第82節・転移の門


 私は突然現れた"隠者"にも驚いたがそれ以上に彼が持っている杖に驚愕していた。


 六合の杖。

かつて女神アルテミシアが使い、ベールン会戦では"大祭司"が所有していた杖。

あれはルナミアの手に渡った後、アルヴィリア王家が厳重に保管していたはず。

それをなぜこの男が持っている?


『おうおう、随分と厄介な物を持ち出して。そんなに俺が怖いか?』


『ああ怖いとも。故に出し惜しみは無しだ』


 ”隠者”は倒れている私の方を一度見た後、麻痺している仲間たちを見渡しそれから六合の杖を再度甲板に突き立てた。

杖が一瞬光るとまずロイがその場で片膝を着き、それからミリたちが「動ける!?」と慌ててネームレスから距離を取る。


「……?」


 ただ一人、クレスだけは何か訝しむように己の足元を見つめ、つま先で甲板を蹴っている。

何か気がついたのだろうか?


『成程。此方の手は理解していると。まあお前ならば当然だろうな。さてどうするこの場でやり合うのも別に構わんが━━』


 ”隠者”が問答無用でネームレスに六合の杖を向けると彼を大きく吹き飛ばし、船から突き落とした。

だがネームレスは一瞬で元の位置に戻り、少し濡れた己のローブを手で払う。


『人が喋っている間に攻撃するな。相変わらず親に対する敬意がないなあ?』


「……親?」


 ユキノに手を引かれ起こしてもらいながら私は”隠者”の背中を見つめる。

ネームレスは己を親と言った。

それはつまり”隠者”は……。


『申し訳ないが生まれてこのかた貴様を親と思ったことは無い。悪神よ去れ。去らぬというのならば再び地の底に追いやってくれる』


『出来るものならばやってみろ。どれ、お前がどれくらい出来るようになったのか試してやる』


 ネームレスが指を鳴らすと”隠者”を中心に空間が一斉に歪む。

それに対して”隠者”は六合の杖を振りかざし、己の中心とした空間の歪みを消す。

そして”隠者”が歪みを消した空間以外が一気に圧縮され、船の甲板が大きく砕け船体が激しく揺れる。


 直ぐに”隠者”が杖の先端から凄まじい魔力の塊を放ち反撃出るが、それをネームレスが手で払って吹き飛ばす。

すると魔力の塊は船首に激突し船に大穴を開けた。

それを見たクレスが舌打ち、「いかんぞ!? このままでは船が沈む!!」と大声を出す。


「そんなこと言ったってどうすればいいのよ!?」


 ミリの言う通りだ。

ネームレスと”隠者”の戦いに割って入るのは難しい。

ならばここは一時的に”隠者”に協力し、ネームレスを撃退するか?


