第16節・花信風の行軍


 コーンゴルドを出たルナミア率いる辺境伯軍はまずシェードラン大公の軍との合流を目指した。


 大公の軍は既に本拠地であるガーンウィッツを出発しオースエン大公領との領境にあるメディア砦に向かっていた。

大公はメディア砦で配下たちと合流後、オースエン家を通過して目的地であるミスア平原東部にある白鳥城を目指す予定である。


 辺境伯家の軍は街道を進み、順調に行軍していた。

途中何度か村を通過し、その度に村人たちは軍の先頭で馬に乗るルナミアを見て驚いていた。


 アルヴィリアでは女が軍を率いることは殆どない。

そのため五百人もの兵士を率いるルナミアの姿は非常に珍しく、そして奇妙であったのだ。


 ルナミアはそんな奇異の目を気にせず、軍の指揮をしっかりと執っていた。

分からないところは経験豊富なウェルナー卿に訊き、彼のアドバイスを受けて兵士たちに指示を出す。

出発当初は緊張からかとってもぎこちがなかったが、数日も経つとごく自然に配下の騎士や兵士に命令を出せるようになっていた。


 そんな彼女の姿に最初は不安を抱いていた兵士たちも安心するようになり、女の指揮官に不平不満を漏らす者は誰もいない。


 そして出陣から7日目に辺境伯の軍はメディア砦の近くに到着するのであった。


※※※


 丘を何度か超えると遠くに砦が見えてきた。


 石造りの大きな砦はシェードラン家とオースエン家の領境を守る砦であり、王都から伸びる4大街道の内の一つルーセニアン街道沿いに建てられている。


 私は馬の上から遠くにある砦を見ていると前方に砦に向かって行軍する一団が見えた。


「あの旗印は確かアゼン伯のものだな。他にもほら、あっちに別の旗の軍勢がいる」


 隣にいたロイが馬の上から東の方を指さす。

そちらには緑の旗を掲げた軍団がおり、更にその先には別の旗の軍団がいる。

メディア砦に向かってシェードラン大公家傘下の諸侯が続々と集まってきているのだ。


「ここからは諸侯が見ている。ロイ、コーンゴルドの名に泥を塗らない行軍をするんだぞ」


「いや、エドガー。泥を塗らない行軍って……どうすんだよ?」


 ロイの質問にエドガーは「それは……こう、胸を張ってだな」と返すとルナミアと共に先頭にいたウェルナー卿が振り返る。


「普通でいいんだよ。普通で。下手に格好をつけると田舎者って馬鹿にされるぞ」


 まあ、実際田舎者である。

大公家の分家であるが軍の規模は小さいし、装備もお金の問題からそこそこの物しかもっていない。

正直辺境伯の旗印が無ければどう見ても田舎の地方領主の軍勢だ。


「他の辺境伯もウチみたいな感じなんですか?」


 そうウェルナー卿に訊ねると彼は首を横に振った。


「辺境伯というのは他国と領土を接している土地を治める領主に与える爵位ですからな。基本的には周辺諸侯より強い権力と兵力を有しています」


 特にキオウ大公配下のアサノ辺境伯はディヴァーンとの最前線にいるため、大公並みの兵力を保有しているという。


 シェードラン辺境伯家が地方領主と変わらない兵士しか持っていないのは隣国エルフラント神聖国とは比較的友好関係にあり、同国を刺激しないためであるという。


「そろそろ砦に着くわ! 砦前は他侯の軍でごった返しているでしょうから、しっかりと隊列を組んで離れないように!」


 ルナミアが先頭からそう指示を出し、私たちは頷く。

そして改めて隊列を組み直し、メディア砦に向かうのであった。


※※※


 砦前は大量の兵士で溢れかえっていた。


 既に砦の中は満員のようで入れなかった軍団が砦の外に野営地を設営している。


 私たちが砦に近づくと砦からシェードラン大公の騎士がやって来て「ルナミア・シェードラン様とお見受けします! 大公閣下がお待ちです! ご同行をお願いいたします!」と言う。


 ルナミアはそれに頷くと後ろを振り返り「砦の外に野営地をを設営して! ガンツ兵士長、貴方に設営場所は一任します! ウェルナー卿は私と一緒に!」と指示を出してウェルナー卿と共に砦に向かって行った。


