天暦一五三三年八月 悲劇の後、歴史の始まり
悲劇の後、歴史の始まり ユリウスの場合
オスナブリュックを襲ったのは海賊でもなんでもなく、血も涙もない叛徒、統合共同体であった。このニュースは一定の話題性をもってたちまち帝国全土を駆け回った。
かねてからペルセウス腕方面における海賊による軍民問わずの船舶襲撃行為は軍部から貴族、民間企業に至るまで問題視されていた。かねてからこれら海賊には統合共同体の関与があるとみられていたが統合共同体が直接海賊行為を行っているという事実は、上から下まで驚愕させることと相成った。
叛徒統合共同体に対する征伐を求める声が大きくなるのは当然の帰結であった。ことに、オスナブリュックを事実上見捨てる意味合いの命令を出したリウドルフィンガーという反逆者を出すこととなったトヴェーリ公爵ら門閥保守派はこの汚名を挽回すべく積極的征伐を唱えることになった。
そのような空気が帝国上層部を中心に醸成されていく中、田舎貴族の嫡子であるユリウス・フォン・バーゼンクレーバー幹部候補生はテオーデリヒスハーフェン要塞にて厳粛に執り行われた犠牲者の慰霊式典の後、二十八日分割り当てられた夏休みを微妙な気持ちのまま迎えることとなった。
そんな彼は今現在、微妙な気持ちを心に背負ったまま窓の外、スモレンスク星系第三惑星ヒンデンブルクの第二都市ニコポリスの、下宿先の窓から見える質素ながら整然とした街並みを見ながら思考遊びをしていた。
彼の心中は微妙でありながらも非常に複雑な気持であった。あの事件を生き延びた候補生たちのこと、残された家族、そしてあの事件を生き延びて今ここにいるという実感のなさを、窓の外の景色で紛らわせながら脳内でそのアマルガムをもてあそんでいた。
ユリウスは机に置いてあったコーヒーの入ったマグカップを手にとって、中身の黒い液体を一気に喉に流し込んだ。
「冷めてやがる…」
そう言って舌と喉で冷めた苦みをゆっくりと味わってから、マグカップを机の上に戻し、また考え事に戻ることにした。
十分ほどたって、何を思ったのかユリウスは、右手の薬指にはめてあった指輪型情報端末をいじくって、ネットサーフィンに興じてみることにした。
手始めに帝立情報総局電子部門のサイトを除いた。目的のニュースはいまだにトップに鎮座しており、見つけるのはたやすかった。
「来るべき叛徒討伐の戦陣に功臣ルドルフ・フォン・ヴァルテマール、ねぇ・・・」
ユリウスは帝都の皇宮と思しき階段から情報総局の報道陣に向かって微笑みを投げかける白髪の美男子の写真を見ながら、そうつぶやいた。
あの事件以来、ルドルフ・フォン・ヴァルテマールは帝国のどこに行っても第一の話題になるほどの有名人となった。齢二十四にして将官となり一時期話題になったが、ついこの間の事件で将来の士官たちを叛徒どもの手から救い、英雄へとなりおおせた。
反面大きく名を落としたのがカール・フォン・リウドルフィンガー上将である。自身の足場を確固たるものとしようと帰って帝国の利益を損ねる命令をした彼は、今上帝アマデウス四世直々に叱責を受けたのみならず、数々の証拠が挙がり軍法会議にかけられ一派ともども降格処分と相成り、しまいにはトヴェーリ公爵にも見捨てられてその権勢は短期間で地の底に零落した。
それはともかく、記事の内容はペルセウス腕遠征鎮撫軍の分艦隊司令官として彼が抜擢され、なんと少将ながら皇帝より旗艦級戦艦を賜るのだそうだ。なんともうらやましい話である。帝国軍に入ったからにはこうなりたいものだと彼は皮肉ながらにそう思った。
不意に呼び鈴の音が彼の耳に入ってきた。いったん端末の電源を切って彼は扉へと向かっていった。
扉を開けるとそこにはツーブロックスタイルに黒い髪を刈り上げた、同い年ほどの男がいた。ユリウスはその人物がフィリップ・シャルダンであると見抜いた。
「シャルダンか。なんか用か。」
「エリザベート嬢にお茶会に参加しないかって言われてよ。でも俺平民だからマナー知らなくてよ。」
「つまるところ同行しろってか?」
ユリウスは半ば呆れながらそう言った。何も参加することなく断ればいいのに。
「そそ、そういうこと。頼れるのはお前しかいなくってさ。」
「俺は今日一日部屋でダラダラしたいんだ。何かおごってくれるなら別だが。」
「まあまあ、そう言わずに。ちょっとついて来い。」
そう言って軽口シャルダンはマンションの玄関に向かった。
玄関にプレゼントでも置いてあるのか?あいつにしては気の利く話だな。そう思いながら彼は後を追った。
まさかもう一度見る羽目になるとは思わなかったと彼は思った。そこにいたのは切りそろえた黒髪に銀縁眼鏡をかけた乙女であった。忘れもしないアデライード・ハウプトマン候補生である。その後ろには何人かのガードマンらしき人影と如何にも高そうな高級車が鎮座していた。
「…あいつに参加しろって脅されちゃってさ。」
「なるほど。断れないはずだ。」
ユリウスはそう言ってから玄関を出て銀縁眼鏡の冷酷な刃物が擬人化したような女にいくつかの社交辞令を言ってから参加する由を伝えて、すかさず車に乗り込んだ。
ニコポリスの郊外は貴族、とりわけ帝国開闢以来の側近たちの子孫である中央貴族に人気の保養地であった。彼らは帝星オルベールからそれほど離れておらず、なおかつ自然豊かなこの星に別荘を構えることをある種のステータスであると思っていた。
