第2節・紫陽花の踊り子


 旅に出る前。

私はいい思い出になるだろうと言った。

だがあれは訂正しよう。

現在進行形で私は大変な思いをしている。


 幌馬車での旅は思った以上に大変で、馬車が小石に乗り上げたり、道の窪みに入る度に上下に揺れる。

不慣れなその揺れに私はあっという間に気持ちが悪くなり、いろいろと人にはお見せできないような醜態を晒した。


 その日は夕暮れ前に村に着いたため、そこの宿屋に泊まった。

コーンゴルド以外の村に来たのは初めてであった為、本当は見て回りたかったのだが、危ないからダメとルナミアに言われた。


 小さな村の宿であったため、ベッドは寝心地が悪く、少し臭かった。


 翌朝、私たちは朝食を宿屋で済ませると村を発った。

初日で慣れたのか馬車に酔う事は無く、その日はのんびりと風景を楽しめた。


 一面に広がる麦畑は草原に敷かれた金色の絨毯のようで、その光景に目を奪われた。


 その日は日が暮れる前に村にたどり着けなかったため、川辺で野宿となった。


 ヘンリーが手慣れた手つきで焚き火を作り、その上に調理用の鉄鍋を乗せる。

それにユキノが斬った野菜等を入れてロイたちが汲んできた水を入れた。


 私とルナミアはユキノに手伝おうかと言ったが彼女は「食あたりで全滅は笑えないので結構です」と断った。

己の名誉のため言っておくが、私はルナミアよりは料理ができる。


 夜は皆んなでユキノが作った鍋を食べながらヘンリーが創作した詩を聞いた。

感想は満場一致で不評となり、ヘンリーはその日不貞寝した。


 3日目は特に何事もなく、夜は村の宿屋に泊まった。


 4日目。


 朝から雨が降り続け、薄暗い中を進み続けた。

途中車輪が泥濘に嵌って動けなくなるというハプニングも発生したが男衆が必死に馬車を押してどうにか脱した。


 なお、この事態を打開したのは男衆が押しても馬車が動かないのを見かねて車輪に強烈な蹴りを叩き込んだユキノである。


 そして、5日目。


 そろそろベルファの町が見えて来る頃にそれが起きた。


 突然ヘンリーが馬を止めたので、何事かと皆んなで前方を見ると派手な装飾の馬車が横転しているのが見える。

馬車の裏からは長いウェーブがかった水色の髪を持ち、露出の高い服を着た少女が飛び出してきた。

彼女は後から追いかけてきた覆面をつけた2人の男たちに髪を掴まれる。


「もう! 離してってばあー!! 見逃してくれたらイイことしてあげるから!!」


「黙れ、このアバズレ!! 大人しくしろ!!」


 ただ事ではない様子にエドガーとロイは顔を見合わせると頷き、馬車から飛び降りるのであった。


※※※


「おい! 何をしている!!」


 エドガーがそう怒鳴りながら剣を抜き、ロイもそれに続く。


 男たちは2人に気がつくと舌打ちし、少女を投げ飛ばした。

投げ飛ばされた少女は「ラッキー!」と倒れた馬車の陰に隠れる。


 エドガーは馬車の側に複数の男女が倒れているのを見て眉を顰めた。


「賊め……」


 エドガーが剣を構えると男たちも獲物を構えた。

一人は鉈を持ち、もう一人は手斧を持っている。

無造作な構えから大した訓練は受けてないことが分かる。


「ロイ、やれるな……」


「……ああ」


 背後にいるロイから緊張が伝わってくる。

彼にとって実戦は初だ。

緊張するのは当たり前だろう。


(まあ、俺も人とやり合うのは初めてだけどな……)


 三年前に亡者と交戦して以来だ。


 お互いに様子を伺い合い、牽制し合う。

そしてロイが水溜りに足をつけた瞬間、敵が突っ込んできた。


※※※


(来たッ……!!)


 ロイは敵が突撃してきたのを見るとすぐに迎え撃つ態勢に入った。


 自分に向かってくるのは手斧を持った方。

敵は力任せに斧を振り下ろし、それを剣で受け止める。


(重くはない! むしろ軽いけど……!!)


