第7節・運命の胎動、叙事詩の始まり


 気がつくと私は白い宮殿に居た。


 夢で見たあの場所。

さっきまで村にいたのだが……。


「背中!?」


 そう言えば背中をケルベロスに切り裂かれた筈だ。


 手で背中を触るが特に傷もなく、痛みもない。

どうにか背中を見れないかと体を捩っていると突然声を掛けられた。


「なにをしているのかしら?」


 驚き、声のした方を見ればそこには巨大な王座に座った少女がいた。


※※※


 王座に座り、白いドレスを身に纏っているのは私と同い年くらいの少女だ。


 踵まで伸びた長い銀の髪に褐色の肌。

ルビーのような真紅の瞳はやや呆れたように此方を見ている。


(ゼダ人?)


「そうね。ある意味はそうであって、別の意味では違うわ」


 鼓動が跳ね上がった。

この子、心が読めるのか?


「貴女のは、ね。流石に他の人間のは読めないわ。アイツじゃあるまいし」


「貴女は誰なの?」


 そう訊ねると少女は少しだけ悩み、それから口を開いた。


「特に名前はない。私は貴女の魂の中にいる同居人。いわば━━━━」


「寄生虫?」


 少女が指をクイッとやると私の体が浮いた。

それからペチンと優しく床に叩きつけられる。


「何の話をしていたかしら……。ああ、そうだわ。名前ね? そうね、私のことは……レプリカとでも呼びなさい」


 レプリカ? 模造品?

一体どういう意味でそう名乗ったのだろうか?

そう考えると「いずれ分かるわ」と少女は口元に笑みを浮かべる。


 あの、思考を読むのやめて下さい。


「それは無理よ。私と貴女は繋がっているのだもの。そして、ここは"私達"の心象風景」


 ここが私の心の中?

随分と殺風景というか、寂しい光景だ。

まあ、ある意味私らしいのかもしれない。


「そう言えば、私はどうなったの?」


 そうレプリカに訊ねると彼女は王座の上で座り直し、同情したように此方を見た。


「死んだわ。背中をグシャってやられて」


 ああ、やっぱりか。

最初は記憶が混乱していたため、ハッキリと思い出せなかったが、私はケルベロスからルナミアたちを庇って重傷を負い、義姉の腕の中で死んだのだ。


「あら? 思ったよりも落ちついているわね。死にたくないって泣き叫ぶかと思ったわ」


「動揺してるよ。怖いし泣きたい。でもそれよりも」


「ルナミアたちが心配、と?」


 頷く。


 自分は死んでしまったようだが、まだルナミアたちは生きている筈だ。

彼女たちだけではない、コーンゴルドの人々がどうなったのか心配でならない。


 そう思っているとレプリカは呆れたようにため息を吐く。


「貴女、優しいとかお人好しとか通り越してただのバカね。何事も自分より他者を優先する。いい、貴女が死んだら私にも影響が及ぶのよ。具体的に言うと私が死ぬ」


「あれ? でもアナタは生きてるよ?」


 此方の言葉にレプリカは「ふぅ」と息を吐くと王座の肘掛に肘を乗せ、頬杖をついた。


「さっきの言葉、少し訂正するわ。貴女はまだ完璧には死んでいない。私の力で現世と冥府の間につなぎ止めているだけ。だから」


 レプリカが指を鳴らすと私の背後に門が現れた。


「その門を潜れば、貴女は死ぬことがきる。逆に私の手を取れば貴女は現世に戻ることができる」


 そんなの悩むまでもない。

レプリカの方に歩き出そうとすると彼女は「待ちなさい」と此方を止める。


「確かに私の力で貴女を現世に戻すことができるわ。ただ、一度でも私の力を使えば奴らに感づかれる。貴女の人生はこの先苦難に満ちているでしょう。何度も挫折し、あの時死んでおけばと後悔するかもしれない。それでも、戻る?」


