第15節・東方からの凶報


 コーンゴルドの酒場で二人の男がにらみ合っていた。


 コーンゴルドの騎士団長ウェルナーと傭兵団の団長アーダルベルトだ。

二人は手にトランプを持ち、互いに己の手札が見えないようにしている。


 ウェルナーがゆっくりとアーダルベルトの持っているトランプカードに手を伸ばす。

両者が持っているトランプの数はアーダルベルトが二枚、対してウェルナーが一枚だ。

ウェルナーはじっとアーダルベルトの顔を見ながら手を動かし、そして左側のカードを掴んだ。

掴んだトランプを自分の手元に移動させ、数字と絵柄を確認するが……。


(くそ……ジョーカーかよ……)


 二分の一を外してしまった。


 次はアーダルベルトの番だ。

その前に深呼吸をし、テーブルの下にカードを隠すと二枚のカードをシャッフルした。

シャッフルをし終えるとカードを持つ手を再びテーブルの上に出し、自分の表情が表に出ないように気を付ける。


(さあ、来い!)


 これでも運には自信があるんだ。

さっきは外してしまったが、この回を防ぎきって次で勝つ!

アーダルベルトが右のカードに手を伸ばした。

そちらはジョーカーだ。

さあ、掴め!!


 だがアーダルベルトはカードを掴むのを止め、左に手を動かす。

思わず動揺が顔に出そうになる。

だがどうにか顔の筋肉を動かさず、無表情で相手の動きを見る。


 自分たちの緊張が酒場中に広がり、客や店主たちが固唾を呑んでこちらを見ている。


「……ふむ?」


 アーダルベルトが再び右のカードを掴もうとする。


(そうだ! そのままつかめ!!)


 そして指がカードに触れそうになった瞬間。


「やっぱりこっちにするわ」


 左のカードを取り、彼はカードを確認すると「アタシの勝ちね!」と笑みを浮かべた。


※※※


「あー、運には自信があったんだけどなあ……」


 そう言いながらウェルナーは椅子にもたれ掛かった。

まさか最後の最後でフェイントを入れられるとは……。


「ふふ、アタシも運には自信があるのよ。で? 団長さん? 約束は覚えているわよね?」


「ああ、好きにしろ! 酒くらい奢ってやる!」


「素敵よ! みんな、団長さんがお酒を奢ってくれるそうよ!」


 「おお!!」と盛り上がる客たちにウェルナーは慌てて「ちょ、ちょっと待て!」と言う。


「酒を奢るとは言ったが全員にとは言ってないぞ!?」


「アタシだけに奢る、とも言っていなかったわね?」


 「そりゃ、揚げ足取りだろ」と頭を抱える。

既に客は奢ってもらえる気でいる。

今更、やっぱり奢りませんなんて言ったら大ブーイングになりそうだ。


「仕方ないな! 全員分奢ってやる!! だが頼める酒はこちらで決めさせてもらうぞ!!」


「団長さん素敵! 惚れちゃいそう!!」


「……それは勘弁願いたい」


 酒場が盛り上がる。

これは当分節約生活になりそうだ。


 大きくため息を吐くと酒場の外が騒がしいことに気が付いた。

酒場の窓から人ごみが出来ているのが見える。

そしてこれは……馬の嘶き?


 ウェルナーとアーダルベルトは顔を見合わせ、酒場の外に出ると大通りに馬に乗った何人かの兵士がいた。

馬の鎧に刻まれた紋様はシェードラン大公家のものだ。


 彼らは村人たちに「大至急の要件だ! 退けい!!」と怒鳴りつけるとコーンゴルドの城に向かって駆け出していく。


 只ならぬ雰囲気だ。

何か大変なことが起きたのかもしれない。


「俺は城に戻る。お前も後で来てくれ」


「ええ、部下に集まるように指示を出したらすぐに行くわ」


 ウェルナーはアーダルベルトに頷くと駆けだす。

嫌な予感がする。

何かとても大変なことが起きる。

そんな気がするのであった。


※※※


 私たちはコーンゴルドに戻るとすぐに異変を感じた。


 何やらコーンゴルド全体が物々しい。

衛兵たちは忙しそうに駆け回り、村人たちが食料が入った袋などを集めて回っている。


「……何かしら?」


 ミリが眉を顰める。


 この感じ、少し4年前に似ている。

あの時と違い、敵に襲撃をされているわけではないが言葉では表しがたい”戦い”の雰囲気を感じるのだ。


 城の方から馬に乗った兵士たちが駆けてきた。

彼らは通りに居る人々に「退け!!」と乱暴に言い放ち、大通りを駆け抜ける。


 私たちも慌てて通りの端に移動すると目の前を兵士たちが横切った。


「今の……本家の兵士?」


 ルナミアがそう呟く。

本家、つまりシェードラン大公家の兵士ということだ。

かなり急いでいるようであったがいったいどうしたのだろうか?


