第30節・雷竜の涙


 私は夢を見ていた。

これはとても古い夢。


 私たちは人の手によって生み出された命だった。

親の卵の中では無く、ガラスの筒に入れられ沢山の人々が私たちの前に来ては何かメモを書いていた。


 筒の中で私たちは色々と教えられた。

私たちは究極の兵器になるために生み出された存在だと。

この国を象徴し、世界に秩序をもたらす存在になると。


 だが、そうはならなかった。

私も、私と同時に生み出された子も彼らが望んだ力を持てなかったのだ。


 人々は私たちに向けていた期待の目を失望へと変えていき、私たちの前に来る人はどんどん減っていった。


 そしてある日、一人の男がやって来てこう言ったのだ。


「お前たちは失敗作だ」


 どうやら私たちは処分されるようだ。

そのことに怒りも悲しみもしなかった。

だってまだ私たちは生まれてすらいないのだから。

この狭い筒の中、虚に浮かび何も考えずに存在する。


 私たちはその日を待ったが一向に私たちは処分されなかった。


 それから数日後。

一人の男が私たちの前に来た。


 初めて見る男。

鎧の上に上等なマントを羽織り、真紅の瞳で私たちを見つめる。


「お前たち、死にたいか?」


 男はそう言った。

死にたいかと訊かれたら答えは否だ。


「では生きたいか?」


 その答えも否だ。

私たちは己の生死には執着していない。


 男は私たちの無言という名の返事に頷くと剣で筒を叩き割った。


 私たちは筒の中に入っていた液体ごと外に放り出され、初めて外の世界を感じた。


 初めて嗅ぐ外の空気は埃っぽく少し臭い。

そして外気が濡れた身体を冷やし、私たちはお互いを抱き合うように震えながら裸で寄り添った。


 男はそんな私たちに己のマントを被せるとしゃがみ微笑む。


「寒いか? 辛いか? おめでとう。君たちは今、この世界に産まれた」


※※※


 私たちをこの世に産んだ男の名はダスガールヴ・ヴェルガといった。

後の世に"狂王"と呼ばれる男は私たちにさまざまなことを教えてくれ、私たちは人の世というのを知った。


 私たちは最初は彼を恨んだ。


 外の世界は思っていたよりも辛く、大変だった。

お腹が空けばご飯を食べなくてはならないし、身体を動かせば疲れる。

なにもかもが不便だ。

なにもかもが新鮮だ。


 ダスガールヴは私たちを筒から出したあとにこう言っていた。


「その命、己のために無いと言うなら誰かのために使ってみせよ」


 無意味だと思っていた自分たちの命に意味が与えられた。

それはまるで暗闇に灯った小さな灯りのようであった。


 しばらくの間は外の世界に慣れることに専念させられ、そしてある日私たちはダスガールヴにある場所へと連れて行かれた。


 それは彼が住む宮殿から離れたところにある純白の尖塔。

私たちは彼に続き階段を登るとある部屋に入れられた。


 そこには一人の少女がいた。


 銀の美しい髪に褐色の肌。

ルビーのような瞳は私たちのことを見て驚きから丸くなっている。


 ダスガールヴが少女をシアと呼び、私たちに名前をつけるように言った。


 シアは私たちの顔をじっと見つめ、それから笑顔でこう言うのであった。


「金の髪の子がクレスセンシア。黒い髪の子はフェリアセンシア」



 その日、私たちは初めて別の名を持つ存在となった。


※※※


 我が主人は私たちに様々なことを教えてくれた。

人の歴史。

詩人が謳った物語。

音楽や芸術。


 主人は自分の知識を私たちに嬉しそうに教えてくれ、私たちもそんな主人から教わるのが嬉しかった。


 我が主人もまた特殊で、そして特別な存在だった。

彼女はこの尖塔から出ることは出来ず、部屋とベランダだけが彼女の世界だった。

私たちは彼女にずっとここにいるのは辛くないかと訊ねたが、彼女は「お父様や兵士たちが良くしてくれるから」と首を横に振った。

実際父親であるダスガールヴは良くこの部屋を訪れたし、尖塔の衛兵も塔の中にいるなら部屋からこっそり抜け出すのを見逃してくれた。

我が主人は間違いなく愛されている。

