第66節・タールコン平原の戦い


 早朝。

深い霧が立ち込める中、タールコン平原に反大公軍が集結していた。


 兵士たちは右へ左へと慌ただしく動いており、先ほどから草むらにあるものを撒いている。

霧が晴れる前にこの作業を終わらせなくてはいけないため、兵を総動員しての大作業だ。


 そんな兵士たちの姿を私は馬の上から眺めているとクルギス伯爵が隣にやって来る。


「計画通りバードン伯爵たちには"慌てて"出陣してもらったぞ。もう少しすれば此方に到着する筈だ」


「……大公軍は?」


「偵察隊の報告では敵に動きあり。間違いなく出て来るだろう」


 重畳だ。

砦に籠城されては勝ち目が無い。

敵が打って出たのならばあとは……。


「例のものは?」


「この二日間、兵に砦と森を行き来させてどうにか集めた。前列の兵全てに渡せるぞ」


 平地での戦いだ。

敵は間違いなく騎兵を繰り出してくるだろう。

例のモノが役に立ってくれる筈だ。


「中央には私も布陣しよう」


「よろしいので? 中央は最も危険になりますよ?」


 そう訊ねるとクルーべ侯爵は口元に笑みを浮かべる。


「ルナミア嬢は我が娘の恩人だ。私はこれでも恩は必ず返す質でね。それにだ。風見鶏故私は将来性のある方に味方しようと思っている」


 「あら? 煽てても何もありませんわよ?」と言うとクルーべ侯爵は笑った。


 将来性、か。

皆、この戦いの先のことを見据えて動いている。

私は先を見えているだろうか?

私はただコーンゴルドを、今の生活を守ることができればいいと考えていた。

だがそれでいいのだろうか?

今を守るために未来へと踏み出さなければいけないのではないだろうか?


「ルナミア様! 準備完了しました!!」


 作業の指揮を執っていたエドガーの言葉に頷くと私は馬を一歩前に出す。


「手はず通り一部の兵を残して進軍する!! この戦い、間違いなく決戦となるわ!! 敵は大軍! 厳しい戦いになるでしょうけれども、各々が死力を尽くし、成すべきことを果たせば必ず勝てる!!」


 私は大きく息を吸うと拳を振り上げ、力一杯叫んだ。


「我らに勝利を!!」


「我らに勝利を!!」


 兵士たちが拳を振り上げ士気を大いに上げる。

それに私は頷くと「進軍開始!!」と号令を出すのであった。


※※※


 昼近くになると立ち込めていた濃霧はすっかり晴れていた。


 緑色の絨毯のように広がる草原を青空と太陽が照らし、幻想的な雰囲気を醸し出す。

そんな平原で二つの軍勢が対峙していた。


 北方に布陣するのはレクター・シェードラン率いる大公軍。

数に勝る大公軍は鶴翼の陣形で布陣を行い、中央の前列に歩兵隊、両翼に騎兵隊を布陣させていた。


 その反対側、南方に布陣するのは反大公軍だ。

反大公軍は横陣になっており、右翼側にバードン伯爵軍、中央にシェードラン辺境伯軍、そして左翼にクルーべ侯爵の軍が主に布陣し、右翼後方に騎兵隊を待機させていた。


 ヴォルフラムは敵の布陣を眺めながら思案を続ける。

兵力では此方が上回っているため敵軍を包囲しやすい鶴翼を展開した。

一方で反大公軍は未だ足並みが揃っていないようで単純な横陣を選択したようだ。


(さて、どう切り崩すか?)


