幼月の章

第1節・丘の上の故郷Ⅰ

 気が付けば私は檻の中に居た。


 服とは呼べないボロボロの布を身に纏い、足枷を付けられ、まるで家畜のように薄暗い部屋の狭い檻の中に居た。


 私にはそれより前の記憶は無かった。


 生まれてから十年。

他の子どもたちが持っているような親や友人との思いでなどなく、ただ空っぽであったのだ。


 だがそれで良かったのだろう。


 私と同じように檻に入れられていた子供たちは皆、絶望し泣いていた。


「家に帰して」


「お母さんに会いたい」


 そう言うたびに他の子どもたちは殴られていた。


 そしてある朝、一人の子供が死んだ。

どうやら夜に大人たちに棍棒で殴られて際に頭を怪我していたらしく夜の間に死んでしまっていたようだ。

それ以来子供たちは大人しくなった。


 朝は檻の中でじっとしており、夜にはすすり泣く声が聞こえてくる。

そんな生活をどのくらい続けていただろうか?


 檻にいた子供たちは少しづつ居なくなっていく。


 最初に居なくなったのは顔立ちの整った女の子だ。

大人たち曰く、顔の良い女は高く売れる。お前も顔は良いが、その髪と肌はだめだと言われた。


 次にいなくなったのは比較的健康な男の子だ。

鉱山労働者を求めている人間は多いし、時々”そっち”の趣味を持つ貴族が大金で買うらしい。


 そんな感じで子供たちは次々と売れていき、気が付くと私だけが残っていた。

どうやら私は”嫌われ者の血”が流れているらしい。

顔は良いと褒められたがやはり血のせいで買い手がつかなかったらしい。


 ある夜、大人たちの会話が聞こえた。

新しい商品が手に入るらしく、その前に売れ残りの処理をするとのことだ。


 私は明日には殺されるのだろう。

だが特に何も感じなかった。


 私は何も持っていない空っぽの人間なのだ。だから死んだとしても何も失うものはない。

ただなぜ自分は記憶が無いのか?

それだけは気になった。


 檻の中にある藁の布団に横になる。

この生活も今日で最後かと目を瞑り、眠りにつこうとした瞬間、異変に気付いた。


「……騒がしい?」


 部屋の音から激しい物音が聞こえてくる。


 大人たちの怒鳴り声、何かが激しくぶつかり合う音。

しばらくそれが続くと急に静かになった。


 そして部屋の扉が開かれ大人が一人、部屋に入ってきた。


 知らない大人だ。


 初老の、白髪交じりの髪を後ろに纏め、口ひげを生やした男。

彼はこちらを見るとやや驚いたように目を広げ、それから優しく微笑んだ。


「やあ。お嬢さん、名前を聞いてもいいかね?」


***


 私は木に登り、地平線を眺めていた。


 青い空はどこまでも続き、はるか先でなだらかな丘と接合する。


 ここからは丘の上にある風車小屋が良く見え、私はゆったりと回る風車を見るの

が好きだった。


 風が吹く。


温かな春の温もりと、草木の匂いを乗せた風は心地よくついうとうととしてしまう。


 このまま眠ってしまおうか?

