵をやっていたと女性に言った。


「なるほど傭兵ね。じゃああの話も本当なんだ」


「あの話?」


「アンタがディヴァーンの兵を何人も殺したってことさ。看守が話しているのを聞いたんだよ」


「ディヴァーン語が分かるの?」


「兵士の相手をしているうちに少しずつ教えてもらってね。簡単な内容なら分かるさね」


 「アンタも上手くやりゃあ、色々と教えてくれるよ」と女性が言ってきたため首を横に振った。

ディヴァーン語が分かるようになるのは良いことだがその為に身体を売るつもりは無い。

相手が何を言っているのか分からなかったら取り敢えず殴れと言うのが義姉の教えだ。


「しっかし、だとするとアンタしくじったね」


「しくじった?」


「アンタが殺したのはスィーヤムの兵だろう? あの男は小者の小悪党だけどこの砦じゃあ話が分かるほうだ。そいつの兵を殺してるってなりゃあ……」


 女性が哀れんだ目で此方で見てきた。

どうやらこのまま行くと私はとても手酷い歓迎を受けることになりそうだ。

その前にクレスがどうにかしてくれればいいが……。


 あまり先のことを考えたくないため「ところで」と強引に話を変えることにした。


「貴女はここ出身の人?」


「アタシかい? アタシは違うよ。生まれはアンタと同じアルヴィリアの出身さ。見ての通り純粋なゼダ人じゃなくてね。まあ良くある話でアタシの母親は娼館で働いていてね。そん時に客との間に身ごもったのさ。そんでもって色々あってアタシも娼婦になったって訳さ」


 女性の話では彼女はアルヴィリアのとある大きな娼館で働いていた。

人よりも顔も身体も良かった彼女は人気となりとある貴族に懇意にされるようになった。

それは彼女にとってもチャンスであり、貴族に取り入って妾になれることを期待して色々とサービスをしていたようだ。

だがある日、その貴族が酒に酔い彼女に手酷い暴行を加えようとした。

それに抵抗した彼女は貴族に大怪我を追わせてしまい、娼婦仲間に助けられアルヴィリアから脱出したのだという。


「……で、逃げたは良いが行く当てもなく。取り敢えずゼダ人の故郷であるザドアで暫く暮らしていたらディヴァーンのクソ野郎どもに捕まったってわけさ。あの子には苦労を掛けたってのに申し訳ないよ」


 あの子というのは彼女を助けた娼婦仲間らしい。

見た目も良く人当たりが良い娼婦であったらしく一人で生きていく術をこの女性に教えたのだという。


「そうだ。名乗っていなかったね。アタシはレダ。アンタは?」


「リーシェ。リーシェ・シェ―……ううん、リーシェでいいよ」


「じゃあリーシェ。いいかい? これから大変だろうけど奴隷の先輩として生き残れるように色々教えて━━」


 レダが話している途中に大部屋に複数の兵士たちが入ってきたため私たちは距離を取って座る。

すると兵士たちは私とレダを指さし「デロ、シゴトダ!」と檻を開けてきた。


「まだ明るいってのに気が早いねえ。リーシェ、最初は辛いだろうけど我慢するんだよ」


 そう言ってレダが先に檻から出ると私もため息を吐いて立ち上がる。

さてどうしたものか。

本当に貞操の危機となってしまった。

もちろん彼らの好きにさせるつもりは無い。

彼らが愉しみたいというのならば思う存分愉しませてやろう。

主に暴力的な意味で。

そう考えながら下心丸出しの兵士と共に檻を出るのであった。


※※※


 クマール将軍の寝室に連れてこられたクレスはげんなりとした表情を浮かべていた。

何故雷竜王である自分がこんな下劣で下賤で醜悪で汚物な豚と同じ空気を吸わなければいけないのか。

この首輪が無ければ一撃で消し炭にしてやるというのに。


「どうしっようかなぁ! どうしようっかなぁ!! ゲ、ゲヘヘ!! こんな事は滅多にない!! 出来る限り楽しまなければ!!」


 クマールとかいう豚は耳障りな声を発しながら先ほどから部屋の棚やら箱を開けて中身を物色している。

魔術を封じているためか此方を完全に非力な子供と油断している。

あまりの愚かしさにため息が出そうになるのを我慢し、腕を組むと近くあった椅子にふんぞり返って座った。


(さてどうしたものか。主様を助けねばならぬし。主様のことだから他の奴隷も救えと言うに違いない)


 正直言ってリーシェだけ助け出せれば他の連中はどうでも良かった。

だが我が主はお人好し。

それが彼女の長所だろうが、こういった時は短所となる。


(主様が逃げられるように出来る限り騒ぎを大きくするしかあるまいな)


 ちょうどいい感じに注目を惹けそうな豚が目の前にいるではないか。

まずはこの豚を取り押さえて砦中を駆けまわってやろうか。


「よおし! 決めたぞ!!」


 そう言うと豚が振り返り、目の前までやってきた。


「まずこれを着るのだ!!」


「……正気か?」


 豚が手に持っていたのは水着……いや、もはや紐にしか見えないものであった。

こんなものを着ろと命じているこの豚の頭は大丈夫か?

いや、大丈夫じゃないから醜悪なのか。


「ほれ、脱げ!! なんなら脱がしてやろうか!!」


「触れたら殺すぞ」


 豚が手を伸ばしてきたため殺意を込めて睨みつけると何故かこの男は嬉しそうに己の身体を両腕で抱きしめた。

流石にもう我慢の限界である。

そろそろヤッてしまってもいいよな?

そう思っていると豚は「大人しく従えば殿下に頼んで良い生活をさせてやる」と言ってきた。


「殿下?」


「そう、シャカーン殿下だ! 間もなくいらっしゃる!! そうすれば反乱軍も終わり。俺はこの糞ったれな砂漠から本国に戻れる。殿下は奴隷を全て処分するであろうがお前を殺すのは惜しい。こっそり逃がして俺の家で飼ってやる。他の奴隷よりもずっと良い暮らしをさせてやるぞ?」


 シャカーンというのは確か大帝の子供だったはずだ。

もしこの豚が行っていることが本当であれば悠長にはしていられない。


「クフ、クフフフ。良いことを聞いた。豚よ、感謝するぞ? お前のお陰で決断で来た」


「そ、そうか! では早速……」


 豚が伸ばしてきた手を掴むと思いっきり反対側に捻る。

そして腰を落とし拳を構えると口元に笑みを浮かべた。


「一つ言い忘れていたが儂はドラゴン族じゃ。お主ら人間よりもずっと力がある。魔術を封じた程度で儂を好きにできると? 思いあがるなよ、豚が!!」


「ひ、ひぃ!? だ、誰か!?」


「ドーラーゴーンーアッパーーー!!」


 これまでの鬱憤と怒りを込めて渾身のアッパーカットを豚の顎に叩き込む。

すると豚は吹き飛び天井に激突するとバウンドして地面に叩きつけられた。

どうやらそれなりに頑丈で死んではいないようだが完全に気を失っている。

部屋を物色して何に使っているのか考えたくない鎖を見つけたため豚をそれで縛った。

そして豚を鉄球のように担ぐと部屋の出口まで移動し、ドアを蹴り破った。


「!?」


 外に控えていた兵士たちが驚愕した表情で此方を見たため、腰に手を当てて不敵な笑みを浮かべる。

ディヴァーン語には疎いが確かこういうう時にピッタリな言葉があったはずだ。

確かそれは━━。


「全員、ブッコロス!!」


 そう宣言し、近くにいた兵士に豚鉄球を叩き込むのであった。

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