「戻る」


「即答ね」


 レプリカの言う通り、この先、私の人生は茨の道になるのかもしれない、絶望するのかもしれない。

いま、死んだ方が比較的幸せに人生の幕を閉じられるのかもしれない。だけど。


「戻っても何もできないかもしれない。でも、私が頑張ることで少しでも誰かが助かるかもしれないなら……私は茨の道でも進むよ」


「……言うと思ったわ。というか、私は貴女なのだから、貴女が何を選択するのか分かっていた。まったく、貴女たち姉妹は子供とは思えないほど意志がしっかりしているわね」


 レプリカが王座から立ち上がり、目の前まで歩いてくる。

そして手を差し出すとじっと私を見つめてきた。

私は彼女を見つめ返し、頷く。

そして手を取ると私たちを覆うように光が生じた。


「安心なさい。向こうに戻ったら私が何とかしてあげる。でも覚えておいて、私が貴女を助けられるのはこれっきり。次に目覚めるのは何年も先になるだろうから」


「え?」


「貴女とこうやって喋れるようになるまでずっと力を貯めていたのよ? その力を全て使うから私はまた深い眠りにつく」


 レプリカはそう言うと微笑む。


「運命の歯車は回り始めた。貴女たちは決して立ち止まることが許されない。だけど、忘れないで。貴女は一人じゃないのだから」


 私は差し出されたレプリカの手を取る。

すると当たりのが一層強く輝き、視界が真っ白になった。



━━━━リーシェ。どうか私を見つけて。



 そして、私は意識を失った。



※※※


 光の中、私は泣いていた。


 私はまた失ってしまった。

私のせいでまた大事な人が死んだ。


 私の母はとても優しい人だった。

いつも誰かを慈しみ、人の手本となる素晴らしい人だった。

私はそんな母に憧れ、自分もそうなりたいと心から思っていた。


 ある日のことだ。


 ラウレンツ叔父様のもとを家族で訪れた時、ガーンウィッツの町では祭りが開かれていた。

幼く、祭りというものを体験したことのない私にはその光景が輝いて見え、母に自分も祭りを見たいと言った。

だが母は「今日はラウレンツ叔父様に会いに来たのだからまた今度ね」と言い、私は馬車から祭りの賑やかさが遠ざかっていくのを見るしかできなかった。


 だが、城に向かう途中の街中で馬車の車輪が壊れ、馬車から降りることになると従者が「代わりの馬車をお持ちしますから」と言った。

父は「歩いていく」と言うが従者たちがどうしても馬車を持ってくると言ったのでその場で立ち往生となってしまったのだ。


 その時だった。


 近くを曲芸師の一団が通った。

彼らは愉快な音楽と驚くような芸を披露しながら大通りを進んでいるのが見えた。


 私はそれを見たく、大通りの方に近づくが曲芸師の一団を見に来た見物客が壁のように道沿いに続いていたのだ。

私はどうにか曲芸師たちを見れないかと、跳ねたりしてみたが全く大通りの様子が見えず、諦めかけた瞬間であった。


 押された。


 恐らく誰かに押されたのだろう。

私は大通り側に押し出され、飛び出ると眼前に馬車が迫っていた。


『危ないっ!!』


 誰かが叫んだ。


 迫りくる馬車に私は腰を抜かし、轢かれるかと思った瞬間━━━━母が飛び出してきた。


 そこから先のことはあまり覚えていない。

凄い衝撃を受け、地面を転がり意識が途絶えた。

意識が戻ったのはガーンウィッツの城の中であった。


 私は城の一室でベットの上に寝かされ、私が目覚めると城の人々が父を呼んできた。


『ああ、ルナミア。よく無事だった……!!』


『お父様、そばを離れてしまって御免なさい。お母様は……?』


 父は言葉に詰まった。

そして私を抱きしめながらこう言ったのだ。