  エドガーが「とにかく、早く城に戻りましょう」と言い、私たちは頷く。

そして城に向かって歩き出そうとすると、城の方から私たちの方へと走ってくる姿があった。


 ユキノだ。

メイド服を着たユキノが珍しく焦った表情でこちらに向かって来る。

彼女は私たちの前まで来ると息を整え、「おかえりなさいませ」と頭を下げた。


「ユキノ、いったいどうしたというの? さっきのは本家の兵士に見えたけれども……」


 ルナミアの問いかけにユキノは深刻そうに首を縦に振った。


「先ほど、シェードラン大公家より火急の知らせが御座いました。ディヴァーンの大軍がアルヴィリアに侵攻を開始したのです」


 私たちは息を呑む。


 ディヴァーン朝。

アルヴィリアの東に存在する大国。

過去にアルヴィリアに侵攻をしたことがあり、その後も何度も小競り合いを繰り返していると聞いていたが……。


「既にディヴァーンは国境を越え、キオウ大公領になだれ込んでいるそうです」


「な、なだれ込んでいるって……”大龍壁”はどうしたんだ!?」


 エドガーの言葉に私は首を傾げる。

そして隣にいるロイに小声で訊ねた。


「ねえ、ロイ。”大龍壁”って?」


「アルヴィリアとディヴァーンの国境にある凄い城壁のことだ。石造りの堅牢な長壁だって話だけど……」


「ディヴァーンがどのようにして”大龍壁”を越えたのかは分かりません。ともかく、旦那様がお呼びです。すぐに執務室まで来てください」


「……分かったわ。みんな、すぐに行くわよ」


 ルナミアが歩き出し、私たちもそれに続く。

ディヴァーンとの戦争が突然始まってしまった。

先ほどのレプリカの言葉を思い出す。

『もうすぐ、始まる』というのはこのことであったのだろうか?

