転星の章 

~海鳥の町・ベルファ編~

第1節・コーンゴルドの二姫


 エスニア歴997年。


3年前に起きた”コーンゴルドの悲劇”は大陸全土を震撼させた。


 かつて大陸の大半を支配し、滅びたヴェルガの残党が突如現れ、コーンゴルドの城を強襲したのだ。

この襲撃は城の兵士たちの奮戦により退けられ、どうにか勝利をしたが多くの犠牲者が出た。


 ヴェルガの再来。

それはエスニア大陸、特にアルヴィリア王国内で多くの人々に不安と恐怖を与えることになる。


 国王であるゲオルグ・アルヴィリアは事態を重く見て、五大公に徹底した帝国残党の調査と殲滅を命じるが”コーンゴルドの悲劇”以降、帝国残党の足取りを掴むことはできなかった。

こうした事情もあり、王国内の反ゼダ人感情はさらに強まり、各地で激しい弾圧が生じるようになる。


 またそれに便乗する形で人間至上主義が台頭し、その勢いに乗って五大公の一つであるメフィル家が勢いを増長させる。


 国内に潜むヴェルガの影。人間至上主義台頭による亜人種との対立。メフィル家とそれを抑えようとするシェードラン、オースエン家の政治的争い。


 表面上は穏やかであるがアルヴィリア王国はその繁栄に影を落とし始めていた。


 一方エスニア東部でも大きな変化が生じていた。


 大陸東部の大半を支配するディヴァーン朝と長年敵対していた大陸東端の国、ジン国が激突。

後にオルア会戦と呼ばれる決戦でジン国が大敗を喫し、勢いに乗ったディヴァーンが宿敵に止めを刺さんと大侵攻を始めた。


 女神による大陸創生から千年を迎えようとしている中、エスニアは動乱の時代へと移り変わろうとしていた。


※※※


 一面の緑。

なだらかな丘が広がり、時折吹く風によって草木が緩やかに揺れる。

その様はまるで緑の絨毯であり、夏の暑さの下、様々な生き物たちが活発に動いている。


 そんな草原にある林から一つの姿が飛び出した。


 それは白馬に乗った少女である。


 肩の下まで伸びた黒い髪をツインハーフアップにした少女は草原を颯爽と駆けると時折背後を振り返る。


 彼女から僅かに遅れてもう一つの姿が飛び出してきた。


 そちらは栗毛の馬に乗った褐色の少女だ。


 腰まで伸びた銀の髪を風に靡かせ、彼女は前方を走る少女を追いかける。


 二人の少女は夏の暑さに汗を掻きながら巧みに馬を操り、片や追い付かれまいと、片や追い付こうと駆け抜けていた。


※※※


(これは……追い付けないかな……?)