 別の意味で重かった。

訓練とは違う、明確な殺意を持った一撃。

それは刃を伝わって体に伝わり、全身に鳥肌がたつ。


 これが殺し合い。

騎士になるのなら、いずれは体験しなければいけないことだが……。


「どうして……人を殺すっ……!!」


 鍔迫り合いになっている敵の腹に蹴りを叩きこもうとしたが、背後に跳ばれて失敗する。


「なぜ、罪のない人を襲う!」


「ロイ! 余計なことを考えるな!!」


 エドガーの言葉に声を掛けられるのと同時に敵が再び飛びかかってきた。


「そんなもん! 生きるためだろうが!!」


※※※


 エドガーはロイが敵に押され気味なのを見て内心舌打ちした。


 あいつは真っ直ぐで優しいため余計なことを考える。

戦場で雑念を持つ事は自殺行為に等しい。

そうウェルナー卿に教わったし、それは正しいと思う。

故に。


「悪いが俺はあいつほど優しくないんでな!」


 敵の振るう鉈に自分の剣を叩きつけて弾く。


 慌てて距離を取ろうとする敵の足を踏みつけると固定した。


「貴様!? 何者だ!? ただの旅人じゃ━━━━」


「お前のような賊に名乗る名は無い!!」


 剣を振るい、敵の首を撥ねた。


※※※


「もう! ロイのやつ、何をやってるのよ!」


 荷台から身を乗り出し、そうルナミアは言った。


 エドガーの方はあっさりと決着がついたようだがロイの方は苦戦している。


 ロイの腕は知っている。

彼の実力ならあの程度の敵を倒すのは造作もないはずだ。だが。


(殺さないようにしている……)


 反撃できるタイミングは何度もあったのに、彼は攻撃するのをためらってしまっているのだ。


「こりゃあ、いざとなったら……」


 ヘンリーとユキノが目配せをし合う。


 ロイが敵の攻撃を上手く受け流した。

体勢を崩した敵の背中に斬撃を叩き込もうとするが……。


「……ッ!!」


 またためらってしまった。

絶好の機会を逃し、逆にタックルを喰らって大きくのけ反ってしまう。


 好機と、敵が斧を振りかざすのを見て━━━━。


「ロイ! 私の騎士になるんじゃなかったの!!」


※※※


 リーシェの叫びにハッとした。


 俺は一体何をしている。

守るべき存在がいながらなんて無様な。


 振り下ろされた斧を敵の側面に回ることで避ける。

その時、一瞬馬車にいるリーシェの顔が見えた。

心配そうに身を乗り出している少女。

あいつにあんな顔をさせるなんて……。


(俺は大馬鹿野郎だ!!)


  迷いを捨てろ! 敵を討て!!


 剣を強く握りしめ、振り上げる。

そして敵の腕を目掛けて全力で振り下ろした。


 刃は肉を断ち、骨を砕く。

両手から嫌な感触が伝わるが躊躇わずそのまま一気に断ち切った。


「ぎゃああああ!? う、うでがぁああああ!?」


 敵の腕は宙を舞い、鮮血が噴き出る。

腕を叩き切られた敵はのたうち回り、そのまま横転した馬車の方へ逃げ出した。

足元に落ちた敵の腕を見て気分が悪くなる。


 生まれて初めて人を斬った。

いずれはやることだと思っていたが、実際にやるとこうも気分が悪いとは……。

後ろから肩に手が乗せられ、振り返ればエドガーが居た。

彼は頷き「次は躊躇うなよ」と言い、「追いかけるぞ」と歩き始めた。


 ロイは一度深呼吸をし、地面に転がっている腕を見ないようにしながら敵を追うのであった。


※※※


(こ、こんな筈では……!!)


 男は叩き切られた腕を必死に押さえながら走った。


 資金稼ぎのためにちょっと金を持った奴らを脅し、ずらかるだけの筈だったのに予想外に抵抗してきたため殺してしまった。

証拠を残さないためにも全員殺すしかないと思い、最後の一人を追い詰めたところで奴らが来たのだ。


 痛みで視界が霞む。出血が酷く、意識が朦朧としてきた。


 足が縺れて、転ぶがどうにか横転した馬車の陰に隠れる。

するとそこにいた。


「はろぉー」


 少女だ。


 目の前に、しゃがんでこちらを見下ろす女がいた。

こんな時だというのになぜか少女のスカートの中に視線が釘付けにされる。


「な、なんで……!?」


「いやーん、えっち。まあ、死ぬ前だからサービスしてあげる」


 少女はけたけたと笑う。

こいつ、人が死にそうだってのに、悪魔か!?