 私たちはガンツ兵士長の指示の下、砦から少し離れた位置に野営地を設営し、荷物を降したりテントを張ったりした。


「……凄い人の量」


 そこら中に野営地があり、様々な旗が春風ではためいている。


「白鳥城に着いたらもっと増えますよ。なにせアルヴィリア中から兵士が集まるんですから」


 馬を柵に繋いでいたエドガーの言葉に私は「想像がつかない」と苦笑する。

これよりも更に、少なくとも5倍の数になるのか……。

それだけいれば戦に勝てるのではと思えてしまうが、敵は更にアルヴィリアの3.5倍いるという。


 諸侯の兵士たちを眺めていると旗を掲げていない集団がいることに気がついた。

装備もバラバラで正規兵には見えない。

あれは……。


「やっぱり傭兵もかなり混じっているわね」


 薬品などを入れた木箱を持ったミリが横に立つ。


「大公や他の領主が兵を集めるために傭兵を雇っているのよ。他にもほら、あそこで傭兵が何か騒いでいるでしょう? あれは自分たちを雇わないかと宣伝しているのよ」


 傭兵たちにとって戦争は稼ぎ時だ。

特に大きな戦争なら国中から傭兵が集まると言う。


「……傭兵が集まると治安が悪くなるのよね。ウチが例外で、基本的に傭兵はガラが悪いから」


 大きな戦いでは貴族たちが傭兵を制御しきれなくなるので近隣の村を襲うようになるのだ。

下手をすると敵からの被害よりも雇った傭兵からの被害の方が大きくなるとか……。


「リーシェ、あんまり傭兵の傍に行っちゃだめよ? アイツら、女に飢えているから」


「ん。気をつける」


 まあ、ウチにはアーちゃん率いる"薔薇の団"がいるので他の傭兵たちが近づいて来る事はないだろう。


 私はミリと別れ、兵士たちと一緒にテントを張る。

不謹慎かもしれないが、それがちょっと楽しかったのであった。


※※※


 ルナミアたちは大公の騎士に連れられて砦の門を潜って中に入った。


 砦内部も外と同じく兵士や騎士で溢れかえっており、彼らは馬に乗るルナミアを興味深げに見る。


「……あんな小娘が兵を率いるとは」


「シェードラン辺境伯の容態、噂通りよくないようだ……」


 貴族たちが遠巻きにルナミアを見てひそひそと話す。

どれも侮蔑が混じった目だ。

それに対してウェルナーが「無礼な奴らだ」と眉を顰める。


「気にする必要は無いわ。面と向かって話さない臆病者たちの事なんて気にするだけ無駄」


「面と向かって来たら?」


「張り倒すわ」


 ルナミアがそう言うとウェルナーは苦笑した。


「母君に似てきましたな」


「あら? 尊敬していたお母様に似ていると言われるのは最大の褒め言葉よ?」


 そんな会話をしていると砦のある一室の前に到着した。

周りにはシェードラン大公直参の白銀騎士団がおり、ここが大公の本陣であると分かる。


「お連れの方はここでお待ちを。ルナミア様、中で大公閣下がお待ちです」


 先導してくれた騎士がそう言うとルナミアとウェルナーは顔を見合わせ、馬から降りる。

そしてルナミアは自分の馬の手綱をウェルナーに預けると「少し待ってて」と言った。


※※※


 ウェルナーは次期当主が大公の待つ部屋に入るのを見届けると口元に自然と笑みが浮かんだ。


 数年前までは少し背伸びをした子供だと思っていたが、随分と立派になった。

もともと表面は賢く、大人びた子であったが義妹が出来てからは内面も成長し、芯の強い少女になったように思える。

彼女と話していると時々彼女の母親、ラヴェンナ・シェードランと話しているかのように錯覚する。


「ラヴェンナ様、貴女の娘は逞しくなられましたよ」


 そう呟くと背後から「ウェルナーか!」と声を掛けられた。


 振り返るとそこには白銀の鎧を身に纏い、白髪がかなり混じった髪を持つ初老の騎士がいた。

彼は手に兜を持ちながら笑みを浮かべると此方の肩を力強く叩く。