『ラヴェンナは……死んだ……。事故だったんだ。お前のせいじゃない』


 違う。


 違う、違う、違う。

私のせいだ。私のせいなんだ。私が悪い子だったから。私が我がままだったから。

私が母を殺したんだ。



━━━━私が、死ねば良かった。



『そんなことないよ』


「え?」


 光の中、誰かにそう言われた気がした。


 頬に温かいものが触れる。

小さな手。私がよく知る手。それは、義妹の……。


『ルナは悪くないよ。もしルナを悪く言う奴がいたら私がやっつけてやる』


 義妹がいた。


 私のせいで傷を負い、死んだはずの妹が私の目の前に立っている。

彼女の背中の傷は塞がり、銀の美しい髪はいつの間にかに踵まで伸びている。


「ああ……どうして……」


『なんか、生き返っちゃった。だから、もう自分を責めるはやめてね』


 義妹に抱きしめられる。

温かい。

凍り付いていた私の心が義妹の温かさに溶かされていく。


 泣いた。


 もう、これでもかってくらい泣いた。

彼女に抱きしめられながら、私は大泣きし、そして眠りについた。


※※※


『馬鹿な……』


 ”狩人”は目の前で起きている事態にそう言うしかなかった。


 死んだはずの小娘が突然光を身に纏って立ち上がり、蘇ったのだ。

背中に負っていたはずの致命傷は瞬く間に塞がり、髪が一気に伸びている。


 彼女は己の姉を抱きしめ、眠らせると彼女を地面に寝かせた。


 ああ、馬鹿な。これは、これは知っているぞ。

まさかこんなことが起こるとは。


 ”狩人”は震える。

それは奇跡としか言いようがない光景を目の当たりにしたからではない。

歓喜の震えだ。


 あの少女が放つ気。

見間違えるはずがない。我らにとって体の奥に刻まれた畏敬の念を呼び起こすこの波動。


『ああ!! 主よ!! お戻りになられたのですね!!』


 そうあれこそが。あれこそが我らの主!


━━━━真実の女神だ!


 姿かたちこそ違うがこの力は間違いなく我らが主のもの。


 ”狩人”は直ぐに跪き、死霊騎士たちも同じ主の帰還に打ち震え、跪いた。


 門を開くための鍵を奪いに来たつもりであったが、まさか主の帰還までも達せられるとは。

これで、我らの宿願が果たされる。

主が帰還された今こそ、偽りの歴史に終止符を打ち、我らに栄光を━━━━!!


 突然、崩れた。


 近くにいた死霊騎士が突然崩れ、粉々になる。

辺りに飛び散るのは白い塊。


 塩だ。

死霊騎士の体が塩になり、砕けたのだ。


 もう一人の死霊騎士はそれを見て慌てて立ち上がろうとするが膝から下が砕け散り、そのまま前のめりになって倒れると同様に塩となって散った。


 騎士たちだけではない、村に居た亡者たちも次々と塩の柱となり、消滅していく。


『……これは!? なぜですか! なぜこのようなことを!? 貴女の眷属である我々になぜこのような仕打ちを!!』


 主と目が合う。

虚ろな、こことは違うどこかを見ているかのような瞳。


 その深紅の瞳を見て気が付いた。

これは━━━━違うぞ━━━━。


 主と同じ力を持ち、だが異なる存在。

それはつまり……。


『おのれ! そういうことか!! 貴様はっ! 貴様はッ━━━━!?』


 自分の体も既に首の下まで塩と化していた。

全身から力が抜ける。もはや助からないのは明白であった。

そして、砕けた。


 体が粉々になり、頭が地面に落下する。

既に顎まで塩に変化しており、もうすぐ自分も消滅するだろう。


『”狂王”……め……死してなお……我らの……邪魔……を……』


 ”大祭司”は恐らくこのことを知っていたのだ。

だから今まで手を出さなかった。

いや、まさか━━━━自分を嗾けるために━━━━?


