第2節・丘の上の故郷Ⅱ
翌朝。
私は目を覚ますと食堂で家族との朝食を終え、自室に戻る。
部屋のクローゼットから仕事着を取り出し、パジャマを脱ぎ捨て着替える。
それから部屋を出ようとするが。
「…………」
脱ぎ捨てたパジャマを拾い、ベッドに置いてから畳む。
以前ユキノから「お嬢様、猿ではないのですから服は脱ぎ捨てないでください」と注意を受けていたのであった。
綺麗とは言えなかったが一応畳んだので部屋から出て厩舎へ向かう。
厩舎へ向かう途中、屋敷のメイドたちの半分くらいは「おはよう御座います」と挨拶してくれるが残りは無視だ。
だがこれも城に来た時に比べたら大分マシだ。
二年前、義父に救われた私はこの城に連れてこられた。
義父は私を養子に迎えると言い、屋敷の人々はそれに猛反発した。
当然だ。
私はゼダ人。悪魔の血だ。
アルヴィリアの貴族がゼダ人を養子に迎えるなんて前代未聞の言語道断。
だが義父は反対を押し切り私を養子にした。
義父や義姉は私に対してすぐに家族として接してくれたが私は遠慮、いや、当時は彼らを信用していなかったのだろう。
だから家の使用人と同じ仕事を与え、同じ扱いをしてくれと頼んだ。
義姉は反対したが義父は「それでお前がなっとくすなら」と私に屋敷の仕事をさせるようになった。
だがそうなると今度は屋敷の召使たちが当然反発してくる。
私は完全に腫れもの扱いであり、汚い仕事や危険な仕事、重労働ばかり任せられた。
小さな子供にとっては地獄のような日々であったが、私は『これでいい』と納得し黙々と仕事をこなしていた。
そんなある日のことだ。
屋敷のテラスの窓拭きを命じられ、小さかった私は梯子を掛けて高いところの汚れを拭いていた。
そしてあるメイドがそんな私の姿を見ると近づき、私が登っている梯子を蹴ったのだ。
その衝撃で梯子は倒れ、私は真っ逆さまに三階から堕ちた。
そのメイドが私に殺意を持っていたのかは分からない。もしかしたらちょっとした意地悪から蹴ったのかもしれない。
兎も角、私は転落し意識を失う重傷を負った。
目覚めた後に知ったことなのだが私が三階から落っことされたと知ったルナミアは今まで見せたことがないほど怒り狂い、そのメイドを城から追放してしまったらしい。
この事件以降私は屋敷での仕事はし辛くなった、だが何もしないのも嫌だったので厩舎の仕事をするようになったのだ。
屋敷から出て厩舎に着くと既にロイが居た。
彼に「おはよう」と声を掛けようとすると彼の頭に大きなたんこぶができていることに気が付く。
「それ、どうしたの」
そう声を掛けると彼は「ああ、これか」と不機嫌そうに答える。
「今朝、親父に思い切って騎士になりたいって言ったんだよ。そしたら『騎士になるなどふざけたことを言うな!』って怒鳴られてな。そのまま喧嘩になったんだ」
「仲直りした?」
「してねぇよ……。する必要もねぇし」
ロイの目が泳いでいる。
私は今の家族と喧嘩をしたことがない。もし、自分が義父やルナミアと喧嘩したら?
