第26節・転成の魔獣


 砦から少し離れたところでフェリアセンシアはフェンリルに跨りボーっと空を見上げていた。


 氷のスロープを維持するためこの場から動けないので暇だ。

こんなことになるのなら一冊くらい本を持ってくるべきだっただろうか?


 フェンリルは草原に寝そべり、目を閉じている。

どうやら暇すぎて寝てしまったようだ。


(私も寝ちゃいたいですねぇ……)


 魔力をずっと消費しているため結構疲れている。


 春の日差しの下、ただこうして何もしないでいると……。


「うぉお!? 崩れてきたぞ!?」


 おっといけない。

少し寝そうになっていた。

魔力が一瞬途切れスロープが崩れ掛けているのが見えた。


 アルヴィリアの兵士たちは慌ててスロープを駆け下り、様子を伺っている。


 ふと尖塔の方を見ると障壁内で雷の光が見えた。

どうやらクレスは今あのあたりにいるようだ。


「早く障壁解除してくれませんかねえ?」


 というかよくよく見るとアルヴィリア軍が次々と梯子を城壁に掛け、登っている。

これ、もう私いらないんじゃ?

そう思うとついスロープに送る魔力を止めてしまう。


「うぉお!? また崩れ始めたぞ!?」


 スロープを登ろうとしていたアルヴィリア軍がまた慌てて駆け下りる。

どうやらまだまだあのスロープを維持する必要がありそうだ。


「それにしても、さっきの……」


 後方、シェードラン大公の陣の方から少し前に”彼女”の力を感じた気がする。

大公の陣は今、敵の増援に襲われて大混乱に陥っているという。

もしかしてあの娘に何かあったのだろうか?


(繋がりはまだ感じます。生きてはいるのでしょうけれども……ふむ、どうしましょうか?)


 ”彼女”を守るのは自分たち魔女の最優先事項だ。

だがこの場を離れたら味方の援護ができなくなる。

どちらを取るかだが……。


「クレスが動いていないのなら大丈夫でしょう。”彼女”が本当に危険ならクレスは文字通り飛んでいきますから」


 そう呟くと欠伸をする。


 なら自分は睡魔という敵と戦いながらこの場にいよう。

そう思いながら頷くと、また一瞬寝そうになるのであった。


「また崩れたぞぉ!!」


※※※


 ロイは狂乱したディヴァーン兵の剣を己の剣で受け、鍔迫り合いになった。


(なんだ、この力……!!)


