第83節・砂塵の騎兵


 広大な砂漠を私たちは歩き続けていた。

大小幾つもの砂丘を登っては降り、どこまでも続く砂の大地と灼熱の太陽によって体力がじりじりと奪われていく。

砂で出来た地面に歩くたびに足を取られそうになり、衣服などに纏わりついた砂が非常に重く感じる。


 私たちは喋るのも辛く成り始め、項垂れながら進み続けていると先頭にいたクレスが「見えてきたぞ!」と前方を指さす。

私とミリは前方を見ると遠くに船の残骸らしきものを見つけ、パッと顔を明るくすると歩く速度を上げる。

そしてどうにか残骸の近くまで来るとそれがひっくり返ったインターセプター号の右舷前方側であることが分かった。


 近くには恐らく船が砕けた時に犠牲になった船員の死体があり、私たちは彼らに黙祷をすると船が割れた個所から船内に入った。

船がひっくり返っているため天井が床となり、船体に空いた沢山の穴から光が差し込んでいる。


 ミリの顔色が明らかに悪かったため、私たちは彼女を船の通路に座らせるとクレスに水が無いかを探しに行ってもらった。


「情けないわね。こんなことでヘバるなんて」


「この暑さじゃ仕方ないよ」


 服に着いた砂を手で払いながらそう言うとミリは「アンタは私より元気そうね」と苦笑する。


「ゼダ人だからかも。ほら、ここはゼダ人の故郷だって言うし」


「でも砂漠は初めてなんでしょう?」


「……たぶん」


 その筈だ。

私は幼いころアルヴィリアの奴隷商人たちに捕まっていた。

それよりも前の記憶は無いがアルヴィリアの奴隷商人たちが”大龍壁”を超えてこんなところまで来るとは思えない。


 私は近くにあった砂まみれの木箱に座り、大きく開いた穴から砂漠の景色を見つめる。

ロイたちは無事だろうか?

後で周囲を探索しようと考えているがもし砂の中に彼が埋まっていたらと思うと背筋が凍る。


(いや……大丈夫。みんななら大丈夫……)