 目まで塩と化し、何も見えなくなる。

そして、意識が消滅する瞬間。声が聞こえたような気がした。



『お眠りなさい。アルヴェド。誇りある狩人』



(……嗚呼、アルテミシア様。今、お傍に……)



 ”狩人”は塩となり、消滅した。


※※※


 亡者の軍勢は城壁を突破し、屋敷へと殺到していた。


 生き残った衛兵たちは屋敷に立てこもり、窓や扉を塞ぐなどして最後の抵抗を試みている。


「だああああ! こりゃあ、もう駄目だあああ!!」


 板などで応急補強した窓を必死に押さえながら衛兵のマイクはそう叫んだ。

屋敷中の窓や扉が叩かれ、今にもこじ開けられようとしている。

援軍を呼んだというが、どう見ても間に合わない。


「おい、サム!! お前も手伝え!! って、おい!? なんでストレッチしているんだ!!」


 自分の後ろでのんびりとストレッチをしている同僚のサムにそういうと彼は「まあ、そういうな」と笑う。


「お前も準備運動しておけよ? そのうちなだれ込んでくるんだから。最期に足つって死んだとか恥ずかしすぎるからな」


「いや、それでもお前なぁ……」


 直後、近くで窓が突き破られた。


 押さえていた兵士たちが吹き飛び、亡者たちが窓を超えてなだれ込んでくる。


「入ってきたぞ!!」


 マイクとサムは顔を見合わせると頷き合い、剣を引き抜く。


「おっしゃああ!! 掛かってこい!! このマイク様と」


「サム様が相手してやる!! てめえら道連れにしてやるぜ!!」


 亡者たちが一斉に突撃してくる。

それをマイクとサム、他の衛兵たちが迎え撃とうとした瞬間、亡者たちが塩となって霧散した。


 静寂が訪れる。

先ほどまでそこら中で聞こえていた戦いの音が鳴りやみ、誰もが何事かと顔を見合わせた。


 突然のことにマイクとサムはへたりとその場に座り込み、そしてこう呟いた。


「た、助かったのか?」


※※※


 ウェルナーは一連の出来事に頭が追い付いていなかった。


 ルナミアの背中に巨大な翼が生え、火柱で辺りを吹き飛ばしたかと思えば、死んだリーシェが蘇り、義姉を落ち着かせ死霊騎士団どもを塩に変えてしまったのだ。

あの”狩人”も例外ではなく消滅されられ、彼のいた場所には大弓と紫の腕輪が塩に埋もれて残されている。


(わ、訳がわからねえ……)


 敵の首魁が倒れたことにより亡者たちが消滅し始めている。

どうにか勝つことができた……ということでいいのだろうか?


 ふとリーシェと目が合い、彼女は優しく微笑むとそのまま気を失い義姉に覆いかぶさるように倒れた。

直ぐに辺境伯の娘たちのもとに行きたいが……。


「おい、ロイ少年! 生きてるか!!」


「は、はい!! 生きてます!」


 姉妹の傍にいたロイが慌てて立ち上がる。

全身に怪我こそ追っているがどうやら無事のようだ。

それに安心すると一つ頼みごとをする。


「すまんがお二人をどうにか城まで運んでくれないか」


「分かりました! でもウェルナー卿は?」


 ロイの言葉に笑みを浮かべて頷く。


「俺か、俺はもう駄目だぁ! 一歩も動けん!!」


 そう言うと大の字になって地面に寝転がる。

ああ、くそ。全身が痛い。とくに左腕と左足の火傷が酷そうだ。

これ、後遺症が残らないだろうな?