なにかやらなきゃいけないことがあった気がするが、それは彼がやるだろう。きっと。


 本格的に寝そうになり目を閉じた瞬間、下から声を掛けられた。


「こら! サボり魔!」


 凛とした澄んだ声。私のよく知る人の声だ。


 木の上から下を見ると根元に私と同い年くらいの少女が立っていた。


「ルナ……ミア様」


 ルナミア・シェードラン。

私にとって恩人であり、主人であり、そして……姉のようなものだ。


 ルナミアは腰まで伸びた漆黒の美しい髪を風に靡かせ、金色の瞳でこちらを見上げている。


「貴女、厩舎掃除の時間でしょう? ロイが怒っていたわよ?」


「……あそこ、臭い」


 そう言って枝の影に引っ込むとルナミアは呆れたようにため息を吐いた。


「お屋敷仕事は嫌だって言ったの貴女でしょう? 我が儘を言わないの。女神様に怒られるわよ?」


「私、女神信じてない……」


 「こらっ!」と叱られたのでますます引っ込む。

 我が儘を言っているのは確かだ。


 ルナミアや彼女の父親は私に屋敷での生活や仕事をくれたがある事情で私は極力屋敷に居ないようにしている。

屋敷から離れた厩での仕事は私から頼んだものなのだ。


 木の上から枝などを掴みながら飛び降りると地面に着地する。

それから服に着いた葉っぱなどを手で払っているとルナミアは「エルフもびっくりな身軽さね」と肩を竦める。


「ところでリーシェ? 私があげた服はどうしたの?」


「仕事で汚れるから……。あと、私には似合わない」


「あらそうかしら? 貴女可愛いから似合うと思うけど? 髪も綺麗な銀色だし」


「ルナミア様、あまり私の姿褒めない方がいい」


「嫌よ。私は自分がいいと思ったことはちゃんと言うわ。それにくだらない差別は嫌いだし」


 そう言うとルナミアは「さあ行くわよ」と歩き出し、私も彼女の後を追うのであった。


***


 私が住んでいるのはアルヴィリア王国の西部にあるシェードラン領。

そのシェードラン領の更に西側。

エルフの住む深緑の樹海に近いコーンゴルドの城であった。


 城ではあるが大きな屋敷ぐらいのものであり、丘の上に建てられた城を覆うように堀と木の柵が設置されている。

堀の外には村があり、その村を覆うようにさらに木の柵があった。


 私たちは城の正門近くにある厩舎にたどり着くと、赤毛の少年が鍬を持って仁王立ちしているのが見えた。


 少年はルナミアに一礼すると私を指さし、「おいコラ!」と詰め寄ってきた。


「お前はいつになったら時間を守れるようになるんだ!! 昼の礼拝が終わったらすぐに厩の掃除するって言っただろうが!!」


 そう言うと少年は「あれ?」と首を傾げた。


「てかお前、礼拝にいたか?」


「…………」


 目を逸らす。


 どうにも私は礼拝が苦手であった。

神父様のお話を聞き、そのあとお祈りをする。

あの静かな雰囲気が性に合わないのだ。


「はぁ……。この子、礼拝もサボったのね」


 ルナミアがそう肩を落とすと少年が鍬をこちらに向けてくる。


「この罰当たり! 女神さまに怒られるぞー!」


 顔先で鍬を振り回さないでほしい。

鍬についている馬の糞が飛ぶ。


「この子のサボり癖と不信心っぷりは問題ね。今度、神父様に相談するわ」


 それは嫌だ。


 神父様は普段優しいが怒ると説教が長いのだ。


 以前一度だけ彼を怒らせてしまい、昼から説教が始まり終わったのが日が暮れたころだったのを思い出す。


「し、仕事……!」


 慌てて近くにあった鍬を持つと「これから仕事だから」とルナミアの方を向く。

そんな私にルナミアは苦笑すると少年に「じゃあ、ロイ。あとはよろしくね」と言った。


「はい! ルナミア様! お任せください!」


 ロイ少年はそう頭を下げるとルナミアは頷き屋敷に帰っていった。

それを二人で見届けるとロイは「うし!」と気合を入れ、此方を見る。


「遅れた分はしっかりと働いてもらうぞ!」


***


 厩舎での仕事はいくつかある。


 一つは馬の手入れ。

繋がれている馬たちをブラシで丁寧にこすり、汚れを落としてあげること。


 一つは餌やり。

馬たちの餌箱に水や餌を補充してやること。


 そして今やっている厩の掃除だ。

馬が餌を食べた際の食べかすや糞を鍬で搔き集め、一か所に纏める。

そのあとはシャベルで汚物を掬い、手押し車に入れるのだ。

これがなかなかの重労働で汚物をシャベルで持ち上げるには子供の体ではしっかりと腰を落とす必要がある。あと臭い。


 最後の一掬いを終え、額に流れる汗を拭うと一息つく。

毎日掃除しても馬たちはあっという間に厩舎を汚す。

三日も放置すれば肥溜めと化してしまうだろう。


 鍬を置き場に戻し、ロイの姿を探すと彼は厩舎の前で木の棒を持って素振りをしていた。

まっすぐに前を見つめ、真剣な表情で棒を振り続ける。


 これはロイの日課だ。

彼は毎日仕事の合間にこうやって素振りをしている。

そして私はそんな彼の姿を見るのは嫌いではなかった。


 ふとロイと目が合う。

彼はややばつが悪そうに眼を逸らすと手に持っていた棒を投げ捨てる。


「ロイは騎士になりたいのだっけ?」


 そう尋ねるとロイは頷く。


「今は馬の世話係の小僧だけどいつかは誰かに弟子入りして、騎士になるんだ」


「ふぅん。でも、騎士って貴族しかなれないんでしょう?」


「うるせぇなぁ。平民でも騎士にはなれるんだよ。まぁ、貴族様よりは圧倒的に大変だけど……」


 騎士になるにはまず小姓にならなければいけない。


 騎士に認められ、しばらくは小間使い。

そして何年かそれをしたら従騎士となり、自らが使える騎士から剣の扱い方や馬の乗り方など様々なことを教わる。

そしてさらに何年か経つとようやく騎士になるのだ。


「俺は騎士になって、いつかあの”白銀騎士団”に入るんだ!」


 ”白銀騎士団”というのはシェードラン本家が所有するアルヴィリア王国有数の騎士団だ。


 白百合を旗印とし、戦では常勝無敗の騎士団。

エルフラント神聖国との紛争、メフィル領の大反乱、そしてつい最近では東の異民族国家ディヴァーン朝の侵略で多大な戦果をあげている。


「平民でも騎士になれるんだ。じゃあ女も?」


 そう尋ねるとロイは「無理無理」と笑った。


「基本的に騎士は男しかなれない。例外として”聖女”レグリア様の聖アルテミシア騎

士団とかあるけどな」


 ロイはなぜか自慢げに語ると「まさか……」と此方を見た。


「……お前、騎士になりたいとか言わないだろうな?」


「興味ない」


「だよな! 女の、それも ゼダ人のお前が……」


 ロイは慌てて口を閉じ、それから申し訳なさそうに「すまん」と謝ってきた。


「いいよ。言われ慣れているから」


 ゼダ人。


 悪魔の血。

散々言われてきたことだ。


 褐色の肌に銀色の髪を持つゼダ人はアルヴィリアでは迫害されている。


 ゼダ人はもともとエスニア大陸南東部に広がるザドアの大砂漠に住む人種であった。


 彼らは当時のエスニアでは小勢力であったが初代皇帝デスモアル・ヴェルガが周辺祖国を支配し、急速に勢力を拡大。

そしてヴェルガ帝国を名乗ると異常なまでの拡張と人間至上主義を掲げ、エルフなどの亜人種を徹底的に迫害した帝国は隣国を次々と呑み込み、第12代皇帝”狂王”ダスガールヴ・ヴェルガの代ではエスニア大陸の大半を支配していたという。