「ランスロー卿! お久しぶりです」


 クリストフ・ランスロー。


 シェードラン大公の腹心にして白銀騎士団の騎士団長。

そして自分にとっては恩師であった。


「うむ。久しぶりであるな。お前……老けたなあ!」


「はは! 久しぶりにあって早々失礼なこと言うなこのクソオヤジ、おっと団長殿!」


「そのクソオヤジというやつ、懐かしいな! 昔はしょっちゅう俺に突っかかってきて地面を転がってたかな?」


「今となってはいい思い出ですよ」


 過去の自分はお世辞にも品がいいとは言えなかった。

人と目を合わせれば誰にでも喧嘩売り、いつも傷だらけだった。

そんな感じなのでついたあだ名は”狂犬”。


 だが”狂犬”はある日、自分より圧倒的に強い存在に出会った。

負けなしであったイヌッコロは簡単に転がされ、屈辱を与えられた。

そして、人生で初めて本気で勝ちたいという目標が出来たのだ。


「ああ、いい思い出だ。お前がここにいるということはヨアヒム様は既にいらっしゃっているのか?」


「いや、ヨアヒム様は病が治らないので代わりにご息女が来ていますよ」


 そう言うとランスロー卿は「なんと!」と目を丸くした。


「そういえば先ほど女が兵を率いていると話している連中がいたな。まさかルナミア様のことであったとは……」


「失礼なことを言っている連中がいましたが、ルナミア様は立派に務めを果たしていますよ」


「それはそうであろうな。何せあのヨアヒム様とラヴェンナ様のご息女だ。さぞかし立派になられているであろう。後ほどご挨拶に伺わなければな」


「彼の高名なランスロー卿がいらっしゃればウチの若い連中も喜びますよ」


 それからしばらく歓談をする。


 ここ最近のこと。

ランスロー卿が言うには自分が老けた原因のほとんどはシェードラン大公の息子、レクターのせいだという。

四年前のあの事件を体験して以降、レクターの悪行は更に悪化し、大公共々頭を悩ませているという。


「……最近では私兵のような連中を集め、まるで既に大公になったかのように振舞っている。正直、将来のシェードラン家が不安でしょうがない。そっちが羨ましいよ」


「辺境伯家は姉妹両方とも父想いのいい娘たちですからね。ルナミア様は聡明で気高く、リーシェ様は心優しく芯がとても強い。ヨアヒム様も安心して後を継がせられるとおっしゃっていました」


「リーシェ様か……。お会いしたことが無いがレクター様からいろいろ話は聞かされているよ」


 「ほう? どのような?」と訊ねるとランスロー卿は少しためらってから小声で話した。


「性根の悪い醜女だとか、口の聞き方のなっていない家畜だとか」


「は、は、は! 大公の息子でなければ叩き斬っているところです」


「レクター様の言うことは信用していなかったが、やはり噓八百のようだな」


 自分が聞いても気分が悪くなったのだ。

この場に義妹を溺愛しているルナミアがいなくて良かった。

彼女がこの話を聞いていたら翌日にはレクターに対して挙兵しかねない。


 「さて」とランスロー卿は言うと表情を改める。

先ほどまでの会話を楽しむ表情ではなく、非常に真面目な表情。

それを見てこちらも背筋を正した。


「……まだ確定していることではないため他言無用で頼む」


「ええ。口の固さには定評が」


「うむ。恐らくだが━━━━━━」


※※※


「━━━━既にキオウ領は陥落している」


 部屋の中、私はラウレンツ叔父様からそう聞かされた。


 キオウ大公領の陥落。

その言葉を聞くだけで背筋が凍る。


「それは……どこからの情報で?」


「キオウ領から逃げてきた兵や民からだ。ディヴァーン軍は”大龍壁”突破後、瞬く間に”大龍壁”周辺の砦や城を占領、その後凄まじい速度で進軍を行った。リョウマ・キオウ大公は居城であるヒュウマの都を捨て、守りやすい白虎城に籠城して徹底抗戦をしているらしい」