 寝転がり、空を見上げれば先ほどまでの赤く染まった地獄の空ではなく、澄み渡ったいつもの青いコーンゴルドの空が広がっている。


 ウェルナーはそれを眺めると「ラヴェンナ様。貴女の娘をどうにか助けられましたよ」と言い、目を閉じるのであった。


※※※


 戦いが終わり、敵が完全にいなくなったことを知るとコーンゴルドの兵士たちは跳ね橋を降ろして村の様子を見に出た。


 朝までは平和で長閑だった村は焼き払われ、痛々しい姿となってしまっている。

その光景に何人かの兵士たちは泣き崩れ、また何人かは怒りで拳を強く握りしめる。


 肩に包帯を巻いたヨアヒムはラウレンツと共に村の様子を城壁から眺め、ヨアヒムは疲れ切った表情で「どうにかなりましたな」と兄に言う。


「ああ、首の皮一枚で助かった。女神は我らを見捨てなかったようだ」


 ふと教会の方を見れば教会から逃げ延びた人々が出てくるのが見える。

その先頭にはユキノがおり、ボロボロの彼女は村に向かって走っていった。


「しかし、先ほどの火柱。そしてそのあとの光、まさか……」


 ラウレンツの言葉に頷く。


「兄上の考えている通りかと。これで奴らに完全に見つかりました」


「……娘たちを我が城に移すか?」


「確かに、ここよりは安全でしょうが……」


 「少し考えさせてください」という弟にラウレンツは頷く。


 事態は動き始めた。


 これほどまで大規模な行動をしたということは奴らは表舞台に上がってくるつもりだろう。

もしそうなれば年老いた自分では守り切れない。

娘たちの人生はこれから苦難に満ちたものになるだろう。


 亡き妻は最期まで娘のことを案じていた。

自分に流れる血のせいでこの子は悲惨な運命を辿るのではないかと。

だが、一人では駄目でも二人なら。同じく呪われた運命が待ち構える妹と一緒に立ち向かうことが出来れば……。


「おい! ルナミア様たちだぞ!!」


 衛兵の誰かがそう大声を上げた。


 彼らが指さす方。

村の方から我が最愛の娘たちを抱えたロイとユキノがやってくる。


 その光景を見て心から安堵し天を見上げながら「ラヴェンナよ。あの子たちを見守ってくれ……」と祈るのであった。


※※※


 目が覚めると見慣れた天井が目に入ってきた。

窓から紅い夕日が差し込むのは私の部屋だ。


 私は自分のベッドの上で寝ていたらしく、太ももの辺りに何かがいるのを感じた。


「?」


 頭を動かし、見てみればそこには義姉がいた。

ベッドの横の椅子で、私の太もも辺りに顔を突っ伏して寝ているルナミア。


 私が体を起こすと彼女は目覚め、此方と目が合う。


「リーシェ!!」


 抱きつかれた。

私に縋りつくように抱きついてきた義姉を優しく抱き返し、「おはよう」と言う。


「奇跡だわ! 奇跡が、女神様が貴女を助けてくれたに違いないわ!」


 確かに助けてもらったが、女神にではない。


 レプリカ。

自分と同じ顔をした謎の少女。

彼女の話した通りなら私を蘇らせたことにより、再び深い眠りに落ちたのだろう。


「━━━━どうか私を見つけて」


「え?」


「ううん。なんでもないよ」


 キョトンとする義姉にそう微笑む。

レプリカが最後に言った言葉の意味。あれはいったいどういう意味なのだろうか?


 彼女は言った。

これから私の人生は大変なことになると。

きっと今日襲ってきた連中が再び現れるのだろう。

そしてまたこのような惨劇が繰り返されるかもしれない。


(そんなことはさせない)


 奴らがまた私や、ルナミアを狙うというのならぶっ飛ばしてやる。

だから━━━━。


「ルナ、私強くなるよ。強くなって、ルナや皆を守れるようになる」


「……なら、私ももっと強くなる。二人で強くなって、お互いを守り合って、悪い奴らを倒すの」


 そうだ。

一人じゃ立ち向かえない敵も二人なら、いや私たちだけじゃない。

とと様にウェルナー卿、エドガーやロイも皆で立ち向かえばどんな運命だろうと乗り越えられるかもしれない。


 ベッドから立ち上がる。


 義姉が慌てて「大丈夫なの?」と訊いてくるが頷く。

服を着ていなかったのでシーツで体の前を隠し、鏡の前に立つと背中を映した。


 右肩から腰にかけて残っている大きな傷跡。

これは私の決意の証。

挫けそうになったり、絶望したら、この傷跡を見て自分を奮い立たせるための聖痕。


(レプリカ、私は挫けないよ。立ち向かうよ。そしていつか、貴女を見つける)


