第85節・深紅の反旗


「よぉーし! それで最後だ! 船に積み込んだら休憩するぞ!」


 何処までも広がる砂漠のど真ん中でインターセプター号の船乗りたちは船から飛び出した荷物の回収作業を行っていた。

大変なことになってしまったが俯いてばかりはいられない。

海の男は常に前向きなのだとガルシア船長は言い、まずは物資をかき集めることから始めた。


 そんな中ヴィクトリアは怪我を負った船乗りの治療を行い、一通り治療を終えると甲板に出た。

甲板に出るとすぐに灼熱の太陽に照らされ目を細める。

そして広大な砂漠を見渡すと思わず感動してしまった。

幼いころから外に出られなかった自分にとって大海原や砂漠というのは物語の中だけの風景であった。

それがこうして自分の目で見られたことに不謹慎ながら気持ちが昂る。


「今、砂漠にいますと父上に言ったらひっくり返るかもしれませんね」


 城を出るどころか国を出ることになるとは全く思わなかった。

はたして自分たちはアルヴィリアに戻れるのか?

いや、そもそもこんな砂漠の中で孤立して生き残れるのか?

昂っていた気持ちが急に冷え込んでくる。

この暑さだ。

まず脱水症状で倒れる人が続出するはず。

だが水は限られているためどうにかして飲み水を確保しなければならないだろう。


「おや、ヴィクトリアお嬢さん。何か考え事ですかな?」


 甲板で砂漠を眺めながら手帳のようなものに何かを書いていたヘンリーが此方にやって来る。

彼は手帳を腰のポーチにしまうと「一つアドバイスをしましょう」と言う。


「困難な状況に置かれたときは悩むよりもまず行動してみると良い。熟慮も大事ですが立ち止まっていては良い方向にも悪い方向にも物事は進みませんからな」


「そう……ですね。このまま途方に暮れていてもどうにもならない。まずは動かないと」


 私の言葉にヘンリーは頷き「ロイ坊ちゃんたちが何か見つけてくれればいいんですがねえ」と苦笑する。


 砂漠に転移した後、リーシェとミリ、そしてクレスが居なかったためロイとユキノは彼女たちを探しに出た。

あれから結構時間が経っている。

リーシェたちは見つかっただろうか?

何か近くに無いだろうか?

こうして待っているのはどうにも落ち着かない。


「ドンと腰を据えて皆さんを待ちましょう……というのは中々難しいですな」


 ヘンリーの言葉に頷くと船内から船乗りがやって来て「おい! ちょっと手伝ってくれ!!」と此方に手を振ってきた。

私たちは顔を見合わせると頷き船員の方に向かう。

今は自分たちにできることをやり、そして皆の無事を祈ろう。

そう思いながら砕けたインターセプタ―号の中に戻るのであった。


※※※


 ロイは砂丘の上から辺りを見渡していた。

行方不明のリーシェたちを探しに出てから随分と経った。

周りにはリーシェたちどころか人影一つ無い。

砂漠の暑さは汗すら一瞬で乾かし、お前たちは助からないのだと言ってきているかのようであった。


「…………」


 強く拳を握りしめる。

ネームレスと名乗った男の言葉が頭から離れない。

自分は凡人だ。

仲間たちの中で数段劣る。

そんなことは無いと思おうとしていた。

だが同時に自分には何もないことを自覚していた。

リーシェを守る騎士になると誓い、必死に戦ってきたが自分は彼女に相応しいのだろうか?

ネームレスとの戦いでも自分はリーシェの足手まといになり彼女に無理をさせた。


「……俺は」


 本当にリーシェに騎士になれるのだろうか?

不安と悔しさに押しつぶされそうになる。

背後から「何かありましたか?」と声を掛けられたため振り返り首を横に振るとユキノが怪訝そうな表情を浮かべた。


「どうかしましたか? なにやら随分と難しい顔をしていますが」


「いや……何でもない」


 そう言うとユキノは「ふむ」と首を軽く傾げ、それから横に並んで立ってきた。


「あの男に言われたことを気にしているならばあんな戯言気にする必要は無いと言います。そして惨敗したことを恥じているのならばそれは私も同じです」


「俺たちはあんな相手に勝てるんだろうか?」


「勝てる勝てないではなく、”勝つ”です。もし勝てるわけないと諦めているのならばリーシェ様の騎士であることを止めてくださっても構いません」


「……手厳しいな」


 そう苦笑するとユキノはじっと此方を見つめてくる。

そして小さく微笑むと「気持ちで負けてはいけませんよ」と言う。


「それにです。ロイ様はロイ様が思っている以上にリーシェ様にとって━━」


 ユキノが突然黙ったため「おい、なんだよ?」と言うと彼女は前方を指さす。

そちらの方を見ると遠くから何かがやってきていた。


「ロイ様、屈んで下さい」


「あ、ああ」


 ユキノと共に屈み、姿を隠すと近づいてくるものを確認する。

それは檻だ。

砂漠を馬に引かれた檻が移動している。

その周囲には騎兵らしきものが多数おり、真っ直ぐに此方に向かって来る。


「……あの旗。ディヴァーンですね」


「嫌な奴らと出会ったな……」


 "大龍壁"以東がディヴァーンの勢力下なのは知っていたがこんなに早く出会うとは思わなかった。

アレは奴らの輸送隊か何かだろうか?

