悲劇の後、歴史の始まり ルドルフの場合

あと少しだ。

ルドルフ・フォン・ヴァルテマール少将はつい先ほど届いた辞令を野心にぎらつかせた目で眺めながらそう思った。

辞令には遠征軍中堅部隊であるボグロフスキー艦隊の分艦隊司令官としてルドルフが任じられる旨が現参謀本部総長ダルジャン元帥の署名入りで書かれていた。

この度の出征で戦功さえ上げてしまえば中将となり、一個艦隊を正式に率いるに値することとなる。おそらくではあるがそれに伴ってどこぞの領地を賜ることもあるだろう。

ここまで来るのにいったいどれほどの辛酸労苦を嘗めさせられたか。ともあれ、あと少しで誰にも揺るがすことのできない確固たる力が手に入る。ルドルフはふふ、と笑い書類を机に置いた。

彼の生家であるヴァルテマール家は、中央にさしたる影響力はなかったものの、貴族としては十分なほどの家勢を誇った子爵家であった。

彼はその家の唯一の男子として生を受け、両親や召使い、領民に至るまで愛を注がれ、次のヴァルテマール領を担う領主として期待を込められ、彼もその期待に応えるようにして幼い日々を過ごしてきた。

すべてが変わってしまったのは天暦一五二〇年のことであった。

継承関係のもつれから発展したヴァシュタール伯マクシミリアンの反乱においてヴァルテマール家はマクシミリアンを秘密裏に援助した疑いがかけられ、反乱討伐軍司令官であったブロワ候アルベールの率いる軍勢の別動隊の攻撃を受けることとなったのだ。

別動隊の指揮官であるアルベールの甥ウスタシュは残虐かつ強欲な男であり、領内の村邑を襲っては血の海に変え、家財等は徹底的に略奪するなどの乱暴狼藉を叛徒鎮圧の名目のもと徹底的に行い、生き残った領民からは怨恨を、中央の貴族から称賛の意を一身に浴びることとなった。

前者に位置するルドルフはヴァルテマール家の中で最後の生き残りとなった。燃える惑星ヴァルテマールを徴用された民間船に密航して脱出した彼はその心中に燃え上がる復讐心とともに母の実家筋に当たる企業家フリッチュの家に駆け込み、彼に疎んじられながらもなんとか生き延びることができた。

軍人の道を志したのも、ひとえに復讐心からであった。武力とそこから生じる権力さえ手に入ってしまえば、家族領民を皆殺しにしたブロワ候、ひいては叛徒の烙印を押しすべてを奪い去った貴族社会、そして皇帝に復讐が可能となる。彼はそう考えて士官学校の門をたたき、帝国内に巣食う反乱貴族や革命組織、連邦、共同体と戦って今日まで生き延びてきた。

さて分艦隊の司令官になるにあたって、彼にはある程度人事に注文を付けられる権利が与えられていた。

確実に注文通りにいくとは限らないが、相手はあの英雄である。叛徒の息子であることを抜きにしても極力通りやすくなるであろうと彼は見越していた。

「さて、その参謀長候補が今日来るはずなのだが。」

ルドルフはそう言って、左腕の、お世辞にも貴族が持つようなものではないあまり飾り気のない白銀の腕時計を見やった。長針は二の数字を、短針は九の数字を指していた。

時計から目を離し、再び扉に向けて目を見やると小気味よい木の扉特有のノック音が二、三回ほど彼の耳に突き刺さった。

「入れ。」

ルドルフが入るよう許可を出してから二、三秒立って、一人の男が扉を丁寧に開けて姿を現した。

短く乱雑に切った黒い髪、口の周りにまんべんなく生えそろった髭が特徴な三十代ほどと見受けられる男は、扉をゆっくりと占めると、向き直ってルドルフに敬礼をした。

「エドゥアルド・フォン・シュトロハイム大佐です。この度閣下の参謀長の任を仰せつかりました。」

野暮ったい男だな、とルドルフは眼前の将校に対して最初の印象を抱いた。

「うむ。ご苦労。もう少し早めに来るものかと思っていたが。」

「いやぁ、ここの食堂の定食がおいしくておいしくて。味わって食べていたらこんな時間になってましたよ。」

本当に注文付けた優秀な参謀なのか。こいつは。ルドルフは心中で目の前のどう見ても参謀向きではない男をよこした人事局に対して悪態をついた。

「にしても貴官は本当に参謀なのか?どうしても指揮官経験が多い人間に見えるが?」

「あ、疑いましたね?私、こう見えても参謀教育はちゃんと受けましたし、何なら前の部隊でも参謀を務めましたよ。この前のヒュペリオンの会戦をご存じですか?」

「ヒュペリオンで参謀を務めていたのか?」

この前の会戦、すなわち天暦一五三二年十二月に生起した第七次ヒュペリオン星域会戦は圧倒的優勢を誇る革命組織に対して帝国軍が勝利を果たした戦いである。ファルツォーネ中将が見せた合流を図りかけた敵艦隊に対する中央突破と分断からの包囲殲滅はまさしく神業であり、帝国軍がいまだして衰退しきっていないことを如実に表すものであった。