 私はそう固く決心しながら窓から見える夕暮れに染まる空を見るのであった。


※※※


 左腕と足に包帯を巻いたウェルナーはヨアヒムの執務室から出ると大きくため息を吐いて頭を掻いた。


「参ったね……」


 戦いの後、駆け付けたエドガーたちに抱えられ、自分は屋敷に戻った。

そして治療を受けたのち、今日のことを主に報告するのと同時に問いただしたのだ。


 ルナミアの力、リーシェの力。

自分の娘たちのことを父親が知らないはずがない。

口をなかなか開こうとない主に初めて強く当たった。


『今日、散っていった者たちのためにも。このようなことを二度と起こさないためにも知る必要がある』


 そう言うと彼は口を開き、娘たちについて語った。

それは衝撃の真実であった。次々に知らされることに頭の理解が追い付かず、知恵熱が生じそうなほどだ。

あれから時間が少し経ったが、まだ完全には気持ちの整理ができていない。


「こりゃ、墓までもっていくとかじゃないな」


 死後、冥府の神にだって言えやしない。

このことを知っているのはあとラウレンツ大公だけらしい。


 屋敷の廊下を歩きながらまた大きなため息が出る。

当分はこのことばっかり考えてしまいそうだ。


「まったく、ラヴェンナ様もとんでもない秘密を抱えていたもんだ」


 ともかく今日は酒を飲もう。

生き残った仲間たちとバカ騒ぎし、明日から気持ちを切り替えよう。

そう思っていると正面から「ウェルナー卿!」と声を掛けられた。

声の方を見てみれば廊下に傷だらけのロイが立っており、彼は真剣な表情でこちらを見る。


「よう、ロイ少年。今日は大変だったな。よく生き残った。ご両親は━━━━残念だったが、お前の勇気ある行動を誇りに思っている。かならず思っているはずだ」


「はい……。ウェルナー卿、俺、頼みがあります!」


 ロイの真剣な様子にこちらも真面目な顔になる。


「俺を、騎士にしてください!!」


(やはり、な……)


 声を掛けられたときからそう頼まれるのではないかと思っていた。


「どうして騎士になりたい? 仇討ちのためか?」


 此方がじっと、相手の真意を確かめるように見つめると赤毛の少年はそれに臆さず見つめ返してくる。


「仇討ちの気持ちも、あります。でも、それよりも俺はもっと強くなりたいんだ。今日、俺は何もできなかった。生き残ったのはルナミア様やリーシェがいたからだ。俺、それが情けなくて。あいつを守ってやりたい。もう二度と、あんな目にあわせないで、あいつには笑っていてもらいたいんです!!」


 ロイは自分の気持ちを整理するように深呼吸すると口を開く。


「俺は誰かを守れる騎士になりたい。惚れた女を、守れる男になりたいんだ!!」


「…………」


 彼の心からの叫びを聞き、思い出す。


 かつての自分を。


『不良児の俺が騎士になった理由ですって? そりゃあ、ラヴェンナ様。惚れた女を守るため、ただそれだけですよ』


 ロイは「お願いします!」と頭を必死に下げる。

そんな彼の様子を見て自然と口元に笑みが浮かんでいた。


(まったく、こうも真っすぐだと小恥ずかしくなるね……)