 ディヴァーンは白虎城を包囲しつつキオウ領全土に侵攻。

キオウ領の領主たちは次々と撃破され、既に白虎城を除く大半が占領されたという。


「現在、各大公が偵察の兵を出しているが情報は恐らく事実であろう。その証拠に既にガルグル領とメフィル領に敵の別動隊が侵攻してきているらしい」


「速すぎる……」


 ”大龍壁”が突破されてからまだ十数日しか経っていない。

それなのに敵は既に五大公領の内の一つを陥落させ、更に二つの領土に攻め込んでいるのだ。


「これがディヴァーンだ。奴らの強みは圧倒的な機動力。まずは騎兵で楔を打ち込み、そこに大量の歩兵がなだれ込む。幸いキオウ大公が粘ってくれているおかげで敵の本体はいまだキオウ領におり、ガルグル・メフィル領に攻めてきている敵も両大公がどうにか迎撃している」


 ガルグル家は山岳地帯を利用した天然の防壁で、メフィル家は魔導砲などの新兵器を投入することで敵の大軍を喰いとめているらしい。


「陛下は白鳥城で軍を終結させた後、オースエン領とキオウ領の間にある東ミスア平原で雌雄を決するつもりだ」


「東ミスア平原、ですか? あそこは開けた地、ディヴァーンに有利な場所では?」


 東ミスア平原とはアルヴィリア中央に広がるミスア平原東部のことである。

広大な草原であり、アルヴィリアの台所ともいえる大農耕地でもある。


 アルヴィリアにとっても平地は騎兵が活躍できるため戦いやすい場所ではあるが、それはディヴァーンにも同じことが言える。

いや、軽騎兵を主体としている分ディヴァーンの方が有利になる筈だ。


「私も同じことを思った。だが陛下は魔導兵器と”魔女”の力を借りるそうだ」


「"魔女"?」


「ああ。アルヴィリア王国には"東の魔女"と"西の魔女"という高名な魔術師がいる。普段は二人とも隠遁しているそうだが、国王陛下が自ら出向き"西の魔女"に参陣を依頼したらしい」


 国王自ら会いに行くとは……。

"西の魔女"とはいったいどのような人物なのだろうか?