(嫌だなぁ……)
多分すごく嫌な気分になると思う。
ロイも今すごく嫌な気持ちになっているはずだ。だったら。
「謝りに行こう」
「はぁ!? なんでだよ!」
「家族と喧嘩するのはきっと良くないことだから。謝るの怖いの?」
「怖くねぇし!!」
「なら、謝ろう。一緒に行ってあげるから」
そういうとロイは目を丸くした。
「いや一緒にってお前、俺の家に来る気かよ!? てか謝ること前提に話進めるな! 第一仕事はどうするんだよ!」
「それなら多分大丈夫。ユキノ呼ぶから」
「ユキノー!!」と大声を出すとロイは「いやいや、そんなんで来るわけないだろう」と呆れる。
甘い。
そんなんで来てしまうのがユキノなのだ。ほら、多分もうすぐ━━━。
「呼びましたか?」
「うわぁ!? いつの間に!?」
いつの間にかユキノがロイの後ろに立っていた。
ユキノは驚いているロイに頭を下げると「おや、ロイ様。おはよう御座います今日も獣の臭いを漂わせていますね」と挨拶をした。
いや、本当にもう少し言葉を選ぼうね?
彼女は「それで?」とこちらを見る。
「何か御用ですか。これでも私、メイドとしての仕事が御座いまして。用もないのに呼んだのであれば以前のようにお尻叩きの刑ですよ?」
「そ、その話はしなくていい……!」
ロイが「尻……」とこちらを見てきたので一応睨みつけておく。
それから私は鍬を手に取り、ユキノに手渡す。
「は……?」
「私たち、これからロイの家に行ってロイのとと様に謝りに行くから。代わりにお願い」
「は?」
「多分お昼前には帰ってくるから」
「は?」
「糞はあっち。餌箱はそっちにあるから。じゃあ、お願いね!」
「……は?」
ロイの手を掴み走り出す。
ロイが「お、おい」と抗議してくるがユキノに止められる前にさっさと正門に向
かってしまおう。
走りながら振り返るとロイの状況が読み込めず困惑している顔と遠くで無表情でこちらを見ているユキノの顔が見えた。
多分今日は本当に尻を叩かれるだろう。
まだ叩かれていないのになんとなく尻を庇い、私たちは正門に向かった。
※※※
自分の主と厩舎の息子が走っていくのを見届け、ユキノは大きくため息を吐いた。
それから自分が手に持っている鍬を眺め、厩舎に居る馬の方を見る。
「うちのお嬢様、割と酷いと思いませんか?」
そう訊ねるユキノに対して馬は興味なさげに嘶くのであった。
※※※
屋敷の正門に辿り着くと私はロイの手を離した。
ロイは「余計な世話を焼きやがって」とそっぽを向いたので「本当に嫌だったら止めるよ」と返す。
「…………」
ロイは不機嫌そうにするだけで特に止めろとは言ってこなかったので本人も心のどこかでは謝罪したがっているのではないだろうか?
私たちは正門の跳ね橋の方に向かって歩き始めると正門の近くにいた衛兵に呼び止められる。
「おはよう御座います、リーシェ様。珍しいですな、リーシェ様がこっちに来るなんて」
「おはよう御座います、サムおじさん。これからちょっと村の方に行くの」
私がサムと呼んだ衛兵は同じく衛兵のマイクと一緒に私に対して普通に接してくれる人だ。
彼は「ほう? 村に?」と言うと私の後ろにいるロイを見る。
すると「なるほど、なるほど」とにやけるとロイの肩を叩いた。
「小僧、なかなか隅に置けないじゃないか。貴族のお嬢さんに手を出すとは大した奴だ!」
「ばっ!? ちげーよ!!」
「はっはっはっ、照れるなって! 恋は良いぞぉ! 燃えるような恋は人生の中で物凄い原動力になる!」
「いや、子供相手に何言ってんだ……」
「まあまあ。小僧、恋は困難であるほど燃えるってもんだ! 俺もなぁ、酒場のレベッカさんと燃える恋がしたかったんだがアイツ、ジェームズと出来ていたらしくってなぁ……。うっ……うっ……」
突然泣き始めたのでちょっと引いた。
「いや、本当に子供相手に何言ってんだよ……」
このままだとサムの失恋話を長々と聞かされそうであったので無理やり話題を変える。
「あの、もう行っていい?」
「ああ、申し訳御座いません。ロイの親父さんとこにいくんですよね? でしたら……」