そして主人も人々を愛していた。


「ずっとこんな日が続けばいい」


 主人はそう言っていた。

私とフェリアセンシアもそれを望み、三人で静かに、そして幸せな日々を暮らしていた。

永久に、我が主人が老いて死ぬまで共にいよう。

そう誓った。

だが……そうはならなかった。


 ヴェルガ帝国が女神アルテミシアの崇拝を禁じてから各地で反乱が起こるようになった。

最初は小さな反乱ですぐに鎮圧されたが徐々に反乱の数は増え、そして大規模になっていった。

そしてバルゴの蜂起と呼ばれる一大反乱が起こると帝国全土で反乱が発生し、反帝国軍が結成される。


 反帝国軍にはエルフやドワーフも加わり、エスニア大陸が二分される大戦へと発展していった。

当初は帝国軍が優勢であったが反乱軍にアルヴィリアと言う名の英雄が現れてからは事態が一転する。

アルヴィリアは仲間と共に反乱軍を率い次々と勝利すると破竹の勢いで進軍した。


 帝国軍も反乱軍との戦いが長期化、激化するとエンシェントゴーレムや同盟を結んでいたドラゴン族を動員し始め大陸は焦土と化していく。

そして熾烈な戦いを繰り広げた結果━━反乱軍はついに帝都を包囲したのであった。


※※※


 宮殿の屋根に私たちは集まっていた。

私の隣には青い竜の姿となったフェリアセンシア、後ろには風竜王がおり私は帝都を包囲している反乱軍を、いや、彼らの頭上にいる存在を睨みつけた。


 それは巨大な翼を持つ純白の怪物だ。

反乱軍はアレを”天使”と呼んでいた。

天使?

アレが?

あんなものは天使ではない。

ただの知性の無い魔獣だ。


 だがあの魔獣は驚異的な回復力と魔力を持っており、アレの登場で多くのドラゴン族が討たれた。


 頭上から巨大な姿が降りてくる

深紅の鱗を持つ大竜。

竜王たちの筆頭とも言える火竜王だ。


 彼は全身に傷を負っており、城の屋根に地響きと共に着地すると忌々し気に息を吐き出す。


『……火竜王。随分とやられたね』


 風竜王がそう言うと火竜王は苛立たし気に鼻を鳴らす。


『この程度、どうということは無い。だが……雷竜王と氷竜王が逝った』


『そうかい……。立派な最期だったかい?』


 風竜王の問いに火竜王は天に向かって咆哮を上げる。

それは同族が逝った悲しみと怒りの咆哮だ。


『愚かしき人間どもめ!! 己が何の力に頼っているかも知らず!! 根絶やしにしてくれる!! この身、果てようとも亡霊となって奴ら全てを焼き払ってやる!!』


『火竜王、そんなことを言うもんじゃ無いよ。土竜王もエルフたちに討たれた。残っている竜王は私と君、そして水竜王だけだ』


 竜王は半数以上が散り、ドラゴン族の数も減った。

それに対してあの”天使”という魔獣はどんどん増えて行っている。

終わりだ。

最早我らに勝ち目は無い。

だがそれでも━━。


『私たちは最期まで戦う。あのお方のため、決して諦めない』


 私がそう言うと火竜王は『竜擬きが大口を叩く』と笑う。

火竜王は人によって造られた私たちのことを嫌っていた。

だが最近は……共に必死に戦ってからは少しだけ認めてくれたような気がする。


『……ふむ。小さきクレスセンシアにフェリアセンシア。お前たちはこの戦いを生き延びたら竜王を名乗りなさい』


『風竜王! 気でも狂ったか!! このような竜擬きを竜王にするなど……!!』


『いたって冷静だよ。我らは血を流し過ぎた。竜王は先代に認められたものがなる者。この二人は雷竜王、氷竜王に気に入られていた。二人とも反対はすまい』


 風竜王は『この戦いを生き残れたら実力は十分だろう』と火竜王を説得し、火竜王は不服そうにしてはいたものの『好きにしろ』とそっぽを向いた。


『さて、小さきクレスセンシアにフェリアセンシア。お前たちはどうしたい? 竜王の名を継ぐかね?』


 風竜王の言葉にフェリアセンシアは『どちらでも構いません』と言った。


『私たちにとって大切なのはあのお方を守ること。ただそれだけですから』


『そうかい。まあ、今はそれでいい。だが全てが終わったら……自分の道を考えなさい』


 自分の道……。

それはなんだろうか?