 しかしダスガールヴ・ヴェルガが引き起こしたエスニア大戦により多くの人々が死に、更にダスガールヴは邪神と契約し大陸に暗黒の時代をもたらした。

最終的に”狂王”は六人の英雄が率いる反乱軍により討たれ、帝国はあっという間に瓦解。

ゼダ人はダスガールヴが邪神と契約したのもあり、悪魔の血として迫害を受けることになった。

今でもゼダ人は道を歩けば石を投げつけられる程だ。


 近くに置いてあった水の入った桶をのぞき込む。


 水面に反射して見えるのは銀の髪を肩まで伸ばし、赤い瞳に褐色の肌を持つ12歳のゼダ人少女。

ルナミアは私を可愛いと言ってくれるが私はこの姿のせいでいろいろと酷い目にあった。

あまり自分の容姿を好きになれそうにない。


 ロイとの間に気まずい雰囲気ができてしまったので私は話題を逸らすことにした。


「ロイが騎士になりたいのは偉くなりたいから?」


 そう訊ねると彼は首を横に振った。


「偉くなるなんてどうでもいいよ。俺はただ親父とお袋に楽をさせたいだけさ」


 ロイの父親はコーンゴルドの馬の世話係だ。

数年前まではロイと共に馬の世話をしていたそうだがある日暴れ馬に足を蹴られ大怪我を追ってしまった。

それ以降足を悪くし、力仕事ができなくなったため子供でありながらロイが一人で馬の世話をするようになった。


「親父は反対だろうけど、騎士になれば金も一杯手に入るようになる。そうすればもっといい生活させてやれる」


 それからロイは「あと」と続けると屋敷の方を見る。


「俺も旦那様のように誰かを守れる人間になりたい。いつかはルナミア様の騎士になるんだ! 貴婦人に仕えるのも騎士道だからな!」


「私も一応貴族の養子だけど?」


 そう言うと鼻で笑われた。


「お前は貴婦人って呼ばれたかったらもっと貴族らしくしろ! 厩舎掃除をする貴族の娘と聞いたことねぇぞ? てか、お前いつまで厩舎仕事する気だよ!? 微妙にやり辛いんだって!」


 私は「あーあー、聞こえないー」と耳を塞ぐと突然鐘が激しく鳴り響いた。


 屋敷にある物見台の鐘。

それが鳴り響くということは……。


「出陣!?」


***


 鐘の音が鳴ってから屋敷は一気に慌ただしくなった。

衛兵たちが屋敷の前に移動をし始め、武具や旗が集められる。


 私たちは馬の鎧や鞍の点検を急いで始めると屋敷の方から金髪で少し癖っ毛の青年がやって来た。


「厩舎係! もう準備はできているか!!」


「も、もう少しです!」


「遅いっ! ウェルナー卿の馬を最優先にしろっ! あと俺の馬もだっ!」


 青年の言葉にロイは「え!?」と作業を止める。


 驚くロイに対して青年は「ふん」と得意げな表情を浮かべた。


「ウェルナー卿からお供をしても良いと許可をいただけたのだ! ついにウェルナー卿が俺の実力を認めてくれたのだな!」


 感無量という感じに拳を握りしめる青年に対してロイは複雑な表情を浮かべてい

た。


 エドガー・バードウィン。


 この青年はロイとは3つ年上の昔馴染みである。

エドガーは元々鍛冶屋の息子であり、ロイの兄貴分だったそうだが、彼はコーンゴルドの騎士団長であるウェルナー卿に頼み込み、平民でありながら騎士の小姓となった。

その後は順調に従騎士になり、ついに初陣というわけだ。


 ロイからしたら憧れであり、置いていかれたという気持ちが強いのかもしれない。


 エドガーは見栄っ張りで少し意地悪なところがあるのでウェルナー卿の馬を取りに来たついでに自慢しに来たのかもしれない。


 だが、私は見逃さなかった。

胸を張るエドガーの脛当てを留めるベルトがだらしなく外れていることや、ソードベルトがやたらと高いところにあることを。


(言わないでおこう……)