サムは正門近くの詰め所に入ると少ししてからフード付きの外套を持ってきた。
「衛兵用の外套で大きいし少し汚いですがこれをお使いください。村の人間も昔よりはマシになったとは言えいまだにリーシェ様に対して無礼な態度をとる連中がいますからな」
私は受け取った外套を羽織り、フードを被ると「ありがとう」と一礼した。
「それでは、行ってらっしゃいませ」
サムに見送られて私たちは跳ね橋を渡る。
屋敷と村を隔てる堀は改めてみるととても深く、落ちればただで済まないだろ
う。
堀を覗いているとロイに「危ないからさっさと行くぞ」と言われ、彼についてく。
橋を渡るとすぐに村が一望できた。
屋敷のある丘の麓に村は広がっており、屋敷の正門につながる大通りには市が開かれているのが見える。
他の村を見たことがないが、コーンゴルドの村は城下にあるだけあって栄えている方らしい。
私はフードを深く被り直し、ロイと頷きあうと彼の家に向かうのであった。
※※※
ロイの家は大通りから少し外れた所の城に近い位置にあった。
近くには羊の放牧場があり、ロイ曰く羊飼いのお爺さんとは仲が良いらしい。
特に問題もなくロイの家の前に辿り着くと彼は私の後ろに下がってしまう。
「じゃあ、私がノックするね」と言うとロイは「わりぃ」と頷く。
三度ほどノックし、「ごめん下さいー」と言うとドアが開かれる。
家の中から出てきたのは無精ひげを生やした恰幅のいい中年の男性だ。
顔の彫りが深く、なかなか頑固で怖そうな顔をしている。
ロイの父親はフードを被った私を見ると「どなたで?」と眉を顰める。
「えっと、いつもロイの世話をしてますリーシェです」
フードを外すとロイの父親は驚き、慌てて跪いた。
「こ、これはリーシェ様! どうしてこのような場所に!?」
「ロイと喧嘩したと聞いて、その仲直りさせに……」
そう言うとロイの父親はロイが私の後ろに居ることに気が付く。
「この馬鹿息子! そんなくだらないことのためにリーシェ様を連れ出したのか!!」
「く、くだらないってなんだよ!!」
「あ、あの……」
喧嘩の仲裁をしに来た筈がまた親子喧嘩になりそうな雰囲気になってしまい慌てる。
するとロイの父親の背後から女性が現れ「家の前でみっともないことはお止め!!」と一喝した。
それにロイの父親とロイは慌てて背筋を伸ばし、女性の方を見る。
「か、母ちゃん。だってよぉ」
「だってじゃない! 男がそんな情けない声を出すもんじゃないよ! それにあんたたち、せっかく領主様の娘がいらっしゃったというのに何時まで外に立たせておくつもりだい!!」
ロイの母親は縮こまる男性陣に「やれやれ」と呆れるとこちらを見る。
「ごめんなさいねぇ。何もない家ですけれども、どうかお上がりくださいな」
※※※
ロイの家に入ると私は興味深げに辺りを見渡す。
屋敷のように”綺麗”ではないがどこか落ち着く、居心地の良い感じがする家だ。
私的には屋敷よりもこういった家の方が落ち着くかもしれない。
「みすぼらしくて申し訳ないわ」と言うロイの母親に「いえ、私。この家好きです」と言うと彼女は嬉しそうに笑みを浮かべた。
居間にある椅子に座らせてもらい、目の前にある木の机にロイの母親がコップに入ったヤギのミルクを置いてくれる。
私はそれに感謝の言葉を述べ、口を付けるとやや遅れてロイの父親とロイが居間に入ってきた。
二人はお互いに顔を背け合い、とても気まずい。
兎に角二人が仲直りするきっかけを作らないと。
「あの、ロイが騎士になりたいという話ですけど」
「ワシは認めませんよ。いくらご領主様の娘といえど、息子を騎士にするという話は認められません」
「ふん! 認めてもらうつもりはねーよ!」
「……えっと」
話が終わってしまった。
二人を仲直りさせようと意気込んだものは良いがよくよく考えると私は物凄く他人との意思疎通に問題がある人間だった。
どうやって仲裁するか思いつかないし、そもそも自分の口下手っぷりでは思いついても焼け石に水を掛けることになりかねない。
(どうしよう! 助けてルナ……!)