 敵から掛かる力は凄まじく押されてしまう。


「ぎゃはあはあははあはあ!?」


 敵は鍔迫り合いの状態で何度も此方に噛みつこうとし、目の前で歯がガチガチとぶつかる。

体を横にズラし、敵の攻撃を受け流すと敵は前のめりに大きく体勢を崩した。


 そこに斬撃を叩き込み、敵の右腕を斬り落とした。

だが……。


「うぁいならひお!!」


 腕を斬り落とされたにも関わらず敵はそのまま此方に飛び掛かってくる。

それをどうにか躱すと今度は脚を斬った。


 太腿と腕から血を吹き出しながら敵は動き続け、その異様な光景に思わず後ずさる。


「こいつら……痛みを感じないのか!?」


 そう言うと先ほどから後方で此方の様子を見ていた"蛇"が頷く。


『その子たちは私の護衛よ。全力で戦えるように強化してあげたんだけど、脳が焼き切れちゃったみたい』


 理性も痛覚も無いから超人的な力が出せる。

腕を斬り落とされようが、脚をもがれようが敵を殺すために暴れ続ける。


「小僧! 退け!」


 背後から雷の矢が放たれ、それを避けると狂乱した敵兵に直撃する。

矢が直撃した敵が粉々になり、燃え尽きるとクレスが自分の横に立った。


「四肢を奪っても動くのであれば粉々にしてしまえばいい。もしくは……」


「首や心臓を狙う!」


 ウェルナー卿が現れ、瞬く間に二人の敵の首を撥ねた。

首を撥ねらた敵は崩れ落ち、さすがに動かないようだ。


 その光景を見たエドガーも敵の心臓に剣を突き刺し、敵が痙攣しながら倒れると剣を引き抜いた。


 それを見ていた"蛇"は『ありゃりゃ』と肩を竦める。


『やっぱりこんな玩具じゃ相手にならないかぁ』


 そう言い、笑うとクレスが"蛇"を睨みつける。


「相変わらず悪趣味じゃの、"大淫婦"!」


『そう言うアンタは相変わらずちんまいわねぇ。雷のババア』


 エドガーが「知り合いか?」と訊ねるとクレスは眉を顰めた。


「過去に何度かやり合ったことがある。お主ら気をつけよ。あれは言動は馬鹿だし、頭も馬鹿だが力はかなりある」


 "大淫婦"


 恐らく"蛇"の中でも使徒と呼ばれる幹部の一人だ。

使徒の脅威はベルファでの一件で思い知っている。

固唾を飲み、慎重に剣を構えると“大淫婦"は『うーん』と首を傾げた。


『私は戦闘得意じゃないんだよねぇ。だ、か、ら』


 “大淫婦"のスカートの中から何かが飛び出した。


 それは鎖だ。

先端に刃が着いた紫の鎖が十数本現れ、近くにいたアルヴィリア・ディヴァーン両方の兵士に突き刺さる。


 鎖が刺さった兵士たちは白目を剥き、泡を吐きながら痙攣すると力無く項垂れた。

そして鎖を引き抜くと奇声を発して周囲の兵士たちに襲い掛かる。


『はい、魔力ちゅーにゅー! 頑張ってねぇー!!』


 狂乱した兵士たちが此方に突撃してくるのを見るとウェルナー卿がやれやれとため息を吐いた。


「押し返すぞ! 首と心臓を狙え!!」


 その指示とともに此方も突撃を開始するのであった。


※※※


(なんということだ……!!)


 ディヴァーンの将カイロは胸壁で繰り広げられる凄惨な光景にそう思わざるおえなかった。


 両軍の兵士たちが次々と生ける亡者にされ、敵味方関係なく襲い掛かっている。


「貴様! いったいどういうつもりだ!」


 そう"大淫婦"を睨みつけると彼女はとぼけたように肩を竦めた。


『どういつもりって、助けてあげているのよ? ほら、アルヴィリア軍を押し返し始めているじゃない』


 確かにあの亡者たちがアルヴィリア軍を押し込んでいる。

だが、これでは戦いに勝っても此方の被害があまりにも……。


『……だったらさあ。使えば? アレを』


 アレ。


 懐にしまい込んでいる転成石。

これを使えば大きな力を手に入れられるという。

しかし、これもまたこの女が渡してきた力。

とてもじゃないが信用できない。


『アンタが石を使わないならお人形を増やすしかないわねぇ……あら?』


 東門の方から歓声ようのなものが聞こえた。

何事かと見てみればアルヴィリア軍がついに門を破り次々と砦内に突入しているではないか。

これではもうこの砦はもたない……。


『おやおや、これはこれは。もう駄目かもね? でーもー? なんと、そこにこの状況をひっくり返せる力がありまーす!! どうする? 使っちゃう!? 使っちゃおう!』


「……く!」


 どうする!!

敵を押し返し、勝利できる可能性がわずかにでもあるのならばこの石を……。

いや、だがやはり……。


『あーもう、煮え切らないなあ! だったら━━━━背中押してあげる』


 「何を……」と言おうとした瞬間、”大淫婦”の袖から鎖が伸びた。

鎖は此方の首を斬り裂き、血が噴き出す。


「が……!? き、さ……まぁ!?」


 動脈を斬られたため瞬く間に辺りが血に染まる。

首を必死に押さえるが血は止まらず、体から力が抜けていく。


『ほーら、死んじゃうよぉ? ま、死んでもいいんだけどね? アンタが石を使わないなら別の奴で試すだけだわ』


 おのれ。

おのれ、おのれ、おのれ!!

