第71節・願いの果て


 その少年は望まれた子であった。


 父は民に慕われている大公であり、母は名家の次女であった。

両親は少年に惜しみない愛情を注ぎ、少年も敬愛する両親の期待に応えようと切磋琢磨した。


 彼は間違いなく神童であった。

容姿端麗、文武両道であり人々の模範になるべく心掛けていた。

父と同じように自分は人々に慕われ、導くのだと信じていた。


 しかし。

いつからだろうか?

少年には黒い噂が付き纏うようになった。

彼は大公の実子では無く、大公家に嫁ぐ前の母親と使用人の間に出来た不義の子だと。


 根も葉も無い噂だ。

だが多くの人にとって噂の真偽はどうでも良いことであった。

秀麗な大公の子に下賤な血が流れているかもしれない。

それは彼を妬む者たちにとって最大の娯楽となり、ドス黒い感情の捌け口となったのだ。


 噂は当然少年の耳にも入った。

くだらない。

そのような噂に耳を貸す必要はない。

自分は堂々とし、噂は噂に過ぎないと証明すれば良いと考えた。


 それは間違いであった。

沈黙は肯定と取られ、噂にはどんどん尾ひれがつき悪質になった。


 少年はどんなに辛くても耐えた。

以前まで仲の良かった同年代の貴族たちは少年から離れ、まるで汚物を見るかのような蔑みの視線を向ける。

使用人たちは少年を見れば陰口を言う。


 それでも少年は耐えた。

父と母の名に傷を付けないように正しく振る舞おうとしたのだ。


 だがある日、年上の貴族が取り巻きを連れて少年の前に現れた。

彼らは少年を取り囲み、『おい、レクター。貴様の母親はとんだ淫売だな』と罵る。


 もう、我慢の限界だ。

自分を罵るのは良い。

蔑みたければ蔑めば良い。

だが母を、父を悪く言うのであれば許さない。


 少年は溜め込んでいた怒りを爆破させ、年上の貴族の顔をナイフで切り裂いた。


『殺してやる!! 貴様を今すぐに殺してやる!!』


 少年は狂ったように叫び、顔を斬られた貴族は取り巻きと共に怯えて逃げ出した。

落ち着きを取り戻した少年は自分のした行為に恐怖し、当然罰せられると思った。

しかしそうはならなかった。

顔に怪我を負った貴族は大公夫人を侮辱したことを公にできず、また、少年に対して酷く怯えたのだ。


 それから全てが変わった。

少年を侮辱していた人々は口を固く閉ざし、黒い噂も耳にしなくなった。

そして少年は気がつく。


『なんだ……。簡単なことじゃないか』


 正しいだけじゃ自分を、大切な者を守れないのだ。

必要なのは力。

誰にも口出しをさせない絶対的な力。

それさえあれば少年は”正しくあり続ける”ことが出来ると思った。

少年は力を求め、権力を求め、絶対的な支配者になろうとした。


 だが少年が力を追い求めれば追い求めるほど大切なものが遠ざかっていったのだ。

それを取り戻そうと更に暴虐になる少年。

しかし少年の望みに反して彼は次々と大切なものを失い、孤独になった。


 そして少年は青年になり、青年はついに大公になった。

冷たい王座に一人座る時、彼は気がついた。

嗚呼……本当に欲しかったものはとっくに失っていたのだと。

全て自分の手で壊し、もう二度と戻らないのだと。


 故に大公は決意した。

全てを失ったのなら進むしかない。

最後に残った己の理念だけを追い求め、その障害となるものは全て排除するのだ。

そしてその為には自分と真逆の存在が邪魔であった。


※※※


 落ちる。


 落ちる。


 落ちる。


 私は落ちていく。

どこまでも闇の中へと落ち、心と記憶が何かと溶け合っていった。

私は見た。

一人の少年の苦しみを。

私が知ろうともしなかった彼の人生を。


 きっと彼も私を見ている。

私の苦悩を。

彼が知ろうともしなかった私の人生を。


 なんと皮肉なことだろう。

互いに退けなくなった今、私たちはお互いを理解した。

理解したからこそ私たちは決して相容れないことを理解した。


 レクター・シェードラン。

貴方が今もまだ苦しんでいるのならば━━私が貴方の願いを叶えよう。


※※※


 気がつくと私は真っ暗な空間に立っていた。

辺りは全て闇に包まれており、自分の呼吸以外の音が聞こえない。

ここはどこだろうか?