「た、助け……」


 必死に助けを求めると彼女は「うーん」と悩む。


「さっきまで人を殺しまくっておいてそれは都合がよすぎるんじゃないかにゃあ?」


 少女はそういうと懐から短刀を取り出す。


「因果応報。悪いことをしたら報いを受ける。うんうん、これもまた世の常だね」


「や、やめ……ろ……」


「そのままだとどの道失血死だよ? だったら、うん。素敵なもの見ながら、お寝んねしようねー」


 少女は笑顔で短刀を振り上げる。

その笑みはまるで天使のようで、そしてまるで冥府の悪魔ようであった。


「えい!!」


 少女は短刀を男の額に突き刺し、男は一度痙攣するとそのまま動かなくなった。


※※※


 ロイ達は慎重に横転した馬車の陰を除くと、そこには絶命した先ほどの男とその男の胸元を探る少女がいた。


「何をしている?」


 そうエドガーが眉を顰めながら問い詰めると少女は彼を気にした様子もなく、「戦利品漁り」と答えた。


「死体からモノを奪うとは、罰当たりだな」


「んー? そうかなあ? もう死んじゃってるんだから残ったものは生きている奴が有効活用しないと。それに女神さまはこんなこといちいち気にする奴じゃないよ」


 女神を冒涜したともとれる発言にエドガーはますます不機嫌そうになる。

それをロイが「まあまあ」と抑えると男の額に刺し傷があることに気が付いた。


「これは……君がやったのか?」


「ああ、これね。そう。こっち来たからサクッと止め刺しちゃった」


 人を殺したと言うのに全く動じている様子がない。

それどころか「っち、何にも持ってないわー」と頬を膨らませている。


 死んだ男が大したものを持っていなかったため、少女は立ち上がると「うーん」と背伸びをし、それからこちらを見た。


「ああ、そういえば助けてもらったお礼を言ってなかったにゃあ」


「にゃ、にゃあ?」


「そう、にゃあ。こういうの男の人、好きなんでしょう?」


 「そうなのか?」とロイはエドガーに訊くと彼は「俺に聞くな!」と怒る。


「で、結局のところお前は何者だ?」


 そうエドガーが訊くと彼女はクスっと笑ってからその場でつま先立ち、一回転する。

それから短いスカートを少しつまんで持ち上げ、お辞儀をした。


「あたしはメリナローズ。旅の女芸人で御座います」


※※※


 私は念のため布で包まれた槍を持ち、馬車を降りると先に降りたヘンリーの姿を探した。


 彼はエドガーが首を刎ねた賊の前におり、その傍によるとヘンリーの足元には賊の首が転がっている。


「…………」


 人の首。


 さっきまで生きていた人の首。

いっぱい人を殺した悪人だと分かっていてもなんだか気分が悪い。


 生首の目は見開かれており、それと視線が合い目が離せなくなる。


「あまり死者と目を合わせちゃいけませんよ。こっちも連れていかれちまう」


 ヘンリーに声を掛けられ、慌てて目を逸らす。

彼は死体の前で一度お祈りをするとしゃがみ、男が被っていたフードを外した。


「ああ、やっぱり……」


 フードの下から現れたのは褐色の肌に短い銀の髪を持つ男。


 ゼダ人だ。


「やっぱりって、分かっていたの?」


「ええここ最近、ゼダ人の賊が増えていると聞いていましたからな」


 ヘンリーは「ふう」とため息を吐くとこちらを見る。


「これがコーンゴルドの外のゼダ人です。アルヴィリアじゃあゼダ人は迫害され、まともな生活を送れない。いや、前まではまだ生活はできていた。でもここ最近の弾圧で彼らは行き場を失い、こうやって賊に身を落とす連中が増えているんですよ」