私は差し迫る戦いの予感に不安を感じるのであった。


※※※


 ルナミア達が城の執務室に入るとそこには既にヨアヒム以外にもウェルナー卿やアーダルベルト、そして衛兵たちを束ねるガンツ戦士長が居た。


 ヨアヒムはルナミア達を見ると「おお、ルナミア、リーシェ。来たか」と言う。


「遅くなりました。ディヴァーンが攻めてきたというのは本当ですか?」


 その言葉にヨアヒムは頷く。


「先ほど兄上の兵士から知らせを受けた。ルナミア、お前が聞いた話は本当だ。ディヴァーンは既にキオウ大公領奥深くまで侵攻しているらしい」


「敵の規模は? 防衛は間に合うのですか?」


 ルナミアの質問に答えたのは父の隣に立つウェルナーだ。


「敵は約七十万。地平線のまで埋め尽くす大軍だそうです」


 その言葉に一同息を呑んだ。


 七十万。

それはとんでもない数字だ。

アルヴィリアが動員できる最大兵力は二十万だと言われている。

敵はその3.5倍もの戦力で攻め込んできているのだ。


「敵の中にはガッハヴァーン大帝の姿もある。大帝自ら出陣したということは敵は本気でこの国を亡ぼす気でしょう」


 ウェルナー卿の話に部屋の空気が重くなる。

嘗てアルヴィリアに攻めてきた時のディヴァーンの戦力は30万。

今回はそれを遥かに超える大軍勢で侵攻してきている。


 全員が沈黙する中、ヨアヒムが口を開いた。


「国王陛下から諸侯に対して直ちに出兵するようにとの勅令が発せられた。コーンゴルドからも出せるだけの戦力を明日には出す」


 「明日、ですか……」と呟いたのはガンツ兵士長だ。


「既に村人たちにも手伝ってもらって準備をしていますが、明日に出陣できるかといわれると……」


「ガンツ、無理は承知で頼む。俺や他の騎士たちも手伝おう」


「ご領主様や騎士団長様にそういわれては『無理です』なんて言えませんな。分かりました、どうにかしましょう」


 ヨアヒムは「すまない」と頭を下げると今度はアーダルベルトの方を見る。


「アーダルベルト殿、"薔薇の団"を此度の戦で雇いたいのだが、いかがかな?」


「ええ、勿論。傭兵にとって戦場は稼ぎ場。それにヨアヒム辺境伯には一宿一飯の恩義がありますから」


 ヨアヒムが頷き、「契約金については後ほど話そう」と言う。

そして隣にいるウェルナーの方を向く。


「さて、今回の出兵だがウェルナー卿、貴公が指揮を執ってくれぬか? 私は見ての通りもはや馬上で指揮することも能わぬ」


「……大役ですな。だがまあ、致し方ないでしょう」


 話が纏まりかけたところで突然ルナミアが手を上げた。

そして彼女は意を決したように力強く頷くと、こう言った。


「今回の出兵。私も参加させてください」


※※※


 私の言葉に全員が目を丸くした。


「ルナミアよ。旅や狩りとは違うのだぞ?」


 父は私の目をじっと見つめ、私もそれを見つめ返す。


「勿論理解しています。今回、私が参加する理由は興味本位などではなく、諸侯からの体面を保つためです。恐らく今回の戦いは諸侯は自ら出兵するでしょう。そんな中コーンゴルドだけ、大公家の分家だけが兵のみを出したとなれば白い目で見られるかもしれません」


 私は深呼吸をする。

それからウェルナー卿の方に向いた。


「戦の指揮は可能な限り補佐しますが、基本的にはウェルナー卿に一任します。私のことはあくまで旗印と思ってください」


 私の言葉に父とウェルナー卿が顔を見合わせた。


「俺は反対です! 危険すぎます!!」


 そう言ったのはエドガーだ。

彼はいつになく必死な表情で説得して来る。


「これは旅行や狩りじゃなくて戦争なんですよ! 戦いになればルナミア様をお守りしきれる保証はありません! どうか考え直してください」


 彼が本気で私を心配してくれているのが分かる。

だから、私は彼の肩にそっと手を置いた。


「ええ、分かっているわ。だから自分の身は自分で守ります。足を引っ張っていると思ったら見捨ててもいい」


「━━━━俺がルナミア様を見捨てるなんて事は絶対にありません」


 エドガーの言葉に微笑む。

それから再び父の方を見た。


「ディヴァーンは占領国に非道な行いをすると聞きます。今、戦わなくても後に結局攻められ、悲惨な末路を辿るぐらいなら……いえ、そうならないようにするために、愛する人たちを守るために戦わせてください」


「なら、私もルナと一緒に戦う」


「リーシェ……」


「まさか、私に残れって言わないよね? 私たちは二人で一人前。二人でコーンゴルドを守るって約束したでしょ?」


 一年前の指切りげんまん。

その時にずっと一緒だと約束したのだ。

ならば……。


「お父様。どうか私たち姉妹に出陣の許可を。このコーンゴルドを守らせてください」


 私たちは頭を下げる。

それを見た父は最初は険しい表情をしていたが、やがてため息を吐き、苦笑した。


「我が娘たちは知らぬ間に随分と逞しくなったようだ。ウェルナーよ、娘たちを頼めるか?」


「御息女たちはこのウェルナーが身命を賭してお守りいたします。ロイ、お前も今回の戦には参陣してもらうぞ。リーシェ様の護衛になれ」


「は、はい!」


「エドガーはルナミア様の副将となりお支えしろ」


「かしこまりました!」


 ウェルナーがその場で次々と指示を出し始める。

兵糧のこと、武具のこと、進軍経路のこと。

的確に指示を出す彼の姿を見て、私は次期当主として見習わなければと思った。


 用兵術等はそれなりに習っている。

だが知識があってもそれを実戦で活かせるとは限らないのだ。

この戦の中で彼から兵を指揮するということを学ばなければ……。


 ウェルナーが一通り指示を出し終えるとユキノが「さて」と言う。


「私も旅支度をしなければいけませんね。リーシェ様の着替えにルナミア様の着替え、それから……」


「あ、今回はユキノは留守番していてね?」


 リーシェの言葉にユキノが固まった。


※※※


 ユキノが信じられないものを見るような目でこちらを見てくる。

いや、そんな目をされても困る。


「今、リーシェ様が私に留守番をしろとかクソふざけたことをぬかしやがりましたが、聞き間違いですよね?」


「ううん。クソ真面目だよ」


 ユキノが無言で目の前まで迫ってくる。

怖い、怖いよ! 物凄い威嚇行為だよ!?