私の道は主人のためだけにある。

それ以外の道なんて存在しない。

あってはならない……筈だ。


 空が光り輝いた。

天より純白の門が降り、”天使”たちが歓喜の叫びをあげる。


『━━天獄の門。ついに、か』


『ああ、ついにだ。あの方が再臨する。人は自ら滅びを呼び起こしてしまったのだ』


 あの門からは今まで感じたことが無いほどの気を感じる。

怖い。

あまりにも神聖で、圧倒的な拒絶。

全てを無に帰す女神の慈悲。

本能であれが滅びをもたらすものだと分かった。


『恐らく勝てまい。だが……レプリテシア様が守ったこの地を消させはしない!』


 火竜王が咆哮する。

それに風竜王や私たちも続いた。


 ”天使”たちの歓声をかき消す竜の咆哮は大気を揺らし、開戦の大号令となった。


『行くぞ同胞たちよ!! 古の盟約に従い、レプリテシア様の子孫を守るのだ!!』


 火竜王と共に飛び立つ。

そして他のドラゴンたちと共にあの純白の門へと突撃し、”天使”と交戦を開始するのであった。


※※※


 気がついたら私は地に堕ちていた。

腹には”天使”の槍が突き刺さり、右の翼は折れて骨が皮から飛び出している。

近くには同じように重傷を負ったフェリアセンシアもおり、意識はあるようだが動けないでいた。


 負けた。

私たちは負けたのだ。


 圧倒的な物量差の前に押し潰され、同胞たちは次々と帝都の空に散った。

火竜王と風竜王はまだ戦っているようだが時間の問題だろう。


 既に帝都は敵の手に堕ち、そこら中で人々の悲鳴があがっている。

敵は宮殿にも殺到しており間も無く陥落するだろう。


『……いか、ねば』


 あの方を守らねば。

"狂王"の娘であり、"邪神"の器と呼ばれているあの方が敵に捕まればどんな目にあうかは想像がつく。


 倒れた身体を引き摺り、ドス黒い血の線が出来る。

目が霞み息が苦しい。

死が免れぬならせめて、せめてあの方をと共に……。


 突如、宮殿が崩壊した。

天井を貫き宮殿から大空へと飛び出したのは漆黒の鱗を持ち、火竜王よりも更に巨大なドラゴン。

あれは……まさか……。


『……ババムート』


 ヴェルガ帝国が造った人造竜であり究極の兵器であるババムート。

竜王たちを圧倒する力を持っていたが制御が効かず封印されていた筈だ。


 いったい誰が封印を……。

いや、分かっている。

あの虚竜王を御せるのはただ一人。


 "天使"たちはババムートを脅威と判断したのか一斉に襲い掛かるがババムートの口から放たれた閃光により焼き払われた。


 たった一撃であの"天使"たちを殲滅したババムートに呆然としているとその背中に我が主人の姿があった。


 声が出ない。

それでも必死に喉を動かした。

口から血が零れ落ち、天にいる我が主人に必死に呼びかける。


━━私も連れて行ってくれ。


 目があった。

彼女は私たちに優しい微笑み、声は聞こえないがはっきりと何を言ったのかは分かった。


「生きて」


 そして主人はババムートと共に飛び立ち、"天使"の門に向かって突撃する。



 それが私が最後に見た主人の姿であった。



※※※


 目を覚ますと暗い空間の中、誰かが目の前にいた。


 銀の髪に褐色の肌。

この懐かしい雰囲気は……。


「我が……主人?」


「残念ながら」


 聞き覚えのある声に意識が覚醒していく。

目の前で微笑みながら立っていたのはリーシェ・シェードランだった。

彼女は私に「おはよう」というと視線を合わせるようにしゃがむ。


「……なんじゃ、お主か。こんな所で何をしておる」


「迎えに来た」


「誰を?」


「クレスを」


 私は力無く笑う。

この少女は私の為にこんな所まで来たのか。

だが大変申し訳ないが私は……。


「戻りたくない?」


「……ああ。儂はもう疲れた。守ると誓った者に二度も先に逝かれ、己の存在意味が分からなくなった」


「クレスの存在意味。レプリカ……ううん、シアを守ることだよね」


「そうじゃ。儂らはシア様を守るためにこの世に生まれた。そのシア様が居ないのであれば儂に生きる意味は無い」


 我が主人の最期の願いを叶えるべくリーシェを守った。

そしてリーシェは生き延び、今記憶を取り戻している。