 ”隠者”は船の状態を見ると『致し方ないか』と呟き、再び甲板に六合の杖を突き立てる。


『死にたくなければ出来る限りあの男の動きを止めろ』


 ”隠者”が何をする気かは分からないが今は従うしかない。

私たちは頷き合うと”隠者”を守る様に前に出てネームレスと向かい合う。


『なるほど。そう来たか。だが俺を止めらるかな?』


 ネームレスが私の方に右腕を突き出すと私を中心とした空間が歪む。

歪みから逃れるため全力で駆け出すのと同時にミリが矢を放ち、ロイとユキノが飛び込む。


 直ぐにネームレスは二人を迎撃しようと動くが、それよりも早くか彼の頭上から雷が降り注いだ。

落雷を空間ごと消失させ防ぐが、その隙に突撃を行った二人が敵に踏み込みロイが剣を敵の腰に、ユキノが苦無を敵の両膝に叩き込む。

それにより敵がほんのわずかに体勢を崩し、踏ん張ろうとしたところにヘンリーの鉄球が顔面に叩き込まれた。


『おいおい、この程度で━━』


 即座に二撃目。

攻撃を叩き込んだロイとユキノが反転しネームレスの背中に攻撃を叩き込む。

更にミリが敵の関節を狙って矢を放ち、ヘンリーが敵の左腕に鉄球を巻き付ける。

私もリントヴルムを構え連続で突きを叩き込むと敵は更に体勢を崩す。


『おおっと?』


 ネームレスは体勢を崩しながら己の周囲の空間を歪ませ始め、ロイたちは急いでその場を離れる。

そして空間圧縮が行われたのと同時にクレスは大きく口を開け閃光を放った。

敵はクレスの一撃を腕をクロスさせて受けるが押し飛ばされ甲板の端まで追い込まれる。

だが敵は少しずつクレスの竜砲を押し返し始め、『危ないじゃないか』と前進を開始した。

そしてついにクレスの攻撃を防ぎきると大きく歪んだ己の左腕を見つめた。


『流石は雷竜王。この身体では無傷とはいかないか』


「……何て奴じゃ! 儂の渾身の一撃を防ぎおった!!」


 クレスは肩で息をしながら構えなおす。

それに合わせて私たちも再度武器を構えてゆっくりと迫って来るネームレスを睨みつけた。


『さて、じゃあそろそろこちらから……と思ったが完成させたか』


 気がつけば空の色が変化していた。

青空は消え去り、虹色に歪む。

そして海面が光り輝くと光の向こうにベージュ色の大地らしきものが見えた。

いったい何が起きているんだ!?


「まさか空間転移!? それもこんな大規模なじゃと!?」


 クレスがそう驚愕すると船が傾き始める。

私たちが甲板を転がらないように近くのマストや手すりなどにしがみつくとネームレスが『潮時か』と肩を竦めた。


『これだけ大きな門を開くとは中々やる様になったじゃないか。少し感心したぞ』


『私の目的は貴様を消滅させること。いつまでも漆黒の玉座でふんぞり返っていられると思わないことだ』


 ”隠者”の言葉にネームレスが喉を鳴らして笑い、浮遊して船から離れていく。

それを追って”隠者”も駆け出し、甲板の端まで行くと一瞬だけ私たちの方に振り返り『ここから先は自分たちでどうにかしろ』と言い船から飛び降りるのであった。


※※※


「な、なんなのよー!!」


 ミリがマストにしがみつきながらそう叫ぶ。

本当になんだったのだ、今までの出来事は。

なぜネームレスという男は私たちを襲撃してきた?

なぜ”隠者”が私たちを助けた?

疑問はいっぱいあるが、今はそれよりも……。


「これ、転覆していない!?」


「リーシェ様、奇遇ですね。私もそう思っていました」


 船はどんどん傾いていく。

甲板を木箱や樽が転がっていき、手摺に激突して光り輝いている海に落下していく。


 船内からガルシア船長や船員たちが慌てて飛び出して来て「どうなってんだこりゃ!?」と驚くと慌てて操舵輪の方へ向かう。


「野郎ども、とにかく立て直せ!! このままじゃ真っ逆さまだ!!」


「お、おう!!」


 船員たちが斜めになっている甲板の上で必死に動き始める。

船の左舷側は完全に光の中に沈み、船体が激しく軋んでいるのが分かる。

この光に落ちたらどうなるのか?

先ほどクレスは空間転移と言っていたような気がするが……。


「ともかく船内に入りましょう!! 甲板にいてはマズい気がしますよ!!」


 ヘンリーの言葉に私たちは頷きどうにか動こうとした瞬間、マストが折れた。


「は?」


 マストにしがみついていたミリが放り出される様に落下していき、私は急いで彼女に向かって跳躍する。

そしてミリが光の海に落ちる直前に彼女の手を取り、反対側の手で手摺を掴むと歯を喰いしばる。


「ミリ、ちょっと太った!?」


「ぶっ飛ばすわよ!?」


 状況はかなりマズい。

先ほどの戦闘によるダメージが大きく手に力が入らない。

手摺から手が離れそうになるのをどうにか堪えると「主様!!」とクレスが甲板を滑ってやって来て上手く手摺に着地すると私の腕を掴む。


「二人とも引き上げるぞ!! エルフ娘!! 引き上げたら何かに掴まれ!!」


「え、ええ!!」


 「それではいくぞ!!」とクレスが私たちを引き上げた瞬間、凄まじい音が鳴り響いた。

驚き音の方を見れば船体が砕け、船が二つに割れ始めていた。


(これは……駄目かも……!?)