 大分みっともないが私が指摘するとエドガーは不機嫌になるだろう。

きっと出陣までに他の誰かが指摘するはずだ。


 それにしてもこの男。私のことを完全に無視である。

最初に目があって私の事には気がついているはずだが一瞬嫌そうな顔をした後、こっちを視界に入れないようにした。


 エドガーがお得意の自画自賛に入り始める。

ああなると長い上に聞いている側の精神衛生上よろしくないのでウェルナー卿の馬の手綱を持って近く。


「ところで、どうして出陣を?」


 エドガーは小さく舌打ちをすると私から手綱を引ったくり「貴女には関係ありませんよ。馬の世話でもしててください」とぶっきらぼうに言った。


 それに対してロイが「おい!」と一歩前に出かけるがその前に。


「コラッ!」


 目の前でゲンコツが落ちた。


「いってぇ!? どこのどいつだこの従騎士エドガー様に手を出し……たの……はい!?」


「誰かって? そりゃお前、騎士様だよ」


 エドガーの背後に立っていたのは正真正銘の騎士だった。


 鎧を身に纏い、肩から青地に金の刺繍が入ったマントを提げているのはコーンゴルドの騎士団長、ウィリアム・ウェルナーだ。


 茶色いウェーブがかった髪に口ひげを生やしたウェルナー卿は「お前、頭固いなぁ!?」と先ほどエドガーを殴った手をさすると苦笑した。


 それから此方を向くと深く頭を下げる。


「我が従士が失礼をいたしました。この者、まだ未熟故リーシェ様にあのような事を言いましたがどうかご容赦下さい」


「え、あ、はい。大丈夫です」


 そうこちらも頭を下げるとウェルナー卿は頷き、エドガーの方を見るが彼は不貞腐れたようにそっぽを向いてしまう。

そんな様子に苦笑するとまた此方を見た。


「メルの村を賊が襲撃したと生き残りが城に駆け込んできましてな。これより討伐の兵を出すところです」


「また、ですか」


 ここのところコーンゴルド周辺の村が襲撃されるという事件が多発している。

賊は夜の間に現れ、村を襲い幾つかの家を焼いたら姿を消す。

食料などを奪うわけではなくただ襲撃をするだけらしい。


「どうも今回はいつもと違って村を占領しているらしいのでね。いい加減誰の膝元で暴れているのか思い知らせてやりますよ」


 そう言うとウェルナー卿はエドガーから馬の手綱を受け取ると私に対して片膝をついて頭を下げる。エドガーもそれにしぶしぶ従う。


「それではリーシェ様、これよりコーンゴルドの騎士団出陣致します」


「ご武運を」


 ルナミアが依然やっていたのを見よう見まねでウェルナー卿の肩にそっと手を乗せる。

それにウェルナー卿はさらに深く頭を下げ、私が一歩下がると立ち上がった。


「よし! エドガー、行くぞ!! 正門前で集合だ!!」


「はい!」


「それから、鎧のベルトが外れている! 出陣までにしっかりと直しておくこと!!」


「はい! …………えっ!?」


 「ハハハ」と笑いながら馬に跨り、正門に向かい始めたウェルナー卿をエドガーが慌てて自分の馬を引っ張って走っていく。

そんな二人の背中を見送っているとロイがぼーっと此方を見ていることに気が付いた。


「なに?」


「お前、貴族っぽいことできるんだな……」


***


 私は厩舎での仕事を切り上げ、裏門から屋敷に戻るとすぐに三階へと昇る。

そして三階にある屋敷のテラスから正門の様子を伺う。


 正門の跳ね橋はすでに降ろされ、その前にウェルナー卿を始めとした100名ほどのコーンゴルドの兵士たちが整列しているのが見える。


 そしてそんな彼らと向かい合うように立っているのがルナミアとそして私の義父であるヨアヒム・シェードラン辺境伯だ。


 白髪の混じった髪をオールバックにして固め、口には立派な顎鬚が生えている。


 シェードラン領を治めるラウレンツ・シェードラン大公の弟、かつて白銀騎士団の団長であった誇り高き武人。私を牢から救い出し、人としての人生を与えてくれた恩人。

それが私の義父だ。


 恐らく今は出陣する兵士たちに義父と義姉が見送りの挨拶をしているのだろう。

ルナミアには私も出陣の際には見送りに参加しろと言われているが、私はこうやってテラスからひっそりと見送るだけ。


 来た時よりは大分ましになったとは言え、私に対していい感情を持っていない兵士は多い。


そんな人間に兵士たちも見送られたくはないだろう。


 義父が一歩下がり、ウェルナー卿が頭を下げたのが見えた。どうやら挨拶も終わったようだ。


 ウェルナー卿が馬に跨り、彼と共に出陣する騎士たちも己の馬に跨る。その中には遠目からでも緊張しているのが分かるエドガーがいた。


 ふとウェルナー卿が此方を見た。


 彼が此方に一礼するとヨアヒムとルナミアも私がテラスに居ることに気が付き、ルナミアが一瞬寂しそうな顔をしたように見えた。


 鐘の音が鳴る。


 物見台の兵士が鐘を鳴らし、別の兵士が角笛を吹く。

それを合図として兵士たちが一斉に動き始めた。


 騎士団が集落を抜け、丘の向こうに消えるのを見届けると私は屋敷に戻ろうと振り返った。


「お見送り、お疲れ様です」


 そう言ったのはいつの間にか私の後ろで待機していたメイドだ。


 ショートボブの黒い髪に茶色い瞳。アルヴィリアでは珍しい少し黄色寄りの肌。

私の専属メイドであるユキノだ。


「全く気がつかなかった」


「メイドですから」


「ドアが開く音もしなかったけど?」


「メイドですから」


「ユキノ、よく気配消すよね」


「メイドですので」


 メイドって凄いな。

今度、気配を消すコツを教えて貰おうかな?


 ユキノはこちらに近づくと鼻をスンスンと鳴らしてから頭を下げた。


「お嬢様。お嬢様は今、大変お臭いので他の方の迷惑になる前にとっととお風呂に入りやがれ下さい」


「ユキノって凄い敬語を使うよね。私以外に言っちゃダメだよ?」


「そうですね。私は純粋な心を持っていたらしく、以前奉公していた奥様にも『奥様、いくら化粧をしても老化からの老け顔は隠せませんよ』と言ってしまい、危うく首と胴体が永遠に別れるところでした」