私は死んだのだろうか?

だとしたら困る。

私はまだ死ねない、死んではならないのだ。


 ゆっくりと足を前に出し、歩き始める。

自分の足音が闇の中に鳴り響き、不安を掻き立てる。


 無言で歩き続けると前方で誰かが座り込んでいるのが見えた。


 男だ。

私と同じ黒髪で金の瞳を持つ男。

私は彼が誰なのかすぐに理解した。


「ジーク……アルヴィリア」


 私の呟きに男は反応し、「よう」と気さくな挨拶をしてきた。


「ここは本当に死後の世界かしら? それとも夢?」


「そのどちらでもあり、どちらでも無いな」


 そう言うと男━━ジーク・アルヴィリアは頬杖を突き「まあ座れよ」と地面をポンポンと叩く。

なんというか……想像していたのと違う人だ。


「そりゃそうだ。お前が想像しているのは英雄アルヴィリア。たがここにいるのはただのジークだ」


 私がジークと向かいあうように座ると彼は満足そうに頷く。


「しんどいよなぁ。どんどん望まない重荷を背負わされて、別の自分を演じて生きなきゃならんのは」


「貴方もそうだったのですか?」


「ああ。俺はただの平民だった。帝国と戦ったのも妹を守るため。夢中で剣を振り、敵を殺して、そして振り返ったらいつの間にかに多くの人が俺の後をついて来ていた」


 ジークはそう言うと懐かしむように暗闇を見上げる。


「……辛かったですか?」


「辛かったさ。俺はただの人間だ。みんなが考えるような完全無比の英雄様じゃない。だが俺が俺に戻るには遅過ぎたんだ」


 ジークは私のことを真っ直ぐに見つめて来た。

そこには私に対する親近感と僅かな同情が感じられる。


「ルナミア、我が子孫よ。お前はどうしたい? お前はまだ引き返せる。英雄なんていう糞みたいな敬慕から逃れられる」


「……私は」


 私は英雄なんかじゃない。

そんなものになるつもりも無い。

私は私の手の届く所にあるものを守り、穏やかに過ごせればよかった。


 たがそれだけではダメだと言うことを知った。

世界には敵意と悪意が満ち溢れており、受け身のままではいずれ大切なモノを失う。


「私は英雄なんてどうでもいい。自分にできることをやり続け、その過程で英雄や悪党なんて呼ばれても関係ない」


 言いたい奴には言わせておけ。

だが私や私の大切なものを奪うのならば容赦はしない。


(……なるほど。レクター、私たちは真逆であって似ていたのかもね)


 私が彼のようになり、彼が私のようになっていたかもしれない。

私たちは似て非なる存在。

遠くて近い存在。

ならばやるべきことは一つ。


「私にはやることがある。だから━━」


「行くのか?」


 ジークの言葉に私は頷く。

すると彼は苦笑しながら肩を竦め、そして立ち上がった。


「お前の行こうとしている道は修羅の道だ。何度も辛いことがあるだろう。何度も足を止めたくなるだろう。だが忘れるな。お前は一人ではない。そして心しろ。自分自身を見失うな」


 ジークが私に手を伸ばし、私は彼の手を取って立ち上がる。


「力を使うことを恐れるな。だが力に呑まれるな」


「私は只の人。特別な存在では無い」


「だから必死に生きろ。生きて、生き続けて、運命の先へ行け」


 暗闇が光によって消え去り、辺りが真っ白になる。

もうすぐ私は覚醒するのだろう。

そしてそこからはもう立ち止まることは出来ない。


「最後に一つ聞いても?」


「ああ」


「ジーク・アルヴィリア。貴方はこの世界でもがき続けて、そして最後に果てて自分の歩んだ道を後悔した?」


 そう訊ねるとジークはゆっくりと首を横に振った。


「自分の道が正しいのかどうか常に悩んだ。だがその答えは最期まで出なかった。いや、きっと答えなんか無かったのかもしれない……。でもな、俺は後悔はしていない。最期に一人の少女の背中を押せたことは正しかった。これまでの道のりに意味はあったと思った」


 私もそう思えるようになれるだろうか?