この淫売めが!!

このまま死んでなるものか!!

たとえ何が起ころうともこの女と、アルヴィリアの連中だけは絶対に殺す!

道連れにしてくれる!!


 そう激しく憎み、力を望んだ瞬間、全身が光に包まれるのであった。


※※※


「な……!?」


 ロイは”大淫婦”が敵の指揮官らしき男の首を斬り裂いたのを見た。


(仲間割れか……!?)


 首を斬り裂かれた男は鮮血を噴き出しながらよろめく。

そして”大淫婦”に向かって何かを叫ぶと突如全身が光に包まれ始めた。

それを見たクレスが「いかん!!」と言い、光に包まれる男に雷の槍を全力で叩き込む。


 胸壁上で大爆発が生じ、亡者の群れやディヴァーンの兵士たちが吹き飛ぶ。

爆発の煙から”大淫婦”は飛び出すと此方から距離を離すように着地した。


「……小僧ども、少し厄介なことになったぞ」


 クレスがそう呟くと煙の中から何かが現れた。


 それは男だ。

上半身は裸になり、その体にはいくつもの深紅に光る紋様が浮かび上がっている。

身長は一般的な成人男性の二倍ほどあり、その両目は体に浮かぶ紋様と同様に紅く光り輝いている。


 魔人だ。

額から角を生やした魔人がそこにいた。


『コれ……は?』


 魔人が己の姿をみてそう呟いた。

この声、まるで脳内に直接響いているかのようだ!


『あら、意外。成功しちゃったわ』


 ”大淫婦”がそう言うと魔人が彼女の方を向き、飛びかかる。

拳を振り上げ、”大淫婦”を叩き潰そうとし、”大淫婦”がそれを避けると床に拳を叩きつけた。

それにより凄まじい衝撃波が発生し、城壁の一角が崩れる。


「……な!?」


 なんて力だ!?

たった一撃であの威力なのか!


 魔人は自分の拳をしばらく眺めると空を見上げて笑い始めた。


『ハはハハハ!! スバらしイ!! チカらガ、あフれてクルゾ!!』


「……魔女殿? あれはいったい何か聞いても?」


 そうウェルナー卿が訊ねるとクレスは眉を顰めながら頷く。


「あれは魔人じゃ。転成石と呼ばれる魔石を使用し、己の魔力を急速に増加させて”進化”する。ある研究の最中に見つかった外法でな、確かに成功すれば魔人となれるが……」


『ヘビよ!! コのチカらで、コヤつラをウッタら、ツギはキさまヲ…………グ、ガッ!?』


 突如魔人が苦しみ始めた。

自分の頭を押さえ、叫びながら蹲る。


「お、おい? どうしたんだ、あれは……」


 エドガーが警戒しながらそうクレスに訊くとクレスは首を横に振る。


「確かに体内の魔力を急速に増加させれば強大な力を得られる。だがな? 人には貯蓄できる魔力の限界量というものがある。それを大幅に超えた場合、何が起きるのかは……」


『ま、壊れるでしょうね』


 そう言ったのは苦しむ魔人を見つめる”大淫婦”だ。


『誰もが最強の力を手に入れられるわけじゃないわ。大抵の人間は急速に増加した魔力を抑えきれず暴走してしまう。一時は魔人になれたから才能はあったのかもしれないけれども……ま、こんなものね』