 今度改めて純粋という言葉を辞書で調べよう。

もしかしたら私は間違えて覚えたのかもしれない。


「辞書を読むのはいい事です。知識はそのまま将来の力になります」


 平然と心を読みおる……。


ユキノは「あ、そうだ」と言うとポンと手を叩いた。


「ルナミア様が修練場に来いと仰っておりました」


「今日は3の日だっけ?」


 各月の3の倍数の日はルナミアと剣の鍛錬をする事になっている。

自分は別にやらなくていいと言っているのだがルナミア曰く『コーンゴルドの女た

るもの、最低限の武技は身に付けるべし』とのことでほぼ無理やり参加させられている。


 私は自分の体の臭いを嗅いだのち「うーん」と悩むとユキノを見る。


「汗かくからお風呂は後にする」


 そう言うとユキノは鼻を摘みながら頷くのであった。

本当にいい性格をしている。


***


 一旦自分の部屋に戻り、剣の鍛錬用の服に着替えると屋敷の地下に向かった。


 地下は春でも空気が冷んやりとしており、壁にかけられた蝋燭の日がユラユラと揺れている。


 石の通路を歩き、鍛錬場の扉を開けると中では既にルナミアが木刀で素振りをしていた。


 彼女は此方に気がつくと素振りを止め、「ふぅ」と息を整える。


「貴女、テラスに居たでしょう?」


「それはきっと人に化た妖精かなにか」


「あら、私の瞳が妖精と人を見間違えるとでも?」


 見間違えない。


 ルナミアは少々特殊な才能を持っており、魔術などの流れを見れるらしい。私にはよく分からないが。


「それに愛しい妹を見間違る筈ないわ」


「そういうの……よくない」


 こそばゆくなり、顔を逸らすとルナミアはクスクスと笑う。

この義姉はしっかり者のようで悪戯好きだったり、冷静なようで突拍子もない事をしたり……つまりよく分からない。


「それで? 今日は素振り? それとも型の訓練?」


 そう訊ねると義姉は木刀を此方に投げ渡してきた。


「今日は模擬戦闘をしましょう」


「は?」


 木刀を掴み損ねて床に落とす。


「誰が?」


「当然、私と貴女で。貴女も大分様になってきたからそろそろ模擬戦をしてもいいと思ったのよ」


 いや良くない。


 真面目に鍛錬しているルナミアと違って自分は結構サボっている。

それにルナミアは天才だ。


 習ったことは直ぐに飲み込み、次々と習得していく。

私と同い年だが恐らく剣の腕はエドガーより上だ。


「私じゃルナミア様の稽古相手が務まらない」


「今日は貴女の稽古よ。というか、それよ! それ!」


「そーれ」


 木刀で小突かれた。


「貴女、また私のことを様付けしてるわね! 姉呼びか呼び捨てにしなさいって言ってるでしょうに!」


 ルナミアは「まあ貴女なりの配慮だというのは分かっているわ」と肩を落とすと「あ、そうだ」と笑みを浮かべる。


「私が模擬戦に勝ったら私を姉か呼び捨てにすること。貴女が勝ったら……そうね、昼の礼拝をサボっても目を瞑ってあげる」


 ルナミアが掲げた条件を頭の中で天秤に乗せて約2秒。


「やる」


 そう言うと「どれだけ礼拝が嫌なのよ。神父様が可哀そうになるわね」と義姉は苦笑する。


 私は足元に落ちていた木刀を拾うと片手で2、3回振り、柄をしっかりと握る。

それからルナミアと向かい合うと背後から「ほう、面白いことをしているな」と声を掛けられるのであった。


***


 声の方に振り替えると鍛錬場の入り口近くの壁に義父ヨアヒム・シェードランが居た。


 私たちは急いで構えを解き、頭を下げようとすると義父はそれを片手で制する。


「私のことは気にしなくていい。愛娘達の鍛錬でも見てやろうかと思えばなかなか興味深いことになっているではないか」


 義父はまずルナミアを見る。


「ルナよ。お前は筋がいい。剣の腕は私以上かもしれない。妹に教えることによってさらに研鑽しなさい」


「はい! お父様!」


 次に私を見る。


「リーシェよ。お前は剣の腕はルナに及ばぬかもしれないがその身のこなしは特筆

するものがある。今回の模擬戦で自分の”戦い方”を探してみなさい」


「はい、とと様」


 義父は満足そうに私たちの顔を見て頷き、それから「さあ、始めなさい」と言う。


 その言葉に私たちは向かい合い直し、木刀を構えた。


 さて、正直ルナミアにさっさと負けるのもいいかと思っていたが義父が見ているとなると少し頑張ってみたくなる。

勝つことは無理でも一矢報いるぐらいはしてみたい。


「あら? さっきよりも随分と真面目な顔になったわね?」


「私はいつも真面目だよ」


 両手で木刀の柄をしっかりと握り、一歩横に動く。


「……貴女、真面目って言葉しっている?」


 ルナミアが一歩前に出てきた。


 彼女の剣先は全くぶれずに私の顔面を向いており、一歩前に踏み出されるだけでかなり圧迫を受ける。


「知ってるよ。だから真面目にさぼって……いっ!?」


 一閃。


 鼻先を木刀が掠めた。

咄嗟に仰け反らなければ頭に木刀が直撃していただろう。


「普通妹の頭を狙うかな? 当たってたら怪我したよ?」


「この程度避けると思ったから。実際避けたでしょう?」


 ルナミアが再び一歩前に出てき、私は一歩下がる。


「いや、たまたま避けれただけだか……ら!!」


 ルナミアが更に一歩前に出る瞬間に逆に踏み込んだ。


 上段からの体重を乗せた叩き切り。

当たれば怪我をさせるだろうが、この義姉のことだ簡単に避けて……みせた。


「甘い!」


 此方が放った上方からの斬撃を自分の木刀を横から当てることで容易く弾く。


 体重を攻撃に乗せていたため、攻撃を弾かれた私は前につんのめる。

そこを見逃すルナミアではなかった。


 体勢を崩した私に対して横腹への一撃を放つ。

木刀で受けるのは間に合わないし、今の状態では距離を離すのも無理だ。

ならばと、私は思いっきり前に転がった。

多少無様でも鍛錬上を転がり、ルナミアの斬撃を避けると距離を離す。


 「よし、ここから反撃だ!」と立ち上がろうとした瞬間、木刀が首にポンと当てられた。


「はい、私の勝ち」


「ですよね」


 さて、模擬戦には負けてしまったが勝ち誇った顔をしている義姉を見ているとどうにか一矢報いたいと思ってしまった。


「これ、一応まだ首は繋がってるよね?」


「ん? まぁ……そうね。なに? まだまだ続ける?」


「いや、今の私じゃどうやっても勝てないから……嫌がらせする」


 「嫌がらせ?」とルナミアが首を傾げるので立ち上がる。


「実は私、厩舎仕事終えてからお風呂入っていない。そして今、いっぱい汗をかいた。つまり」


「ちょ、ちょっと……?」


 ルナミアが顔を引きつらせながら一歩下がる。


「私は今、とても臭い……!!」


「ぎゃああああ!?」


 私はルナミアに抱きつき、2人で鍛錬場の床を転がるのであった。


***


「やれやれ」


 我が娘たちは大人顔負けの模擬戦をしたかと思えば仲睦まじく抱きつき合ってい

る。

いやこれはリーシェがしがみつき、ルナミアが割と必死にもがいてるのか?


