第69節・獣の選択


 コーンゴルドのメイド長であるシェフィ・レイナードは自分の仕事を終わらせると中庭のベンチで少し休息をとっていた。


 外は徐々に暖かくなって来ておりもうそろそろ外で昼寝をしても平気になるだろう。


(まあしませんが……)


 それにしても静かだ。

戦の為に最低限の兵を残して皆出陣してしまった。

お陰で掃除や食事の支度が楽になったがこう静かだと寂しくなるし、不安になる。


 ルナミアが兵を率いて出陣する度に誰かが帰ってこなくなる。

戦なのだ。

仕方のないことだとは分かっている。

でも知っている顔がどんどん減っていくのはとても辛い。

こんな待つだけの辛い日々、早く終わって欲しい。


「……しっかりしないと」


 メイド長である自分が不安そうにしていたら他のメイドたちも不安になってしまうだろう。

そう思い軽く両頬を叩くとベンチから立ち上がる。

すると城の食堂の方から見覚えのある怪しい動作をしている男が居た。

何やら辺りをしきりに気にしつつ此方に向かって来る男。

それを半目で見ると声を掛けた。


「ウェルナー城主代行。サボりですか?」


「い!? シェ、シェフィか!? サボりじゃないぞ? 俺は少し城の見回りをだな……」


「へえ? 焼き菓子を隠しながら見回りですか」


 そう言うとコーンゴルドの城主代行になったウィリアム・ウェルナーはため息を吐き、隠していたスコーンを此方に見せた。


「空腹だったのでしたら声を掛けていただければ良かったのに。もっと良いものを用意しますよ?」


「いや、忙しいお前に手間を掛けさせたく無かったしそれに少し書類から離れたくてな」


 ウェルナー卿は苦笑すると私が座っていたベンチに腰かけスコーンを齧る。

そして「お? 旨い」と言ったため少し浮かれそうになった。


「そ、そうでしょうとも。シェードラン辺境伯家の厨房は一流の自負を持っておりますので」


 そんな此方の様子をウェルナー卿は「あー、成程」と呟くと笑みを浮かべて「シェフに旨いと伝えてくれ」と言ってきた。


「ええ、伝えておきます」


 ウェルナー卿がニヤニヤと見てきたため少し頬を紅くしながら慌てて話を変えることにした。


「やはり城主代行のお仕事は大変なのですか?」


「そりゃあなあ。税の管理に民の陳情処理。”次の戦”に備えての兵糧の管理。やることが多すぎて目が回って来る。まったく、折角面倒な騎士団の仕事から離れられるようになったと思ったのになあ……」


「おや? まだお若いのにもう隠居するおつもりですか?」


 そう小さく笑いながら言うとウェルナー卿は「ああ、隠居できるならしたいね」と頭を掻く。


「まあ当分は無理だろうな。ルナミア様はまだお若いから補佐する人間が必要だ。エドガーだって大分立派になったがもっと成長してもらわなければ困る。まったく、これじゃあボチボチ嫁探しもできないな」


「……結婚されるつもりがあるので?」


 私の質問にウェルナー卿は「ん?」と眉を僅かに動かすとそれから「そうだな……」と空を見上げた。


「ウェルナー家を俺の代で途絶えさせるわけにはいかないからなあ……。昔はまあ、誓いというか意地で結婚なんてするか! みたいなことを考えていたがいい加減身を固めることを考える齢になっちまった」


 ウェルナー卿がずっと縁談を断ってきたのは有名な話であった。

前当主のヨアヒム様も何度か両家のご息女をウェルナー卿に紹介していたが彼は全て首を横に振っていたのだ。

そしてその理由は━━。


(これは私が踏み込んでいい話題ではないですね……)