ならば近くに奴らの拠点があるのか?

そう考えているとユキノが望遠鏡を取り出し、ディヴァーンの部隊を偵察する。

そして眉を顰めると望遠鏡を手渡してきたのであった。


「……あれは、人か?」


 ユキノから受け取った望遠鏡を覗き込み、輸送隊と思わしき部隊を見ると檻の中には人が押し込められていた。

檻の中にいる人々は皆ゼダ人であり、手足に鎖が着けられている。


「捕虜……。いや、奴隷の輸送ですかね」


 檻の中には老人からヴィクトリアと同じくらいの少女もいる。

彼らがこの後どうなるのか、想像するだけでも不快感が込み上げてくる。


「我々だけではどうにもなりません。ロイ様、ここは退きましょう」


「……あぁ」


 多勢に無勢。

それに自分は手足に怪我を負っている。

この状況で奴らに仕掛けるのは無謀すぎる。


「分かってはいるけど、悔しいな」


 助けに行きたい。

だがそれが出来ないことに悔しさを感じる。

拳を強く握りしめユキノとその場を離れようとした瞬間、ディヴァーンの部隊が急に止まった。


 何事かと様子を伺うとディヴァーンの部隊の側面に別の軍団が現れた。

深紅の旗を靡かせ、横一列に陣形を組んだ騎兵隊。

あの旗印……あれは……。


「ヴェルガか!!」


 そう言うのと同時にヴェルガ帝国の旗を掲げた軍団がディヴァーンの部隊に襲い掛かるのであった。


※※※


 奇襲を受けたディヴァーンの部隊は慌てて迎撃の為に陣形を組んだがそれよりも早くヴェル帝国の旗を掲げた反乱軍によって切り崩される。

捕虜を運んでいた兵士は味方が突破されるのを見ると馬を駆けさせるが並走してきた反乱軍の弓騎兵によって兵士が射抜かれ馬が暴れて檻が横転する。

その衝撃で檻が開き、中から捕虜たちが急いで逃げ出し始めるがそれを見たディヴァーン兵が彼らを逃すまいと追撃を始める。


「……く!!」


 逃げる捕虜を後ろから容赦なく殺しまわるディヴァーン兵に対してロイは歯を喰いしばり立ち上がる。

そしてユキノの方を見ると彼女も頷き立ち上がった。


「助けられるのであれば助けましょう」


 捕虜の内何人かが此方に向かって逃げてくる。

それを二人の騎兵が追い、まず体力のない老人が槍で貫かれた。


「外道ども!! おい!! こっちに逃げろ!!」


 鞘から剣を引き抜き駆け出すと逃げる捕虜たちに向かって手を振る。

彼らは此方に向かって逃げようとするが騎兵に追い付かれた女性がサーベルで斬り殺された。


「ユキノ!! 援護を!!」


「承知しました!」


 ユキノが一気に駆け全力で小型の苦無を投擲する。

苦無は敵の直ぐ横を掠め、敵は僅かに動揺した。

その隙に捕虜たちは逃げ切ろうとするが最後尾を走っていた少女が転んでしまったのが見えた。


(まずい!!)