義姉はこういうの得意だ。
貴族の娘の教養として社交辞令やら交渉術やら、そういうのに長けている。
私もユキノから教わろうと思った時期があったが約半日で挫折したのだった。
気まずい雰囲気だけが続くのにロイの母親は呆れたのかため息を吐くと「ロイ、薪割りをするから手伝いなさいな」と息子を引っ張って外に出ていく。
家には私と机を挟んで反対側に座るロイの父親だけになってしまい、「さてどうしようか」と考える。
「息子の……」
「はい」
「息子の騎士になりたいという気持ち。実は分からんではないのですよ」
そう言うとロイの父親は苦笑する。
「男ならあの位の歳で騎士に憧れるのは非常にわかる。ワシも若いころはそうでしたしな。ただアイツの場合、エドガーが騎士になれたというのも騎士のへの憧れが他の子どもたちよりもずっと強いのでしょうな」
それだけじゃない。ロイが騎士になりたい本当の理由は……。
「ワシらにいい暮らしをさせたいと、そう思っているのでしょう?」
「知っていたんですか?」
「ええ。あの子はああ見えてとても優しくて真っすぐな子だ。ワシが足を悪くしてからも一人で文句も言わずに毎日仕事をしてくれている」
「ならどうしてあんなに反対を?」
ロイの父親はゆっくりと息を吐くと椅子にもたれ掛かる。
「もし平民から騎士になれれば、それはとても凄いことです。名誉なことです。ですがな、騎士になるということはいずれは戦場に行くということ。本人はいいかもしれないがそれを見送る親は堪ったものではない」
「…………」
「先日、エドガーの坊主が初陣に出た日ですがね、あいつのお袋さん倒れたんですよ。エドガー本人には親父さんもお袋さんも心配掛けないように言ってないらしいですが、ワシは妻にそんな心労を掛けたくない」
ロイの父親は此方を見て苦笑し、自分の足を叩く。
「せっかく城勤めで安全に暮らせるんだ。息子には仕事を継いでもらいたいのですよ。そのためにもワシの足のことを気にしないで欲しいと安心させませんとな」
※※※
ロイの家を出るとロイが家の壁に寄りかかっていた。
「……ごめんなさい。何も言えなかった」
「いいよ、別に」
「もしかして聞いてた?」
ロイは無言で頷く。
「そっか」と私も頷くと彼の横で壁に寄りかかる。
そのまま互いに無言で放牧場の方を眺め、のんびりと歩き回っている羊の群れを暫く見ていた。
「俺さ……」
「ん」
相槌を打つ。
「親父ともう一回話してみるよ」
「うん」
ロイは「よし!」と自分の頬を叩くと壁に寄りかかるのを止める。
私もそれに倣うと「それじゃあ、私先に戻るね」と言った。
「一人で大丈夫か?」
「寄り道しないで真っ直ぐ帰るよ。ユキノが怖いし……」
それに親子での腹を割った話し合いに第三者がいるべきではないだろう。
ロイは「分かった」と頷くと家に戻ろうとし、私も屋敷へ帰るため歩き始める。すると背後から。
「あのさ!」
「?」
家の扉の前にいたロイが此方に声を掛けてきたので振り返ると、彼はやや小恥ずかしそうに頬を掻きながら笑顔を浮かべた。
「あ、ありがとな! お前の、その、お節介なところ嫌いじゃないぜ!」
ロイは「じゃあな!」と逃げ込むように家に入ってしまい、私も屋敷に向かってまた歩き出す。
私の頬は少し、熱かったような気がした。
※※※
屋敷に戻るために大通りに入ると奇妙な光景が見えた。
酒場から男が摘み出され、恐らく酒場の看板娘であろう女が肩を怒らせ出てくる。
男は非常に小柄で一瞬子供かと思うような背丈でありこげ茶の髪を後ろで短く縛っている。
彼は芝居掛かった感じに両腕を広げて「おお! 愛しのレベッカ!! 従順なる愛の使徒である私に何故このような仕打ちを!?」と嘆く。