 私たちが無事だったんだ。

ロイたちも無事に決まっている。

そう信じなくては。


「あとで弔わなきゃね」


「え?」


「船員たちよ。私たちが巻き込んだようなものなんだから……」


「……うん」


 暫く沈黙していると船の船首側に向かっていたクレスが樽を担いでやってきた。

そして私たちの前に置くと「殆ど樽が壊れておったが幸いこれだけ無事じゃった」と樽の蓋を開ける。

するとそこには飲料水用の薄めた酒が入っており、ミリは急いでそれを掬って飲む。

私も薄めた酒を飲むとミリが「やっと水を飲めたわ」と嬉しそうに耳を動かしている。


「お主ら、気持ちはわかるがあんまりガッつくな。貴重な水なんじゃぞ」


「分かってるって。でもこっちは干からびかけていたんだから」


 やれやれとクレスは肩を竦めると「それで」と壁にもたれかかる。


「これからどうするのじゃ? 他の連中がどこにいるか分からん以上闇雲には動けん。だがこの場にいてもいずれは水も食料も枯渇する」


 クレスの言う通りだ。

なんとか水と灼熱の太陽光から逃れられる場所は見つけたがそう長くはもたない。

他の仲間たちを探すにも自分たちがどこに居るのかも分からない状況では更に遭難する危険性が高い。


「……まずは辺りを探索しよう。もしかしたら近くに集落か何かあるかもしれないし」


「オアシスでもあれば最高なんじゃがな」


 「では早速動くか」とクレスが壁から離れ、私もリントヴルムを手に入ってきた方に向かおうとする。

するとミリもついて来ようとしたためクレスが「お主は少し大人しくしていろ」と首を横に振った。


「でも……」


「でもではない。そんな状態で外に出て倒れる気か? 儂はお主を背負ってはやらんぞ?」


「そう……ね」


 ミリは申し訳なさそうに床に座り、私は「大丈夫、すぐ戻ってくるから」と笑みを浮かべる。


「うん、いってらっしゃい。私はアンタたちが外に出ている間に船の中に何かないか探してみるわ」


 ミリの言葉に私たちは頷き合うと動き始め、私とクレスは再び灼熱の大地に出るのであった。


※※※


 船の残骸から出て暫く外を歩いたが私たちは予想以上に良くない状況に陥っていることを理解した。

何もない。

本当に何もないのだ。

砂丘を抜け目に飛び込んできたのは平らな大砂漠。

地平線がはっきりと見えるくらい遠くを見渡せ、そして集落どころか岩一つない。

更に歩き続ければ何か見つけられるのだろうか?

いや、この砂漠を歩くという選択は無謀すぎるのではないだろうか?


「うーむ……。どうしたものかのぉ……」


 クレスも事の深刻さに眉を顰めながら腕を組んでいる。

動物も居ないため食料の確保もできない。

こうなると船の中にどれだけ食料や水として飲めるものがあるかで生存日数が決まりそうだ。


「餓死と水が尽きて死ぬのどっちが早いと思う?」


「水じゃな。というかそんな後ろ向きなことを訊くでないわ」


「ごめん」


 とはいえ前向きになれる材料が無い。

こう、なんでもいいから砂以外のものが見つかれば……。


「……ん?」


 遠くの方から何かが近づいてきているような気がした。

最初は小さな黒い点のようなものであった。

それは砂ぼこりを舞わせながら此方に近づいてきており、だんだんと輪郭がはっきりしてくる。


「あれは……」


「主様━━走るぞ」


 クレスが私の手を引いて迫って来る何かと反対側に駆け出す。


「ク、クレス!? あれ何!?」


「この音、あの速度、馬じゃ!! それも軍馬じゃな!!」


「軍馬!? こんな砂漠に!?」


 軍馬が砂の大地を蹴る音が近づいてくる。

私たちがあの集団を見つけたように向こうも此方を見つけていたようだ。


「迂闊じゃった!! 主様、思い出してみろ!! いま、ザドアの地では何が起きている!?」


「何がって……あ……」


 ザドアの大砂漠ではヴェルガ帝国の残党であるゼダ人を中心とした反乱軍とディヴァーン軍の間で戦いが行われている。

あの騎兵隊がどちらのものかは分からないが掴まるのは不味いだろう。


 砂丘を滑り落ちるように駆け、私たちは必死に迫って来る軍団から逃げようとする。

一瞬だけ振り返ると砂丘を騎兵が乗り越えてきた。

彼らの中には旗を掲げているものがおり、あの旗印は確か━━。


「━━ディヴァーン!!」


「最悪じゃ!!」


 ディヴァーン軍の残虐さはベールン会戦の際に思い知っている。

ゼダ人のそれも女が掴まれば死ぬよりもつらい目に会うことに間違いはない。


「敵は百機! どうしようか!?」


「どうするといっても……」


 騎兵たちが一気に私たちに迫り、そしてあっと言う間に円を描くように取り囲む。

私とクレスは背中合わせに身構えると騎兵の中で最も上等な鎧を身に纏っている男が前に出てくる。

男は私たちを値踏みするように厭らしい視線を向けると口元に笑みを浮かべた。


「おやおや? こんな砂漠に女子供がいるとは。怪しい。実に怪しい。さては貴様ら反乱軍だな?」


 男がやや訛りがあるがアルヴィリア語を使ってきたことに驚きつつも私はリントヴルムの先端を男に向ける。


「おおっと!? 武器を持っているじゃないか!? やはり貴様らは反乱軍に違いない!! クマール将軍許に連行する!! 今すぐ武器を降ろして降伏しろ、愚かなゼダ人!!」