「ともかく、我々は明日には白鳥城へ向かう。到着して早々に申し訳ないが、設営は必要最低限にしておいてくれ」


 私は頷くと「では、私はこれで」とラウレンツ叔父様に頭を下げると彼は微笑んだ。


「お前が鎧を着ている姿を見るとラヴェンナを思い出す」


「あら? お母様も鎧を?」


「うむ。有事の際はヨアヒムと共に鎧を身に纏い、剣を振るい馬を駆る。まさしく女傑というやつであった」


「更に精進し、いずれ母以上の女傑になってみせますわ」


 そう言うとラウレンツ叔父様は「それは楽しみだ」と頷く。

そして私は部屋から退室しようとしたが、ドアの近くで足を止めた。


「一つ、お聞きしても?」


「何かな?」


 ラウレンツ叔父様の方は見ない。

ドアノブに手を掛けたまま言葉を続ける。


「昨年。ベルファの町で何やら火遊びをしていませんでしたか?」


「…………」


 ラウレンツ叔父様は何も答えない。

私は目を瞑り、ゆっくりと息を吐くと「失礼しました」とドアを開けようとする。

その瞬間に叔父様は口を開いた。


「為政者とは清濁併せ呑むものだ」


「……濁流がこれ以上広がらないことを祈りますわ」


 私は叔父様の顔を見ずにそのまま退室する。

最後に室内からこんな声が聞こえた気がした。


「正道だけでは国は回らんのだ」


※※※


「サムおじさん、その箱はあっちのテントに運んで」


「了解っと」


 私は野営地の設営をしながらたまに兵士たちに指示を出していた。


 ルナミアもウェルナー卿も不在のため、現場指揮はガンツ兵士長が執っていたが彼が手一杯な場合はこうやって私が指示を出すのだ。

人に命令するのには慣れていないためぎこちないが、義姉がどういう風にやっていたのかを思い出しながらどうにかこなす。


 設営は一通り終わった。

あとはルナミアたちが戻って来るのを待つだけだ。


 少し休憩しようかなと辺りを見渡すと馬に乗った何人かの男たちが此方に向かって来るのが見えた。

その集団の先頭にいる男には見覚えがある。


「うわ、出た」


 見るからにバカっぽいブロンドヘアー。

派手な鎧を着て白馬に乗っているのはシェードラン大公の息子であるレクター・シェードランだ。


 彼は私の目の前で馬を止め、威嚇するように馬を嘶かせる。


「我が従妹が兵を率いて来たと聞き、見に来たがゴミも一緒だったか。相変わらずシェードラン家に引っ付いているようだな寄生虫め。おい、豚! 従妹はどこだ! 従兄がわざわざ挨拶に来てやってと伝えてこい!」


 凄い! この短時間で3回ほど呼び名が変わった!

4年前から性格の悪さが変わってなくて逆に安心する。


 遠くでロイやエドガーが何かを言いたそうにしているが目配せして止める。

この男は相手するだけ無駄だ。

みんな、それを分かっているだろう。

しばらくすれば飽きてどこかに……。


「ちょっとアンタ! リーシェになんてこと言うのよ! 謝りなさい!!」


「……しまった」


 レクターの事を知らない人がいた。


 ミリは耳をピクピクと動かしながらレクターに対して突っかかってしまったのだ。


「ミリ、落ち着いて。気にしなくていいから」


「はあ!? あんな事言われて腹が立たないの!?」


 いや、あんまり。

正直言ってレクターの罵倒はまともに聞いていないので大したダメージは受けていない。

ちょっとうるさいとは思うけど。


「ゼダ人だけではなくエルフの女まで軍の中にいるとは……。我が従妹はどこまでシェードランの家名を汚せばいいのか……実に嘆かわしい」


 ミリがレクターの挑発に「エルフで悪いか!」と乗りそうになったので、「どうどう」と落ち着かせる。

そんな私たちの様子をレクターは侮蔑の目で見ると「ふん」と鼻で笑った。


「配下の連中が従妹は女でありながら軍を率いていたと言っていたが、どうせ色仕掛けでもしていたのであろうな。同じシェードランの血が流れた人間が売女のような真似をするとはいやはや頭が痛い」


 は?

今、なんて言った?

私を侮辱するのはお好きにどうぞ。

だが、毎日必死に頑張っている義姉を侮辱するなら……。


 私は近くに立て掛けてあった槍の方へと向かうとロイが慌てて止める。


「気持ちは分かるが落ち着け!」


「いや、止めるな」


 そう言ったのはエドガーだ。

彼は私を見ると力強く頷き「あの男に裁きを与えるつもりなら協力いたします」と言った。

それに対して私は。


「よし、やろう」


「いや! よしじゃないから! 今までルナミア様に迷惑を掛けないように我慢して来たんだろう?」


「むう……」


 確かに。

ここであのバカブロンドを張り倒すのは容易だが、その後が不味い。

ここはやはり我慢を……。


 そう思っているとコーンゴルドの兵士たちが我慢の限界に来てしまっていた。


「いくら大公の御子息とは言え、これ以上の侮辱は我慢ならん!」


「そうだ! ルナミア様が立派に我らを率いてくれたことも知らずによくも!」


 ガンツ兵士長や一部の騎士たちは周りを止めようとしていたが一度ついた火は瞬く間に燃え広がり、レクターの部下たちが武器に手を掛けたこともあり一触即発の雰囲気になる。


 レクターを見れば彼は口元に笑みを浮かべており、この状況が彼の目的であったことに気が付く。

あの男は最初から私たちを挑発し、自分に向かって来るように仕向けていたのだ。


 ここでもし、辺境伯家の者が剣を抜きでもしたら大問題になる。

軍を率いていたルナミアの面目は潰れ、責任を取らされるかもしれない。


(……どうにかしないと!)


