オスナブリュック事件 2

アントファガスタ星域第八惑星軌道上に展開予定の救援部隊との合流に当たっての航行計画は、おおむね二通りが策定された。

すなわち、アルファー宙域を通るかガンマ宙域を通るかである。

アルファー宙域を通る第一プランはアントファガスタ第五惑星の軌道上を通るもので、重力による加速を行い速やかに目的地までたどり着く、という計画であった。これは三日でたどり着けるが開けた宙域を通ることになるので必然的に海賊に捕捉されやすい航路であった。

ガンマ宙域を通る第二プランは小惑星帯を通るルートであった。これは海賊に捕捉されにくく、しかも襲撃から艦を守りやすいという利点があったが、航行日数が最短で第二プランの二倍、すなわち六日かかることと操作を誤れば小惑星に衝突する恐れがあるというリスクが存在した。

帝国開闢からの名家ヴァイクセル家の令嬢であるエリザベータ艦長は航行日数とリスクの関係から第一プランを採用した。小惑星帯を航行する高等技術は、彼らには持ち合わせていなかったのである。

かくして天暦一五三三七月一一日、機関部の応急修理を終えたオスナブリュックは、アントファガスタ第五惑星軌道上に向けて航行を開始した。

「道中海賊の奴が襲い掛かってくると思いましたが、一向に奴らは来ませんね。」

電信長フリードリヒ・フォン・リュプケ候補生は、レーダー画面と作戦用立体映像を交互に見ながらそう言った。

「だな。おかげで俺たちは楽に第五惑星まで進撃できた。」

チェーザレ副長はにこやかな笑顔でリュプケ電信長に答えた。

「ですが、油断は禁物です。相手は海賊とはいえ軍用艦に代わりありません。油断しているうちに奇襲をされてしまいますよ。」

指揮卓に座る切りそろえた金髪の乙女が環境に詰め込む若者たちをたしなめた。この乙女こそがエリザベータ・フォン・ヴァイクセル艦長であった。

「艦長殿も油断なさらないでくださいよ?教官殿がいなくなって以来、精力的に働いていましたからな。」

ユリウス通信長は、通信端末を司るコンソールを一通りいじり終えると、金髪の女艦長に向かってそうたしなめた。

エリザベータ・フォン・ヴァイクセル伯爵令嬢は、五百年の長きに渡り腐敗を重ねた帝国大貴族層においては珍しい、ノブリス・オブリージュの精神を体現したような人物であった。

他の兄弟の誰よりも貴族としての使命感が強かった彼女は、父親であるヴァイクセル家当主フリードリヒを説得して士官学校に入学、艦隊運動研究科に所属し良好な成績をたたき出している。

ユリウスは常々なぜ彼女は軍に入ったのだろうかと考えている。大貴族の令嬢でありながら、ましてや女でありながらなぜ軍隊に入る選択肢をとったのか。彼女ほどの人間なら大学の教授や医者を目指したほうが帝国の教育水準や医療水準を高めるのに貢献できただろう。政治学を学んでまだ見ぬ夫の支えとして政治に介入するのもいいだろう。

ユリウスはまだ知らないが彼女は少々人よりもずれているところがあったという。これが生じて軍隊に入ることとなったのだが彼がその結論に至るのはもう少し先のことである。

とにかく彼女は教官が倒れて以来、必死で生まれて初めて軍艦の指揮を執ったのだ。並大抵の疲れが、その体にたまっている。おそらく今にも倒れるであろう。その空白を縫って海賊が攻撃してくるかもしれない。ユリウス、いや艦橋に詰める候補生たちが恐れていたのがそれであった。

「休息は宝石より大切だと言いますから。艦長、チェーザレ副長に指揮を委任して休息を執ったらどうです?ここの所働きっぱなしでしょう。」

ハウプトマン保安長が眼鏡を直しながら休息を提案した。冷血嬢と恐れられる彼女も、人の体を案ずるほどの情を持ち合わせていた。

「今すぐにでも休みたいところですが…指揮を中断するわけにもいきませんし…」

「正直に言いますと今倒れられたらこの船の乗員みんなが困るんです。艦長、今すぐにでも休息を。」

伯爵令嬢は少し考えてから「分かりました。チェーザレ副長、後は頼みました。」と言って艦橋出入り口から艦長室へと向かっていった。

「大貴族相手でもずけずけというな、保安長殿は。こりゃ結婚した奴は大変だぞぉ。」

シャルダン航海長はからかいながらコンソールをいじった。軽口シャルダンの異名を持つ彼は思ったことは何でも言うが堅実な仕事ぶりを行う人間としてもっぱら有名であった。

「ですね。間違いなく健康的な生活間違いないですよ。」

リュプケ電信長がシャルダンの軽口に冗談で返した。たちまち環境に笑い声と「軽口をやめてください、シャルダン候補生、リュプケ候補生」という感情のこもった声が響き渡ることになった。

まったく、俺たちはまだまだ年相応だな。軍隊に入った先が思いやられる。ユリウスは艦橋で笑っている同胞たちを見て、思わずそう思わずにはいられなかった。それほどまでに彼の眼前の光景が、とても軍隊にいるとは思えない光景であった。

ふと前方のスクリーンを見ると、巨大なガス惑星、アントファガスタ第五惑星がその雄大な姿を漆黒の帳の上に横たえる姿が映し出されていた。

オスナブリュックはまさにこの巨大な惑星の軌道上に差し掛かろうとしているところであった。

航海長が送付した航行計画をもとに、操舵部門がこの惑星の軌道上に艦を進めて速度を稼ぎ、明日の朝には倍の速度でデルタ宙域に向かっているであろう。ここまで進めたチェスタートンら機関部の人間は勲章もの大活躍をした。

末期的な状況はとうに過去に過ぎ去った。あとは時の流れに身を任せこの状況から脱出しようではないか。

そう思いながら彼は目をつぶり、眼前の星の海に思いをはせた。

突如、警告音がけだたましく鳴り響き、間をおいて衝撃音が艦を揺らした。

「いったい何が起きたんだ、報告急げ!」

「後方にスクーナー艦一隻が現れました!奇襲です!突然現れました!」

「なんだと・・・!!!海賊ごときが短距離ワープか光学迷彩装備を装備しているのか!?」

チェーザレ副長は最悪な状況を想定し、狼狽した。短距離ワープおよび光学迷彩を装備している艦艇は海賊ごときが到底手を出せないものであった。

「共同体の介入か革命組織のいずれかが介入していると思われます!副長、至急火器の使用許可を!」

エリクセン砲雷長が喚き散らすようにして叫んだ。

「そうだな、一刻も早く応戦しないとこちらがやられる。砲雷長!演習用弾薬でもいい!海賊どもに向かってぶっ放せ!」

「了解です!」

砲雷長の威勢のいい声を皮切りに艦橋内が途端にあわただしくなる。どうやら末期的状況はまだ過ぎ去ってはいなかったようだ。ユリウスはそう思いながら通信管制用のコンソールを、急ぐ手つきで操作しながら、そう思った。

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