未来のことは分からない。

でもだからこそ今を全力で生きるのだ。


「ありがとう。貴方と話せてよかった」


「おう。行ってこい。そして自分の正しいと思うことをして自分の人生を生きろ」


 ジークと共に上を向く。

空から降り注ぐ光に私たちは手を伸ばし、そして全てが白に包まれるのであった。


※※※


 突如現れたテンシモドキたちの襲撃により反大公軍は大きな被害を受けていた。

押し寄せてくる人外を相手に反大公軍は必死に防衛線を構築し、怪物が町になだれ込まないようにしている。


 エドガーたちも町の住民の退避が終わるまで必死に敵を喰いとめていたが被害は増える一方であり、逆に敵の数はどんどん増えていく。


「!!」


 騎士の姿をしたテンシモドキが飛びかかってきたためエドガーは身を捻り、敵の飛びつきを回避するとそのまま胴を剣で断つ。

上半身と下半身を断たれた敵は地面に倒れるがすぐに上半身の方が動き始め、他の兵士の足にしがみつこうとしている。


(こいつ等……不死身か!!)


 そう思っていると這いつくばっているテンシモドキの背中に魔力の鎖が突き刺さり、心臓の辺りを抉る。


「こいつら魔獣みたいなもんだから核を壊さないと殺せないわ!!」


「そんな気がしていたが厄介だな……!!」


 テンシモドキどもは驚異的な再生力と怪力を持っている。

奴らは人間の腕や頭を簡単に千切り、その骸を喰らっている。

あれではまるで亡者だ。


「聞いたな!! 敵の心臓を狙え!! 核を砕かない限り奴らは起き上がって来るぞ!!」


 そう兵士たちに指示を出すと後方から大弓の矢が放たれテンシモドキたちが二匹纏めて心臓を貫かれる。


「まったく、こんな化け物退治をすることになるとは思いませんでしたわ」


 エルが呆れたように言うとその背後からアーダルベルトとフランツが飛び出し、テンシモドキを数体仕留める。


「ベールン会戦で戦った魔獣よりは動きが単調だから対処しやすいけれども……!!」


「人の形をしているというのは厄介だな!!」


 彼らの言うことは分かる。

この怪物たちの姿、間違いなく城にいた人間が変化したものだろう。

魔獣と違いまだ人の面影があるため兵士たちの中には躊躇い、恐怖する者が続出している。


『あ、あの……。この人たちってまだ生きて……』


 クロエが言おうとしたことをメリナローズが「こいつ等は怪物よ」と遮った。


「だから躊躇っては駄目。ましてや救おうなんて論外」


 メリナローズの言う通りだろう。

彼らは最早人ではない。

仮にまだ人としての意識があったしても心を鬼にして刃を振るわなければ。


『う、うん。分かった……。ウチ、覚悟決めます!! 重装歩兵隊!! 防御陣形!! 敵を止めるよー!!』


『応ともさ!!』


 クロエの号令により重装歩兵隊が大通りを塞ぐように陣形を組み、前進する。

そして群がって来るテンシモドキを喰いとめ、その隙に魔術師隊が敵を焼き払った。


「エドガー副団長ー。とりあえず付近の通りには氷のバリケードを作っておきましたあ」


 路地からフェリアセンシアと彼女の護衛として着けた数人の兵士が戻って来る。

フェリアセンシアには苦戦している味方の援護のため敵の進路を遮るバリケードを作ってもらっていたのだ。

これでもうしばらくは持ち堪えることができる筈。

アレさえ動かなければ。


「どうしてべへモスは動かない?」


 べへモスは出現してから一歩も動いていない。

そのお陰で此方は壊滅を免れているのだが何もしてこないのは不気味だ。


「あのべへモスはまだ不安定のようですねえ。魔力の流れが乱れているのが感じられます。今は休眠状態に入っているのかも」


「だったら今のうちに倒せませんの? 例えば貴女の魔術で一気に仕留めるとか」


 エルの言葉にフェリアセンシアは首を横に振った。


「べへモスは周囲のマナを吸収する性質を持ちます。それがある限り魔術による攻撃は奴に届きませんねえ」


「あの肩の魔晶石がマナを吸収する器官になっているの」


 フェリアセンシアとメリナローズの言葉に唸る。

あれだけの巨体だ。