 乗馬しながらそう私は思った。


 前方を掛ける義姉との距離は結構あり、今から追い付くのは難しいだろう。

先ほど林に入ったところで木の根を警戒して減速したのが良くなかった。


 ルナミアはあそこを躊躇わず一気に駆け抜けたのだ。


「リーシェ! もう諦めたのかしら!」


 ルナミアが前方からそう声を掛け、わざとらしく減速した。

ちょっと腹立つ。


 まだ自分の馬には余力がある。

ゴールまでのこの一直線で勝負に出るしかない。

そう判断すると私は鞭で馬を叩き、加速した。


 それを見るとルナミアは「そうこなくっちゃ!!」と己の馬を加速させる。


 遠くに一本の大木が見えてきた。

あれがゴール地点だ。


 どうにか義姉の背後につくと追い抜こうとするが義姉は上手く馬を動かし、私を前に出られないようにする。

そして結局彼女を追い抜くことが出来ず、大木に到着した。


※※※


 大木に到着するとルナミアは直ぐに馬を止めた。

それから「まずは私の勝ちね」と言うと下馬し、鞍に括り付けていた訓練用の剣を取り出す。


 私も馬を止め、飛び降りると同じく鞍に括り付けていた訓練用のショートスピアを手に持つ。


「次で勝つよ」


「あら、私に勝てるかしら?」


 ルナミアが剣を構え、私も槍を構えた。


 そしてお互いに間合いを取り合う。

もう何度もこうやって手合わせをしているのだ。

相手の癖や動きは大体理解できる。


 先に動いたのは義姉だ。


 一気に距離を詰めてきた彼女は高速の連続突きを放つ。

それを私は冷静に槍の穂先で弾くと、逆に今度はこちらから踏み込んだ。


 胴を狙った一突き。

義姉は容易くこちらの攻撃を避けるが、そのまま槍の柄を両手でつかみ、腰を基軸にして横へ薙ぎ払う。


 ルナミアはそれを剣で受け止め、あえて足を浮かせることで私の攻撃を利用して距離を取った。

そして着地と同時に再び前方に跳躍する。


 一直線に来たルナミアを迎え撃とうと槍を構えるが、彼女はこちらの間合いのぎりぎり外で着地すると横へ飛んだ。

そしてこちらの右側面に回り込むと首目掛けて斬撃を叩き込んでくる。


「あぶ……っ!?」


 槍の向きを咄嗟に縦に変え、義姉の攻撃を受け止める。

当然これで終わりではない。


 彼女はこちらに蹴りを叩き込み、それによって私は後ろへ転がってしまう。


 止めを刺さんと突っ込んでくる義姉に対して私は地面を一回転するとすぐに起き上がり、文字通り投げ槍をした。


「!!」 


 義姉はそれを剣で弾くが、私はその隙に飛び蹴りを放つ。


 ルナミアはカウンターに近い蹴りをどうにか剣で受け止めるがそのまま二撃、三撃と蹴りを叩き込む。

そして四撃目の蹴りを放つと、義姉は大きく仰け反った。


(とった……!!)


 腰を落とし放つのは正拳突き。

それを義姉に向かって容赦なく叩き込もうとするが……。


「はい、残念」


 仰け反った際に一回転したルナミアはそのまま私の腕を掴み、投げた。


 空中で一回転。

空と地面がぐるりと回り、そして私は地面に背中から落ちた。


※※※


 辺境伯の娘たちが模擬戦する姿を丘から二人の男たち馬に跨りながら見ていた。


 一人は金髪の癖っ毛の青年。

今年、正式に騎士になったエドガーだ。


 その横に立つのは赤毛の青年で、従騎士のロイである。

ロイはリーシェがルナミアに投げ飛ばされるのを見てやや呆れたようにエドガーに話しかける。


「なあ、うちのお嬢様方。護衛が必要か?」


「黙れ」


「ルナミア様とか絶対お前より強いだろう」


「ええい、黙れ! ルナミア様がお強いのは良いことではないか!」


「でもなぁ。ああも強いと俺らの立場がないというか……」


 三年前の事件以来、あの二人のお嬢様方は父親であるシェードラン辺境伯やウェルナー卿の下で鍛錬を続け、見る見る力を付けていった。

特にルナミア・シェードランの方はもともとあった才能を開花させ、並大抵の騎士ならば剣で圧倒できるほどになっている。


「余計なことは考えるな。主が強いのであれば俺たちもさらに強くなればいい」


「……なれるかねぇ」


  ロイが守りたいのはリーシェであるから彼女よりも強くなることが目的だ。

だがエドガーはルナミアの騎士になる予定なので、ロイよりも遥かに大変だろう。


「それに、騎士の強さは剣の腕だけではない。何事にも折れない心、強大な敵に立ち向かう勇気。そして━━━」


「どんな理不尽にも屈しない正義、だろ?」


 ロイの言葉にエドガーは口元に笑みを浮かべて頷く。


「お前もウェルナー卿の下で鍛錬を積んでいるんだ。きっと強くなるさ! この俺のようにな!」


「いや、お前。結局三年間実戦に出てないじゃないか」


「う、うるさい! 少なくともお前よりは強い!!」


 「従騎士相手に粋がるなよ」と他愛もない話をしているとルナミアが転がっているリーシェの方に近づいていくのが見えた。


 大の字になって草原に寝転んでいるリーシェを見て、ロイは「本当に、もっと強くならないとな」と呟く。


※※※


 空を流れる雲を見ながら私は「あー……」と脱力した声を出した。


 疲れた。眠い。そうだ寝よう。

次に起きたら城まで戻っているかもしれない。

きっと今日の敗北は夢で、実はこれから馬の競争をしたり、模擬戦をしたり……。


「これで167戦中167勝ね」


「ですよね」


 姉がこちらの上に立ち、笑顔で顔を覗き込んでくる。


 今日こそは勝つと思っていたのだが、やっぱり負けた。

私がこの超人に勝てる日は来るのだろうか?