 敵が横陣を選択したのならば攻撃を集中させ敵を突破・分断という手もある。

だが中央に布陣しているのはあのルナミア・シェードランだ。

力押しでは突破させてはくれないだろう。

かといって両翼にいるバードン伯爵とクルーべ侯爵も強敵、ならば……。


「閣下、ここは常道で行くべきかと」


 隣にいるレクターにそう言うと彼は「一気に踏みつぶすことは出来ないのか?」と敵軍の方を見る。


「此度の戦は我らの運命を決める決戦。緒戦は慎重に動くべきでしょう」

 そう言うとレクターは暫く沈黙した後、「貴様に任せる」と言う。


「この場で反乱軍を徹底的に叩け。投降を許すな。根切にしろ。ああそうだ、ルナミア・シェードランだけは可能な限り生きて捕らえろ。奴は俺の前で跪かせたあと

この手で殺してやる」


 「かしこまりました」と頭を下げるとレクターは満足そうに頷く。

そして馬の手綱を引くと将兵たちの前に出た。


「勇壮なるシェードランの忠臣たちよ!! 敵を見るが良い!! 奴らは仕えるべき大公に、国王に逆らう逆賊!! 意志無き烏合の衆だ!! 今日、この場で我らは勝つ!! 勝ってこの忌々しき反乱に終止符を打つ!! 正義は我らに有り!! 大義は我らに有り!! 敵を全て撫で斬ってしまえ!!」


 レクターの言葉によって将兵は鬨の声を上げる。


 その様子に思わず感心してしまった。

あのレクター・シェードランが随分と立派になったものだ。

父殺しが、戦があの男を変えたか?

それとも宿敵を葬れるという感情の高まりゆえか?

どちらにせよ兵の士気が高いのは良いことだ。


 レクターが此方に向かって頷いてきたため、頷きを返すと号令を出す。


「弓兵隊、前へ!! 魔術師隊、攻撃準備!! 号令と共に一斉に攻撃を開始せよ!!」


 号令により兵たちが一斉に動き始める。

さあ、いよいよ始まる。

この決戦、勝つのはどちらか。

歴史に名を残し、新たな世を到来させる英雄は生まれるのか。


「さあ、互いに死力を尽くすぞ!!」


 そう言うと口元に笑みを浮かべ、前進する弓兵隊を見るのであった。


※※※


 中央に布陣した兵たちは皆緊張した表情を浮かべていた。


 向かい側の大公軍から鬨の声が聞こえてくる。

奴らの士気は非常に高い。

兵の数も向こうが上だ。

この戦、勝てるのか?

誰もがそんな不安を抱えていた。


 緊張から冷や汗を掻き続け、喉が渇く。

今、こうやって立っていられるのは”負けるわけにはいかない”という感情の為だ。


 ふと風が吹いた。


 兵たちの前に黒い髪を靡かせ、鎧を身に纏った少女が出る。


 ルナミアだ。

彼女は落ち着いた表情で兵たちを見渡す。


「みんな不安そうな顔をしているわね。実を言うとね? 私も怖くて仕方がない。打つべき手は全て打った。やれることはすべてやってこの戦に臨んだ。それでもやっぱり怖い。じゃあどうして私はこうやってこの場に立っていると思う?」


 ルナミアは兵士たちを指さすと微笑む。


「貴方達のお陰よ。私のような小娘を信じて着いてきてくれた貴方達が居るからこそ、私は戦える。人は一人では戦えない。でも誰かと手を繋いで、一丸となればどんな困難も乗り越えられることを私は知っている」


 ルナミアは鬨の声を上げ、動き始めた大公軍の方を向いた。

その表情に恐れはない。

どこまでも落ち着いた、自分たちの勝利を信じた指導者の顔であった。


「あれは私たちにとって乗り越えるべき壁よ。どんなに逃げても追って来る壁。だったら今日、ここで乗り越えてしまいましょう。今日、ここで私たちは一人一人が英雄となる。私たちは皆で一人の英雄となるのよ」


 その言葉に兵士たちは静かに、そして覚悟を決めた表情で頷く。

もう恐れはない。

我らは英雄。

共にある限り必ず勝利を掴み取れる。


「敵が来ます!」


 エドガーがそう言うとルナミアは頷き「弓兵隊! 前へ!! 魔術師隊、障壁展開!!」と号令を出す。


 弓兵隊が歩兵隊の前に出ると此方の頭上に魔術障壁が展開される。

そして弓兵隊が矢を番え、構えると大公軍から一斉に矢が放たれた。

それに合わせて「放て!」と号令を出すと兵士たちが矢を放った。

両軍の矢は放物線を描き、空中で交差すると兵士たちの頭上に降り注ぐ。

盾を持った兵士たちが落下してくる矢を盾で防ぐが、全てを防ぐことは出来ず次々と斃れていく。

更に敵軍の魔術師部隊による攻撃も開始され、火球や稲妻が此方の魔術障壁と激突し爆発する。


「怯むな!! 討ち続けろ!!」


 エドガーが指示を出し、再び味方が矢を放つと突然轟音が鳴り響いた。

前列の兵士たちが悲鳴を上げて倒れ、他の兵士たちに動揺が広がる。


(この音……鉄砲か!!)