『オ、ノれエエエエエ!!』


 魔人が仰け反りながら憤怒の叫びをあげる。

目や口から赤い光が漏れ出し、魔力の暴走で周囲の空間が歪んで見える。


「で? 魔人になれなかった奴はどうなるんだ? 死ぬのか?」


 ウェルナー卿がそう言うとクレスは「いや、もっと悪い」と身構える。


「魔人になり損ねた場合、理性無き獣と化す!! お主ら! 来るぞ!!」


 直後、魔人が爆発した。

彼の体はいったん紅い光の靄となり、再び収束していく。

そして靄は別の形へと変化し、それは……。


「……冗談きついぞ」


 竜だ。


 首の無い、出来損ないのような竜が顕現した。


「……魔獣。”蛇”どもめ、あの方の願いをどこまでも踏みにじるか!!」


 クレスがそう吐き捨てるように言った直後、巨大な腕が振り下ろされ、胸壁にいた人々が吹き飛ばされるのであった。


※※※


 ロイは気がつくと納屋の中にいた。


 天井には大きな穴があり、どうやら胸壁から落下してきたらしい。

納屋の中の藁束がクッションになってくれたため、結構な高さから落ちたにも関わらず軽傷で済んだ。


(そうだ! みんなは!?)


 胸壁で魔人が竜のような魔獣となり壁を崩したのは覚えている。

エドガーやウェルナー卿、クレスは無事だろうか。


 とにかく納屋から出よう。

そう思い立ち上がった瞬間、納屋の壁を突き破って転がってくる姿があった。


「ウェルナー卿!?」


「いててて……。ん? ロイか? 無事だったようだな」


 倒れているウェルナー卿を引き起こすと彼は「すまん」と頷き、落とした剣を拾う。


「あの魔獣のせいで大惨事だ。もう戦争してる場合じゃなくなったな」


 ウェルナー卿が突き破った壁から砦内で魔獣が暴れまわっているのが見えた。

巨大な腕や尻尾が振られる度に両軍の兵士が吹き飛んでいる。


 兵士たち多くは逃げ惑い、一部では両国の兵士が協力しあって魔獣に対抗しようとしていた。


「いま、魔女殿がどうにか抑えてくれている。ロイ、やれるか?」


「ええ、勿論」


 自分と一緒に落ちてきた剣と盾を拾う。

そして力強く頷くとウェルナー卿と共に納屋の外へ飛び出すのであった。


※※※


 納屋から飛び出すと魔獣の大きさに一瞬気圧された。

魔獣の背の高さは三階建ての家屋とほぼ同等であり、その背中には退化した小さな翼がある。

腕は大木の幹のようであり、尻尾は何人もの兵士を一撃で葬れるほど長く、太い。

頭が無く鱗もない歪な姿ではあるが、それを除けば本に出てくる竜そのものだ。


 魔獣はどこから発しているか分からない咆哮を上げ、足元にいた兵士たちを巨大な拳で叩き潰す。


 すると魔獣の左脇腹あたりに連続して雷球のようなものが叩き込まれた。

雷球が魔獣にぶつかり、爆発する度に魔獣の皮膚が裂け、肉が飛び散る。

だが出来た傷は凄まじい速度で塞がっていき、あっという間に完治してしまった。


(なんて回復力だ!)


 あんなに早く回復するのでは倒すことができない。

そう思っていると魔獣は雷球が放たれていた方向に尻尾を叩きつける。


「ぬぉお! 危ない!!」


 叩きつけられた尻尾の方から何が飛んできた。


 それはクレスだ。

クレスが吹っ飛ばされ、此方目掛けて落下してきている。

咄嗟に駆け出し、彼女を受け止めるとクレスは「おっと!」と目を点にした。


「お姫様抱っこというのを始めてしてもらったが、ケツが青い小童相手じゃのぅ……」


「……落とすぞ」


 そう言うとクレスは「冗談じゃ。助かった」と笑い、此方の腕から飛び降りる。

そして辺りを見渡すと「赤毛は?」と訊ねてきた。


「いや、見てない。ウェルナー卿の方はどうです?」


「あの城壁が崩れた時、エドガーは尖塔側に吹き飛ばされていた。恐らく……」


 エドガーは胸壁に取り残されているということか!