「でも、貴女もかなり強くなったわ。もう手を抜いていられなくなったもの」


「ほう、今まで手を抜いていたと?」


「ええ、半年前くらいまでは」


 傷つくわー。


 こっちは毎度本気なのに半年前まで手を抜かれていたのか。

いや、むしろ義姉の本気を引き出せるようになってきたと喜ぶべきなのだろうか?


 起き上がると体を伸ばし夏の空気を肺一杯に吸う。

そしてゆっくりと息を吐くと隣に座ったルナミアの方を見る。


「今日は午後からおじ様来るんだっけ?」


「ええ、前に頼んでいたことでね。どうやらどこにあるか見つけてくれたみたいだから」


 あの事件以降もヘンリーはちょくちょく城に遊びに来てくれた。


 城に来るたびに冒険譚と土産を持ってきてくれてちょっとした楽しみになっている。


 私とルナミアが付けているイヤリングもヘンリーが買ってくれたものだ。

ルナミアの耳には月のイヤリング。私の耳には太陽のイヤリングだ。

本当は性格的に逆の方がいいんじゃないかと思っていたのだがルナミアが自分は月がいいと言い張ったので太陽の方を選んだ。


「さて、そろそろ帰って少し水浴びしましょう? 汗臭いままおじ様に合うのは恥ずかしいからね」


「ん、分かった」


 義姉が立ち上がり、自分もそれに続く。


 遠くの方を見ればエドガーとロイが自分たちの馬を引いてこちらに向かってきているのが見えた。

ルナミアは彼らに「おーい」と手を振り、二人はそれに一礼を返す。


 そして私たちは合流し、馬に乗って丘の上の故郷に戻るのであった。


※※※


 あの悲劇から三年。


 領主ヨアヒムの尽力や周辺諸侯の手助けもあり、コーンゴルドの村はすっかり再興を果たしていた。

村の中心部にはコーンゴルドを救った英雄ウィリアム・ウェルナーの銅像が建てられ、過去の反省から村を覆う柵の強化、コーンゴルドの城は石壁で覆われるなどの工事が進められている。


 また意外なことにも村人の数は減るどころか増えていたのだ。

これはアルヴィリア王国内で亜人種等の弾圧が強まっている中、コーンゴルドはその弾圧が無く、亜人種たちにとって住みやすい環境になっているからである。


 各地からエルフやドワーフ等が流れつくようになり、一時は昔から住む村人との対立もあったがヨアヒムが彼らの間に入り、ドワーフの鍛冶技術、エルフの薬学などと村に貢献する形で取り入れた。

