第51節・刃の心


 師の修行は容赦無く、毎回死者が出るほどであった、

そんな修行を私は毎回受けさせられ、生き残り続けた。

そして気がつくと彼の修行を受けているのは私だけになった。


 ある日のこと。

私は師と共に夜の山の麓にいた。

今回の修行も厳しいものであり、夕方に山を登り、山頂に着いたら下る。

そして下った先で師が捕獲していた熊と戦わされた。

どうにか熊を仕留められたものの何度か死にかけた。


 私が熊を仕留めたのを確認すると師が現れ、無言で頷くと熊を捌き始める。

器用に肉を捌く師をじっと見つめていたら彼は不機嫌そうに「なんだ?」と言う。


「……捌き方を」


「そんなものは覚えなくていい。余計なことは考えるな」


 そう言うと師は私の左腕を見て動きを止めた。


「貴様、痛くはないのか?」


「痛いです」


 私の左腕は熊の爪に裂かれ、血が溢れ出ていたのだ。


「どうして止血をしない。死ぬ気か?」


「止血の仕方を知りません。知らないことはできません」


「いや、その位自分の頭で……。いや、いい。そういう風にしたのは俺だな」


 師は呆れたようにため息を吐くと熊を捌くのを止める。

そして私の前に来ると「腕を出せ」と命じた。

その命令に従うと師は私の腕を縛って止血をし、持っていた糸と針を取り出す。


「……なぜ顔を逸らす?」


「余計なことを覚えるなと言われたので」


「……これは……必要だ。見ておけ。あと痛むぞ」


 そう言うと師は傷口を縫い始めた。

師が針を通すたびに鋭い痛みが生じるが顔には出さないようにし、じっと彼の縫い方を見つめる。

そして完全に縫い終わると師は呆れたように「一言も発さないとはな」と眉を顰める。


「痛みには……慣れています」


「だろうな。そういう訓練をさせてきた」


 忍びは単独任務になることが多い。

そのため任務で負傷した場合は傷を負ったまま一人で安全なところまで逃れなければいけないのだ。

だから私は傷を負っても普通に動けるように痛みに慣れる訓練を受けていた。


 師が再び熊の肉を捌き始めると肉の塊を私に突き出してきた。


「これは?」


「見ての通り肉だ。まさか貴様、痛みを感じなければ空腹にもならないなどと言わぬだろうな」


 お腹はすいている。

山に登って下って、その間に食事や休憩などは一切していない。

腹の虫が鳴らないように気を付けていたのだ。


 私は熊の肉を受け取ると野営の準備を始める。

火を熾し、肉を折った枝に突き刺すと焼き始める。


「師は……料理というものをしたことがありますか?」


「なんだ急に?」


「以前私がこのように肉を焼いていたらコタロウ様がどうせ肉を焼くならもっと美味そうに焼けと仰っていたので」


 私の言葉に師は「コタロウめ……」と舌打ちすると肉を焼いている私の横に座った。


「飯は食えれば良い。下手に舌が肥えれば不味いものを喰えなくなるかもしれぬ。……まさか料理を習いたいのか?」


 私は首を横に振る。

肉を美味く食べれるか食べれないかなど私には意味のないことだ。

むしろ任務に支障をきたすかもしれないのであれば知らないほうがいい。

私の存在意義とはどのような任務も確実に達成することなのだから。


 焼けた肉を齧り始めると師は「少し待て」と言った。

そして懐から小さな袋を取り出すと中の物をひとつまみし、私の肉に振りかける。


「これは?」


「喰ってみろ」


 肉を齧ってみると口の中に香りが広がり、肉の臭みが消えていた。


「香料ですか?」


「そうだ。これならば不味いものも喰える。持ち運ぶのにも困らないからお前も覚えておくといい」


 そう言うと師は私に小袋を投げ渡してきた。

それを受け取り、じっと見つめると師は「どうした?」と訊ねてくる。


「いえ。なんでも」


 師から殺しの道具以外を貰ったのは初めてのような気がする。

それから師も自分の分の肉を焼き、互いに無言で食事をする。

焚火が燃える音と夜の森に棲む動物たちの鳴き声に耳を傾けながら私は以前から思っていることを訊ねてみることにした。


「師はどうして私を特別に扱うのですか?」


 私の言葉に師は肉を食べるのを止めて目を点にする。


「俺が? お前を?」


「はい。コタロウ様が仰っていました。師は私を特別に扱っていると」


「……あの爺め、余計なことを」


 そう呟くと師はため息を吐いて肉を一気に頬張った。


「別に特別に扱っているわけではない。俺の修行について来れた奴がお前だけだからこうして業を教えている。一族再興を果たすため、少しでも優秀な忍びを残さないといけないからな」