そのような別荘の一つにあの事件を生き延びた若者たちは庭先の小さなテーブルにお茶菓子と飲み物を囲んで集まっていた。
「本日は急な会合に集まっていただきありがとうございます。」
若者たちを集めた張本人であるエリザベート嬢はそう言葉を切り出した。
「本当にいきなりでびっくりしたよ。買い物の途中に来るもん。」
ウーゴ・パストーレ候補生がそう切り返す。のんびりした目は主催者の方にしっかりと向けていた。
「俺なんて半ば脅されたんだぞ。」
そう言ったのはフィリップ・シャルダンである。
「こら、脅されたとか言うな!招待されたと言え!」
そんな彼の発言に注意したのがチェザーレ・ボルティエリである。
「ところで機関長殿はどうしたんだ?」
早速用意されたお茶に手を付けながらフリードリヒ・フォン・リュプケ候補生は機関長の行方を聞いた。
「機関長は実習だとさ。」
発言に答えたのはシャルダンに巻き込まれたユリウスであった。
「なるほどね。お茶お替りできるかな?」
リュプケは紅茶が入っていたカップをエリザベート嬢のそばに控えていた使用人であるハウプトマン候補生にお茶のお代わりを要求した。
ハウプトマン候補生は「かしこまりました」とそっけなく言うと、すかさずポットを手に取り、カップを紅茶で満たしてから彼に手渡した。
「まさかあの保安長殿がここの使用人だったとはな。」
「チェーザレ、貴族が戦で出征するときは付き人も伴って従軍するものだ。特に大貴族の子弟となればなおさらな。」
「リュプケ子爵家はどうなんだ?見た感じだと使用人は見当たらないみたいだが。」
「おいおい、俺は継承権もクソもへったくれもない五男だぞ?いちいち使用人を従軍させられるか。」
「だろうな。お前が子爵様なんてあまり想像ができん。」
「おいおい、そりゃ言いすぎだぞ。」
程度の高低はともかく、早速若者たちは紅茶と茶菓子を楽しみながら談笑に花を咲かせていた。
ユリウスはお茶のカップを口に当て、喉に温かいそれを流し込んだ。上質な味わいと程よい温度の液体が喉と舌を潤した。これほどおいしい紅茶はおそらく一生かけても当たれないだろう。
「それで、なぜ俺たちを招集したんですか?何か重要な話があるかと思いますが。」
ユリウスはカップをソーサーに置き、しっかりとした目つきでエリザベートを見据えながら茶会の意義を尋ねた。
「ええ、なぜ皆さんをわざわざ招いたかといいますと…」
エリザベートは深呼吸を一、二回ほどしてから
「父上から此度のことで軍に入るのは止めろと言われまして。この度士官学校を退学することとなりました。みなさん、短い間でしたが今までありがとうございました。」
そう言って彼女は頭を下げて、他の若者らと傍らの使用人に向けて謝罪と感謝の意を伝えた。
ユリウスは夕日に照らされた整然とした街並みを眺めながら、彼女がなぜ軍を止めるという決断をしたのかを考えていた。その結果、無理やりにでも辞めさせられたのだろうという結論が浮かび上がった。
先ほどまでリムジンに乗っていた彼らも同じようなことを考えていたのだろう。その彼らはすでに車から降りており、今では彼とアデライード、そして彼女の主家に仕える運転手のみが車内に存在していた。
「…あらかじめ聞かされていたのか?あの決定。」
ユリウスは左隣に座る不愛想ともとれる表情をした使用人に問いかけた。
「いえ。あれが初めてです。」
「そうか。」
ユリウスは再び窓の外に目を向けた。どこか懐かしさを覚える住宅街のマンション群が、彼の眼前を通り過ぎた。
「でも、聞かされた時はどちらかといえば安心したような気持ちになりました。ああ、もうお嬢様をもう危険な戦場に出なくてもいいんだ、もう二度と苦しみを背負わずに済むんだ、と。」
「苦しみ、か。」
あの家柄だ。これから先、戦場並みの過酷な世界に飛び込む羽目になるだろうな、と言いかけたがやめておいた。
「そういえば車に乗る前に何か言われていたようだが何を聞かされたんだ?」
「そのことですか。」
彼女は一呼吸してから、
「これから先、私に代わってみんなのことを見ていて頂戴、とおっしゃられました。」
本当は別の言葉も預かってあったが、それだけを彼に伝えた。
「みんなのことを見ていて頂戴、ねぇ。」
ユリウスはしばらく考え込んで、改めて彼女に視線を向けた。
「あいつにこう伝えておいてくれないか?優秀な監視役をありがとう、努力して提督にまで成り上がる、とな。」
「分かりました。それまで生き残ることができるかもわからないが、とも付け加えておきます。」
「おいおい。」
不意にブレーキをかけたような衝撃が車内に伝わった。どうやらもう下宿先に就いたようだった。
「それじゃあ、ちゃんと伝えておいてくれよ。」
「ええ、分かりました。一言一句、ちゃんと正確に伝えておきますよ。」
他愛もないやり取りを交わして、ユリウスはドアをしっかりと閉めてから下宿先の玄関まで歩いて向かっていった。
その日の夕方は、スモレンスクの夏特有の涼しい夏の日であった。
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