 昔の自分もきっとこんな感じだったのだろう。


 ウェルナーは笑みを消し、己の感情を顔に出さないようにしながらロイに言い放つ。


「まずは三か月だ」


「……あ」


「三か月の間、お前を俺の小姓にする。そこでお前に才能がないと判断したら俺はお前を容赦なく捨てる。それでもいいか?」


 ロイはパッと笑顔を浮かべて慌てて背筋を正す。


「はい! よろしくお願いします!!」


 この少年がどこまで伸びるかはまだ分からない。

だが願わくは自分が果たせなかったことを果たしてほしい。

そう思いながらウェルナーは「よっしゃあ!」と喜ぶ未来の騎士を見つめるのであった。



※※※



 コーンゴルドから少し遠く。

未だ煙が上がる村を見下ろせる丘にユキノは居た。


 彼女は丘の上に生えている木にもたれ掛かり、静かに何かを待つ。


「大分やられたようだな」


 自分のもたれ掛かっている木の背後から男の声がした。


 ユキノは目を開け、無表情に「ええ、死ぬかと思いました」と言う。


「お前が死なないでよかった」


「私が死ぬと次の人間を送り込むのに苦労するからですよね?」


「当然だ。それ以外何がある?」


 心配や、労いの言葉の一つもない。

まあ、そんなことは分かり切っている。この男にとって私はただの道具だ。


「それで、連中の正体は?」


「……私などに訊かなくても既に把握しているのでは?」


「念のためだ。奴ら、蛇の面を付けていたのだな」


「ええ、付けていました。ついでに面の下はぶっさいくなゾンビ顔です。ほかにも”狩人”と名乗る者もいたそうですが、そちらはウェルナー卿が討ち取りました」


 そう言うと男は暫く黙る。


「ウェルナーが”狩人”を討ち、敵を撃退したのだったな。それだけか?」


 背後からこちらを探るような気配を感じる。


 ユキノは相手に察せないように平静を保ち、頷く。


「ええ。それでけです。あの騎士が必死の抵抗を行い、どうにか”狩人”とかいう敵を倒した。そう聞いています」


 男はまだ納得していないようだがやがて「まあいい」とこれ以上の詮索を止め、「それで、例のモノは?」と訊いてきた。

それにユキノは懐から封魂石を取り出すと背後に投げ渡す。


「死霊騎士の魂が入った封魂石です。そのようなもの、何に使うおつもりですか?」


「さあな。だがあの女狐が欲していたのだ」


「あの女のために。随分と殊勝ですこと。骨の髄まで犬になりましたか?」


「……全ては一族再興のためだ」


 一族再興。

それが私たちの目的。

たとえ犬に成り下がろうが、どれだけ汚いことをしようがすべては一族を再興させ、故郷に返り咲くためだ。

私もそれを望んでいたし、そのために色々なことをした。

だが、いまは━━━━。


「サイゾウ殿。一族を再興させるのは、そんなに大事なことなのでしょうか?」


 返事はない。

既に男はこの場を離れていた。


 ユキノはまた静かに目を閉じると呟く。


「私には、分からなくなってきましたよ」


※※※


 そこは異常な空間であった。


 海は天にあり、天は地にある。

天と地の境界が曖昧になり、空と海が混ざり合って地平線まで伸びている。


 神聖さすら感じるその奇妙な空間にあるものがあった。


 門だ。


 巨大な、山よりも大きな門。

純白の門にはいくつもの黒い茨が巻き付き、まるで扉が開かないように締め付けているかのようであった。


 門の前には祭壇があり、その祭壇から門を見上げる姿があった。


 漆黒のローブに蛇の面。

ローブには金の刺繍が施され、頭には王冠のような兜を被っている。

ローブの異形は手に持っていた王笏で床を突き、王笏の先端についている小さな鐘を鳴らした。


『”大祭司”よ。”狩人”が逝ったぞ』


 ”大祭司”と呼ばれた異形は振り返り、声の方を向くとそこには漆黒の鎧を身に纏った騎士が居た。


『知っている。故にこうして主の前で弔っているのだ』