ならばもう良いだろう。

私の役目は終わりだ。

あの方の願いを果たしたのだから……。


 そうリーシェに伝えると彼女は「うーん」と首を傾げた。


「一つ忘れてない?」


「忘れている? 何を? 儂は何も忘れてなど……」


「クレス、貴女は生きなさい」


 息を呑んだ。

その言葉を発したリーシェはまるで嘗ての主人のようであり、鼓動が跳ね上がる。


「クレス、貴女が約束を果たすまで死ねないというのならまだ”生きろ”という”私”との約束を果たしていないわ」


「で、ですが……! 儂は……私は……!!」


 リーシェが……シア様が私の頭を撫でる。

遥か昔、そうして貰ったように優しく、慈しむように。


「”私”たちは貴女に生きて欲しい。それは貴女にとって残酷なことかもしれない。でもね、”私”たちは貴女に見つけてほしい」


「見つける?」


「自分の命を」


 そう言うと”我が主”は微笑んだ。


「私も同じだった。あの日、暗い牢獄の中に居た時。自分が何なのかも分からなくて生きるのも死ぬのもどうでも良かった。でも部屋の扉が開いて光の中からとと様が現れて、私は生きるということを知った」


「”私”は生まれた時から運命が決まっていた。いつか来る終末に対抗するために生み出された仮初の存在。初めから終わる為に生まれた命。でもそんな”私”にお父様が手を差し伸べ、人生を与えてくれた」


 ”我が主”は「”私”たちはきっと似ている」と笑う。

自分の命の意味を知らぬ者。

運命を決められた者。

私たちは己の命の在りどころを見失っている。

でもそれでも命ある限り生きろと。


「……儂は……もう先立たれるのが嫌なのです」


「死なないよ。私はクレスを残して死なない」


「そんな保証がどこに……!」


「無い。でも死なない。私は死なないしクレスも死なない。ロイも、ミリもユキノもヘンリーおじ様も死なせない。私たちは共に生き続ける」


 リーシェは立ち上がると私に手を差し伸ばした。

彼女の後ろからは光の筋が落ち、私たちを照らす。

それはまるで女神の祝福のようであった。


「クレスセンシア。我が守護竜。貴女が自分の命の意味をまだ見つけていないというのであれば私と共に生きてみない?」


「共に……」


「そう、共に。私の命は貴女と共に。貴女の命は私と共に。一緒に生きて、いろんなことを知って、喜んで、怒って、哀しんで、楽しんで。そして私たちは自分たちの命の在りどころを見つけ、自分の足で己の運命を決めるの」


 この人はシア様ではない。

だが彼女の声が、言葉が、動作が嘗ての思い出を呼び起こす。


(ああ、シア様。貴女は確かにそこで生きているのですね……。私にまだ生きろと言うのですね……)


 頬を熱いものが伝う。


 涙だ。

涙を流したのはあの日以来だ。

あの日、全てを失ってから決して泣くまいと思っていた。

どうしようにも無く心がかき乱される。


「……まったく、”新しい我が主様”は酷いお方じゃ。疲れ果てた老骨にもっと生きろと言うのだから。そう言う強引な所は”昔”から変わっておらん」


 私はリーシェの手を取る。

そして彼女に虚無という底なしの沼から引き上げてもらうと向かい合った。


「良いじゃろう。雷竜王クレスセンシアはリーシェ・シェードランと共に生きよう。死ぬのはまだ先じゃ。まだケツの青い主様の為に老骨に鞭を打って共に生きましょう」


「いやいや、これでも結構大人になったと思うよ?」


「クフフ! よう言うわ! 大人の女になったというのならあの坊主を押したお……いひゃひゃひゃひゃ!?」


 頬を紅く染めたリーシェに「下品……!」と両方の頬っぺたを抓られた。

そしてリーシェは私を抱きしめ、優しくこう言うのであった。


「温かい? 嬉しい? おめでとう。貴女は今、再びこの世に生まれたよ」


 落ち着く。

そういえば昔もこうやって抱きしめてもらったような気がする。

あの時は何も感じなかった。

でも今は……。


 私たちを光が包む。

私は目を閉じ、主様を抱きしめ返し頷いた。



「シア様……クレスセンシアはもう少し頑張ってみます」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る