第70節・滅びの魔獣
「乱暴狼藉は厳禁とする!! もし軍令を破れば即刻死罪にすると伝えなさい!!」
ガーンウィッツの町に入ると私は直ぐに町や住民に危害を与え無いようにと指示を徹底した。
この町にいる者たちは敵では無く守るべき民だ。
彼からパンの欠片一つでも奪ってはならない。
(それにしても正門の兵が投降してくれて助かったわ……)
ガーンウィッツは堅牢な城塞都市だ。
もし敵が徹底抗戦を行っていたら戦いは長引き、町に壊滅的な被害を与えることになっていただろう。
ここは父と叔父が育った大切な場所。
そこを血で汚し、破壊するわけにはいかないのだ。
「……それにしても」
城に続く大通りを見る。
この通り、昔と何も変わっていない。
石畳の舗装された綺麗な道。
かつて母が死んだ道。
私はあの事故以来この通りを見るのが嫌でガーンウィッツに行かなくなった。
これからも先もここには訪れないだろう。
そう思っていたのに……。
「まさか占領軍として訪れるとはね」
兵を率い歴史ある町を占領している私を叔父は、父は、母はどう思っているだろうか?
そう考えていると自分の兵を率いたダニエル子爵がやってきた。
「ルナミア殿、町の制圧はほぼ完了したようだ。町にいた敵兵は投降し、目だった争いも起きていない。あとは━━」
「どう城を攻めるかね」
ガーンウィッツの城は西にルマレールの湖、東と南、そして北は大きな堀で囲まれており城に攻め入るには三方から掛けられている橋を通るしかない。
当然敵は橋の守りを固めるであろうし、橋では大軍を動かせない。
「長期戦になるかもしれませんね」
私の言葉にダニエル子爵は頷く。
三方の橋を押さえ、ルマレール湖にも軍船を出して封鎖すれば敵を兵糧攻めに出来るはずだ。
だが兵糧攻めをするならば一つ問題がある。
それは中央からの援軍だ。
戦いが長引けばエリウッド王がレクター救援の為に援軍を出す可能性がある。
もし再び聖アルテミシア騎士団が現れればこの戦い厳しいものになるだろう。
「兎に角、まずは城の包囲を行いましょう」
そう言うと私は城の方に向かって馬を動かし、それに合わせて辺境伯軍も進軍を開始するのであった。
※※※
城の東側の橋の前には既に味方の陣が完成していた。
敵はやはり橋を封鎖しているようであり、多数のバリケードが築き上げられている。
私は先に到着していたクルーべ侯爵に挨拶をすると彼の横に馬を止める。
「敵の様子はどうですか?」
「不気味なほど静かだ。バードン伯爵は南側に、クリス王子は北側に布陣している。まずは一度攻め入り敵の出方を伺う予定だ」
クルーべ侯爵の言葉に私は頷き静まり返った橋の方を見る。
ここからでは敵兵は一人も見えない。
物陰に潜んでいるのだろうか?
それともそう思わせることが敵の策だろうか?
そう考えていると橋の方にいた兵士が慌てて此方に駆け寄ってきた。
「は、橋にレクター大公が現れました!! それも一人で!!」
「なんですって?」
兵士は頷くとレクターが私を呼んでいると伝えてきた。
あのレクターが一人で、しかも私を呼ぶなんて……。
「罠の可能性が高いですな」
ダニエル子爵の言葉に頷く。
私をおびき出し、一気に仕留めるつもりかもしれない。
だがそれでもあの男が私を呼んでいるのならば━━。
「━━行きます」
これは私たち従兄妹の戦いでもある。
私は奴と向かい合い、決着を着けなくては。
「その顔、止めても無駄そうですな。兎に角、お気を着けて」
ダニエル子爵の言葉に頷くと私は兵士の案内を受けながら橋の方へと向かい始める。
レクター。
貴方はどうして自分の父を殺したの?
貴方は何を成したいの?