 敵にはかなりの数の鉄砲隊がいるようだ。

鉄砲による攻撃は盾を砕き、鋼鉄の鎧を貫く。

そしてなによりも大気を振動させる銃撃音が恐怖を掻き立てるのだ。


 及び腰になる味方を激励し「まだ退いては駄目よ!!」と必死に叫ぶ。

すると再び敵軍から矢が放たれ、銃声音が鳴り響く。

それにより更に味方が討たれ、前列の兵士たちに大きな損害が生じる。


(銃の威力、これ程とは……!!)


 銃の弱点は命中率の低さと弾丸を装填するのに手間取ることだ。

だが敵は鉄砲隊を横一列に並べることで此方を面で制圧してきており、装填までの間は弓兵隊によってフォローする。

非常に有効な戦術だ。

有効過ぎて腹が立ってくる。


 再び轟音が鳴り響いた。

顔のすぐ横を弾丸が横切り、頬に傷ができる。


「ルナミア様! お下がりください!!」


 護衛の騎士たちが慌てて私の前に出るが私は「無用よ!」と言う。

ここで将が下がれば一気に部隊が瓦解する可能性がある。

何より私の兵たちが命を賭けて戦っているのだ。

私も命を賭けなくてはこの決戦には勝てない。


「さあ、私を撃てるものなら撃ってみなさい!!」


 そう叫んだ瞬間、エドガーが「味方が!!」と右翼の方を指さす。


「バードン伯爵の軍が退いています!!」


「!!」


 右翼を見ればバードン伯爵の軍が撤退を開始していた。

その光景に拳を強く握りしめると私は「持ち堪えなさい!!」と指示を出すのであった。


※※※


「敵右翼、撤退を開始!! 更に左翼も兵が逃亡し後退を始めております!!」


 物見の報告に大公軍の将兵は大いに湧き上がった。

敵の戦列は既に崩壊。

かろうじて中央だけが持ち堪えている状況だ。


 レクター大公の騎士たちは「勝ったぞ!!」と拳を振り上げるがヴォルフラムは怪訝そうな表情で瓦解する反大公軍を眺める。


(弱い……。あまりにも弱すぎる)


 間者から二日前にルナミアとバードン伯爵が激しい口論を行い、険悪となったと報告を受けてはいた。

反大公軍の足並みは乱れきっておりバードン伯爵らはこの決戦の乗り気ではなかったと。

故にこの結果は不自然ではない。

だがそれでもどうにも引っ掛かる。

あの手強かった反大公軍の最期がこんなにも呆気ないものだろうか?


「閣下!! 突撃を! 一気に方をつけましょう!!」


「ああ、そうだな。ヴォルフラム、突撃の指示を出すぞ」


 レクターが満足そうにそう言ったため首を横に振る。


「どうにも気になります。ここは慎重に、このまま弓兵隊と鉄砲隊で圧倒すべきかと」


 そう言うと「臆したか!」と声を荒げる騎士がいた。


 ガイウス・ボルダー。


 クリストフ・ランスローの死後、再編された白銀騎士団の団長となった男だ。

前団長と違い、思慮の足りなく私欲で動く男だがそれ故扱いやすと考え白銀騎士団の団長にしたのだ。

ガイウスは後退する敵軍を指さすと「敵の騎兵も去った!! ならばやることは分かっていよう!!」と大声を出す。


 確かに敵に騎兵がおらず、更に平地での戦いならば騎兵突撃で蹂躙できる。

だがしかし、敵はその程度で終わるのだろうか?