 兎も角、ルナミアもリーシェも色々と複雑な事情を抱えた特殊な姉妹だが、こうやって年相応にふざけあっているのを見ると父親として嬉しく思う。


 ルナミアはもともと真面目な娘で、貴族の娘として他者の模範となるようにしていた。

だがそのせいで父である私の前ですら無理をする様になり、心配していたのだがリーシェが来てからは大分本来の自分を出すようになって来た。


 リーシェは屋敷に連れてきた当初は痩せ細り、まるで魂が抜けたかのような有様であった。

ゼダ人である彼女は屋敷でも腫れ物扱いだったがある事件を切っ掛けに変わり始め、今では家族の前では笑顔を見せるようになった。


 2人は互いに影響を与え合い、良い方向へと歩んでいる。私はそう思う。

 ルナミアがどうにかリーシェを振り解くと慌てて自分の体の臭いを嗅ぎ、「なんか臭い!?」と騒ぐと木刀を手にした。


「よくもやってくれたわね! もう一度勝負よ!」


 リーシェの方は「えー」と渋々木刀を拾い、構え直した。

私はそんな光景を見て「ふむ」と頷くと2人を止める。

それから壁に立て掛けてあった訓練用の棒を取るとリーシェに投げ渡した。


「リーシェ、次はそれを使ってみなさい」


 リーシェは少しキョトンとするが頷き、自分の背丈程ある棒に持ち変える。


 それからルナミアと対峙し、踏み込んだ。

長い棒のリーチを活かそうとした突き。

だがそれは容易く避けられ。


「あいたっ!?」


 頭に一発反撃を受けた。


 今度は棒を横に薙ぐ。

体を大きく動かし、広範囲をなぎ払おうとするが大振りになり過ぎて体勢が崩れる。


 対してルナミアは冷静にリーシェの攻撃を弾き、それからまたリーシェの頭に一発軽く撃ち込む。


「馬鹿になるっ!?」


 リーシェが叩かれたところを摩りながら助けを求めるように此方を見てきたので助言をすることにした。


「自分の体の軸と棒の位置を意識しなさい。棒を振るのではなく、棒と共に動く。難しいかもしれないがやってみなさい」


 此方の説明が良く分からなかったのかリーシェは僅かに眉を顰めたが、またルナミアと向かい合う。


 ゆっくりと深呼吸をし、棒の中心を掴み短く構える。それから腰まで棒を下ろして構えると、踏み込んだ。


 まずは小さく連続で突きを放ちそれを避けられたら腰を捻って棒を横に薙ぐ。

やや体が棒の動きに引っ張られているが最初よりだいぶ制御できているようで、ルナミアに攻撃を弾かれても直ぐに体勢を立て直していた。


 対するルナミアはあくまで冷静にリーシェの攻撃弾き続け、反撃の機会を伺っている。


 リーシェが再び踏み込んだ。

右からの横薙ぎの攻撃をするかのように見せかけて、強引に反対側に体を捻る。


(ほう、フェイントか)


 攻撃を受けるつもりだったルナミアにとっては不意打ちであり、がら空きだった反対側の脇腹に棒が迫る。


 そして棒が脇腹に当たるかと思われた瞬間にルナミアの姿が消えた。

否、しゃがんだのだ。

棒は空振りルナミアの頭上を通過し、ルナミアはそれと同時に足払いをする様に回し蹴りを放った。


「!?!?」


 勝ちを確信していたリーシェは目を丸くし、足払いによってひっくり返った。


***


 ルナミアがひっくり返ったリーシェに近づくのを見ながら私はゆっくりと息を吐いた。


 ルナミアが剣の才能に恵まれているのは前々から知っていた。いずれは私を超えるかもしれない。そんな風に思っていたが今日の模擬戦を見て認識を改めなければいけない。

この子は私を超えるどころかこのまま研鑽すれば 王国最強と称される”聖女”に並びたてるかもしれない。


 ルナミアだけではない。

リーシェもわずかな時間で棒術のコツを掴んでいた。

彼女の身軽さ、体幹の強さはそのまま武器となる。彼女もまた、研鑽を積めばかなりのものになるだろう。


(血は隠せぬか……)


 ルナミアとリーシェ。

二人に流れる血は特別だ。

その血故に二人の運命は茨の道となるやもしれない。

だからこそ、私はこの二人にどんな困難も乗り越えるだけの精神と力を授けてやりたい。

そう心から思っているのだ。


「ちょっと!?」


 ルナミアが倒れているリーシェを引き起こし、こちらを慌てて見た。


「お父様、大変!! リーシェが気を失っている!!」


***


 子供の頃から騎士に憧れていた。

鎧と剣を見に纏い、どこまでも続く平野を軍馬で駆け抜ける。

本の中に出てくる騎士はまさしく英雄であり、誰もがその英雄譚に心を躍らせた。


 自分の家は代々コーンゴルドの鍛冶屋であり、シェードラン辺境伯には懇意にしてもらっていた。

その為、同じく馬の世話係の一族であるロイと共に騎士を間近に見る機会が多く、憧れも他の村の子供たちより強かった。


 特に騎士団長であるウェルナー卿は英雄譚に出てくる騎士そのものであり、当時は彼に声を掛けられるだけで嬉しさのあまり体が震えた。


 その後、ある事が切っ掛けで騎士になる事を決意し、一か八かでウェルナー卿に師事を頼み込んだ。

平民の出である俺をウェルナー卿は小姓にしてくれ、昨年従騎士になったのだ。


 そして今日、実戦訓練も兼ねてと賊討伐に従軍することになった。


 武者震いがした。


 初陣に対する恐怖は勿論ある。

だがそれ以上に自分も物語の騎士の様に戦えるのだと歓喜した。

悪党を退治し戦果を上げ、城に戻ってシェードラン辺境伯やあの方に褒められてもらう。

それが自分の考える初陣であった。

だが。


「……なんだ……これは……?」


 日が沈み始め、空が不気味な朱色に染まる頃。

眼前には地獄が広がっていた。


 家は全て焼け落ち、そこら中に人だったものが転がっている。

辺りを漂う強烈な死臭は全身に鳥肌を立たせる。

賊などどこにも居ない。あるのは徹底した破壊のみ。


「こいつは、想像以上に酷いな……」


 先頭で騎馬に跨っていたウェルナー卿は眉を顰め、そう呟くと背後にいる部下たちに振り返った。


「生存者がいるかもしれん! 2人1組で捜索に当たれ!」


 騎士団長の指示で兵士たちが一斉に動き始める。


 自分も慌てて馬から降りようとするが地面に足を着けた瞬間に何かを踏み、転倒してしまう。


 何を踏んだのかと見てみれば……。


「…………」


 言葉を失った。


 布に包まれた小さな何か。

布の間からは小さな手が見え、それはつまり。


「うっ……!!」


 胃の中の物が逆流した。

激しく嘔吐し、酸味がかった異臭が広がる。

動悸が収まらない。

なんだここは? 自分は物語の騎士の如く戦いに来たのではないのか?