そしてそれを知ったうえで私は決断しなければいけない。
手綱を握る手に力が篭り、私は高鳴る鼓動を鎮める為に深呼吸をするのであった。
※※※
私は橋に辿り着くとエドガーに「手出し無用よ」と待機を命じた。
そして馬を降り、辺りを警戒しながら橋を進むと中程でレクターを見つけた。
レクターはバリケードに使われた木箱の上に腰かけており、その手には黒い刃の剣が握られている。
「本当に一人で来るとはな。相変わらず腹立たしいほどに甘ちゃんだ」
「……レクター」
レクターはフンと鼻を鳴らすと木箱から飛び降りる。
「昔、子供のころにここで貴様と会ったな」
「……ええ」
初めてこの城に来た時、私は同年代の貴族の子供たちと仲良くなれなかった。
みんな私のことを異物のように扱っていた。
疎外感を感じて一人、この橋で遊んでいたのだ。
そしてその時にレクターがやってきた。
彼は私を遠巻きに暫く眺めた後に近くまでやってきて「お前、一人か?」と訊ねてきたのだ。
私は彼の言葉に頷くと彼は「そうか」と嬉しそうに笑い、「独りぼっちのお前と遊んでやる」と言ってきたため子供ながら私は彼のことを”嫌な奴”と思ったものだ。
だが今思えば━━。
「あの時独りぼっちだったのは貴方も一緒だったのね」
そう言うとレクターは僅かに眉を動かしたのち「そうだな」と頷いた。
「俺は嫌われ者だ。だから俺と同じ家名を持ち、孤独だった貴様を見て喜んだのは事実だ。だが違った。貴様は誰にでも愛され、何もしなくても下民どもは従う。俺とは真逆の存在だ」
「それは違う……と言っても貴方には意味がないのでしょうね」
「そうだ。お前の言葉など俺の心には届かない。ああ、分かっているとも。こうなったのも全て俺が悪いのだろうよ」
「レクター、教えて。どうしてラウレンツ叔父様を殺したの? 自分の父を殺してまで力を得たかったの!?」
私の言葉にレクターは心外だという風に肩を竦めると丸められた羊皮紙を此方に投げ渡してきた。
それを受け取り、広げてみるとそこには”私”が”叔父様”に宛てた文”が書かれていた。
「これは……違うわ。私はこんなことを書いていない! 私はラウレンツ叔父様に和平の仲介を依頼しただけ! 貴方を共に討つなんて……!!」
「全てはどうでもいいことだ」
レクターは此方の言葉を遮り、自嘲気味に笑う。
その瞳には怒りや蔑みは無く、ただ底なしの諦観だけがあった。
「貴様の言っていることが嘘だろうが真実だろうがもうどうでもいい。それを見せたのは殺し合う前にこの戦いの始まりを教えてやろうと思ったからだ」
戦いの始まり?
この文がか?
これは確かに私の字に似ている。
だが私はこのような内容の文を書いたことは無い。
ならばこれは何だ?
これは……誰かが私たちが戦うように仕向けた?
「その顔、本当に知らないと言った感じだな。愉快だ。実に愉快だ。俺が父上を討ったのも、こうやってお前と殺し合うことになったのも誰かの手のひらの上で踊らされたことだと考えると実に愉快だ!! なあ! そう思うだろう! ルナミア・シェードラン!!」
「……ッ!!」
レクターが剣を構え、此方を睨む。
それに合わせて私も鞘から剣を引き抜いた。
「レクター……。いえ、従兄上! まだ間に合うわ!! 投降しなさい!!」
「もう間に合わんさ!! どうやってもなあ!!」
レクターからは刺し違えてでも私を討つという覚悟を感じた。
ならば……ならば仕方がない!!
例えこれが誰かに仕組まれた戦いであっても私はここで死ぬわけにはいかない。
レクターを討ち、そして必ず黒幕を見つけ出し報いを受けさせてやる!!
「従兄上、お覚悟を!!」
そう大声を上げ踏み込もうとした瞬間、背後から矢が放たれた。
「え?」
矢は私の横を通過するとそのままレクターの胸を貫く。
突然矢で射抜かれたレクターは目をカッと見開くと口から血を吐きながらその場に両膝を着いた。
「どうして……なぜ……手を出したぁ!!」
私は腹の底から湧き上がる怒りから怒鳴り散らし、後方で弓を構えていた弓兵を睨む。
手出し無用と言ったはずだ。
こんな、こんな決着の着け方が会っていい筈がない!!
これでは私も、レクターもこの戦いを終わらせられない!!
「ク……クク……。やはり……獣だ……」
「レクター……」
血を吐きながらレクターは愉快そうに笑う。
まるで自分は正しかったと言いたげな笑みだ。
「貴族無くして……戒律と忠誠無くして……民は治め……ない。ルナミア……貴様の……道は……!!」
レクターが何かを懐から取り出した。
紫色の液体が入った筒のようなもの。
私はそれが何なのかは分からなかったが本能が危険を訴えかけていた。
レクターに飛びかかる様に慌てて剣を振るうがそれよりも早く彼は己の首に筒の先端に付いていた針を突き刺す。
「さあ……喰らえ……俺の魂をッ!! 我が底なしの憎悪と嫉妬を……!!」
彼の首を刎ねた。
そしてそれと同時に大地を揺るがす巨大な振動が発生した。
(地震……!? いや、これは……!!)