(……しかしこの流れ、一人の意見では止められないか)


 ガイウス以外の騎士たちも騎兵突撃すべきと拳を振り上げている。

更にレクターもガイウスの意見に賛同しているため彼らを止めることは不可能だ。


「分かりました。ですが閣下、突撃するのは騎兵のみ。歩兵は万が一の事を考え待機させます。それでよろしいですな?」


 そう言うとレクターは「好きにしろ」と言い、ガイウスは不機嫌そうに鼻を鳴らして「臆病者め」と去っていく。


 騎士共が焦っている理由は察せられる。

戦場に鉄砲という新兵器が登場し、戦の花形を奪われることを恐れているのだ。

あまりにも愚かな考えだ。

時代が変われば、技術が進歩すれば戦い方はどんどん変わっていく。

そのことを理解し、適応しなければ時代に取り残され滅ぶだけだというのに。


「しかしそれが人か」


 頭では理解していても意地が適応を許さない。

それが人間というものなのだろう。

ならば自分はそんな頭の固い人間を変革させる方法を考え、導く側にいなくてはならないだろう。


 人間は常に進歩し続ける生き物なのだ。

決して停滞してはいけない。

新しきことに挑戦し、新しき世を作り続ける。

そうしなくては緩やかに衰退してしまう。


 騎兵たちが大公軍の全面に集結し、突撃の為の陣形を組んでいく。

その姿は勇壮で見る者を奮い立たせる。


「騎士の時代の終わりか……」


 予感がした。

この内戦の終結と共に騎士の時代が終わるのだろう。

彼らもそのことを内心では理解し、それでも輝こうとしている。


 角笛が鳴り響き、騎兵隊がゆっくりと前進を開始する。

そして馬が大地を蹴り、騎兵隊による突撃が開始されるのであった。


※※※


「騎兵隊が来るぞぉ!!」


 誰かの叫びに私は正面を見た。


 大公軍の方から騎兵隊が横一列になって向かってきているのが見える。

あの旗、鎧……恐らく敵は白銀騎士団だ。

アルヴィリア有数の騎士団が私たちを蹂躙せんと向かってきている。


「陣形を組みなおしなさい!!」


 そう指示を出すと兵士たちは緊張した面持ちで隊列を組みなおす。

盾を持った兵士たちが最前列。

その後方に槍兵が。

そして最後尾に弓兵隊が待機する。


 勢いに乗った騎兵を歩兵のみで止めることは不可能。

だが此方の騎兵隊は既に姿を消しておりどうにもならない。

だが、それでいいのだ。


 騎馬たちが地面を蹴り、地響きが此方にまで伝わる。

その音と振動は徐々に大きくなっていき、大気までも振動させる。


 冷や汗が止まらない。

鼓動の音が耳の奥から聞こえてくるようだ。


(落ち着きなさい……。まだよ。まだ、待て)


 敵騎兵隊が盾に構えていたランスを水平に構え始める。

敵は更に加速し、突撃は最高速度に達する。


「まだよ……」


 身構える兵士たちにそう呟き、私は向かって来る鋼鉄の津波を睨む。

あと少し、あともう少し引き付けろ。


 騎兵たちが身構え、ランスの先端が此方に向けられる。

騎馬たちの足音が兵士たちを怯えさせ、後退るものが続出する。

皆、今にも逃げ出しそうになった瞬間━━。


「━━今だ!!」


 私の号令と共に前列の兵士たちが一斉に盾や剣を放り投げる。

そして足元にあったものを持ち上げて構えた。


 それは木の棒だ。


 成人男性の慎重の三倍ほどある長い木の棒。

先端を削り、鋭利にしたそれは長大な槍でありあっと言う間に槍衾が完成すると━━。


「!!」


━━貫いた。


 木の槍が馬を、騎兵を貫き次々と打ち倒していく。

後続の騎兵たちも止まることができずそのまま槍衾に突撃し、ある者は槍で喉を貫かれ、ある者は馬から放り出されて味方の馬踏まれて死んだ。

そしてあっと言う間に騎兵隊の突撃は止まり、乱戦となるのであった。

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