 アルヴィリア人がゼダ人を迫害し、ゼダ人がアルヴィリア人を恨んで悪行を働き、アルヴィリア人が更にゼダ人を迫害する。


 負の連鎖だ。


「前も言ったでしょう? リーシェ様、あんたは幸せだって。家族に囲まれ、ゼダ人以外から守られるのがどれだけ珍しいことか」


 あの日、とと様に拾われなければ。

とと様以外の人に拾われていたら、こうなっていたのは私かもしれない。


 そう考えると何ともいえない気持ちになった。


 私は死んだこの人に祈りを捧げるとヘンリーの方を向く。


「おじ様、この人たちを埋めてあげよう」


※※※


 エドガーたちが馬車の裏から出てくるとルナミアたちがスコップをもって街道の横にある空き地を掘っているのが見えた。


 ルナミアはエドガーたちに気が付くと「はい、あなたたちも」と男二人にスコップを渡してくる。


「あの? これは?」


「馬車に乗っていた人たちと、襲ってきた人たちを埋めてあげるのよ」


 そういうと背後にいたメリナローズが「ええ! あいつらも!? 変わってるねぇ」と驚いた。


「えっと、そちらは?」


 ルナミアがそう言うとエドガーは慌てて「ああ、彼女はメリナローズ。女芸人だそうです」とメリナローズを紹介した。


「そう、メリナローズさん。一緒にいた方たちは……残念だったわね。私は……ルナよ」


「うーん、残念に思うほど思い入れは無かったというか、ほぼ他人だったというか……」


 メリナローズの言葉にルナミアたちは首を傾げると彼女は「ああ」と頷く。


「あたしはどこかに所属している芸人とかじゃなくてね。基本一人旅なんよ。で、たまたまベルファに行く途中で同じ旅芸人の一団と一緒になったから御合席させてもらったんだけど……。まあ、見ての通りってことで」


 このご時世だ。

女で一人旅とは凄く勇気のいることである。

なんだか掴みどころのない性格をしているが先ほどの死体漁りといい、かなりの修羅場をくぐってきているはずだ。


 エドガーはそう思いながらメリナローズを見ていると彼女がこちらの視線に気が付き、「ふふ」と笑う。

一瞬だが彼女の妖艶な表情に思わずドキリとする。

慌てて視線を逸らすと「さて! 俺も手伝います!」とスコップをもって既に穴を掘るのを手伝っていたロイの方へ行くのであった。


※※※


 私たちはゼダ人の賊も含め全員を埋葬すると出発した。


 メリナローズという客人を乗せた幌馬車はゆっくりと丘を登り始める。


「それで、メリナローズ様は旅芸人と言うことですが具体的にどのようなことをなさっているのですか?」


 そうユキノが訊くとメリナローズは「そうねえ」と考える。


「基本的に踊りね。いろんな村や町の宿屋や酒場で踊らせてもらってお金を稼ぐの。あ、た、し、踊りには結構自信があるのよねぇ」


「へえ、今度見せてもらいたいわ」


 ルナミアの言葉にメリナローズは「じゃあ、ベルファについたら”海鳥の住処”って酒場に寄ってちょうだいな。そこで踊る予定なの」と言った。


「あとは、そうねえ。踊りだけじゃお金が貯まらないことがあるから、そういう時は……ふふ、花を売ってるわ」


 花?


 彼女は花屋もやっているのだろうか?

そう首を傾げていると義姉が「んっんー」と顔を赤らめながらわざとらしく咳をする。

ロイやエドガーを見れば彼らもなんだか居心地が悪そうだ。

みんなどうしたのだろうか?


「ねえ、エドガーさん? もしよければ花を買って下さらない」


「な、なにを!? け、けっこうだ!! 俺には……!!」


 メリナローズに詰め寄られたエドガーは顔を真っ赤にする。

そんな彼をルナミアは半目で睨みつけ、彼はハッと彼女の方を見ると「違うんです!」と言う。


「まあ、あなたがどこで何をしようが私は気にしないけれど。節度はちゃんと守ってよね」


「だから! 違うんですってばあ!」


 それにしてもまた花だ。


 花ってなんだ?

隣に座るユキノに尋ねたら彼女は「そのままの貴女でいてください」とほほ笑まれた。


え? なに? 一体?


「ふふ、ちょっと騎士様には刺激が強すぎたかしら? ご主人様の前で恥をかかせてごめんなさいね」


 その言葉で一瞬馬車の中の空気が凍る。

エドガーは先ほどまでの情けない表情ではなく、この少女を警戒して突き放す。


 御者台の方からもヘンリーがそっと様子を伺っているのが見えた。


「貴様……」


「あらあら、そんな風に顔に出したら自分から正解だっていっているものよ?」


 それからメリナローズは私とルナミアを見た。


「あたしね? 鼻が良いのよ。だから分かるのよね。村娘の格好をしてようといつも食べているもの、着けている香水、そいうのって簡単には消せないわ。黒髪の姉に、ゼダ人の妹。貴女たち、シェードラン辺境伯の娘でしょう?」


「…………だとしたら?」


 ルナミアが剣に手を掛けようとしているのが見えた。


 馬車の中が緊張で包まれる。

するとメリナローズはパッと笑顔を浮かべた。


「どうもしないわ。だって貴族の娘に興味はないし、お忍びで何をしようとしているのかって首を突っ込んで死んだりしたら馬鹿みたいだもの。あたしは旅の女芸人、何事にも縛られず自由に生きる一輪の花。それとも━━━━あたしを殺します?」