今では人口増加により村の中では土地が足りないため、村を守る柵の外にも家が建つようになり、それはそれで問題になり始めていたりする。


 またもう一つ変化が生じていた。


 それはヨアヒムの娘、リーシェ・シェードランに対する村人の態度である。


 あの事件の際に己の義姉やロイを身を挺して庇ったことは瞬く間に村中に広がり、彼女の勇気ある行動を讃え、態度を軟化させる人々が一気に増えた。

今ではリーシェが村を訪れると村人たちは笑顔で出迎えるほどであった。


※※※


 私たちは屋敷に戻ると軽く水浴びをし、服を着替えた。


 それから私たちを待っていたユキノと一緒にとと様の寝室へと向かう。

既にヘンリー叔父様は屋敷に来ているらしく、とと様の寝室にいるらしい。


「……ところで、まえに行商人が来た時に買った服。あれ、気に入らなかった?」


 廊下を三人で歩いているとそうルナミアが話しかけてくる。


「ええっと、あれは……」


 気に入らなかったわけではない。


 義姉が選んでくれた服は私好みであったし、すぐに試着してみたのだが……。


「もしかして、着れなかった? 私たち背丈はほぼ一緒だから着れると思ったのだけれども……」


 いや、違うんです。

確かに丈は全然問題は無かったんです。


 どう言おうかと悩んでいると後ろを歩いていたユキノが「ああ」と言い、ポンと手を打った。


「胸がキツかったのですね?」


 義姉が止まる。

そして三人とも立ち止まる。

廊下を包んだ静寂に気まずくなり、私は思わず義姉から目を逸らした。


 ルナミアは目を丸くしてまず私の胸を見てそれから自分の胸を見る。


「ルナミア様の美貌は同性でありながら惹かれるほどのものではありますが、ミスア平原の如き━━━━」


「ユキノ、ストップ!」


 私が慌ててそういうとユキノは「失礼いたしました」と丁寧に頭を下げる。

いや口元笑ってるぞ。見えてるぞ。


 対して義姉は極めて平静を装っているが僅かに眉をひくつかせながら「そうよね。姉妹だもの。体型の差異は当然出るわよね」と言う。

それからマジマジとこちらを見ると「同じものを食べているはずなのに……」と見てきた。

恥ずかしいのでやめていただきたい。


「まあ、いいわ。今度から貴女の体に合った服を買ってあげる」


「くれぐれも自分で試着しないように。いろいろと精神的な傷を負いかねないので」


 ルナミアが手刀を放ち、ユキノがそれをしゃがんで避けた。

それに「く!」とルナミアは少し悔しがるとため息を吐く。


「まったく、貴女の口の悪さが妹に悪影響を及ぼさなければいいけど」


「その点は大丈夫かと。リーシェ様は私を反面教師としているはずですから」


 よく分かったね。その通りだよ。

というか自分が反面教師になっていると理解しているならもう少し改善しようね?


「とにかく、早くお父様の部屋に行きましょう?」


 ルナミアの言葉に頷き、私たちはとと様の部屋へと歩き出した。


※※※


  とと様の寝室の前に辿り着くとユキノが一歩前に出て「お嬢様方をお連れしました」とドアをノックした。

それからドアを開けるとルナミアと一緒に入る。


 寝室にはベットの上に腰かけたとと様とその前で椅子に座るヘンリーが居た。


 とと様の髪はすっかり真っ白になってしまい。体は昔よりもやせ細っている。

昨年くらいから長年の無理がたたったのか病に掛かってしまいそれが治らないでいる。


 彼は私たちを見ると優しく微笑み「さあこちらに来なさい」と言った。

それから椅子に座っていたヘンリーがこちらを振り向き、ぱっと笑顔を浮かべる。


「おお、お二人とも! また見ぬうちにすっかり綺麗になられましたな! もう立派な大人の女性だ」


「もう、おじ様。前に会ってから半年しか経ってませんわ」


 そうルナミアが言うとヘンリーは「いやいや、お二人くらいの年はまさに成長期! 少し見ない間に変わるものですよ」と笑う。


 私たちがユキノの用意した椅子に座るととと様が「それで、今日はどうであった?」と私に聞いてくる。


「また負けた。とと様、勝ち方教えて」


「勝ち方か? うーむ、真っ向勝負で勝てないのであれば弱点を突く。そうだな、相手が嫌がる行動で注意を逸らすなど良いぞ」


(ルナの弱点かぁ……)