 一族再興。

それが師の夢だ。

師の一族は過去に大罪を犯し、故郷を追われたという。

そしてこのアルヴィリアに流れ着き、今はメフィル大公の配下となり働いている。

師は前からずっと言っていた。

今はメフィルの狗であることに甘んじているがいずれは一族を再興し、故郷に返り咲くと。


「何代も達成できなかった一族の再興が俺の代で出来るとは思っていない。だから我が志を継ぐ後継者が必要なのだ。そしてお前は数多くいた後継者候補の中で唯一厳しい修行を生き残った」


「つまり私はいずれ師の跡を継ぐので?」


「貴様が一人前になるまで死ななければな」


「それは保証できません」


 私は私より優秀な忍びが死ぬのを何度も見た。

私たち忍びは常に死と隣り合わせ。

年老いて死ねるなどという希望は持ってはいけない。


「━━ユキノよ。忍びにとって最も大切なことはなんだ?」


「己の命に代えても使命を果たすことです」


「ならば命じる。もしお前が一人前になったら死ぬな。どのような任務でも必ず生き残れ」


 とんでもないことを命じられた。

死ぬなというのは今までで一番難しい命令だ。

だが一度命じられた以上その使命を果たさなければいけない。

私がコクリと頷くと師は「まあ期待はしていないがな」と鼻で笑った。

再びお互いに沈黙すると私は「あの……」と師に声を掛ける。


「師の言うことは……私が師の後継者になるかもしれないと言うことは……。それは父と子の関係になるということでしょうか?」


 そう言うと師は驚いたような表情を浮かべた。

この男のこんな表情は初めて見た。

いや、当然だ。

彼にとって私は後継者候補というだけの小娘。

父と子などというふざけたことを言えば怒られ、失望されてもしかたない。

そもそもなぜ私はこのようなことを訊いた?

いや、分かっているのだ。

私はきっと……父親が欲しかったのだ。


 何も言わない師に対して私は不安になり「すみません」と言おうとすると師が立ち上がった。


「俺は己の使命がある限り子を持つ気はない」


「……はい」


「だが……そうだな。お前に全てを託せると判断した時。その時は━━」


 私はその日、彼の言ったことを一生忘れないと誓った。

そして絶対に彼の為に一人前になり、彼の望む後継者になろうと誓った。


 だがその誓いはあの夜━━一人の少女から父親を奪った日に崩れたのであった。


※※※


 昔のことを思い出していたような気がする。

いや、今もまだ記憶の中だ。


 これはつい最近の記憶。

私はベルファの町の波止場で一人海を眺めていた。

私の過去、罪を知られ、私を罰するべき人は私を罰しなかった。

だから私はどうすればいいのか分からずこうやって海を眺めている。


 冬の海は冷たく、静かだ。

いっそのこと飛び込んでしまったら全て楽になるだろうか?

昔の自分なら簡単に己の命を投げ捨てられただろう。

だが今は……自分の命が自分だけのものではないことを知ってしまった。

主人のために、仲間の為に私は死ねない。

死にたくないのだ。

だが同時に私の存在が仲間を傷つけるとしたら?

分からない。

答えが出ない。

ただ時間だけが過ぎていく。


「……ここに居たのね」


 後ろから声を掛けられた。


 ミリだ。

私の大切な仲間であり、そして同時に私の罪の象徴であるエルフの少女。

彼女は表情を強張らせながら私の近くにやって来る。


「まさか自殺しようなんて考えてないわよね」


「……考えていました」


 ミリがキッと睨んでくる。

彼女の怒りは私への憎しみだろうか?

それとも別の何かだろうか?