 ”大祭司”は門を見上げる。


 永い時を共にした同胞が散った。

それを向こう側にいるお方に伝えていたのだ。


『一つ訊こう。あの城にアレが居たこと、貴様知っていたな? 知っていたからこそ”狩人”の専行を止めなかった。違うか?』


『……確証は無かった。故に確かめる必要があったのだ』


 そう言うと背後の騎士から敵意を向けられる。


『”狩人”を覚醒の試金石に利用したと認めるのだな?』


『あれは少々独断専行が過ぎた。いずれは我らの計画を破綻させる原因となっていただろう』


 ”大祭司”は振り返り、騎士の横を通り過ぎる。


『鍵と力の居場所は分かった。それは奇しくも同じ場所にある。これで我らの計画が大きく動き出すぞ』


 『”殉教者”よ』と”大祭司”は振り返らずに騎士に声を掛ける。


『残りの使徒たちにも伝えろ。千年の節目をもって真なる女神を呼び戻す。ついに我らの宿願が達成される時が来たのだと』


 ”大祭司”が階段を降りて行くのを見届けると”殉教者”と呼ばれた騎士が門を見上げる。


『宿願、か。貴様のそれが私のと同じであることを祈るよ』


 そう言うと”殉教者”も階段を降り、祭壇から離れるのであった。


※※※


 日が沈み始め、夕闇があたりを包み始めた頃。

私は城壁の上から外を眺めていた。


 今日、多くの人が死んだ。

その中には私の知っている人たちもいる。

あの死霊騎士たちが残した恐怖と絶望の爪痕はずっとこのコーンゴルドの地に残るだろう。


 だが、それでも人々は立ち止まらない。


 大切な人を失い、家を焼かれても明日に向かって生きるために動き続ける。

今はこんなことになってしまっているが、一年後、二年後にはきっと元に戻っているはずだ。


「ここにいたのか」


 ロイが声を話しかけてきた。

彼はこちらの横に立つと一緒に村の方を見る。


「明日から村の再建を手伝わないとな。あと親父たちの墓も作ってやんねーと」


「手伝うよ?」


「いや、お前は休んどけよ。ありがたいけど、あれだけのことがあったんだ、ルナミア様と一緒にゆっくりと休んでいてくれ」


 「いやいや、もう元気一杯」と力こぶを作ってみるとロイが「できてねーぞ」と突っ込みを入れてくる。

それからまた二人で村の様子を見ているとロイがゆっくりと口を開いた。


「俺、騎士になった。いや、まだ騎士じゃなくて小姓だけどウェルナー卿に弟子入りした」


「そっか……」


 こんな形ではあるが彼は騎士になる第一歩を踏み出したのだ。

騎士になれば戦いに出ることになるし、今日みたいに死にかけるかもしれない。

でも決意に満ちた彼の横顔を見ると止める気にはならない。


 彼は私の方を見るととすぐに目を逸らし、それから覚悟を決めたように頷くとこちらを向く。

それに私も向かい合った。


「えっと、だな」


 彼は歯切れ悪くそう言い、それからやや赤面すると跪いた。


「え? え!? 何事!?」


「いいから、そこでじっとしてろって」


 彼は跪きながらこちらを見上げる。

その真剣な瞳に私の顔はほんのりと熱くなり、鼓動が早くなる。


「リーシェ様。俺は騎士を目指します。今はまだ従騎士でもないただの小姓だけど、きっといつか立派な騎士となって俺は━━━━貴女にお仕えし、一生を掛けてお守りします」


 顔に火が付いたような感覚になる。

今まで見せたことないような表情。一人の男としての決意。

それを受けて私は━━━━。


「━━━━待っています。いつまでも」


 私は手を差し出した。

ロイはその手を取り、私の手の甲に口づけをする。


 太陽が沈む中、幼い私たちは主従の誓いをした。





森から鳥たちが飛び立つ。

それはまるで私たちを見守り、祝福するかのようであった。




==幼月の章・完==


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