 コーンゴルドの兵士たちを止めるべく彼らとレクターの間に割って入ると「みんな落ち着いて!」と言う。

それに対してレクターは「ほら、そこの豚もやめろと言っている。お前たち、落ち着いたらどうだ?」と更に煽った。

この男、いつかぶん殴る。


 何人かの兵士たちは冷静さを取り戻してくれたがそれでもまだ怒っている兵士が多い。

騒ぎに気が付いた他候の兵士たちが徐々に集まってきているのが見えた。

このままではさらに騒ぎが大きくなるかもしれない。

そう思っていると人ごみの中からアーちゃんが現れた。

彼はまず憤る兵士たちを、次にそれを止めようとしている私を、そして最後に馬に乗りながらニヤニヤと笑うレクターを見て……。


「あら、素敵!! 凄く好みだわ!!」


 体をくねらせながらレクターに近づいた。


※※※


 アーちゃんがレクターに近づくと護衛の騎士たちが慌てて彼を止めようとするが、彼はそれを華麗にすり抜けた。

その動作はあまりに自然かつ素早かったため、いつすり抜けたのかが分からなかった程だ。


「な、なんだお前は!?」


 レクターはいつの間にかに傍にいたアーちゃんに驚き、体を仰け反らせる。


「アタシはアーちゃん。もうアナタ、一目見たときからアタシの槍がギンギン! 今晩、一緒にどうかしら?」


 槍?

首を傾げると隣でミリが「団長……下品」と呆れている。


「ふ、ふざけるな俺にそのような趣味はない!」


「あら、だったらお試しでどうかしら。素敵な夜を、ア、ゲ、ル」


 アーちゃんがウィンクをしながらレクターの太ももをさするとレクターは「ひぃ!?」と怯えた。


「だ、誰か! こいつを何とかしろ!!」


 レクターの指示を受けて騎士たちがアーちゃんを取り囲むがアーちゃんが「うふ」と騎士たちにウィンクするとみんな怯えた。


「お、お前がまず逝け!」


「いや! お前が逝けよ!!」


「仕方ない、こうなったら一斉に!!」


 騎士たちがアーちゃんに飛びかかった。

アーちゃんはあっという間に騎士たちに押しつぶされたように見えたが……。


「乙女なめんじゃないわよー!!」


「なんとぉ!?」


 騎士たちが吹き飛ばされた。


 重装備の騎士たちを吹き飛ばすとは……なんという怪力!!

アーちゃんは「あらやだ、服に埃がついちゃったわ」と言うとレクターの方を向いて舌なめずりをする。


「さあ、邪魔者はいなくなったわよ? 坊や、アタシが相手してあげる」


 じりじりと近づくアーちゃんに対してレクターは顔面蒼白となり慌てて馬の手綱を引いた。


「く、くそ! 貴様ら覚えていろよ!! あと! 従妹に後で俺の所に来るように言っておけよ!!」


 レクターが馬を駆けさせ逃げ出す。

置いて行かれた騎士たちが「ま、待ってくださいー!!」と慌てて追いかけていくのを見るとコーンゴルドの兵士たちは「ざまあみろ!!」と歓声を上げた。


 最初はどうなるかと思ったが何事もなくて良かった。


「あら、逃げられちゃったわ」と笑みを浮かべるアーちゃんに私は「ありがとう」と感謝を伝えると彼は「気にすることはないわ」と言った。


「それにしても、噂通りの悪童ね。シェードラン家の将来が不安になるわ」


 シェードラン大公が隠居したら後を継ぐのはレクターだ。

彼がどのような統治をするのか、不安しかない。


「いっそのことルナミア様が本家を乗っ取っちゃったら?」


「こら、ミリ。そういう危ないことを言っては駄目よ。ルナミア様のお立場が危うくなるからね」


 アーちゃんの言葉にミリが「はーい」と言うと砦の方からルナミアとウェルナー卿がやってくるのが見えた。

彼女たちはこちらの近くで馬を止めると下馬した。


「さっき、従兄上と真っ青な顔ですれ違ったけれども……あなた達、何かしたの?」


 ルナミアの言葉に一同は顔を見合わせ、「別にー」と答えた。

それにルナミアは眉を顰めたが「まあ、いいわ」と言うとエドガーに自分の馬の手綱を持たせる。

あ、そうだ。一つ、伝えておかなければいけないことがあるのであった。


「ルナ、レクターが後で会いに来いって言っていたけど行かなくてもいいよ」


 そう言うとルナミアはきょとんとした後に頷いた。


「うん。行かないわ。会いたくもないし」


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