「なあにが、愛の使徒だい! アタシは知ってるんだよ! アンタが隣の村の、そのまた隣の村の若い娘を口説いているのを!」
看板娘の言葉に心外だと見るからに大袈裟に驚いてみせると男は跪いて看板娘の手を握る。
「確かに私は美しい女性を見れば声を掛けてしまう。だが、本気はキミだけなんだ」
「へぇー、『本気はキミだけ』ねぇ? ……ビアンカ」
「ギクッ!?」
「エリザ」
「ギクギクッ」
「マリー、ミランダ、セラ、ノエル他には?」
男は逃げ腰になり口元が引きつっている。
「アンタが誰にでもそう言うことを言ってるのは知れ渡っているんだよ! それにアタシには婚約者がいるんだ!」
「なんだって……それはおめでとう!?」
直後、盛大な平手打ちが男の顔面に叩き込まれた。
※※※
凄いものを見てしまった。
ルナミアから世の中にはダメな男がいるという話を聞いていたが正しくアレがそうなのだろう。
平手打ちをくらい倒れた男を放置して看板娘は酒場に戻り、遠巻きに見物していた村人たちはやれやれといった感じに散らばって行く。
私もさっさと屋敷に戻ろうとすると男が起き上がり、目が合った。
「おや?」
彼は服に着いた土埃を払うと笑みを浮かべて此方に近づいてくる。
「こんにちは、お嬢さん」
「こ、こんにちは」
フードを手で掴み深く被ると一歩下がる。
「ああ、突然声を掛けてしまい申し訳ない。貴族のゼダ人というのが珍しくてね」
「……どうして貴族だと思うの?」
そう訊ねると男は「失礼」と私が被っているフードを優しく摘んで少し持ち上げ、顔を覗き込んで来る。
「傷んでない綺麗な銀髪。血色の良く、整った顔立ち。愛されている証拠だ」
突然褒められ、恥ずかしかったのでフードで顔を隠す。
「非常に残念なことだが、私が見てきたゼダ人は皆酷い目にあっていたりしてね。キミは素晴らしい親に引き取ってもらえたようで幸せだ。リーシェ・シェードラン様」
「私のこと知っているの?」
「ええ、勿論。キミはキミが思っているよりもずっと有名人だからね」
そう言うと男は一礼した。
その動作は先ほどまでの道化地味たものではなく優雅で洗練されたものだ。
「名乗りが遅れまして失礼。私、ヘンリーと申します。ドワーフの旅人にして吟遊詩人、愛の使徒にして小説書き。そして、アナタの父君とは古くからの友であります」
※※※
義父の友人だと名乗る奇妙なドワーフを連れ、屋敷に戻ると衛兵のサムが「お嬢様、お帰りなさい。おや? ヘンリー殿ですか! お久しぶりです」と歓待した。
どうやら義父の知り合いなのは間違い無いようだ。
私はサムに借りていた外套を返すと彼を屋敷に案内しようとした……が。
「ぐぇっ」
首根っこを後ろから突然掴まれ、死にかけの蛙みたいな声が出てしまった。
「私に仕事を押し付け、男の家に行ったかと思えば別の男を連れて帰ってくるとは、素晴らしい根性をしていらっしゃいますね」
笑顔のまま此方を見下ろすユキノ。
対して私は咄嗟に危険を感じてお尻を守ろうとするが。
「痛い!?」
ユキノの高速手刀で一瞬でお尻を叩かれる。
恐るべし、メイド。
ユキノは満足げに頷くとヘンリーの方を向き、丁寧に頭をさげる。
「ヘンリー様、ようこそおいで下さいました。主人が中でお待ちです」
「これは丁寧にどうも。ところで、初めてお会いする、でいいですかな?」
「はい。昨年からシェードラン辺境伯様の下で働かせていただいてます」
「なるほどどおりで」とヘンリーが頷く。
「?」
なんだか一瞬お互いに変な視線を交わしたような気がしたが気のせいだろうか?