「と、とと様の傍にいて欲しいの。私たちが全員出陣しちゃうとコーンゴルドに誰もいなくなっちゃうでしょう?」


「他のメイドがおります」


「うん、でもユキノ以上に信頼できるメイドはいない」


 まっすぐにユキノの目を見ると彼女は少し目を逸らした。


「私を……信頼してくださるのは嬉しいですが……。あまり私のことを信用しない方が……」


「信頼する。絶対に信頼する。私はユキノを心から信頼している」


 普段表情を表に出さないユキノがかなり動揺した。

私はこの口の悪いメイドを心から信用している。

彼女には何か隠し事があるのかもしれない。

だがそんなものは誰にだってある。

大事なのは隠し事をしていることではなく、その人の心だ。

私は、ユキノの心、内面が好きなのだ。


「そんなユキノだから私は今回はとと様の傍にいて欲しいと思っている」


 とと様の病状はかなり良くない。

考えたくないが”何か”が起きたとき、ユキノならば最善を尽くしてくれるであろう。


 私の思いが伝わったのかユキノは静かに首を縦に振って「分かりました」と言う。


「……そこの赤毛。私が守れない分、リーシェ様をちゃんとお守りしてください」


「ああ、勿論だ!」


「あと、私がいないからと言ってリーシェ様に手を出したら……どうなるか分かりますよね?」


「安心してユキノ。リーシェに手を出したら誰であろうと私が吊るすわ」


「そんなことしませんって! ちょっと! なんですかその目は!!」


 みんなが笑う。

先ほどまで重苦しい雰囲気であったが、少し明るくなれたかもしれない。


「ところで、お嬢様方は武具をお持ちで?」


 そうウェルナーが訊ねるとルナミアが頷く。


「ええ、それなら良いものがあるわ」


※※※


 私はルナミアとユキノに連れられて地下の武器庫へと向かった。


 武器庫に入るとユキノがすぐにランタンに明かりを灯し、暗かった武器庫が明るくなる。

武器庫には槍や剣、鎧などがたくさん並べられており、どれもしっかりと手入れがされていた。


 ルナミアは「ああ、あった」と言うと武器庫の奥に布で覆われている何かに近づく。

そして布を取り払うとそこには二つの鎧があった。


 女性用の鎧だ。

一つは肩から腰に掛けてプレートで覆われており、腰から下はロングスカート状になっている。

もう一つは片方よりも軽装で胸当と肩当があり、胴は黒の布の下の鎖帷子で守られている。


 たしかこれは……。


「儀礼用の鎧よ。諸侯との模擬戦用に用意してたものだけれども本当の戦に使うことになるとわね……」


 ルナミアがそう言うとユキノが鎧を興味深げに眺めた。


「ふむ。どちらもとても質の良い鎧ですが実用面ではどうなのでしょうか?」


「あくまで儀礼用だからねぇ……。でも無いよりはマシよ。それに旗印って意味ならこういう派手な奴の方がいいと思わない?」


 確かに。

この鎧を着て戦場にいたら目立つし、物語に出てくる女騎士のようでいいかもしれない。


「私、この軽いほうがいい」


「そういうと思ったわ」


 私の戦い方からして身軽なほうがいい。

防具は最低限にし、機敏に動けるようにしたい。

だから私は胸当と肩当の鎧の方を選んだ。


「それじゃあ、さっそく着てみましょうか?」


※※※


 鎧を一人で着るのは思ったよりも難しく、固定用のベルトが上手くしめられなかったり、留め具を間違えて着けてしまったりというミスを繰り返した。

途中でユキノに何度も手伝ってもらい、どうにか着ることができたが自分で全部できるようにしなければ……。

戦場で鎧を脱ぐことは殆ど無いだろうが、もし脱いでいるときに敵襲を受け、鎧を着るのに手間取っていたら致命的だ。


「ふふ、ピッタリじゃない! エドガーのお父様はいい腕をしているわ!」


 ルナミアが鎧を身に纏い、その場で一回転する。

それによりスカートがふわっと上がり、その姿はまさしく鎧を着たお姫様だ。


「去年の鎧だから着れなかったらどうしようかと思ったけれども、余裕を見て造ってくれたのね。リーシェ、そっちはどうかしら?」


「ん? 私?」


 自分の姿を見る。


 悪くない。

鎖帷子が重く感じるがプレートメイルよりはマシだろう。

これならば戦場でも問題なく動けるだろう。

ただ、ちょっと……。


「……胸が」


「きついのですね?」


 ユキノが真顔で聞いて来る。


「う、うん。去年なら大丈夫だったかもしれないけれど少しキツ……あ」


 ルナミアが自分の胸をじっと無表情に見下ろしていた。

しまった! この手の話は義姉の前ではしてはいけないのであった!