「ですが死ねませんでした。あれほど罪を償おうと、自分の命で過去を清算したいと考えていたのにそれができない。私は半端者です」


 師の跡を継ぐ殺人人形にもなれず、己の過去を償うこともできず。

どこにも行けずに立ち止まっている半端者。

それが今の私だ。


「私はアンタを許さない。許せるはずがない」


 当然だ。

私は彼女から父親を奪ったのだ。

それを許してもらえるとは思っていない。


「でもね、同時にアンタに死んでほしいとは思えないのよ。いや、最初はぶち殺したいと思ったわ。ずっと探していた仇、刺し違えてでも討ちたい女。その筈なのにいざ殺そうかと思うと手が止まる、体が竦む。━━━━私は憎むにはアンタを知り過ぎた」


 ミリはそう言うと私の横に並び立ち、共に海を眺める。


「私はさ、あんまり頭が良くないからこういう時どうしたらいいのか分からないのよ。きっとアンタへの気持ちや、自分自身の気持ちを整理するのに時間がかかる。だから━━」


 ミリが私の方を向き、私も彼女と向かいあう。


「━━アンタは私が良いって言うまで死ぬな」


 死ぬな、か。

昔もそんな難しいことを言われた気がする。

私は忍びだ。

半端者のどうしようにもない忍びだが、命じられたのならその使命を果たさなければいけない。


「あの……リーシェ様を命懸けで守るのは?」


「それは許す」


「ミリ様や他の皆様を守るのは……?」


「それも許す。でも死ぬな」


 命懸けで戦い、そして死ぬなとは我が師なみに無茶苦茶なことを言う。

だが今の私には彼女の言葉は救いに近いものであった。


 私はミリの前に跪くと、彼女は「ちょ、ちょっと!?」と少し動揺する。


「ミリ・ミ・ミジェ様。これより我が命は貴女のもの。いつか貴女が裁定を下す日まで、私は貴女と共に生きましょう」


「……分かったわ。私もアンタより先には死なない。一緒に旅をして、私たちの関係の決着地点を見つけるまでは絶対に」


 ミリが手を差し伸べてきた。

私がその手を取ると彼女はぶっきらぼうにそっぽを向く。

だが彼女は私を底なし沼から引き揚げてくれるようにしっかりと手を掴み、そして力強く握手を交わす。

 


 この時、私は人生で二度目の死なずの誓いをした。

そう、だからこそ、私は━━━━。



※※※


 サイゾウはゆっくりと息を吐くと足元で倒れているユキノを見下ろした。

そして己の刀をじっと見つめると眉を顰める。

加減をしてしまった。

あの時、自分はこの娘の首を刎ねることができた。

いや、刎ねるつもりだった。

だがそうはならなかった。


「……情とは恐ろしいものだな」


 自分が鍛えた弟子。

後継者となりえる娘。

自分は確かにこの娘に執着していたのだ。

だがそれもここまでだ。


「ここで、全てを終わらせる」


 刀を構え、剣先を倒れているユキノに向ける。

せめてもの情けだ心臓を一刺しにし、痛みを感じずに死なせてやろう。

そう思い、一歩近づいた瞬間━━。


「!!」


 突如ユキノが跳び起きた。

倒れた状態から一気に立ち上がり、そのままサマーソルトキックを放ってくる。

咄嗟に後ろに下がり蹴りを避けようとするが刀が蹴り弾かれてしまった。

それにより手から刀が離れ、後方の木箱に突き刺さる。

すぐに予備の短刀を抜くと構え、此方から距離を離したユキノと向かい合う。


「らしくないミスをしましたね。師……いえ、サイゾウ殿」


「かもしれんな。だが、大勢は変わらん!」


 ユキノの顔色は見るからに悪い。

恐らく脇腹の傷からの失血が酷いのだ。

立っているのもつらい状態でこうも闘気を保つとは……流石である。


 ユキノが一歩前に出ると此方も同じだけ前に出る。

奴の狙いは分かっている。

あれだけの傷を負っている以上、短期決戦に挑まざるおえない。

ならば次だ。

次に奴は全てを賭けてくる。


「まさしく命懸けか。やってみろ。万が一で俺を仕留められるかもしれぬぞ」


「命は…賭けません。私は、死ぬわけにはいきませんから」


「忍びが命を惜しむとは……。貴様はやはり失敗作だ」


 そう言うとユキノは何故か微笑んだ。


「失敗作とは失礼ですね。私は今でも貴女の教えを守っていますよ」


「教えだと?」


 眉を顰めるとユキノは己の胸に手を当て、此方をじっと見つめる。


「私は貴方に死ぬなと言われ、誓った。友と呼ぶことを許されるかは分かりませんがある人物にも勝手に死んではならないと命じられた。ならば━━」


 すっと笑みをが消え、ユキノは鋭い闘気をこちらに向けてくる。


「━━私はこの心に刻まれた誓いという刃をもって……師よ! 貴方を討ちます!!」


 この馬鹿は……。

この馬鹿はあの時のことを今も覚えていたというのか。

あの夜、ひと時の気の迷いで言ったあのくだらない約束を、それを守り続けているというのか?