そんな風に思っているとヘンリーは「いや、流石はヨアヒム様だ」と愉快そうに笑う。
それに対してユキノの「恐縮です」と頭を下げるので私と衛兵のサムは首を傾げるのであった。
※※※
ユキノの『お客様にお会いになられるなら着替えるべきです』という猛烈な説得を受け、私は一旦部屋に戻ると以前ルナミアから貰った服に着替える。
鏡の前でちゃんと着れているか確認すると可愛らしいフリルが目につきどうにも落ち着かない。
今度もう少し落ち着いた感じの服がないかルナミアに聞いてみよう。
とりあえずちゃんと着れてそうなので私は部屋を出て一階の応接室に向かう。
ふと窓から外を見るとロイが厩舎で仕事をしているのが見えた。
父親とは仲直りが出来たのだろうか?
私は窓を開け、身を乗り出すと三階からロイに声を掛ける。
「ロイ、私、なんかお客様来たから!」
「うわっ!? 危ねぇ!! 窓から乗り出すなって!! こっちはお前の分まで仕事しておくから!」
窓を閉め、階段を駆け下りると応接室の前で一旦身嗜みを整える。
それから2回ほどノックをし、「失礼します」と部屋に入る。
「おお、リーシェよ来たか。さあ、こっちに来なさい」
応接室ではテーブルを挟んでヘンリーとヨアヒムがソファーに座っており、ヨアヒムの隣にルナミアが座っている。
バランス的にヘンリーの横に座ろうかなと考えていると義姉がポンポンと自分の隣を手で叩いている。
あ、隣に座れと?
ルナミアの隣はまだ座れそうだがちょっと狭いような気がしたので無視してヘンリーの隣に座る。
向かい側の義姉がジト目で見てくるが気にしないようにしよう。
メイドが応接室に入って来て私たちの前にカップを置き、紅茶を注ぐとヘンリーはカップを手にした。
そして彼は紅茶の匂いを嗅ぎ、それから一口飲む。
「うーむ、この香り、味わい。ベルファ産の紅茶ですな」
「流石、良い舌をしている」
「一流になるには良い舌を持つ事は必須ですからなあ」
ヘンリーはそう笑うと「さて」とカップをテーブルに置き、私の方を見る。
「リーシェ様とは初めてお会いするので改めて自己紹介を致しましょう。私の名はヘンリー。見ての通りのドワーフでエスニア各地を旅して、見たものを記録するといった事をしております」
ドワーフ。
エスニア大陸北部にあるガドア連峰の地下に住む種族だ。
人間よりも小さな背丈に頑強な体を持つ種族であり、大抵は立派な髭を生やしていると聞く。
性格は非常に頑固な者が多く、そのあまりの頑固さから他種族とのトラブルが多い。
特にエスニア西部に住むエルフとは犬猿の仲で、度々小競り合いをしているそうだ。
しかしながらこのヘンリーというドワーフは何やら飄々としており、頑固さとは正反対に見える。
更に髭がない。髭は綺麗に剃られており、髪も良く手入れをされているようだ。
私の視線に気がついたのかヘンリーは「ああ、髭ですかな?」と自分の顎を摩る。
「私はどうにも髭が好きじゃ無いので剃っているのですよ」
「ヘンリーおじ様、変わってるわよね」
「ええそりゃもう。昔は他のドワーフみたいに髭を生やしていたんですがね? シラミが湧くはで我慢出来なくなって剃ったんですよ。そしたらまあ、親父が大いに怒りましてね? いやあ、いまでもハッキリと思い出す。あの姿はまるで連峰奥深くに居る火竜王の如しでしたなあ」
そうおどけてみせると皆で笑う。ところで。
「おじ様?」
そうルナミアに訊ねると彼女は頷く。