だがまるでこの世の地獄かの様な光景に頭が混乱し、視界が歪む。

どうにか立ち上がろうと膝に力を入れるが体が思うように動かない。


「ゆっくりと息を吸え。そして息を吐くのと同時に立ち上がれ」


 ウェルナー卿に肩を叩かれ、それに頷いた後、彼の言う通りにした。

 息をゆっくりと吸い、肺を空気で満たすと吐き出す。それと同時に膝に力を入れ、ウェルナー卿に支えられながら立ち上がる。


「……すみません」


「いいさ。それに初陣でこの光景は誰だって堪える。俺も久々に気分が悪くなるよ」


「ウェルナー卿はこんな光景を何度も?」


「ディヴァーンの侵攻、メフィル領の大反乱。どれも忌々しい思い出だ」


 ウェルナー卿はそう言いながら赤子を抱き上げ、直ぐそばで倒れていた女性の亡骸の腕に置いた。

恐らく母親だ。

赤子を抱え、逃げようとしたところを襲われたらしい。


 ウェルナー卿はこの親子に黙祷を捧げ、自分もそれに倣う。


「エドガー、彼らの仇は必ず討つぞ」


「……はい」


 2人で頷き合い、村の中央に向かって歩き始める。


 何処を見ても死体ばかり。

中央に行くほど増えている気がする。


「それにしても妙だな」


「妙、ですか?」


 そう訊ねるとエドガー卿は頷く。


「見たところ家や倉から物を強奪した気配がない。そして村人の逃げ方だ。お前も気が付いたかもしれないが村人は村の外に逃げるのではなく中央に逃げようとしていた」


「外に逃げられない状況……包囲されていた?」


「恐らく。しかし包囲したのであれば賊というのに違和感がある。小さな村だが包

囲するのには数百人以上は必要だ。だがそん大規模な賊など直ぐに居場所が分かるし、なによりも賊ではこんな統率された虐殺はできない」


「まさか何処かの軍がやったと……?」


 此方の言葉にウェルナー卿は顎に手を当てて思案する。


「シェードラン辺境伯は周辺諸侯と良好な関係を持っている。国境を接するエルフラント神聖国とも諸侯と比べたら友好的な関係だ。そもそもどこの軍であろうともこんな辺鄙な村を襲う理由が不明だ」


 ウェルナー卿が「どうにも不気味だ」と眉を顰めていると遠くから「生存者がいたぞー!!」と言う声が聞こえてきた。


 ウェルナー卿が「行くぞ」と駆け出し、自分も生存者の方へと走り出すのであった。


***


 生存者が居たのは村中心部にある倉であった。


 発見した兵士によると倉が崩れた際に下敷きになったが奇跡的に押し潰されずに済んだらしい。


 兵士たちによって上に積み重なっていた柱を退かされ救助された男は怯えたように頭を抱えて蹲っている。


「何人かで倉の中に隠れていた様ですが、助かったのは彼だけでした……」


 兵士の報告にウェルナー卿は頷くと自分の馬に提げていた水筒を取り出して男の前で片膝を着く。


「水だ。飲めるか?」


 虚な瞳をしていた男はウェルナー卿の差し出した水筒を見ると目を見開き、飛びかかる様に引ったくった。


 その動きに何人かの兵士が構えるが、ウェルナー卿は片手で制する。


 男はむしゃぶり付くように水筒に口を付け、あっという間に飲み干した。

それからやや気力が戻ったのか、さっきよりはしっかりとした目でウェルナー卿に

「ありがとうごぜいやす」と頭を下げた。


「大変な思いをしたばかりで悪いが何があった? 賊か? 人数や装備は分かるか?」


 そうウェルナー卿が訊ねると男はやや躊躇い、それから顔を青くしながら口を開いた。


「信じてはもらえないと思うんですがね━━━」


***


「━━死霊騎士団?」


 夜、コーンゴルドの城にある城主の執務室でヨアヒムは帰還したウェルナー卿からの報告を受けていた。


「ええ、生存者の話では突然漆黒のローブを身に纏った一団に囲まれ、襲撃されたと。そいつらは皆一様に蛇の面を被り、村人を殺し回ったとか」


 そのあまりにも恐ろしい姿は死霊や悪魔の類いにしか見えなかったという。


「蛇の面……まさかとは思うが」


「ええ、メフィルの大反乱を思い出しますな」


 メフィルの大反乱。

今から5年前にあった惨事である。


 アルヴィリア南部を治める現メフィル大公は極度の人間至上主義者で、領内の亜人種やゼダ人を徹底的に迫害した。


 それに対してメフィル領の亜人及び亜人派の人間が反発。メフィル領全土で反乱が発生した。

結果として反乱は大虐殺とも言える鎮圧戦でメフィル大公側が勝利したがこの一件はアルヴィリア負の歴史として刻まれ、エルフラント神聖国やガドア地下帝国との関係を急速に悪化させた。


 この事件の背後には邪教徒が関わっていたとの不確かな情報があり、邪教徒の姿は先程の話の内容に酷似している。


「仮に邪教徒の一団だとしても我らの領土を襲う理由が分かりませんな。メフィル領と違ってシェードラン領は安定している。領民もシェードラン大公をしたっているから邪教徒が勢力を延ばすのに向いているとは言えない」