 そういえばウネウネしたものが嫌いだと前に行っていたような気がする。

今度蛇でも投げつけてみるか。


「……何を考えているのか分からないけど、やったら後が怖いわよ」


 やっぱりやめておこう。


「それで、話は変わりますけど。叔父様、例のものは?」


 そうルナミアがヘンリーに尋ねると彼は頷く。


「万病に効くミカヅチの秘薬ですな。ベルファの友人に取り寄せてもらいましてな。明日ここを発って取りに行く予定ですよ」


 ミカヅチの秘薬と言うのは以前からルナミアがヘンリーに探すように頼んでいたものだ。


 遠くの島国。

ミカヅチの国でのみ作られる秘薬で、あらゆる病気に効くという。

とと様の病気が一向に良くならないため多少高くても手に入れようとしているのだ。


「ふむ、その薬。かなり価値があるものではないか? 私のためにあまり高いものは……」


「お父様! 健康のためにお金をケチってはいけません。お父様が健康になられることは薬なんかよりも遥かに価値のあることなのだから!」


「そうだよ。とと様が元気にならないと村の人たちも心配になる」


 娘二人に強く言われとと様は「う、うむ」と頷いた。

そんな私たちの様子にヘンリーは「愛されてますなぁ」と頷き、「値段のことなら大丈夫ですよ」と言う。


「その友人にはいくらか貸しがありましてね。その貸しを返してもらいますよ」


 ヘンリーがそういうとルナミアは「ベルファか……」と呟く。


 ベルファの町。


 シェードラン領の南に位置する港町であり、昨今では王国最大の交易都市エルダルタが亜人種迫害をしていることもあり、亜人種系の商人たちが滞在するようになった。

これにより皮肉にも町は繁栄し、今ではエルダルタに続いてアルヴィリア第二の交易都市と化しているという。


「お父様、私たちもベルファの町に行ってもいいかしら」


 そういうととと様とヘンリーは「なんと」と目を丸くする。


「私たちももう十五よ? そろそろコーンゴルドの外に出て色々と学ぶ時期だと思うの」


「う、うーむ。確かにいつまでもこの城に閉じ込めておくのも、とは思っていたが……」


 とと様がなぜ心配しているのかは分かる。


 可愛い娘たちを旅に出させたくないのもあるだろうが、三年前のことが心配なのだろう。


 あれから死霊騎士団は姿を消したがまたいつ現れるか分からない。

コーンゴルドの中なら衛兵たちで守れるかもしれないが、外に出るとそうもいかなくなる。


「ベルファまで馬車で五日くらいよ? 往復で十日。お忍びでベルファに滞在するつもりはないから、そんなに長い旅ではないわ」


 ルナミアはとと様を説得するが、とと様は「いや、しかし」と渋る。

ルナミアが更に説得を続けようとした時、意外なところから援護が来た。


「ロイ様やエドガー様を護衛につけてはいかがでしょうか? 要人護衛の訓練にもなりますし。あと勿論私もお嬢様方のお世話をするためついていきます」


 ユキノだ。


 先ほどまで後ろでずっと黙っていたユキノがそう助け舟を出した。

ルナミアは嬉しそうに笑顔を浮かべ頷く。


「そうね! エドガーはもう一人前の騎士だし、ロイも見込みがあるってウェルナー卿が褒めていたわ。それにユキノもいれば護衛として十分よ!」


 そう義姉が力説すると、とと様は暫く考えそれから諦めたようにため息を吐く。


「ヘンリーよ。娘たちのことを頼めるか?」


「ええ、勿論。全力でお守りいたしますよ」


 隣でルナミアが「よっし!」と喜ぶ。


 旅か。


 そういえば私はコーンゴルドから出たことが無かった。

村の外のことはヘンリーの話の中だけでのことであったので、内心ワクワクしている。

明日から約十日間、楽しい思い出作りになりそうだ。

そう思いながら「リーシェ、旅行よ! 旅行!!」とはしゃぐ義姉を見るのであった。


※※※


 翌朝。


 まだ太陽が昇りかけているころ、私たちは城の正門に集まっていた。


 正門には幌馬車が泊められており、既にユキノとエドガーが荷物を運び入れている。


ユキノはいつものメイド服ではなく旅装を身に纏っており、なんだか新鮮に感じる。


 私は頭巾を被りその様子を見ていると屋敷の中から食料の入った麻袋を持ったロイが出てくる。

彼は此方を見ると一瞬目を丸くし、それから半目になった。


「いや、それなんだよ」


「狐」


「いやいや、狐なのは分かるけど何でお面しているかってことで……」


 そこまで言って彼は「ああ……」と察する。


「逆に目立つぞ、それ」


「あ、やっぱり?」


 最近はゼダ人への迫害が強まっている。

顔を隠そうと思ったがやっぱり止めよう。


 私は仮面を幌馬車の中にある木箱に仕舞うと馬車の荷台に腰かける。


「ロイは村の外に出たことある?」


 馬車の荷台に上がり、荷物を置いているロイに話しかけると彼は「いや」と首を横に振った。


「親父もお袋も、じいちゃんもばあちゃんもコーンゴルドから出たことなかったらしいから俺も当然出たことないよ」


「じゃあ、二人で初旅行だ」


 そういうとロイは「ばっ!?」と何故か顔を赤くした。

今の会話で顔を赤くする場面があっただろうか?