「そこの作戦参謀としてあの会戦に立ち会ってましてね。私もよい上司に巡り合えたもんですよ。」

このときルドルフの中で眼前の男への第一印象が食えない男へと変化した。同時にこのような男をくれた人事局に対してその慧眼を評価した。

「なるほど。ファルツォーネ中将に勝るとも劣らずのいい上司になれと。だがいつも俺が聞き分けの良い上司だとは限らんぞ?」

「ええ。そのことはアントファガスタを見ればよぉく分かります。あなたは自分がよいと決めればどこまでも押し通す。我が強すぎるんです。私じゃ到底真似できません。」

シュトロハイムは降参のジェスチャーをして、ルドルフの力量そのものを認めるようなことを言った。

「まあ私が思うにそここそあなたの良さなんです。その我の強さと有能さがあなたを最年少の将官というところまで押し上げた。まあ政略的な要素を抜けば十分有能な人間といっていいでしょう」

ルドルフはシュトロハイムの言葉に悪い意味で複雑な思いを抱いた。褒められていると同時に貶しているようにも感じられていたからである。

「…貴官は口がよく回るようだが、とどのつまり何が言いたい?」

ルドルフは厳しい目つきでシュトロハイムをにらみながら、厳しい口調で彼の真意を探ろうと試みた。

「…まあ、つまりはですね。あなたはこのままの勢いで突き進み続けると危ないんですよ。」

「それはどういうわけだ?」

シュトロハイムはやれやれ、という意味合いのしぐさを見せてから、執務室内をゆっくりと歩いて白髪の少将に対して説明を開始した。

「あなたはまだそんな若さだというのに少将という地位に上り詰めた。帝国の歴史を見ても稀有なことでしょう。ですがそれを見て嫉妬する層だったり脅威に感じる層がある程度出てくるというわけです。」

「中央貴族のボンボン共とその取り巻き共か。」

ルドルフは政界を牛耳る中央貴族やその取り巻きの軍人、官僚、財界人の顔を思い浮かべた。彼らは自分を見る限り反逆者の息子だの体を売って出世した男色提督だのとあることないことを言い散らすのだ。彼らの浅ましい顔を想起してルドルフは嫌な気分になった。

「問題はそう言った人間は最大派閥である門閥保守派に多い、ということです。彼らは何らかの権益を保持している人間の集まりですからね。あなたのような将来的に権益を犯すと考えられると人間に対して脅威に感じるのはく自然な反応です。トヴェーリ公爵やモンハウプト侯爵なんかはあなた嫌いの最右翼ですよ。そういえば。」

シュトロハイムは何かを思い出したように足を止めて、再びルドルフに向き直った。

「あなたは確か現参謀本部次長ヴェルマントワ伯爵の娘さんと結婚していましたね。伯爵は中立派の盟主ではありますが彼だけを後ろ盾にしているままでは門閥保守派の影響力の前には象の前の蟻同然でしょう。」

ヴェルマントワ伯爵はルドルフが有力貴族間のトラブルで助けて以来、娘をあてがわれ、以降何かと助けてくれた中央貴族であった。反逆者の息子であった彼の早い昇進は、彼の支援があってこそであった。おそらく彼にとっては信頼に足る存在だと思っているだろうがルドルフにとっては権力を手にするために必要な踏み台であり、便利な道具そのものという認識であった。

「象の前の蟻、か。確かに、あの男はその言葉がふさわしいな。」

ルドルフはどこか俗物みを漂わせる小太りの男を思い浮かべた。

「で、だ。上司を引き合いに出したり俺の現状を言ったり、結局お前は何を言いたいんだ?」

ルドルフは一通り思い浮かべてから、またしても厳しい目でシュトロハイムを見つめた。

「簡単なことですよ。これから昇進するにあたって門閥保守派に対抗できる足場固めをすることをお勧めします。私も軍で生き残らなければならないのでしてね。幸い、私には何人かあなたに悪印象を抱いていない名士に心当たりがありますもんでね。先ほど言ったファルツォーネ中将含めてね。」

シュトロハイムは人差し指を顔の前でぐるぐるとまわしながらそう言った。

「お前もなかなか、汚いことを提案してくるもんだな。政界に進んでもうまく立ち回れるんじゃあないか?」

「あいにく、政界はキナ臭くてじめじめしているもんで。」

ではこれで、と言ってからシュトロハイムは上官に向けて敬礼し、踵を返して執務室から出ていこうとした。

「あ、そうそう。ほかの幕僚のことですが、注文のとおりなかなかの粒ぞろいらしいですよ。楽しみにしておいてください。」

付け足すように参謀長はそう言って、扉を丁寧に開けて部屋から退出した。

「なかなか食えないやつだな。なかなか良い参謀長をこさえてくれたもんだ。」

ルドルフは先ほど出ていった参謀長をそう評してから、白銀の腕時計を見やった。

長針と短針は、二時十五分の位置を指し示していた。

ルドルフは時計から目を離すと、来るべきルドルフ艦隊に対して、わずかな期待の念を抱き、仕事に戻った。

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