「ヘンリーおじ様は昔から良く遊びに来て下さってね。私に色んな話を聞かせてくれたの。だから、お世話になっているからおじ様ってよんでるわ」
なるほど。第一印象は女癖の悪い変な人だったが認識を改めた方が良さそうだ。
「ところでおじ様? 今回はどこを旅したの?」
ルナミアがそう訊ねるとヘンリーほ待ってましたといった感じで笑みを浮かべる。
「今回は今までで1番危険な旅だったぞぉ! ガルグル大公領をスタートとしてキオウ大公領、そしてついにメフィル大公領に足を踏み入れたのだ!」
「メフィル領に? それはまた随分と無茶なことをしたものだ」
義父の言葉にヘンリーは「いや全くです」と苦笑した。
「正直言って、メフィル領は想像しているより更に酷いところでしたよ。至る所で亜人種お断りの看板が立ち並び、道端でドワーフが野垂れ死のうとも、エルフの若い娘が襲われ……おっと、お嬢様方の前でする話じゃありませんな。ともかく、あそこでは亜人種は家畜以下の扱いですよ」
そう言うとヘンリーは深くため息をつく。
きっと今言ったこと以外にも色々と酷い光景を見たのだろう。
「まあ、まだこれでもエルダルダよりはマシらしいですがね」
エルダルダ。
メフィル領、エスニア海に面しいる街でありメフィル大公が住う大都市である。
アルヴィリア海洋交易の基点として大いに栄えており、その繁栄っぷりは王都メルザドールに匹敵すると聞く。
「あそこはメフィル大公のお膝元ってだけあってそりゃあ恐ろしい街のようでしてね。特に慈悲の広場は悪名高い! 女神アルテミシアの像の前では毎日亜人が処刑され、男は火炙り、女は股から杭を刺して串刺しときた」
想像したらゾッとしたのでお腹の辺りを思わず庇う。日夜行われている非道に私は怖くなったが正面の義姉は大層憤っついるらしく、我慢ならんといった感じでヨアヒムに「どうにかならないの!?」と訊ねる。
「私も、兄上もメフィル大公の非道な行いには大いに懸念しているがシェードラン家がメフィル家を諫めるのは」
「力関係的に難しいでしょうな」
ヘンリーの言葉にヨアヒムは頷く。
「メフィル家の権勢は今や王を補佐するオースエン家に匹敵する。メフィル家と敵対するような無謀な事は我らには出来ないのだよ」
重苦しい沈黙が応接室を包む。
私はこの空気が嫌だったので気を紛らわせるためにテーブルに置いてあるクッキーに手を伸ばそうとしたその時。
「では、次は明るい話をしましょうかね!」
ヘンリーが話を再開したのでクッキーを取り損ねる。ああ、私のクッキー……。
「先ほども言ったようにキオウ領にも立ち寄りましてね。まあ、例によってディヴァーンの連中との小競り合いが絶えないようですが、リョウマ・キオウ大公の人徳と善政があり、このシェードラン領並みに安定してましたな」
ディヴァーンというのはアルヴィリア東部に存在する異民族の大帝国であり、文化も宗教も異なる彼らは度々アルヴィリアに侵攻して来た。
そのディヴァーンの侵攻を防いでいるのがキオウ家だ。
南方の島国、ミカヅチ国の出であるキオウ家はアルヴィリア内でも独特な価値観・風習を持っており、それはそのまま領地にも影響を及ぼしている。
天敵であるディヴァーン朝と国境を接しているのにも関わらず公正なキオウ大公を慕ってアルヴィリアで最も亜人種や異国人が多い地域である。
ちなみにメイドのユキノはミカヅチ人とアルヴィリア人両方の血が流れているらしい。