 メリナローズがルナミアを試すように覗き込んでくる。

義姉は彼女と暫く視線を交わすと「はあ」とため息を吐いた。


「町で騒ぎ立てないならいいわ」


「いやん! 素敵、ありがとう御座います! ぶっちゃけ首飛んだらどうしよーとか焦ってましたわあ」


 ルナミアが矛を収め、メリナローズが戯けたことによって場の空気が和らいだ。


 それからしばらくメリナローズがしてきた旅の話を聞いていると、突然彼女は鼻を「ふんふん」と鳴らしはじめた。


「潮の匂い。これはぁ着いたかなぁ?」


 そう言うと御者台のヘンリーが「ご名答!」と言う。


 私たちは馬車の前のほうに移動し、前方を見ると丘の上から海辺に広がる町、ベルファが見えた。


※※※


 ベルファの町。


 シェードラン領南部、クルギス伯が統治する地域にある港町である。


 もともとは漁業を主とした小さな港町であったが、近年の急速な繁栄により町は拡張を続けた。


 町の港を中心に半円状に町は広がり、あまりにも急速に拡張したため、道は入り組み町の構造は複雑化したという。

特に大市周辺は最も賑わっているのと同時に大量の路地等があるため、構造を理解し切れている人は誰もいないらしい。


 私たちは町北部にあるセイレーン大門と呼ばれる門を通過すると門近くにある馬の停泊所に馬車を泊めた。


 町に着くとメリナローズとはすぐに別れ、彼女は「”海鳥の住処”に来てねぇー」と手を振り、人混みの中に消えていく。


 ヘンリーが停泊所の人間に金を渡し、馬車を見張って貰うように頼み終えると私たちも町の中心部へと向かう。


 まだ大市についてもいないと言うのに大通りは人で溢れかえり、そこら中から商人の声などが聞こえてくる。

何処かで芸人たちが音楽を演奏しているのが、人々の声と音楽が入り混じり、まるで祭りのようであった。


「はぐれないでくださいよ? ベルファで迷子になったらまず探し出せませんからね」


 確かに。


 この人の数。

道の入り組みよう。

どこかで誰が消えても気がつかなさそうだ。


「な、なんだが気持ち悪くなってきたぞ……」


「ああ、俺もだ……」


 エドガーとロイがそう言うとユキノは「いわゆる人酔いですね。流石は田舎者」と口元に笑みを浮かべる。


「ぐ、ぬぬぬ。事実だから言い返せん!」


 ルナミアがエドガーに近寄り「大丈夫?」と訊ねると彼は「平気ですよ!」と強がったが、顔色隠せていないよ?


 私もロイの横に並び、大丈夫かと訊くと彼は「まあどうにか」という。


「お前は……大丈夫そうだな?」


「うん。人酔いとかはしていないみたい」


「馬車ではゲーゲーしてたのにな。実は昔に人の多いところに住んでいたとか?」


 馬車のことは言うな。忘れろ。


 それにしても昔のこと、か。

私には過去の記憶が無いため、昔は大きな町に住んでいたということもあり得る。

まあ、思い出しようもないことなのでどうでもいいことだ。


 ふと義姉の方を見ると彼女の足が止まっていた。

どうしたのだろうと皆で彼女のそばに寄ると義姉の視線の先には路上に宝石や指輪などを並べた商人がいる。


 ルナミアは並べられた商品の中で星のイヤリングが気になっているらしくさっきからずっとと見つめている。


「お金は十分持ってきましたので、大丈夫ですよ」


 ユキノがそういうとルナミアはぱっと顔を輝かせ、店主の方へ近寄って行く。


「その星のイヤリング、くださいな」


「おや、お目が高い。これはエルフの彫金師が作ったものでしてね。中々手に入らないものなんですよ。お値段の方は……げ!? ヘンリー様!?」


 店主はヘンリーを見るとなぜか驚き、顔を痙攣らせる。


「いやあ、奇遇ですなあ。前に会った時は野菜売りだったと思うのですが、まさか宝石商になっているとは。私もあの銀山を紹介した甲斐がありましたな」


「ええ、それは勿論! その節は大変助かりました!」


 ヘンリーとこの商人は知り合いなのだろうか?