 そう思った瞬間、船が完全に二つに割れ私はクレスとミリと共に光の海に落下してくのであった。


※※※


 キオウ領の海岸に一人の女が居た。

法衣のような純白の衣服を身に纏い、髪と同じ白い面を着けた女━━アインスは地平線の先をじっと見つめている。


『お戻りになられましたか』


 アインスはそう呟くといつの間にかに彼女の横にいたネームレスが頷き、ボロボロになったローブのフードを被る。


『まったく、ヌルの奴はしつこくてかなわん。奴めこの俺をどこまでも追ってきやがった』


『始末はされたので?』


 アインスの言葉にネームレスは『いや』と肩を竦める。


『これから反撃に転じてやろうと思っていたら逃げられた。まあ奴の目的は最初からリーシェとのその仲間たちを逃すことだろうからな』


 ネームレスがそう言うとアインスは彼の方を向き、それから『なぜ殺さなかったのです』と静かに、だがやや苛立たしそうに訊ねる。


『どっちをだ?』


『どちらも。父上、貴方様のお力ならばあの裏切り者も欠陥品も始末できたはずです。少なくとも欠陥品の方は始末するきだったのですよね?』


 アインスの問いにネームレスは『うーむ』と顎に指を添え、空を見上げる。


『最初はあまりのレベルの低さに廃棄しようと思ったのだがな。アレはアレで中々面白いことになりそうだ。だからもうしばらく様子を見ることにした』


『━━━━彼女を”器”に?』


『それはこれからのアイツ次第だ。アインス、貴様は予定通りザド=ゼダルガに向かえ。そしてどちらが”器”に相応しいか証明しろ』


『……承知しました』


 ネームレスは『俺は帰ってメンテナンスする』と言い歩き出す。

そしてすぐに彼の姿は見えなくなり残されたアインスは拳を強く握りしめもう一度地平線の先を見つめるのであった。


『足らぬ”器”など壊してしまえばいい』


※※※


 夢を見た。


 ”私”の血は特別なのだとよく両親に言われていた。

”私”たちの一族はとても貴い血が流れており、今は苦しい生活をしているが必ず返り咲く日が来るのだと”私”と”兄”は教え込まれていた。


 ”兄”は両親の教えに心酔し、貴き血に見合う人間になるのだと意気込んでいた。

だが”私”そんなことよりも家族と共に静かに暮らすほうが良かった。

確かに”私”達の生活は苦しい。

いや、”私”達だけじゃない。

一族は緑豊かな土地を追い出され、不毛な故郷の地に戻ってきた。

水は貴重だし、食べ物もお腹いっぱいは食べられない。

だが家族と共に暮らせる。

それだけで”私”は幸せだった。

ずっとこんな日が続けば良い。

そう願っていた。


 だがある日、一人の男がやって来て”私”の幸せは失われるのであった。


※※※


「……様! ……じ様!! 主様!!」


 誰かに呼ばれる声を聞き、私はゆっくりと目を覚ます。

すると眩しい太陽を背に心配そうに此方を覗き込んでくるクレスの顔が目に入り、私は「……おはよう?」と取り敢えず挨拶をする。


「目を覚まして早々阿呆なことを言えるのだから大丈夫そうじゃな」


「阿呆とは失礼な」


 ゆっくりと起き上がると私は口の中がじゃりじゃりとしていることに気がつき、口の中の砂を吐き出すと辺りを見渡す。


「なんでこんなことに?」


砂漠だ。

あたり一面を埋め尽くす砂の大地。

いくつもの砂丘が連なり、地平線の先までベージュの大地が続いている。

先程まで私達は海にいたはずだ。

それがどうして砂漠なんかにいる?