通常の武器では倒すことは出来ないだろう。


「ちょっとメリナちゃん! アイツ弱点とか無いの!?」


 アーダルベルトがテンシモドキを真っ二つにしながら訊ねてくるとメリナローズは「うーん」と首を傾げた。


「弱点というか、アレも魔獣の一種だから核を破壊すれば倒せるだけどにゃあ……。誰かアイツの体の中に入ってみる?」


「いや、そんなこと……もしかして、できるか?」


 べヘモスの背中から生えているガーンウィッツの城。

あそこから奴の体内に入れないだろうか?

あの巨獣を倒すのに核を破壊するしか無いのであればやるしか━━。


「おい! 魔獣が動いたぞ!!」


 兵士の言葉に慌ててベヘモスの方を見ると巨獣が突然苦しそうに悶え始めていた。

そして大きく体を揺らした瞬間、左後脚の大腿が大きく爆発した。


「なんだ……?」


 爆破は内部から生じたものであった。


 ベヘモスに大きな穴が空き、そこから飛び出してくる姿があった。


 それは天使だ。

大きな光の翼を生やした黒髪の少女。

間違いない。

ルナミアがベヘモスの体内から現れ、落下していた。


(まずいぞ……!!)


 あの高さから落ちたら助からない。

たがここからではどうやっても助けにいけない。

そう焦った瞬間、突風が吹き、何かが頭上を通過したのであった。


※※※


(今どういう状況!?)


 ルナミアは落下しながら焦っていた。


 目が覚めたら化け物の体から飛び出して落下していた。

凄まじい勢いで地面が迫って来ているためこのままでは落下死をしてしまうだろう。


(というか、何!? この翼!?)


 いつの間にかに背中から生えている巨大な光の翼に驚愕する。

私はいつから天使になったのだ?

いや、そういえば子供の頃にこんな翼を出したことがあると聞いた。

たしかあれは"蛇"がコーンゴルドを襲撃の時だったような……。


「いや、今それどこじゃないでしょう!?」


 この翼で羽ばたけばもしかして空を飛べるのではと思ったがどんなに念じても光の翼は動かない。

すぐに翼に頼るのは諦め次の手を考える。

風の魔術を使って減速するか?

いや、この速度では減速しても地面に激突死するだろう。

ならば水の魔術でクッションを?

それも落下速度が速すぎて無理だ。


(……助かる気がしない)


 どんどん迫って来る地面に青ざめていると何かが私の方に高速で向かってきていた。

そしてそれは私を突然咥えると、上昇していく。


「え!?」


 ドラゴンだ。

青黒い鱗を持つドラゴン。

それが私を器用に口で咥えて助けてくれた。


「まさか……フェリアセンシア?」


 そうドラゴンに声を掛けると『はひ』とドラゴンは頷く。


『いやあ、あふないところでしたねえ。ルナミアしゃまが落ちているのを見てすぐに本来の姿に━━』


「ああ、うん! 分かったから私を咥えたまま喋らないで!? 牙が突き刺さりそうで怖いわ!!」


 『失敬』とフェリアセンシアは言うと口を大きく開き、私は彼女の牙を掴むと首の方に手をまわしてよじ登っていく。

そして背中にしがみつくと上空から何が起きているのかを把握した。


 城が動いている。

否、城ではない。

ガーンウィッツの城と一体化した巨大な魔獣が出現したのだ。

そしてあの魔獣の正体が何なのか、私は理解していた。


「下の状況は?」


『反大公軍は町まで後退して防衛線を敷いてますー。敵から無数の天使のような化け物が現れたため町の住民を避難させるための時間稼ぎ中ですねえ』


 戦況は劣勢だという。

どうにか皆が奮戦しているおかげで持ち堪えられているがあの魔獣━━ベヘモスが動き始めたら大変なことになるだろう。


「取り敢えずエドガーたちのところに降ろして。すぐに指示を出さなきゃ」


 フェリアセンシアは頷き、上空を旋回すると町の方に向かっていく。

私は彼女の背中から沈黙しているベヘモスを見つめると拳を強く握りしめ、こう呟くのであった。


「待っていてレクター。すぐに終わらせるから」

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