「……もしかして、余裕を見て造ってあるんじゃなくて、私が成長していないだけ?」


 ルナミアが何か小声でつぶやいている。

どうしよう。触れるべきか無視するべきか。

そう考えているとユキノが「では」と手をポンと叩いた。


「お二人とも鎧を脱いでください。着るのは一人で出来なくても鎧を一人で脱ぐぐらいはできるようになりましょう。ちなみに一人でできるようになるまでここから一歩も出すつもりはありませんので、悪しからず」


 ユキノの言葉に私たちは苦笑し、鎧を脱ぎ始めた。

そして脱ぐのもかなり苦労し、結局武器庫から出れたのは日が沈んだ頃であった。


 私たちは今日一日で思い知った。

もう、ユキノに何かを教わるのは止めようと。


※※※


 その日の夜は村や城の従者たちが総出で出陣する兵士たちのために料理を作った。


 昼間に狩られた大猪を村の女たちが捌き、ステーキとして振舞われる。

出陣の準備を終えた兵士たちは続々と村の広場に集まり、その日はまるで祭りのように騒いだ。

それは迫りくる戦いへの不安を消すためか、もしくは昂ぶりをおさえるためか。

兵士たちは村の女たちと踊り、酒を飲む。


 コーンゴルドの城でも一段と豪勢な食事が出され、ウェルナー卿を始めとした騎士たちやアーダルベルト、そして教会の神父も食卓に呼ばれた。


 みんな、明るく振舞っているがその表情に僅かに緊張の色がある。

それも当然だ。

これより起きる戦いはアルヴィリア史上最も大きく、苛烈な戦いになるかもしれないのだ。

だがそれを表には出さない。

今までと同じように、明日もまた、皆で食事をとるのだという風に歓談する。


 そして村も城も出陣前の祭りを終え、コーンゴルドの人々は翌朝を迎えた。


※※※


「これが護身用のナイフ。で、剣の方は研ぎなおしておいた」


 早朝、コーンゴルドの城の近くにある鍛冶屋でエドガーは父から装備を受け取っていた。

出陣が急遽決まってから父が装備の点検をさせろと言ってきたのだ。

結局昨日は祭りに参加することもせず、徹夜で鎧や剣を打ち直していたらしい。


 装備を息子に一通り渡し終えるとエドガーの父は「それにしても」と鎧を着た彼をまじまじと見る。


「本当に騎士になっちまうんだもんなぁ……」


「最初はすぐに泣いて帰ってくると思ったか?」


「ああ、そりゃあもう。お前なんかが騎士になれるはずがないと思っていたさ。だが、人生とは面白いもんだな。鍛冶屋の息子が騎士になっちまったんだから」


 「見てろよ! 次は騎士団長だ!」とエドガーが言うと彼の父は「おう、ここまで来たら目指してみろ!」と笑った。

それからお互いに暫く見つめ合い、無言になる。


「……お袋は?」


「あいつは……出兵の時に見送るってよ。いまお前の顔を見ちまったら止めてしまうかもしれんと言っていてな」


「…………そうか」


 エドガーは母がいる部屋の方を向く。

最後に母と話したかったが、顔を合わせるとかえって心配を掛けてしまうかもしれない。

ならば母の気持ちを汲み取り、別れの挨拶はしないでおくべきであろう。


「お前は俺たちの自慢の息子だ。しっかりと務めを果たしてこい」


 父の言葉にエドガーは頷く。


「今度の戦いは多分とても激しいものになる。無事に帰ってこれる保証はない。だから、保証がないのにこんなことは言ってはいけないかもしれないが……。親父、俺は必ず帰ってくるよ」