「参ります!!」


「ああ、来い!! その誓いも、俺の迷いも全てここで断ち切ってやる!!」


 ユキノが駆け出した。

真っ直ぐに、放たれた矢のように向かって来る。

やはり此方の予想通りだ。

この娘にもう搦め手を使う余裕はない。

ならば此方はそれを冷静に迎撃するだけだ。


 小刀の構えを解き、即座に懐から小型苦無を取り出し投擲する。

ユキノはそれを己の苦無で弾くとそのまま真っ直ぐに向かってきた。

ならばと今度は腰に提げていた袋を前方に放り投げた。

すると袋の中から幾つもの撒菱が飛び出し、地面に広がる。


 それに対してユキノは前方への突撃を止め右に跳んだ。

右にある棚に足をつけるとそのまま蹴り、今度は反対側の棚に跳んで再び蹴る。

そうすることにより一気に此方の頭上に上がり、最後に急降下を行ってきた。


(壁蹴り……だが対応はできる!!)


 落下してくるユキノに対して小刀を向け、突き刺そうとするがユキノは更に空中で姿勢を変えた。

空中での強引な縦回転。

そしてそのまま踵落としを放ってきたため左にズレてそれを回避した。


 すぐ横に着地したユキノに対して小刀を横に振り、首を斬ろうとするがそれよりも早く弟子は姿勢を低くし、此方の刃をくぐり抜ける。

更にそのままの態勢で苦無を己の前方に投げながら背後に回り込んできた。


 何故この状況で己の武器を投げたのか一瞬理解できなかった。

だが苦無が放たれた先を見ると目を見開く。


 刀だ。

木箱に突き刺さった刀に苦無と、その苦無に取り付けられていたワイヤーが巻き付く。

そしてそのままユキノは腕を引くと刀を引き寄せ、キャッチした。


「……お覚悟!!」


「貴様がっ!!」


 背中合わせの状態。

互いに同時に振り返り刃を振るう。

薄暗い倉庫の中、二つの閃光が交わる。



 決着は、一瞬であった。



※※※


 ユキノはサイゾウとすれ違うとその場で両膝を着き、刀を地面に落とした。

すれ違う際に左肩を深く斬られた。

脇腹と、肩の痛みに耐えるように歯を食いしばり、大粒の汗が噴き出して地面に滴り落ちる。


 戦いは……勝った。


 背後にいたサイゾウはヨロヨロと歩くと近くにある棚にもたれ掛かりながら座る。


「飼い犬に……腕を噛みちぎられるとは、な……」


 右腕が無かった。

あの交差の時、私は彼の右腕を斬り落としたのだ。


 サイゾウは紐で腕をキツく縛ると止血をし、全身に汗をかきながら私の方を見る。


「やはり貴様は俺の最高傑作にして、最大の失敗作だ」


 私は刀を拾うとどうにか立ち上がる。

まだだ。

まだ終わっていない。

己の過去を断ち切るため……いや、違う。

己の過去と向き合うために決着をつけなければいけないのだ。


 師の前に行くと彼は頷く。

そして静かに「殺れ」と言った。

だから私は刀を構え、そして……。

頬を熱いものが伝っていることに気がついた。


 涙だ。

私は気がつくと涙を流していた。

そんな私に師は苦笑すると「大馬鹿者が」と呟く。


「獲物を仕留める時にそんな顔をする忍びがいるか」


「そうですね。でも、今から私が殺すのは獲物ではありません」


「ほう? では何だ? まさか師殺しが辛いなどと言うなよ? そんな軟弱なことを言う奴に殺されるのは御免だ」


 私は静かに首を横に振ると泣きながら微笑む。

そして刀を両手でしっかりと持ち、振り上げた。


「今から私が斬るのは"父"です」


 私の言葉に"父"は僅かに目を見開き、それから「阿呆が」と悪態をついた。


 あの日、"父"に拾われ、私は生きることができた。

さまざまな知識を教わり、その背中を追ったからこそ今の私がある。

道は違えど"父"には感謝をしている。

本当の"父"になってくれたらと今でも思っている。

だが━━。


「父よ、さらばです。私は、私の道を。大切な方々と共に歩みます」


「…………」


 "父"は何も言わない。

ただ無言で、私の顔を見上げ続ける。


 そして私は"父"と"友"への誓いを果たし続けるため、仲間と共に今を生き、未来へと歩むため新たな罪を背負う。


 刃が振り下ろした。


「さらばだ……娘よ」


 "父"のそんな呟きが聞こえた気がした。

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