「反乱軍じゃないって言っても……信じないよね」


「じゃろうな。それにこやつら、反乱軍じゃなくとも儂らを捕らえる気であろうよ」


 私たちは小声で離すと男は眉を顰め「抵抗する気か」と後ろの騎兵たちに合図をする。


「無傷のまま将軍に献上するつもりであったが致し方ない。おい! 取り押さえろ!! 腕の一つくらいは構わん! ああ、だが顔はやめろよ? 将軍が喜ばなくなる」


 男がそう言うと騎兵たちがじりじりと寄ってきた。

さて、掴まったら本当に酷いことをされそうだ。

だが完全に包囲されているため逃げ道が無い。

ならばやることは一つ。


「暴れるよ!!」


「任せておけい!!」


 クレスが天に向かって腕を突き出すと周囲に雷が落ち始める。

雷によって固まっていた何人かの騎兵が吹き飛ばされ、敵軍が動揺する。

その隙を突いて私は飛び込んだ。


「……ッ!?」


 一番近くにいた騎兵の胸目掛けてリントヴルムを突き放ち、抉る様に刺す。

そしてそのまま敵を馬から落とすと代わりに馬に飛び乗った。


 暴れる馬の手綱を握り、落ち着かせると馬を駆けさせる。

そして敵軍に飛び込むとリントヴルムを思いっきり振り回し、騎兵の身体にリントヴルムを叩きつけ次々と落馬させた。


「と、止めろ!!」


 ようやく事態を理解した敵が一斉に襲い掛かって来るがクレスの雷撃に圧され、自由に動けないでいた。


(あと少しで崩れる……!!)


 敵の包囲が崩れたら奪った馬で逃げてしまおう。

そう考えながら私は迫ってきた敵をリントヴルムで刺突し、別の敵に向けて槍を横薙ぎに放つのであった。


※※※


 偵察隊の指揮官であるスィヤームは焦り切っていた。

今日の任務は簡単な偵察であった。

騎兵隊で砂漠を進み、ゼダ人を見つけたら反乱軍であろうがなかろうが狩る。

特に女であれば良い。

女を捕まえて将軍に献上すれば褒美が貰え、運が良ければ"おこぼれ"も貰える。

だがらあの娘たちを見つけた時は喜んだ。

アルヴィリア人の方はまだ子供だがゼダ人の方は顔が整っており肉付きもいい。

将軍は大いにお喜びになるだろう。


(……今日は運の良い日だと思っていたが!!)


 予想外だ。

子供の方は高等な魔術を使うし、ゼダ人の方も巧みに馬を操り純白の槍で此方の兵を次々と倒している。


(このようの失態、将軍がお許しになるはずが無い!!)