 そう思っていると中庭に衛兵が飛び込んで来た。

彼はウェルナー卿に一礼すると手に持っていた羊皮紙を手渡す。

そしてウェルナー卿が手紙を読むと目を丸くした。


「何かあったのでしょうか?」


「ああ、あったとも。数日前、反大公軍と大公軍がタールコン平原で決戦を行った。そして━━反大公軍が大勝したそうだ」


 ウェルナー卿の言葉に腰が抜けそうになり私は彼の隣に座る。

そんな私の肩を彼はポンと優しく叩き、力強く頷いた。


「反大公軍はアーレムナ砦を突破して北上。もう間もなくガーンウィッツに到着するそうだ」


「それはつまり……」


 この内戦の終焉を意味する。

シェードラン領を二つに分けた戦いに終止符が打たれ、ルナミアの戦いも一区切りが着くはずだ。

そのことに私は心の底から安堵するがウェルナー卿は難しい表情をしていた。


「何か不安なことが?」


「不安……か。そうだな。不安だ。恐らくこの戦い、反大公軍が勝利するだろう。レクター・シェードランがどうなるかは分からないが少なくとも奴は大公では無くなる。そうすると誰がシェードラン領を纏める新たな大公になるかだが……」


 普通に考えれば本家が廃されるのであれば分家がその跡を継ぐはず。

つまりルナミア・シェードランが新たな大公となるのだ。

しかしルナミア自身にその意思は無く、また大公の座を狙う者が反大公軍内にいる。


「ルナミア様の立ち位置は非常に難しい。レクター大公を打倒した後、反大公軍内の権力争いに巻き込まれるのは必定だろう」


 シェードランでありアルヴィリアであるルナミアが新たなシェードラン大公になることは現王家にとっても面白くないはず。

ならば中央からも何らかの干渉があるだろう。


「戦いはまだ終わらないということですか……」


「そうだな。きっとまだ終わらない。だからこそ俺たちが支えなきゃならんな。ルナミア様が安心して帰ってこれる家を守るのが俺たちの務めだ」


 そう言うとウェルナー卿は立ち上がり、私もそれに続く。

そうだ。

私たちは私たちにできることを精一杯するしかない。

この城を、この町を守るのが私たちの責務なのだ。


「よし、じゃあ! 仕事に戻るか!」


 ウェルナー卿の言葉に私は頷き、お互いに仕事に戻るため分かれるのであった。


※※※


 タールコン平原で大公軍を撃破した反大公軍はアーレムナ砦で一度軍を再編成するとガーンウィッツを目指して北上を開始した。

反大公軍は破竹の勢いで進軍し、ガーンウィッツへの進路じょうにある砦を次々と攻略していった。


 一方、大敗を喫した大公軍はガーンウィッツまで退き、レクター大公は再度大公軍との決戦をと考えたが将兵に次々と離反者が出てしまい、大公軍は軍としての機能を喪失した。

その為レクター大公は残された僅かな兵と共にガーンウィッツに籠城することを選択し、反大公軍はついにガーンウィッツを包囲することに成功するのであった。


※※※


 ルマレールの砦内は慌ただしく動いていた。


 砦の中にいた兵士や給仕たちが砦から退避するため荷物を纏めており、門の前には多数の荷馬車が集められている。


 昨日、反大公軍が対岸のガーンウィッツを包囲したため此方にも敵軍が来る危険性があると判断し更に西にあるブルーンズ領まで逃げようと考えているのだ。

そんな砦の胸壁で一人の女性が遠くに見えるガーンウィッツを見つめていた。


「ああ! 奥様! こんなところにいらっしゃいましたか!!」


 女性━━アナメリア・シェードランの許に中年のメイドが駆け寄って来る。

彼女はアナメリアと共にガーンウィッツの方を見ると深くため息を吐いた。


「もう大公家は終わりです。レクター坊ちゃまは陛下に救援を求めたようですが間に合うはずもなく……」


 メイドがそう言うとアナメリアは静かに頷く。


「とにかく! 奥様も荷物を纏めてくださいまし! いつここに悪党どもが押し寄せるか分かりませんから!」