みんなで顔を見合わして首を傾げているとヘンリーがイヤリングを手に取り「ふむふむ」と眺める。


「確かにエルフ製のイヤリングだ。よくできてる。これなら値段の方は……銀貨一枚」


「いっ……!?」


「よもやそこに書かれている銀貨五枚で売りはしないでしょうな? 他の商品も私から見たら……」


「銀貨一枚ですね! ただ今用意いたしますよ!!」


 そう言うと店主はなぜか慌てて店の値段札を倒して隠した。

ヘンリーはその様子にやれやれと肩を竦めると此方を見る。


「昔、ちょっとした貸があるんですよ」


※※※


「はい、どうぞ」


 店主からイヤリングを買うとルナミアはイヤリングの片方を此方に渡してきた。


「ルナがつけるんじゃないの?」


 そう訊くとルナミアは今つけているイヤリングを外し、星のイヤリングの片割れを自分の左耳につける。


「私が左、リーシェが右に。どうかしら?」


 なるほど。悪くない。

左右非対称に同じイヤリングをつけるのはなんかドキドキする。


 私は頷き、イヤリングを自分の右耳につけようとした瞬間。


「いただき!!」


 イヤリングが掻っ攫われた。


※※※


(はい……?)


 ルナミアはリーシェがイヤリングをつける様子に集中していたため、反応が遅れた。


 自分とリーシェの間を何かが駆け抜け、次の瞬間にはリーシェの持っていたイヤリングが無くなっていた。


 何事かと自分たちの間を走ったものを見れば、それは少年であった。


 自分よりも恐らく年下の男の子。

その子の手にはイヤリングが握られていた。


 リーシェはイヤリングが奪われたのに気が付くとすぐに駆け出していた。

義妹が逃げる少年を追い、大通りを走る。

そしてあっという間に人混みに消えるとようやく事態を理解した。


「泥棒!?」


「リーシェ様を追います!」


 ユキノはそう言い、駆け出すとヘンリーが彼女に慌てて声を掛ける。


「海鳥! ”海鳥の住処”の前で合流を!!」


 ユキノはそれに頷き合い、彼女も人混みの中に消えた。


 そして残った自分たちは顔を見合わせるとヘンリーが苦笑しながら「とりあえず、移動しますか」と言うのであった。


※※※


 私は少年を追っていた。


 せっかくルナミアが買ってくれたイヤリングを奪われるわけにはいかないし、なによりも泥棒は許さない。


 相手は自分より年下の子供だ。

すぐに追いつくと思っていたが……。


(人が……邪魔!!)


 通りは人でごった返しており、それを避けながら走るのは至難の技だ。

時折肩がぶつかってしまい、その度に「すみません!」と謝る。


 少年との距離が中々埋らず、どうしようかと考えていると少年が走りながら振り返った。


「しつけえ!?」


 そう言うと彼は路地に飛び込み、私もそれに続く。


 少年は路地に積み上げられていた木箱などを利用し、建物の屋根の上に登っており、彼は上から「へへーん、どうだ!」と勝ち誇る。


 それに対して私は。


(しめた!!)


 木箱に足を掛け、一気に登る。


 昔から身軽さには自信があり、ユキノからはよく「野生の猿ですね」と褒められたものだ。


 いま思うと褒められてなかった気がする!


 ともかく、私は屋根に登ると慌てて逃げはじめた少年を再び追う。

人を避ける必要がないなら簡単だ。

走る速度を早め、少年に追いつくと首根っこを掴んだ。


 そして「盗んだものを返しなさい!」というと振り返った少年と目が合う。

褐色の肌に銀髪。そう、彼は。


「ねーちゃんもゼダ人かよ!?」


 少年を掴んでいる手を驚いて離しそうになった瞬間、上から少女の声が聞こえてきた。


「そこまでよ!!」


※※※


 リーシェたちよりも上。

建物の煙突に立つ姿があった。


 少女だ。


 金の美しい髪を片側で結い、サファイアの如き目を光らせた少女。

軽装を身に纏い、弓を持った少女は普通の人間とは違う箇所があった。


 それは耳だ。

長く、とんがった耳。

少女の耳は尖っており、一目で人間ではないことが分かる。


 エルフだ。


 エルフの少女が太陽を背に、リーシェたちを見下ろしていた。


「やっと見つけたわ! 噂の賊め! 白昼堂々と子供を襲うとは言語道断! 女神が見逃しても私が悪を見逃さない! さあ、覚悟なさい!!」


 そう言うと、エルフの少女は自信満々の笑みを浮かべるのであった。


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