「…………」


 もし本当に"連中"なら思い当たる節はある。

いつまでも隠し通せるとは思っていなかったがここまで大胆なことをするとは……。


「何か思い当たることが?」


「まあ、な」


「言えないことであれば詮索はいたしませんよ。当分は警戒を強めておきましょう」


「そうしてくれ。明後日、兄上が参られた際に今日の件を話してみる」


「おや?大公閣下がいらっしゃるので?」


 ウェルナー卿の言葉に頷き、机から手紙を取り出す。


「息子の教育ついでに各地の視察をしているようでな。明日は隣のバードン伯の元

を訪れ、明後日は私のところに来るらしい」


「息子というと例の……」


「そう、例の息子だ」


 シェードラン大公の息子、レクター・シェードランは悪い意味で有名であった。

公平無私な父に対して息子は人間至上主義に染まっており、使用人に手を出した挙句城から追放しただの、エルフの娘に暴行を加えただのと問題を起こし続けている。


 当然、大公はそんな息子の暴走を止めようとするがメフィル家より嫁入りした彼の妻が息子を庇い続け、レクターの悪行は止まるどころか加速しているという。


「兄上も大層頭を悩ませていたよ。昨年、ガーンウィッツの城で会ったが老け込んでしまっていた。政務より妻と子に対して心労が重なっているようだ」


「やれやれ、当家のルナミア様とは大違いですな」


 そう言うとウェルナー卿は「だとすると」と眉を顰めた。


「申し訳ないですがリーシェ様にはお部屋から出ないように言ったほうがいいかもしれませんね」


「ああ。甥がリーシェを見つけたら何をするか分からんからな。心配だ」


「ええ、心配です。でも私が心配なのは実はレクター様の方ですよ。リーシェ様に何かあったら恐らくルナミア様がレクター様を地獄の底へ突き落とすでしょうからな」


「おいおい、我が娘がそのようなことを……するな」


 「でしょう?」とウェルナー卿は笑う。

それから「もう遅いですし、私はこれで下がります」と頭を下げた。


 ヨアヒムが頷くと彼は踵を返し、部屋から退出しようとするがそれをヨアヒムが呼び止める。


「そういえば、明日も客人が来る」


「ふむ、明日も? 明日はどなたがいらっしゃるので?」


「”旅人”だよ」


 そうヨアヒムが言うとウェルナーは少し考えた後、「ああ」と頷いた。


「明日は騒がしくなりそうですな」


***


 ルナミアは毎日夜になると私の部屋に遊びに来ていた。


 本を読んでくれたり、貴族同士の面白話を聞かせてくれたり、ただの世間話をしたり。

今日は彼女の特技が更に成長したとのことで、それを見せてくれるそうだ。


 丸い小さな机に私たちは向かい合って座り、机の上には水の入った皿が置いてある。


「それじゃあ、行くわよ?」


 ルナミアはそう言うと目を閉じ、そっと手を皿の上に動かす。

それから小さく何かを呟くと水面に変化が生じた。


 最初は小さな波紋。

それは徐々に大きくなっていき、そして水柱が立った。

水の柱はゆっくりとルナミアの手のひらの方に伸び、そして水の玉となって空中で制止する。


 魔術。


 精霊と契約することによって力を借り、超常的な現象を引き起こす術。

大抵は魔術師の下で修業し、知識を学びそれから精霊と契約するのだが彼女は12歳という若さ、そして誰にも師事することなく精霊の力を借りることができているのだ。


 ルナミアがそっと目を開けると空中で制止していた水の玉がその形を変え始めた。

まずは四本の脚。それから頭が生えてきて、それはそうまるで。


「豚」


「……犬よ!」


 再び形を変えて今度は。


「えーっと、死にかけのヤギ」


「……馬!」


 さらに形を変え。


「トロル?」


「お父様よ!!」


 お父様と呼ばれたトロルが机に落ち、水が飛び散る。


「貴女、わざと言っていない……?」


「いや、本当にそう見える。ルナ、ちょっと感性が特殊」


 そう言うとルナミアは「ふん、どうせ私に美的なセンスは無いわよ」と不貞腐れてしまった。


 私は近くの布で机を拭くと暫く水の入った皿を眺め、それから義姉の真似をしてみた。

当然何かが起きるわけではなく皿の中の水には波一つ立たない。


「修行しても私にはできないかな?」


 そう訊ねるとルナミアは「うーん」と唸る。


「貴女はちょっと特殊みたいなのよね。何ていうか、精霊が嫌がる?」


「私は精霊にも嫌われ者か」


「あ、嫌われているってわけじゃないのよ!? こう、精霊の力を弱めるみたいなそんな感じね」


「それって大丈夫なの?」


 私の言葉にルナミアは頷く。


「私もよく知らないのだけれど、世の中にはアンチマジックという体質を持つ人間がいるそうよ。そういった人間はどんなに頑張っても魔術を使うことはできないけれども、幻術といった危険な魔術に対して耐性があるとか」


「私の人生の中で幻術を喰らう機会はあるのかなぁ……」


「いい子にしてないと悪い魔法使いが来ちゃうかもよぉー」


 それはきっと大丈夫。

悪い魔法使いが来たらとと様とルナミアが助けてくれるはずだ。多分。


「そういえば悪い魔法使いとは違うけど死霊騎士団って本当にいるのかな?」


「メルの村のことね……。分からないわ。お父様は恐らく賊が自分たちを恐れさせるためにそういう格好をしているだけだと言っていたけど……」


 メルの村の虐殺は既に知れ渡っている。


 初陣から帰ってきたエドガーは顔色が非常に悪く、私を見ても悪態をつかなかった程だ。

唯一生き残った村人は教会で神父様が看病しているらしい。


「衛兵がいっぱいいるこの城を襲うとは思えないけれども怖いわね……」


「とと様が悪い人たちを成敗してくれないかな? 私の時みたいに」


 ルナミアは「そうね」とほほ笑むと此方の手を握る。


「悪い人たちはお父様やウェルナー卿が倒してくれるし、貴女のことは私が守るわ」


「私もルナを守るよ」


「あら、ありがとう。でも私を守るなら私より強くならないとね」


 それは無理そう。


 模擬戦で再認識したがルナミアはやはり天才だ。

努力しても彼女には追い付けそうにない。


「そうだわ! また来月、模擬戦をしましょう! 今日はルナ呼びで妥協したけれ

ども次はお姉さまと呼んでもらうわ!」


「正直勘弁してもらいたいです」


 義姉は「だーめ」と舌をちろっとだして悪戯っぽく笑う。

まったく、この姉は。人前だと大人かと思うほどしっかりしているのに二人だけになるとすぐこうなる。

最近、私のことを妹ではなく愛玩動物かなにかと思っているのではないかと不安になってきた。


 これ以上玩具にされないように棒術の鍛錬は真面目に取り組むようにしよう。うん。


 夜もだいぶ遅くなってきた。

今日は鍛錬もあったため、思わず大きな欠伸をしてしまう。

義姉もそれにつられて欠伸をしたので二人で小さく笑う。

そしてルナミアは立ち上がると「私は部屋に戻るわ」と部屋のドアの方に歩いて行った。

彼女はドアノブに手を掛けると私の方に振り返る。


「それじゃあ、お休みなさい」


「うん、お休み」


 ルナミアが部屋から出ていくのを見送ると私はベットに入り込んだ。


 ランタンの日を消し、部屋が暗くなる。


 夜の闇。

同じ闇でもあの日、あの牢獄で感じていた闇とは違い心が落ち着く。

どうして違うのか、それはきっと今、私は幸せに生きていけているのだろう。


 絶望に満ちていた牢獄から救い出してくれた義父に、私を家族として守ってくれている義姉に、あととりあえずロイに心の中で感謝し、私はゆっくりと眠りに落ちた。

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