「俺たち以外にも一緒に行くだろうが!」


「でも初めては私たちだけだよ?」


「いや、そういう意味じゃ……ああ、もういい! お前はそこで大人しくしていろ!」


 そう言うとロイは馬車から降りてしまい、屋敷の方へと向かう。

そんな彼の背中を首を傾げながら見送ると半目でこちらを見ているユキノと目が合った。


「どうしたの?」


「いえ、少々リーシェ様の将来が不安になりまして。もしかして物凄い悪女が生まれるのではないかと」


 失礼な。

私に悪女要素は無いはずだ。きっと。


 「自覚無いのはたちが悪いですね」とユキノが一人で納得していると今度はルナミアがやってきた。


 自分と同じように頭巾を被り、村娘風の格好をした義姉はその両手に布に包んだ長いものを二つ持っている。


「ほら、これ」


 ルナミアに細長い何かを手渡され、布を解いてみると中から短槍が現れた。

穂には綺麗な紋様が刻まれ、刃が朝日を反射する。


「お父様が念のためにって下さったわ。使うことは無いと思うけど護身用に、ね」


 ルナミアももう一方の布を解き、中からショートソードを取り出した。

そちらは柄に黒い皮を巻き、鞘から引き抜くと美しい白銀の刃が現れる。


「綺麗ね」


 そうルナミアはうっとりと目を細めるとエドガーが「ミスリルですね。うちの親父が打ったものです」と得意げに言う。


 ミスリルはガドア連峰で採れる希少鉱石だ。

鉄よりも軽いが鋼よりも硬い。

その希少性からアルヴィリアでは高名な騎士たちの武器や鎧に使われることが多いという。


(むう……私のは普通のかな……)


 自分の槍の穂を見るがこちらは普通の鋼のようだ。

自分の武器と義姉の武器を見比べるこちらにエドガーは気が付き苦笑した。


「ミスリルは滅多に手に入らないんで、申し訳ないですけどリーシェ様のは普通の鋼ですよ。でもうちの親父がリーシェ様用に真心を込めて打った奴なんで出来は保証します」


 それはなんとなくわかった。

鋭く、丁寧に研がれた刃からは作り手の気持ちが伝わってくる。

私はエドガーに「エドガーのとと様にありがとうって伝えて」と言うと彼は「親父も喜びますよ」と頷いた。


 それにしてもエドガーも自分に対しての態度が随分と変わったものだ。

あの事件以降、私を辺境伯の娘として認めてくれたらしく以前までのぶっきらぼうな感じではなく丁寧に接してくれるようになった。

正直最初はなれなくて「急にどうしたの!? 気色悪いよ!!」とか思ったが今はもう慣れた。


 私たちは武器を再び布に包むと御者台の方からヘンリーが「みなさん、そろそろ出ますよ!」と声を掛けてくる。


 私たちは幌馬車の荷台に乗り込み、全員が乗り終えるとヘンリーが「それじゃあ、行きましょうか!」と馬を歩かせ始める。


 テラスを見ればとと様とウェルナー卿がおり、私たちは「行ってきます!」と手を振ると二人は振替してくれた。

そして幌馬車が跳ね橋を渡り始めると衛兵のマイクが「皆さん! 行ってらっしゃい!」と見送ってくれ、私は生まれて初めての旅に出かけたのであった。


※※※


 ヨアヒムは娘たちを乗せた幌馬車が旅立つのを見送ると横からウェルナーに「行ってしまいましたな」と声を掛けられる。


「それにしても、良かったので? あのメイドやドワーフ、エドガー達もいますがお嬢様方をコーンゴルドから出してしまって」


「……私も悩んだ。娘たちの身を案じるのであればこの城から出すべきでないのだろう。だが、それがあの子たちにとって本当に良いことなのか。籠の中の鳥として一生を過ごすことが幸福なのだろうか? そう考えてしまってな」


 「それに」とヨアヒムは眉を下げる。


「私が逝ってしまった後に、外のことを知らない状態ではあの子たちも苦労するだろう」


「それは……」


 ウェルナーは何かを言いかけるが止める。


「自分の体のことは自分がよく分かっている。私はそう長くはない。だから、それまでいろいろなことを教え、体験させ、残してやらねばならぬのだ」


 ウェルナーは複雑そうな表情をした後、頷く。


「お前には苦労を掛けるな」


「主に苦労を掛けられてこその騎士ってもんですよ。それに若い騎士たちが育てば俺もさっさと引退して楽隠居しますよ」


 そう言うと二人で笑う。


 娘たちを乗せた幌馬車が村を出て小さくなっていく。

その姿が見えなくなるまで見送るとこう祈るのであった。


「この旅が娘たちにとって良い経験になることを。女神よ。あの子たちをお守りください」



 


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