「ああ、帰ってこい。帰って来たら一緒に酒を飲もう。よくよく考えたらお前と二人で酒を飲みに行ったことがないからな」


「もう年だから飲みすぎるなよ」


 そうエドガーが言うと父は「うるせえ」と笑う。

お互いに力強く頷くとエドガーは父に背を向けた。

そして鍛冶屋のドアに手を掛け、最後に振り返る。


「それじゃあ、行ってきます!」


※※※


「よし! これで、と」


 ロイは目の前にある墓を掃除し終えると片膝を付いた。

墓には彼の父と母の名が刻まれており、ロイは墓石に優しく触れる。


「親父、母ちゃん。俺、ついに戦に出るんだぜ? 親父は戦なんかに行くなって怒るかな? 母ちゃんは応援してくれるかな?」


 ロイは微笑む。


「まだ従騎士で一人前からは程遠いけど俺、頑張るよ。この国を、コーンゴルドを、アイツを守る。戦いは怖いけれども、こう見えて結構訓練は積んできたんだ。どんな状況でも冷静さを失わずに、必ず生きて戻ってくる」


 ふと顔を上げる。

墓があるのは城のすぐそばにある教会だ。

そこから朝日がゆっくりと昇るのが見えた。

その光に目を細めながらロイはもう一度墓石の方を見る。


「そろそろ行かないと。暫くは墓参りできないけど、神父様に手入れしてもらうように頼んでおいたよ」


 ロイは立ち上がる。

そして拳を力強く握りしめると頷いた。


「じゃあ、行ってきます!!」


※※※


 コーンゴルドの城の前には兵士たちが集結していた。

その数は五百ほど。

城の守備兵百人を残し、ほとんどが今回の戦いに参陣することになる。


 そんな兵士たちの前には馬を連れたルナミアとウェルナー卿がおり、私はロイやエドガーと共にそのすぐ後ろに並んでいる。


 城の方からユキノに支えられたとと様が現れる。

それを見るとルナミアとウェルナー卿が背筋を伸ばし、それに私たちも倣う。


 とと様は兵士たちを一望するとゆっくりと頷き、口を開いた。


「皆、よく集まってくれた。既に知っているであろうが隣国ディヴァーンがアルヴィリアに対して侵攻してきた。その数は約七十万、かつて見たことが無いほどの大軍だ。恐らく諸君らには熾烈な戦いが待ち受けているであろう」


 兵士たちに緊張が走る。

七十万。

あまりにも数が多すぎてどのような軍勢なのかが想像がつかない。


「諸君らの中には23年前のディヴァーンとの戦いを経験した者もいるであろう。奴らは残忍で容赦が無い。この戦いで負ければ国は蹂躙され、滅亡する。このような大戦に自ら参戦し、指揮できないことを非常に悔しく思うが、心配はしておらん。なぜならばこの国には諸君らがいる。私が全幅の信頼を寄せているウェルナー卿がいる。そしてまだまだ若いが人一倍聡明で決断力のある我が娘たちがいる」


 とと様はルナミアの方を見て頷き、彼女はそれに頷きを返すと一歩前に出てから兵士たちの方を見た。


「今回の戦い、父に代わり私、ルナミア・シェードランが総大将として指揮を執らせてもらう。皆はこんな小娘が総大将で大丈夫かと心配でしょう。だから、今、ここに女神に誓う。私は父の代わりを見事に果たし、皆の不安を払拭し、そして戦いに勝ち、再びこのコーンゴルドに帰還させると! そのためにも、どうか! この若輩の身に力を貸して!!」


 朝日に照らされ宣誓する義姉の姿は幻想的であった。

まるで物語のようなその光景に兵士たちは息を呑む。


「ウィリアム・ウェルナー! ルナミア様に忠誠を誓い! 必ずや勝利をお届けいたしましょう!!」


 ウェルナー卿が跪き、それに続いて騎士たちが跪く。

私もロイと共に片膝を付いて姉の顔をじっと見つめた。


「我ら、コーンゴルドの兵士一同! ルナミア様をお守りするとここに誓います!!」


 ガンツ兵長がそう大声で言い、それに兵士たちも鬨の声を上げる。


 その光景を見た義姉は少し安心したように笑みを浮かべると、とと様の方を向く。


「それではお父様。行ってまいります」


「うむ。存分に手柄を立ててこい。シェードラン辺境伯家の力を諸侯に見せつけてやれ」


 ルナミアが自分の馬に跨り、それに騎士たちが続く。

そして彼女は剣を引き抜くと天へと掲げた。


「行くぞ! コーンゴルドの勇士たちよ!! これより、出陣する!!」


「おお!!」


 私たちは力いっぱい鬨の声を上げる。


これから始まる戦いへ己を奮い立たせるため。

再びこの地へ戻るという誓いを立てるため。

私たちは天へと向かって大声を上げた。

 


 アルヴィリア歴998年、春。

コーンゴルドの城よりルナミア・シェードラン率いる辺境伯家の軍が出陣するのであった。


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