 転んだ少女に向かって騎兵が突撃するのを見ると脚に力を込めて加速する。

そして騎兵が少女に向かって槍を放つと彼女の前に立ち、盾で槍を弾いた。


「!!」


 槍を弾かれた騎兵は大きく体勢を崩し、そこに更に踏み込んで剣を敵兵の腰に叩き込んだ。

腹を裂かれた敵は落馬し、もう一人の騎兵はその光景を見て慌てて反転した。


「……ふぅ」


 敵が去っていくのを見届けるとホッと息を吐き、剣に着いた血を振り払うと「大丈夫か?」と転んでいた少女に手を差し伸べる。

紅い瞳に銀の長い髪を持つ少女はどことなくリーシェと似ており、彼女は暫く此方をじっと見つめているとパアっと表情を明るくする。


「ありがとうございます!!」


「うわ!?」


 いきなり飛びかかる様に抱き着かれ思わず尻餅を着きそうになる。

少女は目を輝かせながら身体を密着させてきたため思わず声が上擦る。


「は、離れてくれ!!」


「貴方様は命の恩人です!! 反乱軍の方ですよね!?」


「い、いや。俺は反乱軍じゃなくて……!?」


 ユキノが冷たい視線を此方に向けていることに気がついた。

慌てて抱き着いてくる少女を離すと「誤解だ!!」とユキノに言った。


「ほう? 誤解? それは何に対する誤解でしょうか? これはこれは後で絶好の話の種が出来ましたね。機会があればリーシェ様に離してみるとしましょう」


「……その機会が来ないことを望む」


 「とにかく!」と少女の方を向いて自分たちが反乱軍ではなく只の旅人であることを伝えた。

すると少女は「そうですか……」と俯いた後、再び笑顔で「貴方様は私の命の恩人! 英雄です!!」と抱き着こうとしてくる。


「英雄!?」


 抱き着いて来ようとする少女をどうにか止めて必死に首を振る。

自分は英雄なんかじゃない。

そんな呼び方されても困るし、なによりも裸に近いボロボロの服を着ている少女に抱き着かれても非常に困る!

現在進行形でユキノが”弱み得たり”といった笑みを浮かべているのだ!!


「今はこんなことをしている場合じゃ━━」


 無いと続けようとするとあっと言う間に反乱軍の騎兵に取り囲まれた。

少女を庇うようにユキノと共に身構えると「待ってくれ!!」と大声を出す。


「俺たちはディヴァーンじゃない!!」


「では何者だ!!」


 騎兵の一人が槍を構えながら馬を一歩前進させる。

それに臆さず「旅人だ!!」と返すと騎兵は「旅人だと?」と眉を顰めた。


「こんな砂漠の、しかも戦場のど真ん中に旅人だと!! 貴様ら、怪しいな!!」


 騎兵たちが包囲を狭めてきたためユキノが小声で「どうしますか?」と訊ねてくる。

できれば反乱軍とは敵対したくない。

むしろこの砂漠を生きて渡るには彼らの協力が必要になる筈だ。


「……武器を降ろそう」


「仕方ありませんね」


 剣と盾を投げ捨て、ユキノも苦無を投げ捨てると両手を上げる。

すると騎兵たちは目配せをした後、一人が馬から降りてきた。

そして此方の手に縄を掛けようとすると彼らの背後からディヴァーンとの戦いを終えた部隊がやって来た。


「!!」


 騎兵たちは急ぎ隊列を整え、道を作る。

そしてその道を馬に乗った一人の男が進んできた。

ユキノが「大物が出てきましたよ」と呟き、男の方を見上げる。

短い銀の髪に傷だらけ鍛え上げられた肉体。

その瞳は燃え盛る炎の様に紅く、威風堂々という言葉が似あう男であった。


「ほう? 我らがザドアの地にアルヴィリアの男とミカヅチの女。実に興味深いな。貴様、名を名乗れ」


「……ロイだ。そしてこっちがユキノ」


 男は「ロイにユキノか」と呟くと此方の背後にいた少女に気がつく。


「まずは同胞を助けてくれたこと、感謝しよう。そしてロイにユキノよ。貴様らは何をしにこの地に来た? ここは戦場。まさか旅行に来たとは言うまい」


 本当のことを言うべきか悩んだがここで嘘を吐いても仕方が無いと判断し、「ザド=ゼダルガに向かうためだ」と言った。

すると男は僅かに眉を顰め、周囲の騎兵たちは騒めく。


「貴様らはその地が何なのか分かって言っているのか?」


「ある程度は。俺たちはある人と共にそこに向かうのが目的だ」


「ある人? それは誰だ?」


 ユキノの方に目配せをすると彼女は頷く。


「リーシェ。リーシェ・シェードランだ」


 リーシェの名を言うと男は目を点にし、それから「ハハハ!!」と笑い始めた。

男が突然笑い始めたため思わず首を傾げると男は「なるほど!」と笑みを浮かべる。


「器が自ら来たか! 運命という奴なのだろうな!」


 「どういうことだ」と訊ねると男は「そのうち分かる」と言い、騎兵たちに構えを解くように指示を出した。


「貴様らを我らが砦に招待しよう。器の従者たちよ。貴様ら以外にもいるのだろう? 全員連れてくるが良い」


 そう言いながら男は馬を反転させ、去っていく。

そして途中で「ああそうだ」と立ち止まり振り返るのであった。


「名乗っていなかったな。我が名はザイード。ザイード・ヴェルガ。いずれヴェルガ帝国を再建させエスニアを統一する男だ」

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