あそこには"大淫婦"がいた。

使徒相手に一人は危険すぎる。

だが……。


「助けに行くにもアレをどうにかしないとな……」


 ウェルナー卿の言葉に頷く。

あの魔獣を放置していたら大惨事になる。

どうにかして倒さなければ。


「アレの弱点とか無いのか? さっきの感じだと物凄い回復力があるみたいだけど……」


 そうクレスに訊ねると彼女は「うーむ」と眉間に皺を寄せた。


「奴の核を破壊すれば体を維持できなくなるであろう」


「で? 核ってのは? まあ、だいたい予想がつくが」


「奴の胴体のちょうど真ん中じゃ」


 つまり核を破壊するにはまず敵の体を削ぎ落とさなければいけない。

しかし傷はすぐに癒えてしまうため核を攻撃するのはかなり難しいだろう。


「儂の残存魔力を全てつぎ込んだ一撃を放てば奴の上体を吹き飛ばせよう。それに合わせてお主らが核を攻撃するのじゃ」


 核を露出されられれば倒せるかもしれない。

問題は体が再生する前に核を破壊できるかだが……。


「ならば、私も手伝いましょう」


 そう言い門の方から現れたのはフェンリルに乗ったフェリだ。

フェンリルが此方の近くまで来るとフェリはクレスを見る。


「貴女が奴の体を吹き飛ばし、私が傷口が塞がらないように凍らせる」


「ほう? いつになくやる気じゃな?」


「ええ、当然。あのような不愉快なもの、一分一秒たりともこの世界に存在させたくありませんので」


 「同感じゃ」とクレスが肩を竦めると此方を見る。


「では騎士と従騎士よ。渾身の一撃を放つには少々時間がかかる。しばし時を稼いでくれないかの?」


 そうクレスが言うとウェルナー卿は苦笑し、頭を掻いた。


「あれ相手に時間を稼げとは無茶をおっしゃる。だが、やってみせましょう」


「俺も、あんなのに負けてたらアイツの騎士になれない。絶対に勝ってやるさ」


 そう言うと四人で顔を見合わせる。

そして力強く頷くとウェルナー卿と共に魔獣に向かって駆け出すのであった。


※※※


 胸壁にてエドガーは”大淫婦”と対峙していた。


 背後の城壁は崩れ、尖塔側も魔獣が暴れたせいで崩落を始めている。

今、この場にいるのは自分とこの女だけだ。


(……状況は厳しい。だが……!)