「……私は、ここから去りません」


 アナメリアがそう言うとメイドは目を見開いて「それは駄目で御座います!!」と必死に首を横に振る。

そんなメイドの手をアナメリアはそっと取ると「お願い」と微笑む。


「この内戦も、夫が死んだのも全て私があの子を支えて……いいえ、信じてあげられなかったが故。全ての責は私にあります。だからお願い。全てを見届けることを許して」


 アナメリアの言葉にメイドは暫く無言でいると静かに頷いた。

そして腰に手を当てると「じゃあ私も残りましょう!」と笑みを浮かべる。


「奥様が残るのであれば私も残ります。メフィルのお家からお仕えしているのです! どんなことがあろうと奥様をお支え致しますよ!」


「……ありがとう」


 アナメリアは涙ぐみながら頷くともう一度ガーンウィッツの方を見る。

夫や子供と共に長年暮らした城がもう間もなく落城する。

私たちはどこで道を間違えてしまったのか?

きっとその答えはいくら考えても分からない。

今はただ、終わりの時が来るのを待つだけ。

そしてその時が来たら自分は━━。


「レクター……。共にいられなかった、弱かった母を許して。そしてどうか女神よ。あの子をお救いください」


 それが叶わぬ願いだと分かっていても両膝を着き、天に向かって祈り続けるのであった。


※※※


 ガーンウィッツ城にある領主の間にてレクターは俯きながら玉座に座っていた。

その手には漆黒の刃の剣が握られており、時折その美しい刃を指でなぞっている。


 これは先祖であるオスロック・シェードランがジーク・アルヴィリアから継いだというアルヴィリアの剣だ。

ドワーフの名匠によって鍛え上げられ、エルフたちによって魔術が施された宝剣。

歴代の大公が大切に守り続けたシェードランの誇りだ。

この城も、この剣もシェードランが守り続けてきた歴史なのだ。


 だがその歴史が奪われようとしている。

城の外には逆賊どもが徒党を組んで集まっており、シェードラン家が守り続けてきたものを全て奪おうとしている。


「……奪わせるものか」


 そうだ。

奪わせるものか。

これはシェードランのものだ。

これは、俺のものだ。

父を殺してまで手に入れたこの座を、城を、剣をあんな賊徒どもに奪われてなるものか!!

あんな何の覚悟もの無い、只の小娘に━━!!


『そこまでの執着がありながらなぜアレを使わなかったのかね?』


 自分以外居ない筈の部屋に男の声が響いた。

顔を上げると目の前に蛇の面を着けた男が立っており、彼はじっと此方を見つめている。


『お前には多くの転成石を与えた。アレを使えば千人の兵士を魔獣にすることができたはずだ。だがお前は使わなかった。何故だ?』


「…………」


『まさか今更良心が痛んだなどとは言うまい?』


「黙れ」


 城の宝物庫には大量の転成石がある。

確かにあの魔石を使うことも考えた。

だが思ったのだ。

自分の志は貴族が民という獣を従えること。

だというのに人を獣に変える力に頼っていいのかと。


『まあいい。過去は変えられない。それはいつだってそうだ。故に我らはよりよい未来を選び続けなければいけない』


 そう言うと男は懐から小さな箱を取り出し、此方に投げ渡してきた。

それを受け取り、開けてみると針の着いた小さなガラスの筒のような物が入っている。

筒の中には怪しく光る紫色の液体が入っており、その光を見ていると何かが抜け落ちていくような感覚になった。


『それは私から君への最期の餞別だ。君が凡俗として終わるつもりが無いのならば賭けてみるがいい。もしかしたら”選ばれる”かもしれないぞ?』


「それはどういう━━」


 意味だと訊こうとしたら男は既に消えていた。


 これが何なのかは何となく察せた。

これを使うということは人を止めるということ。

獣に堕ちるかもしれないということだ。

だがそれでも、もし万が一にでも獣に堕ちずに力を得られたら?