地震とは違う。
そう理解するのと同時に橋が崩れ、私は掘りに真っ逆さまに落下するのであった。
※※※
「ルナミア様!!」
ルナミアが崩れた橋と共に堀に堕ちると慌ててエドガーは駆け出そうとした。
だがそれをダニエル子爵が「危険だ!! 行くな!!」と羽交い絞めにしてくる。
「ですがルナミア様が!!」
「分かっている!! だが今行けばお前も巻き込まれるぞ!! 地震が収まるまで待て!!」
ルナミアをすぐに助けに行けないことに歯を喰いしばる。
城の堀は水堀のため落下死はしていないだろう。
しかし今の彼女は鎧を着ている。
このままでは溺れ死んでしまうだろう。
「俺の鎧を脱がせ!! 泳げるものはすぐに準備をしろ!! 地震が収まったらすぐに堀に飛び込むぞ!!」
「は、はい!」
兵士たちが慌てて鎧を脱ごうとし始め、自分もソードベルトに手を掛ける。
(どうか! どうかご無事で!!)
こんなところで彼女を死なせてはならない。
何が何でも救助しなければ!
焦りから震える手でどうにかソードベルトを外した瞬間、「おい……」と誰かが呟いた。
周りを見ると誰もが城を見上げている。
何事かと城の方を見てみれば……。
「……嘘だろう?」
城が━━動いていた。
ガーンウィッツの城がゆっくりと浮上していた。
否、浮上しているのでない。
何かに背負いあげられているのだ。
それは獣であった。
白い皮膚を持ち、巨大な四肢を持つ獣。
巨大な顔には紅く光る六つの瞳と大きな二対の牙が生えており、右前足の肩と思わしき場所からは巨大な赤い水晶が飛び出している。
獣はまるで鎧のように城を背負い、城からは多数の巨大な触手が生えて無造作に動いていた。
巨獣だ。
まるで神話に出て来るかのような巨獣が突如として現れたのだ。
「冗談きっついわ……。なんでベヘモスが現れるのよ……」
そう言ったのはメリナローズだ。
彼女は信じられないと言った表情で巨獣を見上げ首を横に振る。
「ベヘモス? おい!? あれはいったいなんだ!!」
彼女の肩を掴み、激しく揺らすと「お、落ち着いて!!」とメリナローズは此方から離れようとする。
「落ち着いていられるか!! ルナミア様が堀に落ちたと思ったらあんな化け物があらわれて!! お前、アレを知っているんだな!?」
「魔獣べへモス。かつてエスニア大戦の際にも現れた超大型の魔獣です」
此方の質問に答えたのはメリナローズではなくフェリアセンシアだ。
苦虫を嚙みつぶしたような表情をしながらベヘモスと呼ばれた魔獣を見上げた彼女は言葉を続ける。
「滅びの魔獣。終焉の先兵。様々な名で呼ばれていますがアレは魔獣の一種です。その巨体は一歩歩くたびに町を破壊し、口からは山を一瞬で吹き飛ばす熱線を吐く。エスニア大戦では多くのドラゴン族がべへモスと戦い死にました」
「あれを生み出すには大量の転成石とそして強力な核が必要になる筈よ。転成石は兎も角、核はいったいどうやって……まさか……」
メリナローズの言葉にフェリアセンシアは頷いた。
「恐らく今回のべへモスの核はレクター・シェードランです。英雄シェードランの血を引く彼がもし転成石を使用したら? その結果はこれです」
アレが……レクター・シェードラン?
あんな化け物がか?
いや、確かに転成石を使えば人は魔獣に変化する。
だがそれにしたってデカすぎる。
あんなのどうやって倒せばいいのだ……。
「な、何かが堀から出て来るぞ!!」
兵士たちの指さす方向を見れば堀から次々と人影が現れた。
それは騎士だ。
それは兵士だ。
それはメイドだ。
まるで屍のように肌が白くなり、中には顔が半分溶けている者もいる。
背中には鳥の翼の出来損ないのようなモノが生えており、その姿はまるで天使のようであった。
「あれは……なんだ?」
そう呟いた瞬間、テンシモドキたちが一斉に兵士たちに襲い掛り悲鳴が響き渡る。
テンシモドキは人間の腕を脚を頭を千切り、喰らっている。
兵士たちも慌てて反撃するが敵は槍で胸を貫かれようが首を刎ねられようが動いて襲い掛かってきている。
「いかん!! エドガー殿! 一時後退の指示を出せ!! 後方の兵と合流し防衛線を張る!! このままでは奴らが町に殺到するぞ!!」
「……っく!! 全軍後退! 後退せよ!!」
指示を出すと兵士たちはテンシモドキを食い止めつつ後退を開始する。
ルナミアを助けに行く事もできず突如現れた魔獣たちとの戦いが始まり混乱しそうになる。
(エドガー! 冷静になれ!!)
ウェルナー卿ならばこういう場合でも冷静な判断を下すはずだ。
先ほどから痛いほど速くなっている鼓動を感じながら深呼吸をする。
そして後退は隊列を乱さない様にし、弓兵隊と魔術師隊がテンシモドキの足を止めるように指示を出すと額に浮かんだ冷や汗を拳で拭った。
「ルナミア様、どうかご無事で……!」
そう呟くと踵を返し、味方と共に後退を開始するのであった。
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