というか砂漠?


「主人様が考えている通りじゃ。どうやら儂らは船ごととんでもない距離を転移させられたらしい」


 キオウ領からザドアの大砂漠。

船旅で何日もかかる距離を一瞬で移動したというのか!?

凄まじい事実に愕然とするが近くに一緒に転移したはずのインターセプター号が無いことに気が付き、私は慌てて周囲を見渡す。


「他のみんなは!?」


「エルフ娘ならそこでノビているが他の連中はおらん。恐らく儂らだけが先に転移され、座標がズレたのじゃろうな」


 この大砂漠のどこかにロイたちがいる。

早く合流しなくてはと思い周囲を見渡した。

砂漠には船の残骸どころか人影一つ見えない。

無闇に動くのは危険かもしれない。


(それにしても……)


 暑い。

夏のアルヴィリアよりも遥かに暑く、空気は乾燥しきっている。

過酷な地だ。

だがなぜだろうか?

この場所がとても懐かしく感じる。

やはりこの砂の地が私の失われた過去に関係しているのだろうか?


「……ん」


 気を失っていたミリがゆっくりと起き上がり、寝ぼけた眼で私たちの方を見る。

そして暫くボーっとしていると「おはよう?」と首を傾げる。


「阿呆がもう一人おったわ」


 クレスが呆れたようにため息を吐くとミリは辺りを見渡し、やがて目を大きく見開くと急に立ち上がった。


「ここどこよ!?」


「砂漠」


「見りゃわかるわ!!」


 ミリは「えぇ……何が起きたの?」と辺りをうろつき、砂に足を取られて転んだ。

そして砂まみれになった彼女は尖った耳を下向きにしながら私たちの方に戻って来る。


「髪の中にまで砂が……最悪だわ……。で? もう一度訊くけどここはどこなのかしら? まあ、何となく想像がつくけど」


「間違いなくザドアの大砂漠じゃな。儂らは”隠者”によって船ごと空間転移をさせられたのじゃ」


「私たちだけ先に海に落ちたから皆と違うところに飛ばされたらしいよ」


 私たちがそう言うとミリはがっくりと肩を落とし「無茶苦茶すぎるでしょう」と呟いた。


「他の連中がどこにいるかは分からないの?」


「お主らが目を覚ます前に少し探索したがあっちの方に船の残骸らしきものが見えた。まずはそこに向かうべきであろうな」


「そこに皆が居ればいいけど……。居なかったらどうしようか?」


 私の言葉に二人は沈黙する。

ここは私たちにとって完全に未踏の大地だ。

当てもなく彷徨えば三人とも砂の中に埋もれてこの世を去ることになるだろう。


「ちょっとクレス。アンタ、ドラゴンになって空から他の連中を探せないの?」


「残念ながら儂は竜化できん。儂の魂は大きく傷つき、それを癒している最中なのじゃ」


 クレスが竜の姿になれないのは私のせいだろう。

彼女の命を分け与えられたためクレスは常に欠けた状態なのだ。


「主様、自分を責めるでないぞ。これは儂が望んでした結果じゃ」


「うん。分かった」


「さて、そうなるとこの砂漠を歩かなきゃいけないわけだけど……。その船の残骸とやらは近いんでしょうね?」


 「恐らく」とクレスが自信なさげに言ったためミリは頭を掻き、「こりゃ前途多難だわ」と苦笑する。

とにかく立ち止まるよりも前に進むべきだ。

この場にいても何も解決しないしむしろ暑さで体力が奪われていく。

動けるうちに動くべきだろう。


「ほれ! さっさと行くぞ!!」


 クレスが大股で歩き出し、私とミリは顔を合わせると肩を竦めて彼女の後を追う。

こうして私たちは広大な砂漠を身一つで歩き始めるのであった。

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