全てを失った男が全てを得ようとしている女に対抗するには更に強大な力が必要だ。

それはありとあらゆる理不尽をねじ伏せられるより理不尽な力。


(俺は……)


 筒にそっと触れようとした瞬間、領主の間に数人の騎士たちが入ってきた。


「失礼いたします! 反大公軍に動きがありました! 恐らくもう間もなく仕掛けて来るかと! 現在、町の住民の避難作業を行っておりますが人手が足りなく……。どうか城の兵もお出しいただけないでしょうか?」


 騎士が緊張した様子でそう言うと跪く。

それに倣って他の騎士たちも跪くと「お願いします!」と頭を下げる。


 愚かな。

今更民を避難させてどうする?

どこに逃がす?

この城か?

この城もどうせ堕ちるというのに。


「避難は無用だ。町に火薬と油を仕込み、兵を全て城に戻せ」


「……は?」


「敵を町に引き込み、火を掛けろ。町と城は堀で隔てている。町に入った敵は業火で焼かれるであろう」


 かつてコーンゴルドであの女が取った策だ。

自分の策で自分の兵たちが焼け死ぬのを見せつけてやる。


「そ、それはあまりにも……」


「なんだ? 不服か?」


 立ち上がり、騎士の前まで行くとその首元に剣を突き立てる。


「やれ!! やらぬのであれば貴様を叩き斬り、別の者にやらせる!!」


 そう叫ぶと騎士は苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべた後、「畏まりました……」と頷く。

そして「失礼!!」と言うと立ち上がって他の騎士たちと共に部屋から出ていく。


「あの目か……」


 此方を見る騎士に浮かんでいた視線。

あれは良く知っている。

侮蔑だ。

まるで汚いものを見るかのような侮蔑の視線。

子供のころからずっと受けていた視線。

そうさ、俺は蔑まれる男だ。

蔑まれ続けたがゆえに生まれた怪物だ。

ならば怪物は怪物らしく━━。


「さあ来いよ、英雄殿。俺たちの因縁にケリを着けるとしよう」


 そう呟くと木箱から筒を取り出し、部屋から出るのであった。


※※※


 街の正門の上で先ほど大公から町に火を掛けるように指示を受けた騎士が疲れ果てたように座っていた。

周りに居た騎士や兵士たちも皆同じような表情を浮かべており、ガーンウィッツを囲んでいる反大公軍の方を見る。


 敵の戦力は圧倒的だ。

大公の言う通り町に敵を引き込んで火計を行っても我々の敗北は免れないだろう。

無辜の民が死ぬだけの無意味な行為だ。


「……俺はもうついていけない」


 座り込んでいた騎士がそう呟くと周囲にいる仲間たちを見る。


「たとえ大公閣下の命令であっても俺には民を殺すことは出来ない。反逆罪にされてもいい。死罪でも構わない。なんならここで斬り捨ててくれ」


 そう言うと他の騎士たちは首を横に振った。


「俺たちも同じ気持ちだ。今まで忠義の為と大公様に従ってきたがこれは駄目だ。こんなことが許されるはずがない」


 その場にいた全員が沈黙した。

そして一人の騎士が一歩前に踏み出し大きく息を吸うと頷く。


「……投降しよう」


 彼の言葉に賛成する者はいない。

だが反対する者もいなかった。

皆、無言で頷き合い動き始める。

自分たちは後の世に裏切り者として蔑まれるのだろうか?

いや、そんなことはどうでもいい。

今は己が正しいと思うことを選択し、そして運命を受け入れよう。


 騎士の一人が胸壁の端に立ち、白旗を振り始める。

そしてゆっくりと正門が開き始めた。



 こうして反大公軍はほぼ無血開城に近い形でガーンウィッツの町に入るのであった。


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