 ゆっくりと剣を両手で握り構える。

すると”大淫婦”は『くすくす』と笑った。


『使徒を相手に一騎打ちを挑もうだなんて、大した自信だわ』


「ああ、俺は自信家でな。いつも自分を褒め称えて奮い立たせているのさ」


『いいわあ、アンタ。アンタみたいな男、嫌いじゃないわ。だから……』


「!!」


 スカートから鎖が放たれた。

それを剣で弾くと次々と鎖が放たれてくる。

どうにか鎖を弾くが何本かの鎖が此方の腕や足を切り裂く。


 ”大淫婦”は鎖をいったん全て自分の近くに戻すと、一斉に放つ。

束となって襲い掛かってくる鎖を横への跳躍で回避すると着地の隙を狙って彼女の右袖から鎖が放たれた。


「ちぃ!!」


 咄嗟に剣で鎖を弾くと左袖から伸びた鎖に足を絡めとられる。

そしてそのまま転ばされ、持ち上げられると放り投げられた。


 空中で受け身を取り、胸壁に落下するとそのまま転がる。

そして敵と距離を離すと立ち上がった。


「この蛸女め!!」


 あの攻撃は厄介だ。

現在展開されている鎖は全部で十六本。

それを巧み扱い、様々な方向から攻撃してくる。

どこまで伸びるかは分からないが、分からな以上どこまでも伸びると想定して戦ったほうがいいだろう。


 ”大淫婦”が腕を横に振る。

それにより袖から伸びている鎖が鞭のように迫り、急いでしゃがんで回避する。

すると今度はスカート側の三本が真っすぐ此方を目掛けて放たれしゃがんだ状態から斜め前に前転することで回避した。


『ほらほら! もっと頑張らないと死んじゃうわよぉ!』


 再び鎖が時間差で四本放たれる。

それを全て弾き切り、反撃に転じた。


 まっすぐに”大淫婦”に突撃すると、彼女は此方を迎撃するために残りの鎖を全て放った。

突撃する足を止め、咄嗟に右に跳ぶとそのまま側面に回り込む。

そして横から斬りかかると”大淫婦”は『おっと!』と後ずさり攻撃を回避する。

逃すまいと二撃目を叩き込もうとするが背後から鎖が回り込んできており、慌ててもう一度横に跳んで避ける。


『やるわねぇ。今のはちょっとヒヤッとしたわ』


「ふん、どうせ貴様も不死者なのだろう。素直に喰らっておけ」


『えー、確かに死なないけれども個人的な都合上攻撃を喰らいたくないのよねぇ』


 どういう意味だ?

こいつら使徒の体は霊体だ。

剣で斬ったところで傷はできないはずだが?


『……ちょっとお喋りが過ぎたわね』


 "大淫婦"が構える。

全ての鎖を自分のそばに待機させ、その刃は真っ直ぐに此方を狙っている。


 恐らく敵は一斉攻撃を行おうとしている。

だがそれは此方にとっても好機だ。


(ここで一気に勝負をつける……!)


 この敵を倒す術は無いが四肢を破壊すれば暫く時間を稼げるであろう。

その隙に撤退し、味方に合流しよう。


(逃げるという選択肢を取らざるおえないのは不服だが……仕方ないか!!)


 そう決断すると剣をゆっくりと前に構えるのであった。


※※※


(ふーん?)


 "大淫婦"はエドガーが武器を構え、真っ直ぐな闘志を此方に向けてくるのを見て感心した。


 彼は馬鹿では無い。

彼我の力の差はよく理解しているはずだ。

それでも心が折れずにあれだけの闘志を持つとは。


『どうして諦めてくれないかなぁ? 素直にはい、負けました! って言えば見逃してあげてもいいのに』


「馬鹿か、そんな無様なことができるかよ! 俺は騎士だ! 人々を守り、敵と戦う騎士なんだよ!」


『で、殺されると? 馬鹿だねぇ』


 そう笑うとエドガーも苦笑した。


「確かに馬鹿かもな。前、ある女が俺みたいなやつを大馬鹿って言っていた。だが、ちょっとかっこいい奴とも言っていた。俺はそんなちょっとかっこよくて大馬鹿な正義の騎士を目指しているのさ」


『…………』


 一瞬、この若い騎士が"彼"と重なって見えた。

ああ、なんだっていま思い出すのか……。

あれはもう忘れようとした、諦めた日々じゃないか。


『……なら、愚かな夢を抱いて死になさい』


 己の迷いを断ち切るように鎖を一斉に放つ。


 それに対してエドガーは回避するのでは無く、真っ直ぐに突っ込んで来た。


(正気!?)


 エドガーは急所に刺さりそうな鎖だけを弾き、残りは無視する。

腕や脚に次々と刃が刺さるが駆ける足を止めず、一気に踏み込んで来た。


『く!?』


 懐に飛び込まれた。

エドガーが剣を振り下ろし、此方を叩き斬ろうとしてくる。

もう回避は間に合わない。

あの刃が此方を袈裟斬りにする……かと思われるが。


『なあんて、まだあるんだなあ! これが!』


 袖の中から追加で更に二本の魔力の鎖作り出され、放たれた。


 一本目がエドガーの剣を弾き、ガラ空きになった彼の胸にもう一本が伸びる。


 これで終いだ。


 殺すことになってしまったのは残念だが、まあこれも仕方ないこと。

そう思っているとあるものが目に入った。


 ブレスレットだ。

彼の腕につけられているブレスレット。

あれは、たしか……。


(あたしがあげた……)


「このぉ!」


 一瞬ブレスレットに気を取られたのがマズかった。


 鎖の速度が遅くなり、エドガーが強引に体を逸らして鎖を躱してしまう。

彼はそのまま剣を構え直し、渾身の突きを放ってきた。


『あ、ヤバ!?』


 ほぼ密着状態からの突きであったため回避することが出来ず、剣が右肩に深く突き刺さるのであった。


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