「私も何度かキオウ大公にお会いしたことがあるが騎士とは違う、そう、武人と言うべき方だな」
「ええ、そのようで。キオウ大公の一人娘、ミコト様も一度だけ遠目で拝見しましたがいやあ、凛とした方でしたなぁ。冷静沈着で武芸に長けているそうで、ルナミア様と気が合うのではないでしょうか?」
「お会いしてみたいわ。そしてもちろん手合わせも」
ルナミアの言葉にヘンリーは「ハハ! 流石です」と笑う。
それから彼はミカヅチ特有の祭りの話、旅の途中で盗賊に襲われたが間一髪で傭兵に救われた話、森ではなく町に住み着いたエルフの話。
様々な話をしてくれて、それを聞いているうちにあっという間に夕方になったのであった。
※※※
「それでは、お父様、叔父様。また後で」
シェードラン辺境伯の二人の娘が応接室から出ていくのを見届けるとヘンリーは「さて、と」と笑みを浮かべて自分の荷物が入っていた袋からワインの入った瓶と二つのゴブレットを取り出す。
「お嬢様方も退出されたようですし、ここからは大人の時間ということで」
「む? この銘柄はドワーフの?」
「ええ、父の蔵から一つくすねてきました」
ヘンリーが悪びれずにそういうのでヨアヒムは苦笑し「父君をあまり困らせるなよ」と言う。
「なぁに、気にすることはありません。ドワーフの秘蔵ワインなんて腐るほどもっているんだ。一本ぐらいなくなっても気づきはしませんよ」
ゴブレットにワインを注ぎ、ヘンリーはヨアヒムに差し出す。
それをヨアヒムは受け取り、まず香りを楽しみ、次に一口飲み、味わうように舌の上で転がす。
「癖があるがいい味だ」
「でしょう? サラマンダーの燻製と一緒に食べるとこれがまた美味しくなるのですよ。残念ながらサラマンダーの燻製はとても臭いので持ち運べませんがね」
ヘンリーはゴブレットを手に持ち「では、乾杯」とヨアヒムと共にゴブレットを少し掲げる。
そしてワインを二口程飲むと「さて」と背筋を正す。
「黒曜の宝物庫からある禁忌品が持ち出されましてな、私はその行方を追っているのですよ」
「禁忌品、とな?」
「ええ。"冥府の腕輪"と呼ばれるものでして、装着した者は冥府より死者の軍勢を呼び出せる恐ろしい代物です。ただ、腕輪は装着者の魂を吸って死者を呼び出すので、腕輪を使うと約半日で装着者は灰になって砕ける」
ヘンリーがぱあっと両腕で人が砕けるジェスチャーをするとヨアヒムは「武器としては欠陥品だな」という。
「ええ、その通りで。もともとは狂王が無敵の軍勢を生み出すためにドワーフの奴隷たちに作らせたそうで。当時も装着者が必ず死ぬことと、冥府の神に察知されぬよう召喚は一日に一度だけという制約で直ぐに封印されました」
「だが」とヘンリーは続ける。
「力自体は強力だ。何も無いところから大軍を生み出せるんです。腕輪の制約も奇襲といった短時間ならあまり気にしなくていい。だから己の死を厭わない連中が腕輪を手にしたら大変だ」
「……例の死霊騎士か?」
ヘンリーは頷く。
「噂を聞いた時、よもやと思いました。死霊騎士について分かるまで暫くここに滞在しようかと考えておりますよ」
「ならば屋敷に泊まるといい。娘たちも喜ぶ」
二人は頷き合い、ワインを一気に飲み干す。
窓から差し込む夕日は不気味なほど赤く見えるのであった。
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