 女子供に負けて逃げかえったなどと知られれば処刑される。

ならば……。


「フゲン!! フゲンを連れてこい!!」


「は、はい!」


 部下が慌てて後ろに下がると一人の男を連れてやってきた。

男は艶のある長い黒髪を後ろで結い、あごには無精ひげを生やしている。

この男は貴きディヴァーン人ではない。


 アルヴィリアに侵攻した際に捕虜にしたミカヅチ人だ。

アルヴィリア侵攻戦においてこの男は僅かな部下と共に何百というディヴァーンの兵を倒し、敵陣に単身で斬り込んで将軍を一人斬り殺した。

その後捕らえられ処刑される筈だったのだが大帝陛下が興味を持ち、妻子を人質にしてディヴァーンの軍門に降るように脅したのだ。

フゲンは妻子に手を出さないことを条件に降伏し、そして今はクマール将軍の手駒として働いている。


「呼んだかい、大将? 今日は馬の上で昼寝しているだけだと思っていたんだがねえ」


「黙れ四等民!! 貴様は黙って私の指示に従え!!」


「ああそうかい。じゃあ黙るよ」


 フゲンがやれやれと肩を竦めると馬に乗って暴れまわっているゼダ人の娘を見て「へえ」と口元に笑みを浮かべる。


「四等民、貴様に仕事をやる。あの娘を捕らえろ。最悪殺してしまっても構わん」


「…………」


 フゲンがニヤニヤと笑っていたため「何か言え!!」と怒鳴ると彼は「さっき黙れっていったじゃないか」と頭を掻く。


「っぐ!! 減らず口を!! 貴様、自分の立場が分かっているんだろうな!! 貴様が反抗的な立場を取るなら貴様の妻と娘を━━っひ」


「━━俺の妻と娘を? なんだって?」


 フゲンの目は身も凍るほど冷たかった。

視線だけで相手を殺せるほどの殺気を放ち、思わず馬の手綱を引いて後退ってしまう。

額に浮かんだ冷や汗を手で拭いながら「と、とにかく」と怒鳴るとゼダ人の娘の方を指さす。


「アレをどうにかしろ!!」


「……あいよ。まったく、女子供と戦う羽目になるとは俺も落ちぶれたもんだぜ」


 フゲンが「やれやれ」と言いながら敵の方に向かってくのを見届けるとホッと胸を撫でおろす。


 恐ろしい。

あの男は恐ろしい。

きっとあの男が本気になれば我々は全滅させられるだろう。

故に首輪を繋いでおかなくてはならない。

絶対に野に放ってはいけないのだ。

そう思いながらフゲンがゼダ人の娘の前に立ったのを見るのであった。


※※※


 私は目の前に一人の男が現れたのを見た。

その男は他のディヴァーン兵とは異彩を放っていた。


(ミカヅチ人……?)


 黒い髪にやや黄色い肌、栗色の瞳といった特徴から彼がミカヅチ人であることが分かる。

なぜディヴァーン軍にミカヅチ人が居るのかは分からないが前に立ちはだかる以上━━。


「━━ぶっ飛ばす!!」


 馬を駆り、男に向かって突撃を行う。

すると男はゆっくりと腰に手を落とし、腰に提げていた刀の柄に手を掛けると━━━━。


「!?」


 一閃。

男は鞘から刀を凄まじい速度で引き抜くと私が乗っていた馬の前足を断つ。

それにより馬が倒れ、私は砂地に投げ出されて転がった。


 私はゆっくりと立ち上がるとリントヴルムを両手でしっかりと構え、男と向かい合う。

今の一撃。

殆ど目でとらえることが出来なかった。

確かアレは居合という技の筈だ。

傭兵時代にミカヅチ人の傭兵が居合斬りをしているのを見たことがあるが今のはその時の比ではない速さであった。


「お嬢ちゃん、名前は?」


「え?」


「名前だよ名前。ちなみに俺の名はフゲン。まあ見ての通りディヴァーンの使い走りだ。で? アンタは? やっぱり反乱軍の一味かい?」


「ううん、違うよ。私はただの旅人。だから見逃してくれないかな?」


 そう言うとフゲンは苦笑しながら「そりゃ無理だ」と言う。


「こんだけ派手に暴れちゃあ奴らはアンタを逃がさない。大人しく掴まってくれ……てのは無理だよなあ」


 フゲンが再び腰を落とし始め、私もゆっくりとリントヴルムを構えなおす。


「紳士的に扱ってくれるならまあちょっとだけ考えてもいいけど?」


「残念ながら奴らは紳士とは程遠い。アンタみたいな美人が掴まったら最後、死ぬより酷い運命が待ち受けている。だからな……俺はお嬢ちゃんを本気で殺しに行く。なるべく痛みを感じないように死なせてやる。だがもし生き延びて此奴らから逃げ切りたいんだったら━━━━アンタも死ぬ気で来な」


 男から放たれる凄まじい殺気に思わず鳥肌が立つ。

この男、尋常ではない。

此方も全力で戦わなくては本当に死んでしまうだろう。

だから私も彼を本気で殺すつもりで行く。


「殺し合う前に名乗るね。私はリーシェ。リーシェ・シェードラン」


「シェードランだと? まさか……。いや、成程。まったく俺の人生は波乱万丈だ」


 フゲンが口元に笑みを浮かべ刀の柄に手を掛ける。

そして次の瞬間、再び不可視の居合斬りが放たれたのであった。


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